458.魔法使いも主人のために
「あ、アルム明日は……」
「祭り本番なんだろう? わかってる、忘れてない」
夕食も終わり、湯浴みも済ませたアルムとミスティはミスティの部屋の前で別れ際に明日の予定を確認する。ミスティの後ろではラナが、アルムの後ろではジュリアが控えていた。
明日から帰郷期間の目的の一つでもあるスノラの祭り戴冠祭が始まる。
アルムに明日をより特別に感じて貰う為、祭り当日まで準備中の町に出かけるのを我慢していたミスティとしては気合いが入るというものだ。
「ふふ、しっかり案内いたしますね? 寝坊されたら流石の私も怒ってしまいますよ?」
「しないしない。これでも朝起きるのは得意だ」
「夜更かしも駄目ですからね?」
「…………」
「アルム? 今怒ったほうがよろしいですか?」
「しない。約束する。しない」
「もうアルムったら……私は怒ると、とっても恐いんですからね?」
そう言う割に、ミスティの表情は喜びを隠せずにふにゃふにゃと綻んでいる。
さらさらと水色がかった銀髪が揺れ肩を滑る。空気に乗って届く湯上がりの甘い香りに流石のアルムも少し心臓が跳ねた。
三日目なのに慣れないな、とベラルタにいる時とのミスティの差に少し戸惑う。
根本が変わっているわけではないのだが、故郷だからというのもあってリラックスしているのか雰囲気がいつも以上に柔らかく、年頃の少女らしい。
アルムの目からも普段の大人びた印象が大分鳴りを潜めているように見えた。
「それでは名残惜しいですが……おやすみなさいませ、アルム」
「ああ、おやすみミスティ」
共に明日に備えるべく就寝の挨拶を交わすが……にもかかわらずミスティは部屋の扉を閉じようとしない。
言葉の通り名残惜しさがそうさせているのか、ミスティは扉を開けたまま、熱のこもった潤んだ瞳でアルムを見つめている。
「……ミスティ様。そのようにしていてはアルム様が帰れません」
「あ、そ、そうよね! ごめんなさいアルム! おやすみなさい!」
「ああ、また明日」
ラナに言われるとミスティは恥ずかしそうな照れ笑いを見せ、手を振るアルムを名残惜しく見つめながら静かに扉を閉じた。
「ではお部屋に……アルム様?」
ジュリアが部屋に案内する為に先導しようとすると、アルムはミスティの部屋の前で立ち止まったまま……何かを考えるように腕を組み、顎に手を当てていた。
やがて真剣な表情でジュリアのほうに顔を向ける。
「なあ、ジュリア」
「なんでしょうアルム様?」
「ミスティや俺達が使ってる石鹸が違うものだったりするのか……?」
「私達使用人は違いますが、お客様用の風呂場には同じものを用意していますよ?」
「そう……なのか……何でこんなに違うんだ……?」
アルムはおもむろに自分の手首の匂いを嗅ぐ。
自分では絶対に使わない高級な石鹸のいい香りはするが……どう考えてもミスティのと同じものとは思えない。
「いや、石鹸以外にも香油とか使ってるかもしれないか……。ラーニャ様も薔薇の香りがしてたし……女性はそういう身だしなみが多いのかもしれないな」
「……?」
「いや、なんでもない」
浮かび上がった疑問をてきとうに結論付けて自分を納得させると、アルムも自分の部屋へと戻っていった。
その納得のために一国の女王の名前を出すのはどうかと思うが、ジュリアもこんなに軽く出された名前とガザスの女王は結びつかなかったらしい。
「それでは失礼致します」
「ああ、おやすみジュリア」
「おやすみなさいませアルム様」
部屋に戻ると、ミスティのように寝る前のケアも何も無いアルムはベッドに潜り込み、本に手を伸ばすのを我慢してそのまま眠りについた。
まだ寝るには早い気もするが、ミスティとの約束を破るわけにはいかない。今日は早く寝るのだと魔石のテールランプの光を消す。
北部の夏は過ごしやすく、丁度いい陽気が人々を活動的にするが夜は少し肌寒い。
掛け布団を胸の辺りまでかけて、アルムはスノラの夜を眠る。寝つきが早いのは昔からだ。
普段では有り得ない高級なベッドの寝心地も初日にこそ違和感を感じたが、今は熟睡である。
――静かな夜。深い夜。
町の喧騒から離れ、自然の領域に建つ城の夜は一層静かだ。
夜が深くなればなるほど静けさは目立っていく。
だからかもしれない。
アルムが眠ってから三時間ほど経った頃……その目は突如開かれた。今日は針で刺そうとするメイドが近くにいるわけでもない。
「……なんだ…………?」
アルムは掛け布団をゆっくりとどけて起き上がる。
何故自分が目を覚ましたのか? 不本意な覚醒がアルムの神経を研ぎ澄ませる。
「空気が変わった……?」
故郷カレッラで魔獣の咆哮を聞いた時のような悪寒。
山の空気は良くも悪くも自然が起こす流れの中で変わっていく。急に変わり始めることはあれど、スイッチで切り替わるように突然ということはない。そこには必ず兆候があり、人間が気付ける時と気付けない時があるだけなのだとアルムはよくわかっている。
つまり、もし突然変わったのだとすれば……それは自然による変化ではないのである。
「"流出魔力"捕捉。これでもう逃がさないわ……お兄様」
静かな夜に一つ、くすり、と笑う声。
声の持ち主の黒く輝く瞳の中にトランス城と魔力が映る。
トランス城のある山の中……月光すら届かぬ森の闇にカンパトーレの魔法使いは潜んでいた。
「流石だリィツィーレ。これだけ早く感知するとは」
「褒めてくれるのは嬉しいけれどねお兄様。これはこの人達が迂闊よ。だって魔力を閉じていないんだもの」
闇の中で声を潜めながら会話するカンパトーレの魔法使いジグジーとリィツィーレ。そしてその背後に並ぶ十数人の部下達。
全員がダブラマの魔法使いのように黒衣を身に纏い、仮面をつけ……ダブラマの仕業に見せつけるための偽装に加えて夜に紛れようとしてるのは明白だった。
「この大きい魔力がミスティって子で少し小さいのがアスタよきっと」
「流石に当主のノルドは魔力を閉じているか……例の平民は?」
「ごめんないさお兄様……わからないわ。完全に魔力を閉じているみたい」
「そうか……まぁ、いい。今回例の平民はリィツィーレがついでに足止めできればそれでいいからな」
「ええ、わかっているわお兄様。ご主人の命令優先ね?」
「そうだ、いい子だなリィツィーレは」
闇の中、ジグジーがリィツィーレの血のような色をした髪を撫でる。
リィツィーレは一瞬うっとりしたような表情を見せるが、はっ、とすぐに我に返った。
「お兄様……私こんな子供のような体型ですがこれでももう十八ですの……。子供扱いはしないでくださいな」
「兄にとって妹などいつまで経っても子供のようなものだ」
「お兄様はレディの扱いを学ぶ必要があるようね」
リィツィーレはそっぽを向く。そんなリィツィーレを見てジグジーは苦笑した。
魔法使いとしての腕は確かなのだが、子供のような体型に子供らしい仕草まで加わると本当に子どもにしか見えない。
だが、これもカンパトーレの魔法使いとして他国の町に潜入しやすくするための教育によるもの。子供の姿で子供らしい振舞いをするだけで、向けられるはずの疑いの目は驚くほどに無くなるのである。
「じゃあリィツィーレ。準備だけしておいてくれ。まずは俺が邪魔者を潰す。通信用魔石を繋げて待機だ」
「ええ、待っているわお兄様。ドロちゃんに聞いた通りならすぐに見つかるわ」
「ああ、ドローレスが内通者だと気付かれる前に……手早く手筈通りにすませよう。私達の主人のために」
ジグジーはリィツィーレに念を押して、仮面の下で小さく息を吸う。
「【影戯の幻傷痕】」
闇夜の中、水面に落ちる雫のように静かな歴史が唱えられる。
黒い魔力は闇に紛れてトランス城へと波打って……一方的な開戦の合図となった。
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