457.親の目は光っている
カエシウス家現当主ノルド・トランス・カエシウスは巷では"日陰の雪"と揶揄される。
ノルドはカエシウス家にしては突出した才能が無く、魔法の腕前も圧倒的というほどではない。
ベラルタ魔法学院での最終成績も四位とカエシウス家とは思えぬ位置であり、カエシウス家にも凡人は生まれるのだと当時から言われ続けていた。
それらの事から、幸運にも溶けにくい場所に積もる降雪に例えられ、カエシウス家であの実力ならば他の家に生まれればとっくに没落していると貶められていた。
だが、魔法使いとしての才は及ばずとも貴族としての才はあり、広すぎる北部の領地の隅々までを統治した腕前とスノラの発展を惜しまない活動の数々は他の貴族も認めるところであり……グレイシャの一件という家全体の失態こそ突くものはいるが、ノルド本人を貶めるような声は少ない。
そんな領主としては優秀なノルドを目下悩ませている一件があった。
「ううむ……」
アルムがトランス城に来てから三日目の夜。
アルムがミスティと夕食に舌鼓を打っている頃……ノルドは今日も同じ席にはつかなかった。
というものの、ノルドは二人が夕食の時間で食堂からしばらく動かない時間を狙い、二日目の夜も今もとある事をしているのである。
「次の方どうぞ」
ノルドの執務室にはノルドが難しい顔をして座っており、傍らにはノルドが最も信頼している上級使用人であり、ミスティ専属のレディースメイドのラナが補佐をしている。
メイドが一人部屋を出て行くと、ラナは扉に向けて次の者の入室を促した。
すると、退出したメイドに代わって温和な老人が執務室に入ってきた。部屋の外を見れば配属も違う数人の使用人が待機している。
「庭師のモレアですノルド様。お呼び頂き光栄で御座います」
「貴重な時間を割いてもらって感謝している。では頼んでもいいかね」
トランス城庭師――モレアの意見。
「とても穏やかな方という印象を受けました。私のような者にも礼儀正しく接して下さり……いや、ミスティ様がいる手前という可能性もなくはありませんが」
「他には何かあるかな? モレア?」
「そうですな……一度、廊下の窓から庭を見ていたのを見かけました。少なくとも、この老いぼれが手入れする庭の美しさがわかる方ではあるかと……」
「なるほど……ううむ……」
トランス城料理長――クルフの意見。
「昨日ミスティ様と一緒に来られましたね。一日目にノルド様の指示で出した賄い程度の量の晩御飯にもしっかりお礼を言ってくださったのを覚えています」
「他には何かあるかな? クルフ?」
「他にですか……申し訳ございません、お客様とは一言二言しか会話しておらずそれ以上は……。
ああ、強いて言うのであれば食べ終わった後のお皿がとても綺麗です。ソースもしっかりと全て味わってくれているようで……それがコックの身としては嬉しく思います。ノルド様やミスティ様は当然のようにしてくださっている事ですが、お客様の中には残される方もいますから。魚の骨まで平らげてしまっているのは少し野性的すぎる気もしますが、コックとしては皿が空であることには喜びを感じずにはいられません」
「そうか……ううむ……」
トランス城ランドリーメイド――ポピーとラーティアの意見。
「ミスティ様ととても仲が良さそうにお見えでした!」
「今までミスティ様って深くお付き合いする方がいらっしゃらなかったので……新鮮でしたね!」
「畏れ多くもミスティ様とはお茶仲間でもありますので!」
「ので!」
「他には何かあるかな? ポピー、ラーティア?」
「ある? ラーティア?」
「ミスティ様が嬉しそうです!」
「ううむ……ご苦労……」
トランス城上級使用人セルレア付きレディースメイド――イヴェットの意見。
「よくわからない御方です。普通の平民のように平凡かと思えば、奥底に辛苦を感じさせる熟練の魔法使いのような空気を感じます。そして何より……」
「何より?」
「ノルド様やミスティ様に平民の身で招待されていながら、驕りや尊大さは欠片も無く……平民である事を弁えすぎているといいますか……言い方が乱暴ではありますが、調子に乗ってもいい状況のはずですが全くそんな様子が見えません。マナーにも拙さこそあるものの、しっかり振舞おうという心掛けは感じます」
「イヴェット、君は使用人の中でも特別な一人だ。端的に結論を聞かせてくれたまえ」
「少なくとも、富や権力目当てで近付いた方では無いと断言致します」
「そ、そうか……う、うむ……」
トランス城ハウスメイド――ドローレスの意見。
「横柄な態度と怪しい動きが少し気になる人ですね」
「ふむ、具体的には?」
「夜の見回りの時にいきなりトイレに案内しろって命令口調で言って来たので……お客様なので案内はしましたが、私からすると昼は猫被っているとしか思えません。他の貴族と同じでお金目当てのように見えますよ」
「怪しい動きというのは?」
「それもトイレに案内しろって言われる前なんですけど……トイレに行きたかった割には色々絵画だったり、装飾だったりを眺めてたので……何かを盗もうとしているのかもと少し恐かったんです。ノルド様、気を付けたほうがよろしいかと思いますわ?」
「そうか……うむ。感謝する」
トランス城ハウスメイド――ジュリアの意見。
「素晴らしい御方だと思います」
「その手の包帯はどうした?」
「申し訳ありません、自分の不注意で少し怪我をしてしまって……」
「そうか、過度に痛むようであればイヴェットに言うがいい」
「私のような下級メイドへのお気遣いありがとうございます。仕事に支障があるようであればすぐにでもご相談したいと思います」
「それで? 素晴らしいというのは具体的には?」
「はい、初めてお客様のお世話をさせて頂いているので、情けないことに至らぬ点もあるのですが……極めて友好的に接して頂いていてとても優しいです。この包帯を巻いてくれたのもアルム様でした。それに同じ平民の方とは思えないほど自信があるといいますか、時折貴族様のような雰囲気もあって……自分もしっかり頑張ろうと思わせてくれます」
「う、ううむ……そうか……!」
その後も今日までアルムと少しでも接したキッチンメイド、スカラリーメイド、馬小屋管理人、召使いなどなど……様々な使用人からの聞き取りが行われた。
ミスティにばれないように食事の時間が終わる少し前にその聞き取りは終わり……ラナが各々の意見を記述して纏め、今日は十五人ほどの使用人から今滞在しているアルムというカエシウスの客人についての聞き取りを済ませることができた。
ノルドは少し複雑そうな表情で椅子の背もたれに体を預ける。
「好印象が十人、特に意見が無い人が三人、悪印象が二人……ですが、ドローレスのあれは嘘だと思いますので、実質一人でしょうか」
「何故嘘だとわかる?」
「イヴェットも言っておりましたが、カエシウス家の富目当てというのは有り得ません。私が保証いたします。彼のベラルタでの過ごし方はミスティ様達と交流を持っている事を除けば、極めて普通です」
「そうだな……国からの褒賞を使う分だけ残して故郷に送っているというのも調べてある。ドローレスは……少し度が過ぎているな。近いうちに指導する必要がある」
「イヴェットに伝えておきます」
とんとんとん、とノルドは机を人差し指で叩きながら空を見つめる。
ノルドを悩ませているのは、愛娘であるミスティの想い人がアルムであるということ。
ミスティと直接話したわけではないが、ノルドはミスティから送られてくる手紙の内容からほぼ間違いないことを察しており、帰郷期間に際してラナを個人的に呼び出して確認もとっている。
次期当主であるミスティにはいずれ婿を迎える必要がある……いつかは直面する問題であり、ノルドは去年の時点でも数十を超える婿候補をピックアップしており、その婿候補達の周辺の徹底的に調べあげていたりと娘に相応しい人物を探していた。
しかし、娘に想い人がいるのなら娘が想う人物と結ばれたほうがいいとも思っている。ノルド自身、妻であるセルレアと結ばれたのも政略を無視した婚姻であったし、なにより娘の意見を尊重したいという思いがあった。
「相手が平民とはな……」
唸るような呟きの中には悩ましさが詰まっている。
想い人と結ばれて欲しくはあるが、というのが本音だった。
気持ちはわかる。ただの平民ではないことも理解できる。
突如として現れ、目の前でカエシウスを救ったアルムにはノルド自身、感謝しても仕切れない恩がある。ミスティがそういった想いを抱くのも自然だろう。カエシウス家の力ならば平民との婚姻に反対する輩も黙らせられる。
だが……親としては許してやりたいものの、貴族としては簡単には割り切れない。
魔法の才の無い平民を迎え……血統魔法が万が一、弱体化しようものならば、魔法の才が無い子しか生まれなかったら。
自分の代でさえ、その才能の平凡さにあれだけの非難が周りにあったのだ。そんな思いをミスティにさせたくないというのもまた本心だった。
「カエシウス家が平民を婿にするというのは国王様が許さないのでは……?」
「いや、逆なのだラナ。カルセシスにとってはカエシウス家に平民を迎えさせるなど、強すぎる血統魔法の力を弱体化させられる絶好の機会……去年のグレイシャの事件でカエシウス家がどれだけ危険かというのは立証されてしまっている。次代のカエシウス家をコントロールしやすくなるとあれば支援すらしてきそうなものだぞ」
「なるほど……思慮の浅い考えでお邪魔してしまった事をお許しください」
「元からこの時間、私はラナが考えを口にすることを許している。気にするな」
普通ならば、平民を迎えるなど有り得ない。
だが、アルムという少年の功績は有り得ないを覆すには十分なほど大きい。
ガザスから勲章が送られていることといい、カエシウス家を救った功績も加味すればむしろ婿入りして当然と思う者すらいそうな状態。
そしてミスティが想っているとあらば……有り得ないと断ずるのはむしろ愚か。可能性が現実になりかけているのならば、しっかりと見定めなければいけない。
ノルドが招待するのを許したのも、最初の挨拶以降ろくに顔を合わせていないのも、使用人にこうして意見を聞いているのも……ミスティの親という視点からフラットな目でアルムという人間を見極めるためだった。恩人だからとこの目を曇らせる気は無い。
「意見ついでに……ラナはアルムくんをどう見ている?」
ラナはミスティと共にベラルタに住んでおり、他の使用人よりもアルムとの距離が断然近い。
そんなラナがアルムをどう思っているのかを聞きたく、ノルドはラナに問う。
「純粋で優しい少年かと思います。たまにミスティ様の御友人で集まる時……食事の準備を手伝ってくれたりもしてくださったり、メイドの私にも気遣いを見せてくれたりと……嫌う要素はミスティ様の想い人ということくらいです」
「そうか……幼い頃からミスティに近寄る男を遠ざけ続けてきた君がそう言うのか……」
「あれはカエシウス家の権力目当てなのが見え見えでしたから……私はメイドとしてミスティ様を毒牙から守ってきたと自負しております」
「そう言う君がミスティとの交流を許しているということは……少なくとも、アルムくんは違うということだな」
「その点で言えば……認めざるを得ないでしょう。ノルド様の前でなければ舌打ちの一つでも打ちたい気分ではあります」
「ふふふ、ラナの舌打ちなら聞いてみるのも一興だったな。聞けなくて残念だ……。ああ、だが……平民である事を除けば迎え入れてもという事だな……去年の事件の時からわかってはいたが、このような若者である分救われはしたか……」
「ですが……このままでは、恐らく結ばれることはないでしょう」
「む? どういうことだね?」
冗談を交えてアルムを評していたかと思えば突然、ラナから興味深い意見が飛び出してくる。
ノルドは椅子を回し、ラナのほうへと向くと髭を撫でた。ラナはノルドが求める通り続きを語る。
「アルム様は平民で魔法使いを目指し続けた経験からか、普通の平民よりも身分の差を重く見ておられるように感じます。魔法使いになるという夢以外の事柄を現実的に見過ぎていて、恐らくは……友人より先の関係になるなど有り得ないとすら思っているのではないでしょうか」
「アルムくんはミスティを意識していないというのかね?」
「いえ、女性としては見ているのでしょうが……恐らく、有り得ないという意識が強くて恋慕の感情を抱く段階にすら至らないのではと考えています。出会った時から……アルム様は自分は平民だ、という事を強調していたのを覚えています」
「俗物的ではないからこそか……そういった点はむしろ安心に思えるものだが……」
ノルドは腕を組みながら唸るようにして、
「あのミスティに好意を寄せられてその頑なさ……アルムくんは本当に人間なのか? 普通は身分なんか知らない、となると思わないか?」
「はい、全く以て本当に全面的に同意見ですノルド様。私でしたら舞い上がって気絶すること間違いありません」
ラナと一緒に親馬鹿な部分をほんの少しだけ覗かせた。
貴族として親として……アルムを見定めようとするその目は光り続ける。
いつも読んでくださってありがとうございます。
調べられてるアルムくん。




