456.メイドは主人のために動いている5
「なるほど……平民なのに城に招待された俺に嫌がらせしようとしている人がいると……」
「あい……ごめんなざい……」
アルムは泣いていたジュリアを毛布から解放すると椅子に座らせ……少し待って泣き止んだ後、何をしに来たのかをを聞き出した。
すると、ジュリアはすんすんと鼻をすすりながらも素直に応じ、床に落ちた針を渡してから、まずはアルムに自分が他国の敵ではないことと自分が何をしようとしていたかを話したのである。
しかし、ドローレスの名前を出してあいつのせいだと言う度胸はジュリアには無く、選べたのはアルムに嫌がらせをしたい人がいるのを伝えることに留まる。
自分が告げ口をした事がドローレスにばれでもすれば、何をしてくるかわからない。
それに……やらされたからといって自分の罪が消えるわけがないのはよくわかっていた。座っている今でさえ罪悪感に潰されそうなのだから。
「何で嫌がらせで針なんだ?」
「そ……れは……」
始まる追及をジュリアは覚悟する。
これから、心の中で渦巻く罪悪感を感じながらひたすらに何か言われるのだろうと。
「針で俺を刺してもその人が何か変わるわけじゃないだろ?」
「――え?」
首を傾げて、訳が分からないという仕草を見せるアルムを見て、ジュリアは呆気にとられる。
その様子はアルムが罪の追求をしようとしているのではなく、ただ疑問を聞いているような……。
先程のような恐ろしい空気ももう消えていて、食事を運んだ時のような空気に戻っている。
「それ、は……羨ましくて……嫉妬した、から……嫌がらせをしてやろうと、思ったのでは……」
「羨むと嫌がらせをするのか……? よくわからんな……?」
アルムはジュリアから取り上げた針をまじまじと見ながら、眉間に皺を寄せる。
出会って日の浅いジュリアでもわかるような、欠片も意味がわからないという顔だった。
自分より恵まれている者が気に食わない、妬ましいという感情と針で刺すという嫌がらせの行動がアルムの中では結びつけることができなかった。
それは決して嫌味などではなく、他人を貶めることに意味を見出せない少年の心底からの疑問。
彼がそんな行動をとる時があるとすれば、それは例えば……許せない時くらいなものだろう。
「それで、ジュリアは言われて刺しに来たと……」
「はい……ごめんなさい……」
「何で刺しに来たんだ? ジュリアも俺が羨ましいと針を刺したくなるのか?」
「ち、違います! そ、その……その人が恐くて……断った、ら……何されるか……それに、そんなことあったらここで働きにくくなっちゃいますし……いじめとか、こわいし……私、平民ですし……貴族の方々みたいな、ちから、も……なくて……弱い、から……」
喋るにつれて、自分がどんどん惨めになっていくような気がした。
一つ一つ、汚いものを拾いながら階段を下っていくような不快感。
無意識に自分は悪くないと言い訳を並べていた自分に気付いて、そんな自分自身が情けなくて、ジュリアの視界は涙でにじんでいく。
「言いわげしてごめんな、ざい……」
「つまり……刺さないと自分がどうなるかわからないから刺しに来たって事でいいのか?」
「ぁい……」
アルムの顔が見れず、ジュリアは顔を完全に俯かせる。
零れ落ちる涙が、膝の上でぎゅっと握った拳に落ちた。
情けなさの次に、ここから自分が追い出される未来を想像した。
いや、追い出されるだけならありがたい。客人を針で刺そうとしたなんて罪人として牢屋行きのほうが妥当だろう。
せめて殺されないといいな、とジュリアの心の中が恐怖と罪悪感でいっぱいに満たされる。
「なら、毎晩俺を刺しに来るといい」
一瞬何を言われたのかわからず、ジュリアはゆっくりと顔を上げた。
あまりの衝撃に涙は引っ込んでいた。
「………………え?」
「ジュリアに指示したその人は俺が針に刺されれば満足するんだろう? なら、ジュリアは指示通り俺を刺せばいい。そうすればジュリアが恐がっていることは何も起こらない。これでどうだろう?」
ジュリアは上手く言葉を発することもできない。
さも名案かのように言っているが……アルム本人が理不尽な目に合っていることが勘定に入っていない。
「何かおかしなこと言ってるか?」
「……ぁ。……ぇ?」
何故目の前のこの人がそんな理不尽な事を受け入れようとしているのだろう。意味がわからない。
このアルムという少年はカエシウス家の客人でミスティ様のお友達。ならば、先程までの出来事を主人達に告げれば……それで終わり。
ドローレスさんは口が上手いから罰を受けずに躱すだろうけど、そんな騒ぎになればもう嫌がらせしようとは思わないだろう。後は自分が罰せられればこの件はこの人にとって何事も無く終わるのだ。
この人が痛い思いをする必要は全く無くて、理不尽を受け入れる理由はどこにも無い。
「なん、で……?」
絞り出してようやく、声が出た。
聞き方まで情けない。客人に対しての言葉遣いすらできなくなっている。
「ジュリアに命令した人が俺を針で刺して何が満足するのか正直よくわからないが……まぁ、それが望みなら刺されるくらいは別に」
「け……けど……そんな事、する必要……ない……」
「まぁ、無いが……それでジュリアの不安が晴れるならそれくらいは別にいい」
「どう、して……? 悪いのは、こんなにも弱い私なのに……」
唇も瞳も揺らしながらジュリアがそう言うと、
「弱いのは悪い事じゃない」
「――――」
真っ直ぐに、ぶれない瞳と声がジュリアを射抜いた。
あまりにも不意打ちを言葉にジュリアはつい背筋を伸ばす。ただ目は合わせられなかった。
「弱さは悪い理由にならないし、逆に強さは善い理由にもならない。だからジュリアは悪くない。今持っているものを失いたくないと思うことが悪であるはずがない。ジュリアは自分の持っている選択肢で何も失わない方法を選ぼうとしただけだ。少なくとも、謝ることじゃないんだよ」
「それで……アルム様を針で刺したとしても……?」
「それが正しいと感じているなら、ジュリアは間違っていない。それを受け入れるか拒絶するかは俺の問題になる」
「っ……!」
そんなの、思っているわけがない。
間違ってる。間違ってるに決まってる。だってこんなにもやりたくない。
けれど、わかってしまう。
目の前のこの人は……たとえその間違ってる選択肢を改めて選んだとしても、それがジュリアという人間の選択だと納得して、残酷なほど正しく受け止める。
この人ももしかしたら、最初はそんな弱い誰かだったのだろうか?
「けれどもし何か、思う所があるのなら……それはジュリアが悔しいと思っているんだと思う」
「くや……しい……?」
「そう。弱いことを恥じるのは悪いからじゃなくて、悔しいからだと思う。自分を悪者にして罰したいくらいに……自分がどう在ろうとするかすら選べない現実が悔しくて、変えられない自分を恥じてしまっているだけだ。でも、それは思い一つで変わることを俺は知っている。ジュリアはまだその思いを抱けるきっかけが無いだけだ。だからどちらにせよ、俺はジュリアがどう思っていてもいい選択肢をとるだけだ。俺が針で刺されるのを受け入れれば、少しは助けになるだろう?」
すとん、と罪悪感の中に混じって自分が抱えていたものが腑に落ちたような気がした。
けれど、それでもわからない。そんな風に体を張って、助けてくれる意味がわからない。
この人はカエシウス家に招待されたすごい平民なのに。
「なんで……助け……?」
「俺は魔法使いになりたいから。自分が正しいと思う在り方を選ぶ。今日はきっと……俺にとってはこれが正しい選択だ。理不尽の一つや二つ受け入れたって構わない」
アルムが心の底からそう言い放つと、ジュリアは言葉を失っていた。わなわなと唇が震えている。
ようやく、ラナやイヴェットの言っていた意味をジュリアは理解した。
全身全霊をかけて仕えたいと思う人、命をかけて恩返しをしたいと思える人。
二人がそんな事を言うのは仕える相手が貴族だからだと思っていた。
けれど、違う。
ラナさんもイヴェットさんも貴族という生まれに全てを捧げたいと思ったのではなく……仕える人の素晴らしい"在り方"を支えられることを喜びとしているんだ。
だからこそ、そんな相手に出会えた誉れを嬉しそうに語り、素晴らしい人物に使用人として傅けることに誇りを持ったんだ。
「アルム様は……貴族ではないのですか……?」
「いや、平民だけど……?」
この人は、ただの客人じゃない。ただの平民じゃない。
弱い事と強い事、どちらの味方もしてくれる御方。迷うことを是とし、他人の選択を許容してくれる人。
生まれでなく生涯が築いたであろう器。他者のために自分を理不尽の矢面に出せる精神。
ミスティ様がたった一人をご招待なさった理由がようやくわかった。
有り得ない、と笑われてもいい。
馬鹿みたい、と誹られてもいい。
でも……そうとしか思えない。
この人はきっと、いつか迎えるミスティ様の婿候補だ。
夕食を譲ってくれて、私に今こうして教えてくれて……そうだったらいいな、と思っただけなのかもしれない。
けれどもし……もしもこの人に仕えられたら私もラナさんやイヴェットさんのように――!
「…………」
そんな未来を一瞬でも望んだ自分が……こんな臆病で自分勝手で、醜い人間でいていいのだろうか?
私の今の在り方に……この人の言う正しさがあるか?
「…………数々の無礼を、どうかお許しくださいアルム様」
胸の奥に満ちていた罪悪感をかきわけながら、熱が駆けあがっていく。
恐がっていた自分は驚くくらいに薄まって、新しい自分が背筋を伸ばさせた。
鼻の上にそばかすを乗せて、聞き齧ったようなぎこちない礼儀作法を使う田舎者でいられる時間が終わる。
きっかけというのなら、まさに今がその時だ。
「ん?」
「お気遣いありがとうございます。ですが、客人であるあなたがそんな事をする必要はありません。どうか針をお返しください。あなたの体に、そんな傷を作る必要はありません」
「あ、ああ……」
ジュリアの表情が一変したことに少し驚きながらもアルムは針を返す。
泣き腫らした目の下とそばかすのある赤くなった鼻、頬には涙の跡が残っているというのに……ジュリアの表情はもう泣き虫の顔ではなくなっていた。
ジュリアはアルムから針を受け取ると、そのまま切っ先を下に向けて……針を持っていないほうの手を机の上に置いた。
そして――
「ぅぐ……! ぃ……!」
「おい!?」
ジュリアはそのまま、針を自分の手の甲に突き刺す。
あまりにも躊躇いの無い行動にアルムが止める間も無かった。
ジュリアの表情が痛みで歪み、額に汗こそ浮かぶが……その目から涙は一滴たりとも出ることはない。
「今日、の……出来事は……! ノルド様にご報告して頂いても構いません……! 私を心配する必要もありません……これはただ自分への罰です。私の、ような下級メイドが……あなた様に、背負って貰おうとしたことの」
「ば、罰って……そんな必要――」
さっきまで合わなかったジュリアとの目がしっかりと合うようになる。
残っていた少女のあどけなさは薄まっていき、強い意志が目に浮かぶ。
そんな目を見て、アルムはこの件に関して自分が何もするべきでないのだと知った。
「……包帯くらいは、巻いていったほうがいい」
「ありがとうございますアルム様……私はようやく、メイドになれたのかもしれません」
ジュリアは深々と頭を下げると、そんな真剣な空気に割って入るように……ジュリアのお腹がぐううう、と鳴った。
緊張から解放されたから、泣き疲れたのか……どちらにせよ背伸びしても体は正直なことである。
「す、すみません……まだまだみたいです……」
「誰だってそうさ。背伸びしたら疲れて当然なんだから」
いつも読んでくださってありがとうございます。
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