455.メイドは主人のために動いている4
ラナは言う。ミスティ様のために生きることこそが誉れ。
イヴェットは言う。カエシウス家のためならば命も惜しくない。
ここまでではなくとも、カエシウス家の使用人はメイドに限らず、料理長や家庭教師も含めてほとんどがカエシウス家に仕えていることに誇りを持っており……休憩中らしからぬ姿を見せていても、上級使用人から下級使用人に至るまでが仕事中はスイッチが変わったように従事する。
ジュリアはカエシウス家に仕えるメイドでありながら、その在り方がわからなかった。
どれだけカエシウス家が偉大だろうと、それは貴族だからでしかない。
つまりは……生まれだ。運だ。貴族に生まれたからこそ彼らは立派な人物として見られるのだ。
そんな運で出来た権力と身分に仕えて、誇り高いなどとは思えなかった。
けれど、周りを見ればそんな考えを口に出すこともなく……元貴族であるドローレスからの仕打ちによって心も荒み、よりわからなくなった。
メイドとして仕事をして、寝て、また仕事をして、寝て……ただそれだけ。ラナ達の言う使用人の誇りなど全くわからない。
「少し刺すだけ……少し刺すだけ……」
ジュリアは日が昇る直前……夜と朝の境目のような時間に、ぶつぶつと呟きながら廊下を歩いていた。
その足取りは重く、枷でもつけられているかのようだ。
ドローレスに貰った針を隠してあるカチューシャに触れながら、ジュリアはアルムの部屋を目指す。
ドローレスの指示である……警告という名の嫌がらせをするために。
「ふぅ……ふぅ……」
部屋に近付くにつれて鼓動が早くなり、呼吸も荒くなる。
いくらカエシウス家をどうも思っていないとはいえ、こんな指示には従いたくない。出来ることなら、今すぐどこのかの部屋に逃げ込んでしまいたい。
だが、貴族の気まぐれはジュリアにとって恐れるべきものだった。
元貴族であるドローレスも例外ではない。
断って、毎夜自分に針を刺してきたら、魔法で何かをされたら。
元が付くとはいえ、ジュリアにとっては貴族の生活をしてきた人間であり、魔法という平民では扱えない技術を持つ存在。
そして何より……カエシウス家に来た時からドローレスには色々な意味で上下関係が植え付けられてしまっていた。
針で人を刺すなどという、一度もやっていない事をやるために動いてしまうくらいには。
「ごめんなさいごめんなさい……!」
アルムの部屋の前に着いたジュリアは小声で謝罪しながら廊下を見回し、誰もいない事を確認して静かに扉を開けた。
歩いてくる内に日が顔を出し始めたのか、カーテン越しに柔らかな光が部屋に入り込む。
ベッドの上には枕元に古い本をが放り出しながら、静かな寝息を立てているアルムがいた。どうやら本を読んでいる内に眠ってしまったようだ。
その顔を見て、来た初日に食べさせてもらった料理の味をジュリアは思い出してしまう。
ジュリアはぎゅっと目を瞑り、ぷるぷると指を震わせながらカチューシャから針を抜いた。
(カエシウス家のためカエシウス家のため……)
ジュリアはベッドに足音を立てずに近付いて、ドローレスに指示された時に耳にこびりつくような声で言われた都合のいい言い訳を心の中で復唱する。
そんな言い訳をいくら言ったところで罪悪感は軽くなりはしない。
なにより……仕えている家をただの雇用主としか見ていないジュリアにとってはその言い訳がどれだけ無意味なのかを一番よくわかっていた。
それでも、その言い訳に縋るしかない。心の中で復唱される言い訳は呪いのように心を侵す。
(刺す? どこに……!? 腕!? 手の平!? 足!? 顔!?)
刺す以外の選択肢がゆっくりと外されていく。
侵された思考はこれから自分がする事への恐怖に変わり、歯がかちかちと鳴りそうになるのをジュリアは必死に我慢した。
恐怖で呼吸が早くなる。
吐き気がこみ上げてくる。
何の意味も無く誰かを傷つける行為への忌避感がストレスとなってジュリアの精神に負荷をかけていた。
視線を揺らしながら、震える手で針の切っ先を向ける。
「ぅ……!」
涙目になりながら、刺す場所をアルムの手の平に選んだ。
ゆっくりと人差し指ほどの長さもある針を手の平に向けて、起きないようにそっと刺そうとすると、
「!!」
「ひっ!!」
突然、危険を察知したかのようにアルムの目がかっと開く。
起きた瞬間、アルムは凄まじい速さで自分に体にかけていた毛布を剥ぎ取り、まるで使い慣れた武器であるかのように自在に扱って、ベッドの脇に立っていたジュリアの体に巻き付けた。
ジュリアはその勢いで針を床に落としてしまい、そのまま訳も分からず体の自由を奪われる。
「動くな」
「ぅぐ……!? ……!!」
毛布を巻かれた体が引き寄せられ、ジュリアは呻き声だけ上げて、毛布で簀巻きにされた体をされるがままに引き寄せられる。
「カンパトーレか? 常世ノ国か?」
重く冷たい声と射殺すような視線。開かれた瞳は敵対者の命を狙う狩人の目だった。
出会った時とは別人のようなアルムの表情に震えあがり、ジュリアは声も出せない。
問いの意味も混乱した頭では全くわからなかった。
「ん? ジュリア……? なるほど、昨日と一昨日は油断させるためにメイドを演じていたってことか、流石に強かだな。だが悪いな、カレッラの住人は寝込みを襲われるような敵意には敏感なんだ。いつ魔獣に襲われるかわからない環境なもんでな」
アルムはベッドの脇にいたのがジュリアだとわかっても警戒を緩めない。
そしてゆっくりとアルムはジュリアの首に手を当てる。
首に触れる指は力を入れられた瞬間、致命的になるであろう場所をピンポイントで押さえていた。
カレッラは二十年近く暮らしているシスターでさえ毎日見回りをしなければ魔獣が寄ってくる危険地帯。
そんな場所で育ち、狩猟を行ってきたアルムは敵意や害意といった気配に人一倍敏感だった。
「下手な真似はしないほうがいい。魔法を唱えようとしたら絞め殺す」
「ぁ……。ぁ……」
「魔法使いならわかるだろう? 無属性魔法と構築勝負をするか? 『強化』だけでも呼吸を奪うくらいのことはできるぞ」
「ぅ……。ふっ……!」
脅しとは違う冷酷な声。命に手をかける躊躇いの無い指の感触。
何より、その表情が本気を物語っている。
数々の脅威相手に戦い抜いた本物の殺意は一介の平民……それも少女が耐えられるようなものではなく、
「ふっ……うっ……ぶえええええ……! も、もういやだぁ……!」
「……ん? どういう……事だ?」
ジュリアはボロボロと涙を流し始め、足からその場に崩れ落ちる。
その涙にはアルムへの恐怖もあったが、自分が何もできなかったことへの安堵もあった。
毛布に自由を奪われたまま座り込んだジュリアがいつまでも止まらぬ嗚咽を上げ続けていると、警戒し続けていたアルムの表情も流石に元に戻らざるを得なかった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
最近体調が芳しくなく、本来昨日更新する予定が遅れてしまいました。申し訳ないです。
昨日の分は明日更新致しますので、よろしければ明日も読んでやってください。




