454.メイドは主人のために動いている3
「あら、ドローレス……こんな時間にどうしたの?」
夜の見回りを担当するメイドの一人が、玄関ホールを訪れるとそこにはマントを羽織って外出の用意をしているドローレスを見つけた。
暗闇の中、ランプの灯がドローレスの金髪を照らす。
「明日休みだしちょっとお酒飲みたくてさ、買ってきたいの」
「ちょ、ちょっと……こんな時間に? 女一人じゃ危ないわよ」
「夜だからってここスノラで女を襲ってくるような命知らずいないわよ、すぐ戻ってくるから……お願い、見逃して」
「もう……気を付けていきなさいよ? 私の勤務時間内に戻ってこなかったら流石に次の人に報告しなきゃいけないからね?」
「ありがと! 愛してる!」
トランス城の入り口である厳かな扉が静かに開く。
見回りのメイドに投げキッスをしながら、ドローレスはトランス城を出た。
玄関前の広場を避けて正門の横にずらっと伸びている壁のほうへとドローレスは向かう。その先には使用人用の鉄の扉。ドローレスは静かに開けようとするも、年季が入っているせいもあって秘密の外出を小さな音とともに周りに知らせた。
だが、その知らせを受け取る者は周囲にいない。
「『強化』」
もう夏だというのに、山は冬の冷気を蓄えていたかのように肌寒い。
ドローレスは強化をかけて、トランス城が建つ山の斜面を急いで駆ける。
作られた歩道をわざわざ歩いては時間のロスだ。
スノラで酒を買って、本当の用件も済ませて戻らなければいけない。
「あー、だる……何で山の上にこんな城建てんのよ」
仕えている家の歴史に舌打ちをしながら、ドローレスは町へと下りた。
スノラは魔石の街灯はまだ少なく、夜は夜らしく暗闇へと沈んでいくが、貴族向けのホテルやその近辺の店はまだ明かりが灯っている。
ドローレスはスノラから一番近いオロイメアというホテルがある方角へと向かう。ドローレスが知る限りスノラでも一番遅い時間までエールハウスや酒屋が開かれている区域だ。
まだ出歩いている人々をよそにドローレスは目的地へと歩いていった。観光地として名高いスノラの美しい町並みには目もくれず、酒屋を通りすぎて、路地のほうへと入っていく。
空に浮かぶ月は全ての行いを見ているが、どんな善行も悪行も咎める事も無い。
頼りなげな酔っ払いの足取りも、町に流れる巨大な川も、人が続ける文明も。
その全てを月光で照らし、美しいものも醜いものも観賞し続ける夜の主は今日も輝いている。
「待たせたわね、カンパトーレさん」
「キャハ! こんばんはー、ドロちゃん」
「きたか」
ゆえに、裏切りもまたこの夜にとっては喜劇に過ぎない。
酒飲み達の喧騒を隠れ蓑に、侵入者と内通者での密会が行われていた。
暗がりの中、不気味に輝く黒い瞳とドローレスは目が合った。もう一方は姿すら現さない。内通者にすら隙を見せたくないのか、出てきたのは女のほうだけだった。
「黒いマント! あたし達お揃いじゃない? 奇遇ね?」
「そうね、"リィツィーレ"」
明るい声色とは裏腹に全身黒衣のドレスを纏った少女が嬉しそうにドローレスの前に駆け寄ってくる。
リィツィーレという少女の瞳はギラギラと黒く輝いていて、ドローレスの作り笑顔は油断すれば曇りそうなほど不気味だった。
「リィツィーレ。意地の悪い近寄り方をするな。今日はただの最終確認だ」
「はぁい、お兄様」
「ドローレス、作り笑顔をするならもっとうまくするんだな」
「悪かったわね、"ジグジー"」
月光の当たらない路地の奥からお兄様と呼ばれた男の声だけが届く。
果たしてこちらが見えているのかもわからない。
「それで、変化は?」
「…………一人客がきたわ」
ドローレスが言いにくそうにそう言うと、リィツィーレはぴくっと反応して首を傾げた。
「あれぇ? なんでなんで? この一週間は誰も来ないんだよね? そうだよね? だってドロちゃんが私達に言ったんだよ? 予定表だって見せてくれたよね? ねぇ? 嘘? 嘘ついたの? あたしとお兄様に嘘ついたの?」
「違うわリィツィーレ。私も本当につい最近知ったのよ。この一週間の予定は上級使用人にしか知らされてなかったみたいで……早く伝えたかったけど、連絡手段が無かったからこうして今伝えるしか無かったの。裏切ってるならそもそもこの情報だって話さないでしょうよ?」
ゆらゆらと体を小刻みに揺らすリィツィーレを少し不気味に思いながらも、ドローレスは弁解する。
「それに、こんな簡単なことで貴族に戻れるって機会を捨ててわざわざあんたらを売る理由も無いわ。これが終わったらカンパトーレの貴族にしてくれるんでしょ?」
「勿論だ。すでにいくつかの家で君を迎え入れる準備をしている。それに……少なくとも俺は疑っていない。本当に不測の事態だったのだろう、こんなところで俺達を騙すお粗末なことをする意味がない」
暗闇の中から語るジグジーという男の声にリィツィーレはそっか、と頷きドローレスに頭を下げた。
「ごめんなさい、ドロちゃん。私が悪かったみたい」
「いいのよ。疑うのも慎重なのもわかるわ、いくら目的が大したことないとはいえトランス城に入る危険すぎる作戦だもの」
「お詫びに私のお人形さん一つあげるね?」
「……遠慮しとくわ」
極力、焦りや嫌悪を表情に出さないよう努めるドローレス。
暗闇の奥からそんなドローレスを滑稽に笑い飛ばす声が聞こえた。
「それで? 誰が来た?」
「ミスティ様のお友達ですってよ、平民のね。だから大したことはないわ」
「――え?」
「なに……!」
ドローレスが小馬鹿にしたように笑い飛ばすと、その場の空気が一瞬でぴりぴりと張り詰め、ただならぬ雰囲気が漂う。
リィツィーレの表情からは笑顔が消え、暗闇の奥にいるジグジーも息を呑んだ。
「え……? な、なに? どうしたの?」
「お、お兄様……」
「……いや、直接打倒するのは厄介だが、今回に至ってはオルリックやロードピスでないことがむしろ幸運だ。あの平民は異質とはいえ無属性魔法しか使えないはず……リィツィーレの血統魔法を妨害する力はない。主人の命令を遂行するにはむしろましな敵だろうよ」
「そ、そうだよね! うん、頑張る!」
ジグジーとリィツィーレの二人の反応はドローレスの予想に反していた。
二人の話を聞く限り、あのアルムとかいう平民は無属性魔法しか使えないらしい。
ならば、喜ばしいことのはずだ。支障はないはずだ。
だというのに……この魔獣の尾を踏む前のような空気は一体なんだというのか。
「なに? あいつもしかして、やばいの? 平民でしょ?」
「少なくともただの平民ではない。カンパトーレの魔法使いを楽々と倒す腕前だ」
「カンパトーレのって……あんたらみたいなのばっかじゃないでしょ? 寄せ集めをいくら倒したって……」
「その寄せ集めではなく、俺達と同じ本物のカンパトーレの魔法使いを打倒する腕だから問題なのだ。『狂獣』ファルバス・マーグートが参加したグレイシャのクーデターを止め、最近では南部で『見知らぬ恋人』クエンティ・アコプリスを殺した相手だ。正面から戦うのは避けたほうがいい」
「はぁ!? あれが!?」
「君がどんな印象を持ったのかは知らないが、あまり関わるな。察知されれば面倒なことになりかねない」
「まぁ……わかったわ」
ジグジーは真剣な声色で忠告するが、ドローレスはどうにも信じられなかった。
たとえば……カエシウス家のグレイシャやミスティは一目で格が違うのがわかる人物だった。
魔法を唱える前から勝負が決まっているかのような、圧倒されるような才能の違いがわかる佇まいがある。
だが、あの平民からはそんな圧力は何も感じない。
苛立ち、気に食わない相手ではあるもののそれだけだ。
ジュリアを使って嫌がらせでもしてやろうと思うほどには、普通の人間だったのに。
「なんにせよ作戦に変更はない。予定通り、ドローレスは俺達の侵入の手引きをしてくれ。直に部下達も到着する」
「その点は任せて貰っていいわ。それにしても……これだけ大掛かりなことをして殺しすらしないってどういうことなの?」
「そこは俺達の主の命令だ。無論、出来るようなら殺してもいいのだろうが……俺達はそこまでカエシウスを嘗めていない。去年グレイシャが起こしたクーデターはカエシウス家の血統魔法が通用しないグレイシャが主導だったからあの段階までいけたのだ。俺達の目的はあくまで主に命ぜられた確認のみ。リィツィーレもいいな?」
リィツィーレはジグジーの声にこくこくと頷く。
「確認のみ! ね! お兄様!」
「そうだ」
「ふーん、大それてるのか慎重なのかよくわかんない主様ね?」
ドローレスはつまらなそうな声を漏らす。
去る場所なのだからいっそのこと偉そうなやつらは目一杯ぐちゃぐちゃになってくれたほうが気持ちがいいだろうに、とつい口角が上がるも口にはしない。
外から見る分にはいいが、今回はドローレス自身も実行犯。脇目も振らない殺し合いに発展して巻き込まれたら最悪だ。
目的はあくまで貴族に戻ること。そんなチャンスを愉快なもの見たさで放棄するなど勿体ない。
「では予定通りに実行する。いいな?」
「はいはい任せなさい」
話が終わるとドローレスは路地から出ようと踵を返すが、最後に聞きたいことが一つ思い浮かぶ。
「そういえば、あんた達の言う主様ってどんな人なの? 王様? 私の主にもなるんでしょ?」
「この命令を遂行し終わればわかるとも。私達も姿を見た事は無いが少なくとも、君の予想の遥か上をいくだろう。常世ノ国もカンパトーレも手中に収め、その二国だけには留まらぬ……新たな王になる御方だからな」




