453.メイドは主人のために動いている2
「あの……こんな時間にどうされたんです?」
「……」
イヴェットが部屋に来てから数分、部屋の中には部外者でもわかるような気まずい空気が漂っている。
部屋に用意されている椅子に座って貰ったものの、イヴェットは俯いて黙ったまま。
アルムは無言であることは気にならないが、わざわざ部屋に来て何故無言のままなのかという点は疑問に思わざるを得ない。
「……」
「……」
アルムは黙ったままのイヴェットが用件を話すのを待つ間、イヴェットをじっと見つめる。
きっちりとしたカエシウス家のメイドの服装とはかけ離れたゆったりとした白い薄手のルームワンピース。
朝に顔を合わせた時にはしなかったほんのりと届く薔薇の香りに加え、控えめながら化粧もしている。薄めのアイラインとアイシャドウ、頬のチークは肌ツヤを健康的に見せ、唇にはピンクのグロスが引かれている。
アルムは化粧のこと自体はよくわからないが、格好は就寝前のようであるのに化粧をしているというのがどうにも繋がらない。
もしかすれば、何らかの護衛でも頼みに来たのだろうか?
何かを町で買い忘れたという事情ならば、ミスティ達に頼まないのも納得だ。ミスが露呈しない内に挽回しようという気持ちはわからなくもない。服も何か上着を着れば問題ないのかもしれない。
「あ、あの……アルム様」
「はい」
用件を予想したところで、イヴェットは小さくアルムを呼んでから意を決したように顔を上げる。
その顔は落ち着いているように見えるが、やはり緊張したままだ。今さら何を緊張することがあるのかとアルムは少し不思議がる。
「この格好は……いかがでしょうか?」
「え?」
「似合っていますでしょうか?」
「えっと……イメージは変わりましたがお綺麗だと思います……?」
「そう……ですか……」
アルムが素直に感想を話すと、イヴェットは顏に影を落とす。
何故こんな事を聞くのかもわからないが、褒めたつもりの言葉で何故声が落ち込むのか。瞳を見れば怯えの色まで見える。
「……私の家は七年前に没落いたしました」
「……? 貴族だったんですか?」
イヴェットは突然自身のことを語り始めた。
アルムが聞くと、イヴェットは頷く。
「"ベルティオ"家という元々はカエシウス家の補佐貴族だったのですが力及ばず蹴落とされ……そこからは財産も無くなり魔法の才も行き詰まり、追い詰められた母が反魔法組織に補佐貴族時代に得た情報を売ろうとしたのを父が止めるべく争ったのが最後のとどめとなり、私が十四歳の時に没落いたしました。
その後、牢獄行きになる予定だった私はカエシウス家に拾って頂きメイドとなったのです。貴族である経験と初等教育は終えていたのもあって順応は早く、今は上級使用人という地位に就かせて頂いております」
「そうだったんですね……貴族が使用人になるのは王城だけかと思っていました」
「四大貴族ほど力が強い家であれば没落貴族を使用人として受け入れるのは珍しくはありません。大抵の没落貴族は上級貴族の使用人になるか、平民の比較的大きい商家に嫁ぐか婿入りするかでしょう」
没落貴族といえばアルムの頭に思い浮かぶのは当然エルミラのことだった。
最初に出会った没落貴族がエルミラだったアルムからすると、没落貴族が復権を目指すのは当たり前のことだと思っていたのだが……イヴェットの話を聞く限りどうやら違うらしい。
金を持ってるだけの貴族なんて大嫌いと言っていたのが懐かしい。エルミラはそれだけ自身の才能と努力を信じて歩いて来たということなのだろうか。
「四大貴族ともなると様々な方面に影響も強いのです。牢獄行きの予定だった私をすんなり救えたりもできますし、いるだけでカンパトーレという国すら牽制することもでき……そして当主がミスティ様に引き継がれればカエシウス家はさらに力をつけるでしょう」
「ミスティは凄いですからね」
「私はそんなカエシウス家をこれからも支えていきたいのです。カエシウス家に拾って頂いた恩を生涯をかけて返したいと思っております」
イヴェットの瞳からはいつの間にか怯えの色が消えていた。
自分の話をしている間に、怯えていた何かよりも自分の使命に心を突き動かされたのかもしれない。
知的な顔立ちが凛々しく変わり、アルムを見つめる。
「今日私がここに来たのもカエシウス家の未来のため……あなたにお願いがあってきたのです」
「お願いですか?」
その真剣な眼差しにアルムも背筋を改めて伸ばす。
「私ではいかがでしょうか」
「……はい?」
イヴェットの言っている意味がアルムは理解できない。
私ではいかがでしょうかと言われても何の話なのやら。
「すいません、何がでしょうか?」
「自分で言うのもどうかと思いますが、元貴族でありカエシウス家にメイドとして仕えているのもあって教養は十分に備えております。上級使用人としての地位が示すように家事全般はそこらの女性とは比較にならない腕という自負もあります。休日に散財することもなく給金も貯めているので平民としては資金面の不安も無いほうだと思いますし……見た目もこのようにそれなりに整っているほうだと思うのです」
「……はぁ」
何やらイヴェットは発言の意図を説明しているようなのだが、ここまで聞いてもアルムには意図がわからず曖昧な返事をせざるを得ない。
先程よりも焦っているのか少し早口になっており、必死さだけは伝わってくる。
「言いたいことはわかります。ミスティ様と比べたら私など雪の下の泥に過ぎません。万人に愛されるような美しさも可愛らしさも持ち合わせているとは思っていませんし、近寄りがたさがある見た目ですのであなたの好みのそぐわない事もあるでしょう。ですので、別の場所で愛人を好きなように作って頂いても構いません。交際費も私が工面いたします。退職金も差し上げると書面で約束して頂いても構いません」
「すいません、なんのことでしょうか……?」
「っ……! わかっています、カエシウス家と天秤にかければ私の提案に乗る理由は無いでしょう……ですが、このような事態は避けなければいけないのです」
イヴェットは立ち上がったかと思うと、アルムのほうを向いたまま床に座り込む。
そして何を思ったのかそのまま頭を床につけた。
「お願い致します! どうかこの提案を受け入れてくださいませんでしょうか! どのようにしてミスティ様に思われるようになったのかは存じ上げませんが、カエシウス家の次期当主が平民となどという話になればカエシウス家を快く思わない家達があらぬ醜聞を付け加えて言いまわるでしょう! 王の耳にでも入ろうものならばカエシウス家の力を削ぐために去年の領地の剥奪以上の仕打ちを課してもおかしくありません。カエシウス家に不名誉をもたらさないためにもどうか! どうか私で我慢してくださいませんでしょうか! 私との婚姻で手を打ってもらえませんでしょうか!!」
イヴェットの訴えは事情を理解していないものならば有り得なくもないものだった。
グレイシャの一件の経緯について、氷漬けにされていた使用人達にもノルドの口頭から説明されていたが、イヴェットはそれを信じていなかった。
魔法についてを学び、血統魔法を継いだ経験まであったイヴェットだからこそ当主であるノルドの言葉ですら信じられなかったのである。
ともすれば、イヴェットに映るアルムとは……グレイシャの事件の話題性を薄めるために身代わりとなった恩を利用してミスティと友人以上の関係になる事に成功し、カエシウス家に婿入りして乗っ取ろうとしている成り上がり狙いの幸運な平民にしか見えない。
ミスティが好意を寄せているのは、平凡で無害そうな印象に騙されて心を許してしまったからだという結論に至り、このような暴挙とも言っていい行動に出たのである。
アルムがすでに王に認められ、ガザスからは賓客として扱われる普通の平民でないことは当然、一介の使用人が知る筈も無い。
「ちょっ……と……待ってほしいですね……」
珍しく、頭を抱えるほど混乱するアルム。
夜に訪問してきたメイドが急に土下座をしながらプロポーズをしてきたという意味の分からない状況がいつも以上に理解を遠ざける。
だが、イヴェットが根本を間違えている、と思い至ったアルムはイヴェットの肩に手を置いた。びくっと肩を震わせたイヴェットの頭を起こして、まずは誤解を解こうとする。
「あの、勘違いしていらっしゃるようですが……ミスティはただの友人です」
イヴェットはその言葉を聞いて愕然とした。
やはり自分では駄目かと力が抜けかける。
「そもそもミスティは貴族で自分は平民です。ミスティが俺を友人以上に思うはずは無いし、そんな事は有り得ないでしょう」
「……え?」
「え?」
アルムを見つめながら、イヴェットは目をぱちくりさせた。
その表情は誤魔化してこの場を乗り切ろうとしている風には見えない。アルムに受ける印象のまま、本当にそんな事は有り得ないと、むしろこちらに呆れているような。
「自分は去年の事件のお礼としてノルドさんに認められて、ミスティの友人としてここに遊びに来ているだけです。創作でもあるまいし、イヴェットさんが思っているような事はありませんよ」
こいつ嘘だろ、と言いたげな視線をイヴェットは向ける。
まさか気付いていないとでもいうのだろうか? あんなにもわかりやすい赤らめた頬と潤んだ瞳を向けられているというのに?
イヴェットはぐるぐると混乱し始めた頭の中で整理する。
「あなたはただ友人として……ここに来たと?」
「はい」
「では……ミスティ様に情欲がわくようなこともないのですか?」
念のためにとイヴェットが放つ質問にアルムは首を横に振った。
「それは無い。俺にも性欲はある。ミスティほど綺麗な人は見たこと無いですし……澄んだ水のような優しい声に時折見せる花のような笑顔に胸が高鳴る時はあります」
アルムはそう前置いて。
「ですが、自分が平民でミスティが貴族というのは理解して接しています。友人以上の感情がお互いに生まれるはずがありません。魔法使いを目指していた中で出会った心優しく大切な友人です。自分は魔法使いになるために生きてはきましたが、貴族になりたいわけではありません」
嘘偽りの感じられない声色で、アルムはイヴェットの懸念を否定した。
この場を誤魔化そうとしているわけでもなければ、てきとうな事を言っているわけでもない。
魔法使いになるために生きてきた。
そんな夢物語のような言葉に、あまりにも重い信念がこもっている。
「ではグレイシャ様……いえ、グレイシャを倒したというのは……?」
その言葉に感化され、有り得ないと思っていたことをイヴェットは問う。
「本当です。グレイシャは俺が殺した俺の敵で……その時の事が許されているからここにいます」
本人の口から聞いて、ようやくイヴェットは去年の事件の全貌を信じた。
その声に籠った意思は決して嘘偽りなどではない。奪った命に対する強い意志がそこにはある。
だとしたら何故……その手柄を主張しない?
カエシウス家を救い、平民でありながらカエシウス家の才女グレイシャを降す――それだけの偉業があれば貴族に、家名を貰ってもおかしくない。
魔法使いになりたいというのなら、貴族になるほうが楽になるはず。
「あなたは……魔法使いになりたいだけなのですか?」
「はい」
「そのためにと……」
「そのために生きてきました」
「他は、望まないと?」
「もう、平民の身で有り余る幸福を貰っています」
イヴェットはぶれないアルムの返答に冷や汗を流す。
平民で魔法使いになるという夢物語を語っているにも関わらず、その本人が引いている身分の境界は現実的で、弁えすぎていた。
いや、夢物語を現実にしているからこそ、現実が残酷であることを知ってしまっているのだ。
不可能をいくつも覆えせるほど現実が簡単でないことを一番よく知っているからこそ……魔法使いになるという不可能だけに固執している。
「その……あなたは本当にそれでいいのですか?」
何故こんな事を聞いてしまったのかと、イヴェットは自分で驚いてしまっていた。
ミスティ様との付き合いを考えなおしてほしいと言いに来た自分が何故こんな事を聞いてしまうのか。
その考え方はあまりにもと、同情でもしてしまったのかもしれない。
イヴェットの問いにアルムは首を傾げた。
「いいも何も、それが当然というものでしょう。だからミスティの幸せを願うあなたがそんな事しなくてもいいんですよ」
微笑みながら言ったその答えに身震いがして、イヴェットは失礼しますと一言残して足早に部屋を出た。
暗くなった廊下を走らないギリギリの速度で、逃げ帰るようにイヴェットは自分の部屋に向かっていた。
(あの少年は一体――!?)
帰りながら、背筋に寒気が走る。冷えた夜気のせいではない。
野心を持ち、国や仕組みを変えようとする革命家であったのなら理解できたかもしれない。だが、あれは違う。
平民のまま貴族の世界に入り込み、投げられるであろう石をものともしない。
自分の運命を呪うでもなく諦めるでもなく、仕組みを変えるわけでもなく――自分の出自も人生も、ありのままを幸福に思い、受け入れて魔法使いになろうとする異端。
そんな傷だらけになるとわかる人生を歩むことを想像し、恐怖がこみ上げてくる。
浴びる非難、当然の冷遇……なにより、一生使えないかもしれない魔法の訓練を続ける苦痛。
本当に平民なのか。四大や王族の隠し子であったほうがまだ納得できる。
成果が待っているかどうかもわからない道のりを、普通の人間は歩み続けることができるのか?
しかも……魔法使いという他者を救うための存在になるために。
一体どんな人間なら歩ける? 一体どんな人物なら導ける?
あまりに強固すぎる精神性、そして見返りを求めようとしない大きな器……あんな平民がいてなるものか。
「もし……」
その精神性の一端に触れたからか……想像してしまう。もし、ミスティ様の隣にあの少年が立ったら。
貴族として清く正しいミスティ様の隣に、異端を弾こうとする人の醜さすら平然と受け止めるアルム様が立ったら……次代のカエシウス家は一切に揺るがされない時代を築けるのでは――?
見返りを求めず、民のために正しく生きる貴族の頂点。
力にかまけず、財に溺れず、悪意に屈しない理想の体現。
もしそんな栄光の時代をカエシウス家が築くとすれば……その時代に仕えられる喜びは果たして――。
「いや……!」
有り得ないとイヴェットはぶんぶんと首を横に振る。
それこそ夢物語。本人も否定した有り得ない未来。
「……そう、有り得ないけれど」
ああ、でも……もしそんな時が来たのなら。
あの少年に傅いた時――どれだけ誇らしい気持ちで私はその名前を呼べるのだろうか。
「誰かが……あの御方の境界を壊してしまえればいいのに」
未来を想像してイヴェットは身震いする。
震えが、熱が全身に伝わって……無意識にそう呟いていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ちょっと長くなってしまいました……。




