451.スノラの童謡
「どうぞ、アルム」
「ありがとう」
午前中でトランス城を一通り案内してもらったアルムは紅茶をご馳走になるべくミスティの私室へと訪れた。
ミスティの部屋は水色と白を主体とした上品さを感じさせる部屋だった。
四柱式の天蓋のあるベッド、その横にはシンプルなコンソールテーブルとその上にはラフマーヌ装飾のテーブルランプがある。ベッドを中心に部屋を見回すと、大きな鏡に化粧台、コーナーチェアにティーテーブル、そしてティーテーブルを囲む椅子がバランスよく置かれており……何よりどの家具も高級感こそ感じるものの、デザインが洗練されているせいか贅を主張するような雰囲気は一切無かった。
強いて言うならばベッドの向かいの壁にある豪奢な装飾の暖炉が備え付けてあることだろうか。だがその暖炉も部屋の雰囲気にマッチしており、何より花をモチーフとしたラフマーヌ装飾が想起させるのは芸術的な感性だろう。
スノラを見渡せる窓の先にはテラスもあり、その気になれば外でお茶を楽しむこともできる。今日はどうやら風が強いようで二人は中で紅茶を楽しむことにした。
「ラナさんも一緒にどうですか?」
「いえ、職務中ですので」
当然……いくらアルムがミスティの友人でカエシウス家の客人とはいえ、婚姻前のお嬢様を男と私室で二人きりにするわけにもいかないのでラナも部屋の中で控えている。
「なんかすっかりミスティの淹れる紅茶が当たり前になっちゃったな」
「うふふ、私の数少ない趣味ですから」
今日の紅茶は果物のようなみずみずしさと甘い香りの漂う紅茶だった。
飲むとまるで果物を食べているかのようなコクのあるすっと喉を通り過ぎる。
アルムは紅茶の銘柄にこそ詳しくないが、この一年ですっかり紅茶の味わいを感じ取れるようにはなっていた。
「うまいな……」
「そうでしょう? ちょうど旬の茶葉を取り寄せておいたんです。アルムも紅茶の味がしっかりわかるようになっているんですね……!」
「ああ、いつも振舞ってくれる優しい誰かのおかげでこれだけはな」
「その優しい誰かさんはもっとご馳走してあげたいようですから……まだまだお付き合いくださいね?」
「勿論。誰かさんが飽きるまで付き合えるよ」
「言いましたね、アルム?」
ミスティの私室に来たからといって二人の間に何か特別なことが起きる様子はない。
その制服が示す通り、ベラルタで流れるようないつも通りの時間と空気が二人の間に流れている。
足早に過ぎていくスノラの夏とは思えない穏やかで緩やかな時間。
本来なら、こうして同じ席につくことすら無かったであろう二人でありながら友人としてこれ以上無いほど近い距離感だ。
「しかし、本当にうまいな……なんというか紅茶様って感じだ」
「っふ! うふふ! あ、アルム! 変なことを言うのはやめてくださいまし!」
「いや、どうこの高級感を言い表そうかとな?」
「ふふ、確かに高級感は伝わるかもしれませんね。気に入りましたか?」
「気に入りはしたが……なんというか、味が良すぎて俺には美味しすぎるな。特別な時に飲まないといけない気すらしてくる」
「そうですか……? 独特な表現を致しますのね……」
「まぁ、今日はミスティの部屋に来たから特別な日には違いない」
アルムらしい会話の中に混ざってきた不意打ちに、ミスティは一瞬その言葉を染み入らせるように瞼をぎゅっと閉じた。
動揺に気付かれぬよう、アルムが紅茶を飲む間にミスティは心を落ち着かせる。
「そういえばスノラのお祭り……ラフマトレーネ? っていうのはどんなお祭りなんだ? いや、何をやるかは知っているんだが、お祭りというからには何か意味があるんだろう?」
「そ、そうですわね。お祭りの前に少しだけお話しておきますわ」
話題は二人が行く予定のスノラのお祭り戴冠祭に。
アルムの故郷カレッラでも小規模ながら収穫祭のような祭りはある。収穫祭は無論作物の無事を祝うどこにでもある祭りだが……ラフマトレーネという名前からは何を祝う祭りなのか全く想像できず、アルムは少し気になっていた。
「これは昔のスノラ……まだ北部がラフマーヌだった頃からのお話が由来のお祭りなんです」
「お話?」
「今はスノラの童謡になっていまして……その、お恥ずかしいのですが少し歌っても?」
「ああ、出来るなら聞かせてほしいな。ミスティの歌も気になる」
「そ、そうですか? あまり期待なさらないでくださいね?」
ミスティは緊張をほぐすために二回ほど深呼吸をしていざ歌おうとすると、アルムがじっと真剣な目でこちらを見ていることに気付いた。
あまりに真剣に見つめられ、ミスティの頬を自然に染まる。
「あ、アルム、その……そんなにじーっと見られると緊張してしまいます……」
「すまん、じゃあ目を瞑ってる」
アルムが目を瞑ると、そんな姿を今度はミスティがじっと見てしまう。
意外にまつげが長かったり、気付かないような小さな傷痕を首元に見つけたり、と無意識にアルムの顔を覗き込んでいた。
アルムが大人しく目を瞑っているこの状況にミスティの口角は自然と上がる。なんというかとてもいい。
こんなに見つめてもアルムに気付かれることも無ければ、目を瞑ったまま微動だにしない様子はこちらを信頼してくれているようで嬉しかった。
「…………ミスティ?」
「はっ! も、申し訳ありません!」
にまにまと見つめていたミスティはアルムの声で我に返ると、改めて深呼吸をする。
そして今度こそ、スノラに伝わる童謡を歌い始めた。
雪のような幻と、氷とともに現れて。
そうさ、歩けば北の国。
あそこに見えるはスノラの光。
かつての名前は白きトランス、もう無い国の名ラフマーヌ。
僕らの姫様はどこにいる?
見つけたあそこだお姫様。
悪い奴もそこにいる。冠はまだどこにも無い。
魔法使いの出番だ出番だ。
ほうら、川越え海を越え、姫様頭に冠を。
魔法使いは誰? お姫様の冠はどこ?
悪い奴を懲らしめて僕らの国を守ってくれる。どこでだって守ってくれる。
どこだどこだ探せ探せ。あそこに見えるはスノラの光。
「……という童謡がありますの」
歌い終わって、恥ずかしそうにするミスティ。
緊張で声が上擦ってしまった部分もあるが、何とか歌い切った。
扉のほうに控えているラナは万雷の喝采をあげんばかりの拍手のジェスチャーをしている。
アルムも閉じていた目を開けて、小さく拍手する。
「ミスティは声も綺麗だが、歌もうまいんだな」
「あ、ありがとうございます……人様にお聞かせできるほどではありませんが、一応初等教育として声楽も習ってはおりましたので……」
歌よりも声を褒められたことに喜ぶミスティ。
こほん、とわざとらしい咳払いをすると説明を続ける。
「スノラではこの童謡を元にしたお話がいくつも出ているのもあって、自然とスノラに住んでいる方は覚えていらっしゃいますね。トランス城にも元謁見の間にこの童謡をモチーフとした天井画が書かれています」
「へぇ……そうなのか」
「かく言う私も子供の頃にこの童謡を元にしたお話を……寝る前にお母様に読んでいただくのが好きでした」
まだセルレアが今のように寝たきりの状態になっていない頃をミスティは思い出す。
悪い魔法使いに攫われたお姫様を魔法使いが助けるありがちなお話。他と違うところといえば北部をモチーフにして、スノラの童謡を元にしているという所だけだったが、それでも子供の頃から大好きで憧れたお話だった。
「寝る前にせがむといつも読み聞かせてくれて、お母様の優しい声で語られるそのお話に私は目を輝かせていました。でも決まってお話が終わると……お姫様に憧れてはいけないと幼い私に釘を刺す厳しさも持ち合わせていたんです」
その厳しさは正しいものだと知っていたけれど、認められなかった自分もいた。
お姫様に憧れるなというのは、誰かに助けてもらうのを期待するなという事。
母の厳しさは正しい……カエシウス家は魔法使いの家系。魔法使いは国を、人を救う者。そんな魔法使いの家系の頂点であるカエシウス家が誰かに助けてもらうことに憧れるなどあってはならない。
助けてくれる誰かがいない道。一人で歩き続けなければいけない雪原。
そんな人生が幼い自分にはとてつもなく恐かった。その人生の象徴でもある血統魔法は特に……継いだ後の出来事もあって恐怖そのものでしかない。
「親ってのは厳しくて優しいよな」
「はい、そういうもの……なのでしょうね」
けれど、少なくとも……一人で歩かなければいけないという恐怖はもう無い。
あの日あの時、助けに来てくれた魔法使いが今は目の前にいるのだから。
「この童謡にあるお姫様の冠になぞらえて……このお祭りは戴冠祭と呼ぶようになったんです」
「お姫様に冠をってことか……何で舟の上でやるお祭りになったんだ?」
「一説では、水上にある舟が水に冠を載せているように見えるからではと言われていますが……実際の所どういう由来でこういうお祭りになったのかはよくわかっていないんです。今はこの説が有力として観光用のパンフレットなどにも表記されていますね」
「ああ……でもその一説はちょっと納得しちゃうな」
「ふふ、でしょう?」
アルムはミスティに聞かされた童謡の歌詞を思い出しながら腕を組む。
「童謡、か……?」
アルムは妙な違和感を感じながら、無意識に呟いていた。
そんな真剣な表情に変わったアルムを見て、ミスティはアルムの考え事に割って入るように話しかけるでもなく、空になったカップに静かにおかわりの紅茶を注いだのだった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
二人にとっていつも通りの時間が流れます。




