448.真夜中の動き
「むにゃむにゃ……」
「起きなさいジュリア」
「ふぎっ……!? え!? え!? あ、ど、ドローレスさ……ん……!?」
真夜中のトランス城。
使用人用の相部屋で寝ていたジュリアの顔をドローレスがはたいて起こした。
ジュリアはわけもわからず目覚め、苛立っているドローレスの顔を見てびくっと体を震わせる。
机に置かれたランプの明かりで影は伸び、壁に貼り付いているドローレスの影は悪夢に出てくる怪物のよう。
ジュリアはドローレスのことが苦手である。
ジュリアは去年グレイシャが起こした事件の後にトランス城に入ってきた新人であり、ドローレスは教育係として相部屋となっているが、ドローレスはその意地の悪い性格でちくちくと彼女を言葉で虐げていた。
平民であり、仕事の慣れていなかったジュリアに高圧的な態度をとり……そのせいでミスを繰り返したりと散々な思い出しかない。
最近はドローレスも飽きたのか嫌味を言われる程度だったが……その表情からジュリアは何かを察していた。
「な、な、なん……ですか……?」
「ごめんなさいね、起こして。でもとーっても大切なことだから伝えないとと思って」
にっこりと目の笑ってない笑顔が恐ろしい。
今は同じ使用人とはいえ、かたや平民かたや元貴族。魔法という絶対の力の差が平民であるジュリアをさらに委縮させる。
また、悪夢を見せる魔法を使われるのではないかと怯えた。
今日はとてもいい事があって、幸せな気持ちで眠りたかったというのに。
「あなた、あの客のお世話係でしょう?」
「は、はい……明日まではイヴェットさんが、その、ついてくれるそうです……」
「なら明日は無理ね……」
何がだろう、と背筋に悪寒が走る。
ドローレスは眉を困らせたように下げて、わざとらしい嘘吐きの顔をした。
「実はね、さっき見回りをしていたんだけど……あの客が何かを物色するようにきょろきょろとしながら廊下を歩いていたの。こんな夜中によ? 私に気付いたと思ったら愛想笑いをしてトイレを探しているフリをしたのよ……やっぱりこの城に来ると卑しさは隠せないのね。何か金目の物を探していたに違いないわ」
「え……?」
そんなはずないと、ジュリアの心は瞬時にドローレスの言葉を否定した。
晩餐の味と満腹になった幸福感がそれを証明している。
自分に出された晩餐を、お腹を空かせたメイドに惜しみなく譲るようなあの人がそんな事をするわけがない。
だが、ドローレスに逆らう言葉はジュリアの口から出てくることはなかった。
体が逆らってはいけない事を覚えていて、唇がわなわなと訴えたいように微かに動くばかりだった。
「トランス城はどこもかしこも高い物ばかりだもの……魔が差したのかチャンスと思っていたかは知らないけれど、やっぱりここに来る客って信用できない奴らが多いじゃない? カエシウス家の甘い汁を吸おうとしているやつらばっか……あの客もやっぱり同じなんでしょうね。平民なんて特にお金に困っているだろうから……そういう発想になるのも仕方ないのかもね?」
アルムがそんな事をする人物だとはジュリアも考えていない。
だが、カエシウス家に来る貴族達は確かにドローレスの言うように私欲に塗れた者が多い。
わかりやすく、去年以降力を落としたカエシウス家に付け込もうとする人物ばかりだというのは一使用人であるジュリアでも感じ取れるくらいだった。
「ねぇ、ジュリア」
「は、はい……」
ドローレスはゆっくりと体の上に跨ってくる。
ジュリアは怯えながら生唾を飲み込んだ。
「こういう時、ご主人様を守れるのは使用人だと思うの。ご主人様達より素の客と接することができる私達だからこそ……何かできることがあると思わない?」
「そ、そう……なんですか……?」
「ええ、そうなの。あなたの行いを見ているのはご主人様だけじゃなく、私達使用人も見ているんだっていう事を思い知らせないと……そうは思わない? ジュリア?」
ジュリアは無言でこくこくと頷く。
有無を言わせない問い掛けだった。頷く以外の選択肢の無い脅迫。
ジュリアの頬に伸びてきたドローレスの手はひんやりと冷たかった。
「だからね、あなたにこれを使ってほしいの」
そう言って、ドローレスはメイド服のポケットから取り出した布から何かを抜き取りジュリアに見せる。
「は、針……?」
それは人差し指ほどの長さもある裁縫用の針だった。
何かを縫いつけるのだろうか?
普通の発想をジュリアは思い浮かべる。
「明日はイヴェットがいるから無理だけど、次からは世話係のあなたが一人で起こしに行くでしょう? その時に……この針を寝てるアルムとかいう客に刺しなさい」
「え? え!?」
しかし、ドローレスが語った針の使い方はあまりに陰湿で悪質なものだった。
眠るアルムの体のどこかを針で突けと、到底思い至らなかったドローレスの発想にジュリアの頭は追い付かない。
「言ったでしょう? 思い知らせないとって……何も喉を突けなんて言わないわ。ちくりとほんの少しの痛みを味あわせればいいのよ。そうすればきっと恐がって、金目の物を物色するなんて大それた行動はとれなくなるわ」
「で、ですが、は、針で刺すなんて……!」
「ただの脅しよ。ほんの少し傷痕をつけてやるだけでいいの。朝起きたら知らない痛みが走って知らない傷ができてる……何かしようとしている悪人を抑え込むには丁度いい警告でしょう? 何かをやったら、致命的な場所を刺されるんじゃないかって、思って気が気じゃなくなるわ」
「で、でも……」
そんな事出来るわけがない。
それに、もしこれが仕える主人達にばれればクビではすまないだろう。
家の客人を傷つけるような使用人となれば、どんな罰が待っているか。
それに何より――晩餐を譲ってくれた人にそんな事はしたくない。
ジュリアは意を決して拒否しようと声をあげかけると、
「やるでしょ?」
冷たく見下ろす視線と脅迫の声がその意思を塗り潰した。
頬に触れていた手はいつの間にか首筋に触れていて……ジュリアの体は震え、かちかちと歯が鳴っている。
そんなジュリアの様子を見て、ドローレスは心底の喜びを顔に出した。
「これはカエシウス家のためなの。カエシウス家のために……やれるわね?」
「は……はい……」
「ふふ、いい子ね」
暗闇が落ちるジュリアの顔が小さく頷く。
強者に逆らうには弱く、恐怖に逆らうには勇気が足りない。ジュリアはそんな普通の少女。
悪意に屈服するしかない自分の今を嫌いながら、ジュリアはドローレスに言われるがまま……カエシウス家のためなんだと、心の中で用意された言い訳に縋る。
思い出す料理の味と満腹感はもう……罪悪感をより感じさせる重石へと変わっていた。
一方……同時刻。
「いらっしゃいませお客様」
トランス城に最も近い場所に建つ貴族向けホテル……『オロイメア』に一人の客が訪れていた。
高級なソファやドレスを着た女性のオブジェ、壁にはスノラの絵画がかかっており、優雅な雰囲気を醸し出すエントランスホールとロビーには未だ蝋燭の火が絶えておらず、宿泊客の急な外出に備えてスタッフも交代で待機している。
そんなホテルオロイメアに訪れたその客は平民のような平凡な格好をしており、何より泊まるには遅すぎる真夜中に来訪してきた事もあってホテルのスタッフ達も少しばかり警戒の色を浮かべていた。
先に宿泊していた貴族が夜中まで酒を飲んだ後に帰ってくる事はあるが……今来たこの客にホテルのスタッフ達は見覚えが無い。
受付の女性がちらりと目配せして他のスタッフに確認を取るが、ロビーとエントランスホールにいるスタッフ達は小さく首を横に振る。やはり見覚えがないようだ。
「申し訳ございませんお客様。只今一般の部屋が予約で満員でして……」
受付の女性はマニュアル通りの対応をしようとするが、その客は懐へと手を入れる。
スタッフ達に緊張が走るが、懐から取り出したのは封筒だった。
その客は取り出した封筒を受付の女性に差し出す。
「これを見せれば大丈夫と聞きましたが?」
「は、拝見させていただきます……」
受付の女性は差し出された封筒を恐る恐る手に取り、中身を取り出した。
封筒自体は普通のものだったが、中からは手触りのいい上質な紙が出てくる。
「お、王印にカルセシス様の署名……!?」
わかりやすいざわつきと驚愕がホテルのスタッフ全員に走る。
王印は国王だけが持つ印璽で押された印であり、王命の証左となる重要なものだ。
加えて、カルセシスの署名まであるとなればこの紙に書かれている事は王命に等しい。
その紙には、この人物の宿泊を受け入れること、そしてこの人物の存在を他の客はおろか領主にも秘匿するように、と書かれている。
受付の女性が書かれている事を確認すると、深々と頭を下げた。
「失礼致しました!」
「こんな時間に来てしまってすいません……ご確認頂けましたか?」
「はい! すぐに対応させて頂きます!」
流石は貴族向けのホテルと言ったところだろうか。
受付の女性がスタッフに王命の内容を共有すると、エントランスにいた二人のボーイはすぐさま馬車に走って荷物を運び出し、受付は予約専用のスイートルームが空いていることを確認し、出てきた支配人はスタッフ全員に箝口令を敷く。
美しい連携と迅速な対応で、その怪しくも王命を持ってきた客が宿泊する準備はすぐさま整った。
……だが、疑問も残る。
何故こんな平凡な格好をした客が王命が記された文書を持っているのだろうか?
「この度はホテルオロイメアをご利用いただき誠にありがとうございます。お客様の担当をさせて頂くパテナと申します」
そんなちくりと刺さる木の棘のような不安をスタッフは抱えながらも、その客を丁重に扱うしかない。
たとえこの客が怪しかろうとも、王印が押されていた文書があった以上それは王命だ。怪しいからと自己判断で逆らえばそちらのほうが問題なのである。
最初に王命の文書を見たという理由で、今の時間は受付担当だったスタッフの女性がそのままその客についた。
名をパテナというスタッフは文書に書かれていたサポートするように書かれていた人物の名前を思い出して。
「それではこちらにどうぞ。ご案内させて頂きます――アルム様」
ここにいるはずのない人物の名前を呼びながら、その客を部屋に案内したのだった。
ここで一区切りとなります。
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