446.メイドの胸中
セルレアへの挨拶もすませ、アルムは一週間泊まる部屋に案内されるため、ミスティは詰まっている予定を処理するために部屋を出る。
「アルム、明日は朝食もご一緒しましょう」
「ああ」
「食べ終わったらまずはトランス城をご案内しますね」
「これだけ広いとそれだけで楽しそうだな」
「ミスティ様……そろそろ……」
中々向かおうとしないミスティに、予定を知っているラナが少し焦る。
予定のある相手は父親のノルドとはいえ、ミスティお付きの使用人として客人から離れられずに遅れたなどという馬鹿げた理由で遅らせるわけにはいかない。
「わ、わかってるわ! 一通りトランス城を回ったら少し一休みしてティータイムにいたしましょう。最近ガザスのお店との契約で新しい茶葉が……」
「ミスティ様! 明日に! 明日にしましょう!」
組み立てた予定を嬉々として話し続けるミスティに危機感を覚えるラナ。
普段は他の貴族顔負けの大人びた姿勢で臨んでいるというのに、今のミスティはあまりに感情が先行し過ぎている。
ミスティはアルムと違って帰郷期間が始まってすぐにベラルタを発ってしまったので、しばらくアルムと会えていなかったのもあるだろう。
ラナはミスティの手を取り、半ば無理矢理アルムから引き剥がすようにミスティを連れて行きはじめる。
「あ、ラナぁ……」
「アルム様も長旅でお疲れでしょうから早くお部屋にご案内してさしあげませんと!」
名残惜しそうにするミスティの表情にラナの精神が傾きかけるも、何とか耐えきる。
何とか理由を作りながらミスティをこの場から連れ出そうとするが、
「自分は疲れていないので大丈夫ですよ」
そんなラナの心情を一切察することのない鈍感男アルムの一言が炸裂する。
馬車に揺られ続けたんだから少しは疲れてなさいよ、とラナは理不尽な文句を内心で吐きながら、アルムの傍らに待機するイヴェットに指示を出した。
「イヴェットさん! アルム様に喋らせるとまたややこしくなりますので早くご案内を!」
「承知致しました。アルム様、こちらへどうぞ」
「あ、はい……じゃあミスティ。また明日。おやすみ」
「はい、また明日に! おやすみなさい……アルム」
アルムとミスティは寝る前の挨拶を交わし、ミスティはノルドの待っている部屋に向かって歩き出す。
ミスティはようやく歩き出したかと思うと廊下の途中で立ち止まり……アルムのほうへと再び振り返った。
「絶対ですからね、アルム!」
「ああ、絶対だ」
「ミスティ様! ノルド様がお待ちですから!」
「もうラナってば……わかってるわ」
「お仕えしてから手が焼ける御方だと思ったのは初めてです……」
そんな姉妹のようなやり取りをしながら去っていくミスティとラナの二人を見送り……廊下にはアルムとイヴェットが残された。
「お聞きしたいのですが、ミスティ様はいつもあのような感じでしょうか?」
「いつもとは違いますが、楽しそうなのはいつも通りですね。故郷に帰ってきてるからか少しテンションが上がってるんじゃないですか?」
「……参りましょうか」
「はい、お願いします」
あんな姿初めて見ましたが、という言葉をイヴェットは押し殺してアルムを部屋に案内した。
(グレイシャ様の件は話題作りのためと思っていたのですが……まさか本当に?)
アルムがカエシウス家の恩人と言われている理由は当然この家にいる者は全員知っている。当然、去年起きたグレイシャ・トランス・カエシウスのクーデターを止めたのがアルムだからだ。
――しかし、その場面を見た者は誰もいない。
何せ城にいた人間全てがグレイシャの血統魔法により凍っており、気付いた時には全てが終わっていたのだ。
多くの使用人はノルドから説明されたその事実を信じていたが……元貴族であるイヴェットはそれを信じていなかった。
平民がグレイシャを制するなど有り得ない。そう思うのはイヴェットが元貴族であり、カエシウス家が別格である事が他の平民の使用人達より具体的に理解できているからだった。
カエシウス家の恩人という話になったのも、グレイシャのクーデターによってカエシウス家が非難されるであろう貴族界隈の動きを平民が解決したと担ぎ上げ、より大きな話題に世論を誘導するのが目的なのだとイヴェットは考えていた。
だが……話題作りに利用した平民に、ミスティ様があそこまで好意を寄せるか――?
イヴェットは澄ました顏でアルムを案内しながらも、内心は混乱を極めていた。
有り得ない。だが、有り得なければ今の状況が説明つかない。
混乱の末に肩越しにちらりとアルムを見るが、そんな事をしても真実はわからなかった。
(カエシウス家の未来のためにもこの方を見定めなければ……)
全ては自分を拾ってくれたカエシウス家の未来のため。
近く訪れるミスティを当主にした新体制のカエシウス家を支えるためにも……イヴェットはこの平民の存在をただ受け入れるわけにはいかない。
アルムは今日から泊まることになる簡素な部屋――あくまでトランス城基準――に案内された。
最低限の用意がされた部屋ではあるものの、ベッドは雲のように柔らかく椅子やテーブルなどの調度品はどれをとっても高級感が漂っている。花をモチーフとした刺繍が施されている絨毯も歩くのを躊躇うほどの出来と言えるだろう。
窓からは照明用の魔石と街灯に照らされ、ほのかに暖かい色をしたスノラが見える。
山に建つトランス城から見るスノラは一望というよりは俯瞰に近い。町並みを楽しむには少し遠い距離だ。
「城か……」
日も落ち、王城とはまた違った空気のトランス城にアルムはつい呟く。
アルムはしばらく窓からスノラを眺めると荷物の中から本を取り出し、いつものように読み始める。
子供の頃から魔法についての本を読むのは日課のようなものだ。
王城だろうがトランス城だろうが、アルムはこうしていつも通りに時間を過ごす。
美しい部屋で、渇いたページをめくる音だけが響く。本人は至っていつも通りだが、部屋が広いせいか他人が見れば少し寂しげに見えるかもしれない。
本を半分ほど読んだかと思うと、ノックの音が聞こえてきた。アルムは本から視線を外す。
「じゅ、ジュリアです。アルム様、開けてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
ノックの主はトランス城に滞在する間、アルムの世話係となったジュリアというメイドだった。
入るように促すと扉が開き、からからと鉄製のカートの音とともにジュリアが入ってくる。
「の、ノルド様の御指示で、お食事をお持ちしました」
「わざわざありがとうございます」
「か、簡単なものになって申し訳ないと、との事です」
「用意して貰えるだけ嬉しいです」
ジュリアは料理に蓋するクロッシュをとりながらテーブルの上に皿を並べる。
クロッシュをとった瞬間、腹の虫をくすぐる香りが漂ってきた。
「コンソメスープに、こ、こちらがサーモンのコルネ……こちらが仔羊のロニョナードとなります……」
説明されながら並べられるアルムの聞いたことの無い料理の名前と姿。
ジュリアのたどたどしい説明で聞き取れなかったわけでなく、単純にアルムに料理の知識が無いのである。
濁りの無いコンソメスープにサーモンでチーズを巻いたような料理、そして何かを巻き込んだような仔羊の肉には二種類のソースが添えられている。綺麗な盛り付けをされていて簡単なものとは思えなかった。
フォークとナイフを並べられるも、その美しさにアルムは少しの間目をぱちくりとさせている。
「凄いですね……コンソメスープしかわからん……」
「と、トランス城の料理長の腕前は凄いんです。それにスノラは食材も良質ですから……」
「確かに……前お店で食べた料理もおいしかったです。けれど、ここまで綺麗だと食べるのも緊張するな……」
アルムは言いながらも自然にスプーンを手に取った。
目の前の料理は全くわからないが、この一年以上ミスティ達と食事を共にする間にアルムは食器の使い方はしっかりと覚えている。
とりあえず最初はスープから飲もうとすると、
ぐぎゅるるるる。
と、大層大きな腹の虫がジュリアのほうから鳴った。
「……」
「ええと……」
そばかすが目立たなくなるほどに、羞恥で顔が赤くなって固まるジュリア。
そして伸ばしたスプーンがスープに届くことなく止まるアルム。
「お腹……空いてるんですか?」
「お昼から、その……何も食べておらず……」
「大変なんですね」
「…………どうか聞かなかったことにしてくださぃ」
お腹の音が鳴ったことそのものと、客人の前でお腹を鳴らす粗相をしてしまったという二つの羞恥がジュリアを襲う。
ジュリアはぷるぷると涙目になりながらか細い声で呟くも、アルムは聞かなかったことに出来るほど器用な少年ではない。
「お腹が空いているならこれどうぞ」
アルムはスプーンを置くと、ジュリアに座るのを促すように椅子から立ち上がった。
ジュリアはそんな事を言われると思っていなかったのか、茶髪のおさげがちぎれんばかりにぶんぶんと首を横に振る。
「い、いけませんそんな! お客様の晩餐を私のような下級のメイドが!」
「自分が頂いたものですから、尚更自由でしょう? 自分はそこまでお腹が減っていませんし」
「駄目です駄目です! お客様にそんな気を遣って頂くなんて!」
「気を遣ってるわけじゃないですよ。食べ物や料理っていうのは、お腹を空かせた人が食べるのが一番ですから」
空腹も手伝い、漂ってくる料理の香りにジュリアは生唾を飲み込む。
トランス城の料理長の腕前はマナリルでも随一だが……だからといって使用人全員がその腕をいつでも味わえるわけではない。そんな料理を食べてもいいと言うアルムの言葉はジュリアにとってあまりに魅力的過ぎる。
「客人とメイドという関係で駄目なら、お友達ということでどうでしょう?」
「お、おとも……だち……?」
「はい、友達なら食事を奢ったり奢られたりも変ではないでしょう? ここには自分とジュリアさんしかいませんし」
「そ、そうなん……でしょうか……?」
空腹と誘惑、そして客人であるアルムの予想だにしなかった提案が積み重なり……正常な判断ができなくなっているジュリア。
「それに友達ならこの一週間、言葉遣いも楽になっていいしな」
アルムはおもむろにナイフとフォークを手に取ると、仔羊の肉を一口大に切り分ける。
そしてフォークに刺さるその肉にソースを適量つけたと思うとジュリアの前に差し出した。
「お腹が空いてるから食べる。何もおかしくないだろ?」
自信の無いジュリアの声とは違う、全く揺らぎの無いアルムの声が説得力を生む。
ジュリアは多少逡巡するが、フォークを差し出してくるアルムの真っ直ぐな目に負けて口を開いてしまった。
「うまいか?」
「はい……おいしすぎます……」
「それはよかった。誰も来ない内に食べちゃってくれ」
ジュリアは心の中でラナやイヴェットに謝りながら予想外となった晩餐に茶色い髪を揺らしながら舌鼓を打ち終わると、アルムに感謝しながら部屋を出て行った。
「アルム様……すんごいいい人だぁ……」
空の皿の乗るカートを押すジュリアは大層満足そうな表情を浮かべていたそうな。
いつも読んでくださってありがとうございます。
一応ミスティさんはちゃんと仕事してます。




