445.改めてのお誘い
トランス城には一部屋……どこよりも丁寧に手入れを行き届かせている部屋がある。
いつ起きてもいいように、その体調を損なわないようにと、どこよりも清潔でどこよりも美しいベッドルーム。
何百年に一人と言われる才能を二人生んだカエシウス家の母。
六年以上昏睡状態にあるミスティ達の母……セルレア・トランス・カエシウスが眠る部屋だった。
「お母様……今日はお客様がいらっしゃる予定なんです……学院で初めて出来た友人なんですよ」
その母が眠る傍らで娘である少女――ミスティ・トランス・カエシウスは座っていた。
氷のように冷たい母の手を握りながら話しかけているが、反応は無い。
ただ自分の体温を伝えて、自分はあなたのそばにいるということが伝えればそれでいい。
そんなミスティを扉の近くで待機しているミスティお付きの使用人ラナは悲しそうに見つめていた。まるで母の前で微笑みを絶やさないミスティの代わりに悲しんでいるかのようだ。
「純粋でとても面白くて……ふざけて面白いのではなく独特といいますか、俗世離れしているといいますか……何と言ったらいいのでしょう? ふふ、現す言葉が見つかりませんが、優しい方で……」
白いベッドで眠るセルレアは何の反応も示さない。
いつ起きるかわからない、そも起きるかどうかもわからない。
必要なのは魔法使いか、治癒魔導士か、それとも医者か。それすらもわからない。
それでもミスティは語りかけ続ける。
「そして去年私を助けてくれた……魔法使いです。是非お母様にも会って頂きたいのですが……もしかすると、お母様からすれば複雑かもしれませんね。お母様の教えを私は破ってしまいましたから」
貴族とは国を、民を守るべき者。魔法使いとは力無き者を守るために魔法を使う者。
魔法使いは誰かを助けこそすれど、誰かに助けてもらえると思ってはいけない。
それが優しくも厳しい母の教えだった。
私達は一人で戦わなければいけないのだと、幼い頃のその教えがあまりに恐かった記憶がミスティにはある。
だが、それはミスティを恐がらせたかったのではなく……魔法使いになるならばそれほど強く在らねばならないという事なのだ。
「ごめんなさいお母様。でも……憧れが、現実になった瞬間だったんです」
ミスティの原点は幼い頃憧れたラフマーヌに伝わる魔法使いとお姫様のお話。
魔法使いが悪者からお姫様を助け、最後には幸せになるありふれたお話だ。
お姫様を助ける魔法使いにも助けられるお姫様のどちらににも、ミスティは憧れていた。母にはお姫様には憧れていけないと言われ続けたが、それでも憧れ続けた。
そして去年……その叶わないと思っていた憧れのほうが叶ったのだ。
自分をまるでお姫様のように助けてくれる"魔法使い"が現れた。
たとえ母の教えに反していようとも、それがどれだけの救いになったかは言うまでもない。
頬を染めたミスティはセルレアの手をきゅっと強く握る。
あの人の事を考えただけで高鳴るこの鼓動とほのかな熱で、自分がどれだけ幸せなのかを伝えるために。
「……? どなたですか?」
そんな時、扉のほうからノックの音が聞こえてきた。
ミスティは扉のほうを振り返り、扉の向こうに声をかける。
「ミスティ様。イヴェットです」
「どうぞ」
ラナが扉を開けると、イヴェットともう一人。
「お客様をお連れ致しました」
「アルム!」
「ミスティ」
ミスティの顔が目に見えて明るくなる。
花が咲いたような笑顔とその嬉しそうな声にラナの唇が悔しそうにきゅっと結ばれた。
そんなラナの様子など露知らず、アルムはラナに会釈をしながら部屋に入る。ラナは不本意さを表情に出さないようにしながら、カエシウス家の客人に深々と頭を下げた。
ラナもイヴェットと同じくトランス城の上級使用人。自分の感情で失礼な態度をとったりはしない。
「長旅お疲れ様です。お身体は……ほっぺが少し赤くありませんか?」
「ああ、これは誤解が生んだ仕方ない痕というか……何でも無いから気にしないでくれ」
ミスティは何のことかわからず首を傾げる。
数日前ならフロリアの綺麗な手形が見られたのだが。
「それよりここは?」
「丁度お母様にアルムのことをお話しているところだったんです。アルムもどうかご挨拶していってください」
「ミスティのお母さん……」
ミスティに促され、アルムはベッドに歩み寄る。
「私が十歳の頃に血統魔法を継いだ時から……ずっとこのような状態なのです。驚いたかもしれませんが……アルム?」
「……」
ベッドで眠るセルレアを見て、アルムは立ち尽くしている。
その表情は驚愕に染まっており、見開いた目はどれだけの衝撃を受けたのかを物語っていた。
扉のほうで待機しているラナとイヴェットもアルムが石像のように固まっているのを見て不審な目を向けていたが、
「ミスティに似て綺麗な人だな」
臆面も無く言い放ったその言葉に、膝から崩れそうなほど思い切り力が抜ける。
隣のミスティは真っ白な頬を真っ赤にしていてそれどころではないらしい。
「いや、逆か。ミスティがお母さんに似ているんだもんな……お名前は?」
「え? ええ……セルレアお母様といいます」
そんなミスティやラナ達を尻目にアルムはベッドの傍まで歩み寄り、床に膝をついた。
「初めましてセルレア様。ミスティの友人のアルムと申します」
傍に椅子があるのに膝に床をついたのは、寝ているセルレアに視線を合わせるためだろう。
返事が返ってこないとわかっていても、アルムは丁寧に挨拶する。
「光栄なことにミスティとは仲良くさせて貰っていて……今日はトランス城に招待されて来ました。一週間ほどお世話になりますので、よろしくお願いします」
「……」
「いつかまた、改めてご挨拶できる機会を待っています」
気の利いた事を特に言うわけではない普通の挨拶をして、アルムは立ち上がった。
だが、変に媚びるような事をしない様子に、少なくともイヴェットには好印象に映った。
セルレアの話に必要以上の同情を見せ、わざとらしい嘘の涙を浮かべる貴族達をどれだけ見てきたか。
お前らに何がわかる、と何回言いたい時があったかわからない。
「話せないのは残念だが、仕方ない。起きたらまたその時に紹介してくれると嬉しい」
「はい、その時は是非……」
アルムは昏睡しているセルレアについて何も聞こうとはしない。
興味で踏み入ってはいけない領域だと、無意識に感じ取っている。
聞ける時があるとすれば、それはミスティが自分から話してくれる時だろうと。
「その、アルム……」
「ん?」
「来て頂いて本当に嬉しいのですが……今日の夜まで私は予定がありまして、晩御飯をご一緒できないのです」
「そうなのか、大変なんだな」
今年の帰郷期間は忙しいというのはアルムも来る前から少し聞いている。
なのでアルムは別段驚かなかったが、ミスティは申し訳なさそうに俯いていた。
そんな申し訳なさそうに下がっていた視線がゆっくりと上がり、アルムを見上げるように上目遣いとなる。
「で、ですが明日からはしっかりと予定を空けておりますので……その、明日からは私とご一緒してくださいますか?」
扉の横にいるラナとイヴェットは赤面する。
自分が仕えるお嬢様の、聞いているほうが恥ずかしくなってしまうほどの純情なお誘い。
ミスティの気持ちを知らないイヴェットすらすぐに気付くほど、露骨な好意が込められていた。
そんなミスティのお誘いに、アルムは微笑み返す。
「ああ、勿論。お祭りもまだ始まってるわけじゃないんだろう? 一週間あるんだ、明日からミスティの故郷をゆっくり教えてくれ」
「はい……はい! 任せてください!」
アルムの微笑みに、ミスティも笑顔で返す。
そんな幸せそうなミスティを見たイヴェットはちらっとラナのほうを見る。ラナが頷くと、「うそでしょ……」と小さく声を漏らすのだった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ミスティも喜んでいますわ。




