444.恩人といえど
「凄いな……」
観光客のように辺りを見回し、アルムはトランス城の内装を眺めながら歩く。
トランス城は窓に柱、扉や天井、壁に至るまで見事に全てが花をモチーフにした装飾で統一されているラフマーヌ建築。その装飾の数々は別の国だった頃から残る古き歴史の跡そのもの。
施された装飾は場所や家具、壁によってもデザインが違っており、さながら人が作り出した花畑だ。
上品な華やかさでありながら、子供でもその可愛らしさに見惚れてしまうデザインの数々がいくらアルムが芸術に疎くとも惹き付けられた。
何より……花をモチーフにしているというのが故郷を思い出す。アルムが住んでいた教会にも花をモチーフにしたステンドグラスがあり、一番思い出深い場所は言うまでも無くあの白い花畑だ。
「以前にも来られたはずでは?」
「あの時は氷漬けでよくわかりませんでしたし……それどころじゃなかったですから」
「確かに……申し訳ありません」
「いや、謝らないでください。自分が勝手に入ってきただけの話なので」
歩く絨毯も柔らかくて靴越しですら気持ちがいい。
ただ廊下を歩いているだけだというのにアルムは今別次元を実感している。
自分がここを普通に歩いていいのかとすら思ってしまうほどだった。
「あれが……」
「ミスティ様がお呼びに……」
「思ったより普通ね……」
ノルドの所へ向かう廊下の途中、すれ違った使用人たちは皆アルムが通りがかる際には立ち止まってお辞儀をする。
アルムだからというわけではなく、客に対してそうするのが礼儀として染みついているのだろう。
通り過ぎた後ろからこそこそと話し声が聞こえてくると何処か少しほっとした。
「アルム様は去年の事件の当事者に加えてミスティ様がお呼びになったお客様という事でみんな興味津々でして……後で注意させていただきます。どうかご容赦を」
「いえ、そこまでしなくても……気にしていないというか、ただ客人相手の振舞いをされるよりは安心します。なんというか人らしくて」
「安心……? そうですか……そう言って頂けると私も助かります」
「それに、場違いなのは流石にわかります」
「……そんな事はありませんよ」
妙な雰囲気の方だな、とイヴェットはちらりとアルムを見た。
黒い髪色は珍しいが他は至って平凡。普通。マナリル最高の貴族の恩人の割にはこじんまりしている印象で、恩を振りかざそうとする様子も無い。
平民らしからぬ達観した言い回しからは精神的な余裕を感じる。
まるで、境界でも引いているかのような。
(ラナさんのお手紙に書かれていたイメージ以上に掴めないな……)
警戒の色をしたイヴェットの視線は一旦アルムを捉えることを諦める。
廊下の先のさらに奥。ノルドの執務室の前に着いたからだ。
イヴェットは扉の前に身だしなみを確認すると、扉をノックする。
「ノルド様、イヴェットです」
「入りたまえ」
すぐに返ってきた声にイヴェットは扉をゆっくりと開けた。
扉を開いた先は今まで見てきた華やかな城の内装とは打って変わり、最低限のものを揃えただけの堅苦しい内装の部屋だった。
執務室なのだから当然といえば当然なのだが、ここまで歩いて来た際に見た内装と比べると多少の驚きはある。
そんな部屋に置かれた厳かな机にカエシウス家当主ノルド・トランス・カエシウスはいた。厳格そうな装いはまさにこの部屋の主といった感じである。
「失礼致します。アルム様をお連れ致しました」
「ご苦労だったイヴェット。下がっていい」
「お茶はいかがいたしましょう?」
「いや、もうこんな時間だ。すぐに部屋に案内できるよう準備しておきたまえ」
「了解致しました。失礼致します」
イヴェットが部屋を出ると、ノルドは立ち上がりアルムのほうへと近づいてくる。
「ようこそ、アルムくん」
「お久しぶりです。ノルド様」
ノルドに差し出された手をアルムは掴み、握手する。
薄っすらと浮かぶ小さな笑みは歓迎の証だった。
「ははは、よしたまえ。カエシウス家の恩人が様付けなど」
ノルドはそのままアルムをソファのほうに座るよう促す。
促されるままアルムはソファに座り、ノルドはその向かいのソファに座る。
「では、ノルドさん……お招き頂き光栄です」
「この一週間は自分の家だと思ってゆっくりしていってくれたまえ。君の世話も使用人に頼んである。イヴェットから聞いているだろう?」
「はい、ジュリアさんという方がお世話してくださるそうです」
「ジュリア…………ふむ、そうか」
ジュリアの名前を出すと、ノルドは驚いたように少し表情が変わるが、すぐに元の歓迎の表情へと戻る。
「何か困ったことがあればそのジュリアに言うといい。ジュリアで出来ない事は直接ミスティに言ってくれたまえ。君が来るのを心待ちにしていた」
「帰郷期間は貴族の方はお忙しいと聞いたのですが……」
「当主でないミスティにはまだ大した用事も無い。まだ当主である私は流石に手が離せないが……ミスティと一緒にスノラを楽しんでくれたまえ。アスタも君に会いたがっている」
「アスタも元気ですか?」
「ああ、元気だとも。それどころか去年より勉学に勤しむようになって少し顔つきが男らしくなった」
「そうですか……会うのが楽しみです」
アスタ・トランス・カエシウスは去年起きた事件の時にアルム達に協力したミスティの弟だ。
去年会った時は姉二人と自分を比べて思い悩んでいた様子だったのがアルムの印象に残っている。
「……国が君のことを公にしない方針のせいで君には言うべき事も言えなかったな」
空気を改めるようにノルドの声色が変わった。
「本当に、ありがとう」
下がるべきでない頭が深々とアルムに向けて下げられる。
誰かに見られればそれだけで貴族界隈が揺らぐだろう。
すでに次期当主が決定しているとはいえ、貴族の頂点カエシウス家の当主が平民に頭を下げる姿などあっていいはずがない。
いや、もしかすれば……ここに下げられた頭は貴族としてではなくカエシウス家という家族の代表の頭なのか。
どちらにせよ、アルムにとっては予想外ですぐに反応することも出来なかった。
「やっと……言うことができた。君に何かを言えるとすれば……まずは礼を言わなければ人間としての関係すら築けないと思っていた。去年からずっと、ミスティとの手紙の中にいる君にすら何の言葉も書けなかったんだ……恩人に礼も言わずに口にする言葉がどれだけ薄っぺらいものになるか」
「いえ、自分は自分がやるべきだと思った事をしただけなので……」
「それでも、その行動に我々は救われた。本当にありがとう、アルムくん。君のお陰でカエシウスは守られた」
ノルドは解放されたような清々しい表情を浮かべながら、顔を上げる。
ようやくノルドの中で、アルムという人間との付き合いが始まった。
「とはいえ、君の行動を何もかも許すというわけではない。疑わしい行動があれば不審に思うだろう。行き過ぎた行動があれば罰することもあるだろう。領主として余りに特別な扱いはできないとだけ忠告させてくれたまえ」
「はい、勿論です」
「では聞くが……スノラに来る前に王都に立ち寄ったのは何故かね?」
「何で知って……?」
「カエシウス家には通信用魔石もあるのでね、そのくらいの情報は入ってくるのだよ」
値踏みするように、ノルドはアルムの答えを待つ。
アルムが国王カルセシスと接触しているのはノルドもすでに知っている。
ミスティの友人であり、この家の恩人であるアルムの事は信じたいが……王都に立ち寄った事実が不審に思わせた。
例えば、カエシウス家を探ってくるように国王カルセシスに命令された可能性。
カエシウス家がアルムの来訪を断れないことを利用してそのような命令を下したのだとすれば、アルムが恩人とはいえ領主としては注意する必要はある。
勿論去年の事件以降やましい事は一切無いが、アルムが手に入れた情報を元に事実を捏造されて疑惑を向けられる可能性は十分にある。
カエシウス家の力を削ぎたいと思っている連中はいくらでもいるのだ。
「少し用事がありまして……教えることはできません」
「何か命令を受けてきたのかね?」
「命令? いえ……ただ都合上お教えすることができないんです」
「そうか……では、ここをどこだと思っている?」
「ここを……? 友人の家ですが……?」
「ふむ、なるほど」
とりあえず今はいいだろう、とノルドは追求をやめた。アルムの後ろめたいことは一切ないといった様子に安堵する。
最後の質問もカエシウス家ではなく、友人の家と答えたのもノルドからすると好感だった。
「変な事を聞いてすまなかった、長旅で疲れただろう。今日はゆっくり休むといい」
「はい、そうさせて頂きます。その前にミスティにも会いたいのですが……今どこに?」
「ああ、ミスティなら妻の部屋だろう。イヴェットが部屋の前にいるだろうから案内してもらうといい」
「わかりました。それでは失礼します」
「ああ、トランス城へようこそ……アルムくん」
カエシウス家の当主であるノルドから使用人のイヴェットまで……トランス城は今アルムを見定めようとしている視線に溢れかえっている。
カエシウス家の恩人。その人となりを確かめるために。
そんな視線は全く気にする様子もなく……アルムは小さく頭を下げて、ノルドの部屋から退出した。
いつも読んでくださってありがとうございます。
それはそれこれはこれということですね……。




