443.スノラ再び
フロリアの誤解を無事に解いたアルムは途中でフロリアとも別れ、無事にスノラ行きの馬車に乗り込んだ。
フロリアに乗せて貰っていた馬車よりは見た目も内装も素朴だが、馬車を普通に買えるだけでもアルムにとってはありがたい事だ。
馬車は去年スノラに行った時とは違う道を走っているが、覗き窓から見える光景は何処か北部の懐かしさを感じさせた。
覗き窓から吹き込んでくる薫風がアルムの頬を撫で、遠くに見える山々は夏らしい豊かな緑色が広がっているが、頂上の所々にある白の残雪が平地と山の違いを実感させる。
馬蹄の音と馬車の車輪の音が自然の中に響かせ、少し荒い走り方に時折馬車ごとアルムの体が跳ねた。
後ろの荷物を心配するが、座席にがっちり縛って固定しているのでびくともしていない。
アルムは安心して、スノラまでの馬車の旅を楽しむのであった。
道のある山を越え、涼しい林道を抜けて少し暑い平野に。
時折近くの村で馬を休ませ、荷物をチェックしながら泊まった。
村人に勧められた酒は断り、山羊の乳だけは頂いて、次の朝にはまた出発する。
そんな道中で注がれる日差しはしっかりと季節を表すも、爽やかな風が夏だという事を忘れさせる。
そんな北部の景色だけが変わっていく旅路が続いて数日……御者の声が客席にまで届いた。
「アルムさん、着きましたよ!」
「はい、見えてきました」
覗き窓からは最早懐かしい城壁が見えてきた。
領主の居城を守るのではなく、城下の町と人を守るためにある堅牢な灰色。
その灰色の壁の奥の山には、スノラに訪れれば誰もが目を奪われるであろう青い屋根をした白亜の城――自然と溶け込みながらも荘厳な雰囲気を醸し出すカエシウス家の居城、トランス城があった。
相変わらずおとぎ話のようだ、と思いながら馬車が門を潜る。
馬車を囲む憲兵に御者の焦る声が聞こえるが、無事に通行許可証を見せたのか憲兵は馬車に座るアルムのほうへと来た。
「許可証は?」
「これを」
去年も同じようなやり取りがあったので、アルムは用意していた招待状を見せる。
ベラルタでミスティに貰ったものだ。
憲兵は懐疑的な目で一瞬アルムを見るが、招待状に書かれたカエシウス家の名前と六花の家紋の印は紛れもなく本物だ。
「ようこそスノラへ。楽しんでください」
「ありがとうございます」
観光に来た貴族でさえ大抵はここで足止めを食らうのだが、カエシウス家直々の招待状とあらばその必要は無い。
荷物チェックや滞在理由すらも聞かれず、アルムの馬車はスノラの中へと入っていった。
「相変わらず凄い効力だな……」
アルムを乗せた馬車が門をくぐると、スノラ特有のカラフルな町並みが覗き窓から見えてきた。
思い思いに塗装された家の壁に雪を滑り落とすために急勾配の屋根。機能的でありながら可愛らしいシルエットになっている家々が立ち並ぶ。
町の中央辺りには巨大な川が流れており、そこここにある曲線状の橋には絶えず馬車と人が行き来していた。立ち止まって、地上と水面の二つの町並みに見惚れている者もいる。
人の話し声に馬蹄の音が雑多に響き、貴族向けのドレスショップや大衆向けの食事処が混じり合う雰囲気はカエシウスという頂点の下、貴族も平民も分け隔てなく、スノラでの満足いく滞在や生活を約束しているかのようだった。
そんな町並みを抜けた時にはすでに日が傾いており、夕暮れの色に染まった町並みと煌く川の幻想的な一面を見ながらトランス城の建っている山へと辿り着く。
山には城に行くための門があり、通行許可証しか無い馬車はここでお別れだ。
「ありがとうございました」
「こちらこそスノラに入れるとは思っても見ませんでしたよ! また立ち寄った際にはご贔屓に!」
門の前で残りの料金と御者さんの一泊分の滞在費をアルムが払うと、御者は大層ご機嫌な様子で元来た道を駆けていった。
アルムが滞在費を払う必要は無かったのだが……そこはまだまだ社会勉強が足りないという事だろうか。
とはいえ、アルムは渡すべきだと思ったから渡したので恐らく事実を知っても後悔はしないだろう。
門番に招待状を見せると、門番が山の門を開ける。
門番に会釈をすると、アルムは山を登り始めた。
一般人なら少しげんなりする山の坂道だが……山と言ってもアルムにとっては普通の道と変わりない。
舗装されている上に馬車二台は通れる立派な道があり、どこからか魔獣が襲ってくるわけでもない。目指すべき場所もあんなにはっきりと見える。
整備されていない城の裏手に回れば山らしくなるのかもしれないが、少なくとも今歩いている場所はアルムにとって友人宅へのただの道という認識だ。それこそ、ベラルタの丘の上にあるミスティの家への道と変わりない。
しばらく歩くと、トランス城の正門と広場が見えてきた。
流石にエルミラ達が戦った時に破壊された部分ももう治っている。
正門の前にはいつから立っていたのか、カエシウス家の使用人らしき女性が立っていた。凛とした佇まいと知的な顔立ちに気品すら感じさせる。
アルムが歩いて来たことに気付くと、その女性は深々と頭を下げてきた。
何処か既視感のある光景だ。
「アルム様ですね、お待ちしておりました」
「はい、アルムです。こちらこそお待たせしました」
アルムは挨拶をしながら招待状をその女性に見せる。
「カエシウス家のお名前と家紋の印……確かにご確認しました。この度は去年のように門前払いなど致しませんので、ご安心ください」
「去年……? 会いましたか?」
「私は去年の当主継承式の際、ここであなたの入城をお断りさせて頂いたイヴェットと申します」
「あ……」
言われて、アルムはようやく女性……イヴェットの事を思い出した。
名前と顔が一致しないとどうも人の顔が覚えられないのは相変わらずである。
「すいません、忘れたわけではないのですが……」
「いえ、お忘れになるのも無理ありません、アルム様にとっては苦い思い出でしょう。止む無い命令とはいえ、大変申し訳ありませんでした」
申し訳なさそうにするイヴェットに、逆に申し訳なくなってくるアルム。
実際、アルムはあの時の事を気にしていない。
平民と貴族が違うのは当たり前だ。
魔法使いになるというただ一点は譲れないが、その一点を除けばアルムは平民だからという理由は大抵受け入れられるのだ。
そのため、アルムはあの日の事を理不尽だとも思っていなければ恨んでもいない。
「去年は最終的にあのような事態になってしまいましたし、此度の滞在は是非お愉しみください。まずはノルド様の所へご案内させていただきます。お荷物をこちらに」
「いえ、荷物は自分で持つので大丈夫です」
「それでは私共の仕事が取られてしまいます。お客様にお荷物を運ばせる姿をノルド様に見られたら……それはそれは恐ろしいことに」
「そ、そうなんですか……それではお願いします」
「はい、ご挨拶の間にお部屋に運ばせて頂きます。ジュリア!」
イヴェットが名前を呼ぶと、城の扉の前に立っていた使用人がとことこと歩いてくる。
くすんだ茶髪を後ろに纏めた髪型をしており、素朴な印象を受ける。
「御挨拶を」
「こ、こ、この度アルム様の、お世話をさせて頂くジュリア、です……よろしくお願い致します!」
「滞在中はこのジュリアをアルム様のお世話係としてお付けいたします。何かご用件があればこのジュリアにお申し付けください」
「こちらこそよろしくお願い致します。重いので気を付けてください」
アルムは背負っていたバックパックのような荷物をジュリアの前に差し出す。
受け取ったジュリアは荷物の重さに少しよろけながらも、アルムの荷物をゆっくりと城内へと運んでいった。
「……大丈夫かな」
「城の中まで運べば他の者も手伝うのでご安心ください」
「そうですか……うーん……本は持ってこないほうがよかったか……」
服以外の重量の原因がわかっているのでアルムは少し後悔する。
危なっかしい姿をさせるくらいなら着替えだけにするべきだったなと。
「それではご案内……。……?」
今度こそイヴェットが案内しようとすると、アルムの顔を見て何かに気付く。
「アルム様……左の頬が少し赤いような気がしますが……大丈夫ですか?」
「ああ、そのー……これは友人の誤解による結果と言いますか……右からいいのを貰ったといいますか……まぁ、気にしないでください」
いつも読んでくださってありがとうございます。
スノラの雰囲気が改めて伝われば幸いです。




