438.友人と復権の兆し
トヨヒメ攻略後、到着した王都からの援軍によってトヨヒメとクエンティ、コルトゥンは捕らえられ、掌握されていたダンロード邸は解放された。
トヨヒメの目的は今までの魔法生命達とは違い個人に向けての復讐のためか、ダンロード邸の使用人は拘束されるだけに止まっており、重傷だったのは当主であるディーマとトヨヒメの監視をしていた二人の魔法使いだけだった。
フォルマの町や民間人にも被害は出ておらず、甚大な被害を受けているのは霊脈であるローチェント魔法学院とイプセ劇場だけ。
だが、たった二人でダンロード邸全てを掌握し、次代の魔法使いを育てる魔法学院を襲っていること、そして宮廷魔法使いのファニアでも歯が立たなかったことから、トヨヒメは王都からの増援達に充分な脅威を感じさせ、捕えられた三人の中でも特に厳戒態勢で王都へと護送されることとなる。
アルム達はその後エルミラとファニア、そしてリニスの回復のために南部の病院に数日滞在することとなった。
「リニス」
「ああ、来てくれたのかアルム」
南部に滞在するも後少しという日の昼のこと。
リニスが寝ている病院の個室にアルムは見舞いに訪れた。
手に乗せたトレイの上には香ばしい香りをさせたポットと空のカップがある。
「体は大丈夫か?」
「もう退院してもいいと言っているのだがね。ファニア様が大事をとれとしつこくてね。ベネッタのおかげでもう大分いいんだが……ありがたく休ませてもらってるんだ」
「そうか、よかった」
ほっとするアルムに微笑み返すと、自然とリニスの視線はアルムが持っているトレイのほうに向けられた。
「それはどうしたんだい?」
「ああ、見舞いの品だ。リニスにはやはりコーヒーが一番かと思ってな」
アルムはベッドの横にある机にトレイを置いて、早速とカップにコーヒーを注いだ。
無色の病室に、黒を想起させる香ばしい香りが漂い始める。
そういえばアルムの髪も黒いな、などと考えながらリニスは久しぶりのコーヒーの香りを鼻と口から堪能する。
「ほら、飲んでみてくれ」
「ああ、ありがとう」
コーヒーを注いだカップをアルムがリニスに渡すと、アルムは普段と違って何処か落ち着かない様子だった。
それでも静かではあるのだが、何故かリニスが飲むのを今か今かと言わんばかりにじっと見ている。
リニスはその期待に応えるべく、カップに口を付けてその一杯を飲む。
「………ふふ」
「?」
「ふふ……ふふふふ……! あははははは!」
アルムから渡されたコーヒーを飲んだ途端に、リニスが笑い出した。
リニスには何故アルムがそわそわしていたかが、そのコーヒーを飲んだ瞬間わかったからである。
「ど、どうした?」
「ふふ……いや、すまない。笑えるほど不味いと思ってね」
「な、なに? おかしいな……教えてもらった通りに淹れたと思ったんだが……」
アルムは不思議そうにポットを見始めた。
とはいえ、いくら見たところでコーヒーの味は変わらないのだが……。
「入ってきた時からおかしいと思っていたが……やはり君が淹れたのか。一朝一夕で上手いコーヒーが淹れられるわけがないだろう」
「言われればその通りなんだが……すまん、やはり無難に花とかを買ってくるべきだったな。これは責任をもって俺が飲むことにしよう」
アルムがリニスからカップを回収しようと手を伸ばすと、リニスはその手からカップを引き離すように体の逆側へとやってしまう。
「リニス?」
「これは私の見舞いの品だろう? なら、もう私のもののはずだ」
「いや、気を遣って無理しなくていい。いくらコーヒーが好きでも不味いものをわざわざ飲む必要は無いだろ?」
アルムはベッドの逆側に回り、再びリニスの手からカップを回収しようとすると、やはりリニスは反対側にカップをやってアルムから引き離す。
「いいんだ。これは私が飲む」
「リニス。無理を……」
「無理なんてしていない。私が飲みたいんだ」
そう告げるとリニスは再びカップに口を付ける。
リニスはアルムの淹れた不味いコーヒーを飲み干すと、ほっとしたような表情を浮かべて。
「ああ、やっぱり……まずいな」
心底からの喜びであるかのように優しく呟いて、アルムにおかわりを要求するように空のカップを差し出していた。
「エルミラ・ロードピス。此度の南部ダンロード領での活躍見事であった。南部に訪れた脅威に立ち向かい、その誇り高き志とその志に見合う力を見せたお前の姿はまさに次代を担う魔法使いに相応しい。その勇気と功績を称え、宝雷鱗章を授与する」
「ありがとうございます」
数日後。南部での事後処理が終わり、トヨヒメの護送と報告のために王都に訪れたアルム達を待っていたのはエルミラの勲章の授与だった。
南部で起きた出来事は通信用魔石を介してすでにファニアが報告していたが、アルム達は王都で直接報告をするだけだと思っていたため、完全にサプライズの形となる。
王城の玉座の間の主役は勿論エルミラ・ロードピス。
マナリル国王カルセシスから送られる勲章の入った箱と勲記をエルミラは受け取る。
その表情は緊張と照れが混じっており、妙に固い。
授与を見守るアルムとベネッタ、ファニア、そして勲章の授与のためにカルセシスの後ろにいる側近のラモーナからも拍手が送られた。
「加えて、エルミラ・ロードピスがロードピス家当主になった暁にはマナリルから正式に領地を与える」
「っ!」
「今回の活躍の報酬金とは別に支度金も用意する。これはマナリル国王カルセシスからロードピス家に与える褒賞ではなく、エルミラ・ロードピス個人に送る褒賞であり、契約だ。後日、正式に書面に纏めることにする。現当主が代理でこの褒賞を受け取ることは許さぬぞ。ラモーナ、書き留めろ」
「はい陛下」
エルミラが言葉も出ない喜びに打ち震えていると、側近のラモーナがカルセシスの発言を書き留める。
儀典長も兼ねているラモーナがカルセシスの発言を書き記したとあれば、社交辞令のような口約束ではないことも確定したといっていい。
「光栄です! 陛下!」
「以前に領地を下賜してもよいと口にした時、大層気合いが入っていた様子だったからな。此度の活躍を考えれば当然であろう。励めよ。二度目の没落は笑い話にもならぬからな」
カルセシスの言葉を受け取って、エルミラは頭を下げる。
ここに没落していたロードピス家はエルミラの代での復権が約束された。
「すまなかった。初対面での無礼を許してほしい」
王城にはアルム達だけでなく、トヨヒメに呪法を刻まれ、拘束されていたディーマ・ダンロードも訪れていた。
ベラルタに帰る前日。王城の廊下ですれ違ったディーマはエルミラに向けて頭を下げていた。
魔法生命に関しての情報が少なかったとはいえ、情報提供者を信用してしまった自分に全責任があると報告をしたようで自ら国王に罰を進言したらしい。
王城の廊下ですれ違いそうになったかと思えば、ディーマはエルミラに頭を下げていた。本来、頭を下げなくてもいい地位なのだがその点はディーマ本人の誇りの問題だ。
エルミラへの辛辣な物言いも領民を思う真面目さゆえ。トヨヒメに出し抜かれたとはいえ、ディーマは南部を経済的に発展させているダンロード家の当主。体裁や安いプライドを優先するような安い器ではない。
「カトコ……いや、トヨヒメの事といい、どうやら我輩の目が曇っていたようだ。君のような素晴らしい人材を見抜けなんだとはな。引退するべき歳ということかな」
「いまだに呪法を体に残したまま研究させようとしてる人が何言ってるんですか」
「我輩にはこれくらいしかできぬからな。完全に消える前に何かわかればいいのだが」
トヨヒメにやられた傷はダンロード家専属の治癒魔導士とベネッタの手によって大体は治っているのだが、傷とは別にディーマの体にはトヨヒメの呪法が未だ残り続けており、体には黒い魔力が這っている。
長い時間をかけて刻まれたのと、ファフニールの呪法の特性のためか、完全に消えるのは数週間ほどかかるようだった。
これを利用して対抗魔法や感知魔法を生み出せないかと、呪法が残り続けている間は体を提供するらしい。
それがカルセシスがディーマに与えた罰だという。罰にせずとも、王城からの要請で無条件で通りそうな用件ではあるが……つまりは、そういうことである。
ダンロード家は南部を閉鎖的にしているために南部以外の貴族からはよく思われていないが、国王カルセシスはやはり有用な人材として評価しているということだろう。
今回の失態で向こう何年かの増税などはあるだろうが、ダンロード家の領地運営には支障無い範囲になるに違いない。
「時に失礼なことを聞くが……君は没落貴族だったという事は、その歳で縁談の話も無かったのではないか?」
「……そもそもベラルタに出てくるまでどこの貴族とも関係すら無かったですね」
普通は、たとえ下級貴族であっても貴族の子供には少なからず縁談の話があるものである(ニードロス家であるベネッタにすらある)。
そこには様々な思惑はあるが、基本的には家同士の繋がりを強固にするためのものだ。
没落貴族であるロードピス家は領地どころか事業も失敗して金も無く、繋がりを持とうとする貴族が皆無であったためにエルミラは貴族の血筋でありながらそういった普通の話とは無縁であった。
「いや、馬鹿にしているわけではないのだ。君がよければだが……どうだね、うちの次男と会ってみる気は無いか?」
「え」
「勘違いしないでほしいが、これは四大の地位を利用した脅迫などではない。恐らく君が当主になった暁にはロードピス家が復興するだろう。とはいえ、最初は慣れぬ仕事ゆえに難しいはず。今回の礼にしばらくはこのダンロード家が君のバックにつこうというわけだ。君に領地運営の才があれば、ダンロード家にも少なからずメリットがある」
没落貴族であり、他家との繋がりなど一切無かったエルミラに突如訪れたダンロード家との繋がりを持てるチャンス。
普通の貴族なら断るはずもない。マナリルの四大貴族ダンロード家とのパイプなど、マナリルのどの貴族でも喉から手が出るほど欲しいものだ。
「ありがたい提案ですけど……ごめんなさい」
だが、エルミラは迷うことなくディーマからの提案を断った。
その瞳には少女らしからぬ強い自信と少女らしい微笑ましい欲望がある。
「私、好きな人いるので」
エルミラが欲しいのは高名な貴族とのパイプではなく、自分が隣にいたい人。
もう自分が何をするべきかを、エルミラは決めていた。
「それはそれは……さぞかしいい男なのであろうな」
「ええ。ま、私と同じくらいですかね」
「はっはっは! 違いない! ではな。君に会えてよかった。縁談とは別に、困った事があればこのディーマを頼るといい。南部を救ってくれた君であれば、ダンロードの庭すら無視して迎え入れよう。またいつか、我輩の領地に訪れてくれたまえ」
「勿論です」
ディーマはそう言って手を差し出す。
エルミラがその手を握ると、ディーマはがっしりと握り返した。
その握手に、最大限の感謝を込めるかのように。
いつも読んでくださってありがとうございます。
エピローグ後は番外を投稿してから、予告がてら第七部のプロローグを投稿致します。




