435.灰姫はここにいる6
『恵まれている……恵まれている?』
空で翻りながらトヨヒメは呟く。
トヨヒメの生い立ちを聞いた上で語るその声が逆上させたか。
『恵まれているのはこのトヨヒメも同じ! ファフ様と出会えた幸運! 比類なき御力! 包み込む愛! ただ一撃を防いだくらいで図に乗るのですか!』
だが、トヨヒメが吐き出す言葉はむしろ逆だった。
生まれや生い立ちなど彼女にとってはどうでもいい。ただファフニールと出会えたことこそがトヨヒメ自身の幸運であり、人生そのもの。
エルミラの言葉に声を荒げたのは、ファフニールの力を侮辱されたと感じたからに過ぎない。
『先程まで絶望していたその顔で!!』
その咆哮に魔力が乗る。
空気を震わす声が中庭に響き渡り、びりびりと皮膚を刺す。
空中から爪を向けて降り立つトヨヒメ。
龍の力と混じったとはいえ翼は無く、飛行しているわけではない。それでも、まるで空を蹴ったかのような速度でトヨヒメはエルミラに迫る。
「さっきの話でしょうよ!!」
地面を蹴り、エルミラは回避を選択する。
エルミラが立っていた場所にトヨヒメの龍の爪が突き立てられ、中庭の石畳を粉々に砕いた。
獣のような姿勢。表情は復讐の為に生きた人間のまま。
最後の敵に牙を剥く。
『トヨヒメの復讐を邪魔しないでください! 偶然いただけのあなたが!!』
お前ごときが前に立つなとトヨヒメは絶叫する。
紫の鱗を纏った腕を振るいながら。
「なめたこと言ってんじゃないわよ! 私の大事なやつを狙っといて!!」
怒りに震えながらエルミラは告白する。
炎と化した腕に灰を纏わせ、迎撃しながら。
『あっづ――!』
「う、ぎ――!」
エルミラには怪力による衝撃が、トヨヒメには炎によって力が焼かれる嫌な痛みが。
灰の爆発は二人の表情ごと痛みを呑み込んでいく。
何度目かの爆発か。爆炎の中戦う二人を周囲はもう見守ることしかできない。
通常の魔法で手出ししたところで……いや、自分達の使う中途半端な血統魔法でも意味の無い領域に二人はいるのだとローチェントの生徒達は悟っていた。
「何が愛だ! こちとら恋よ!! 邪魔の一つや二つしてやるわ!!」
『トヨヒメとファフ様の愛と同列に語るというのですか……!』
爆炎の中、"現実への影響力"を存分に使った殴り合い。
爆炎の中に隠れる叫びには感情が乗っている。
「ハッ――! 確かに私が惹かれた理由なんて普通よ! 私を逃がす背中がかっこよかったから! 私だけに見せる弱さに彼らしさを見たから! 後は私のことよくわかってくれてるし、まぁ、いつも一緒にいて居心地いい……し!!」
『っつ――!』
エルミラは赤裸々に語りながらも、灰の爆発が巻き起こす爆炎の中にエルミラ自身の炎を混ぜる。
防げる爆炎に混ざる赤い魔力光をした炎を浴びて、トヨヒメは表情を歪ませた。
「"炸裂"!!」
声と共にさらに加速する爆風。
花壇やその周囲にあったベンチの原型はとっくにない。二人が戦い続ける中庭は世界の終わりのようだ。
地中から立ち上る霊脈の光は星の爆発にすら見える。
爆風に乗って勢いをつけたエルミラの炎の蹴りがトヨヒメの腕を捉えた。
ファフニールの力が削られる感触に不快感を覚え、トヨヒメは抵抗を試みるがエルミラの勢いは止まらない。
「そんなもんよ! 悪い!? でもね! あんたを止める理由なんてそれで充分でしょうが! 私のいたい場所を好き勝手壊そうとしやがって! 何が同列に語るなだ! あんたの愛のほうが上みたいな言い方するんじゃない!!」
爆炎の中を突っ切る灰のドレス。
轟音に混じってヒールの鳴る音がする。
存在そのものをこの空間に刻み込むかのように。
荒野のようになってしまった中庭を駆け、
「普通だってね! 夢も見れば恋もする! 無謀でも追いかけたくなるものくらいできるのよ!!」
普通を謳いながら、少女は怪物に拳を叩きこむ――!
『こ、の――! あなたもか、あなたもトヨヒメの愛を否定するのですか!!』
「相容れないって言ってんのよ!!」
『元よりファフ様以外の理解などいりません!!』
「ぁ――ぎ――!」
拳に腕の鱗を焼かれながら、トヨヒメはエルミラの体に尾を叩きつける。
エルミラは灰の爆発で威力を軽減するが、先程の傷がやはり響く。
踏ん張ろうとするも上手く力が入らず、エルミラは爆炎の外へと弾き飛ばされた。
灰のドレスを舞う炎が宙を舞う。
「それに、あん……た……! びびってるでしょ……?」
『なに……を……』
吹き飛びながら悲しそうに呟くエルミラの表情が、トヨヒメの目に焼き付いた。
空中で体を踊るように回転させて、エルミラは勢いを殺しながら着地する。叩きつけられた部分には当然、激痛が走っているが……これだけは言わせてもらうと口を開いた。
「色んなものに後押しされた私が偉そうに言えた口じゃないけどさ……あんたは多分びびってる」
何を言っているの、とトヨヒメは絶句した。
怯えるのは自分以外だ。ファフ様以外の生命だ。ファフ様を宿した自分以外だ。
何故自分が怯えなければならないのかと。
「だから、ルクスをこんな形で狙ったんでしょ……?」
『何を、言うかと思えば』
カトコを殺した報復を恐れたということか。
断じて、それは有り得ない。
笑い飛ばしてやろうとトヨヒメが口角を上げかけた。
「あんたのやることが……目的が無くなっちゃうから」
『――――』
あまりにも予想外な言葉に上がりかかった口角が元に戻る。
エルミラは悲しそうな表情のまま続けた。
「殺すだけなら、こんな手段とらなくたっていい。この魔法生命の力なら、やろうと思えばいくらでも苦しめられる。ただの復讐なら……今日まで待つ必要なんて本当は無かったはずだもの」
『知った口を――!』
「わかるよ。あんたと私は、真逆だ」
理想という先だけを見ていたエルミラ。復讐という過去だけを見ていたトヨヒメ。
誰かに輝きを見ながらずっと、自分自身と周りが見えていない者同士。
シャロンに助けられて、先だけじゃないものを見るようになって初めて、エルミラはその事に気付いた。
こいつはアルムじゃなくて、私に似ているんだ。
「復讐が終わったら……自分に何も無いと実感するのが恐かった。あんたにとって魔法生命は色んなものの拠り所で全てだったから。家を捨てて、故郷を捨てて、復讐したい相手も殺して……全部終わった時、自分がいる価値がわからなくるのが恐かったから……こんな遠回りな手段でルクスを狙ったんでしょ?」
『――違う』
声に、脅威が乗っていない。
トヨヒメは何かを思い出しているようだった。
「復讐の間だけは、魔法生命のためにって自分の価値を実感できたから」
『……違う』
か細く、幼さが見える女性の声。
まるで思い出した時にまで遡ったようだ。
「恐いわよね。自分自身に何の意味も無いのかもって考えるの」
『違う』
声が戻る。
拒絶に満ちた声が、トヨヒメに踏み込もうとするエルミラを否定する。
瞳に宿る黒い輝きが、一層強まった。
『復讐が終わることなどありません。意味ならあります。価値ならあります。この身はファフニール様がこの世界に生きた証を宿す者。ファフニール様のために生きる命。トヨヒメが生き続ける限り……アオイに関わった全てを呪いで埋め尽くす! ルクス・オルリックが終われば次は父親を! その次はあの女と家族が住んでいた東部を呪詛で埋め尽くす! そしていずれは、ファフニール様が成し得なかった神の座にこの力を届かせる!!』
トヨヒメの声は絞り出す悲鳴のようだった。
トヨヒメにはファフニールしかいない。だからこそ、十歳という歳で国を捨てた。この地で反魔法組織を統べていた。復讐のために生き続けた。
この絶対の信仰こそが、核も無しに魔法生命の力を宿し続ける理由。
たとえエルミラの言葉が一瞬心を揺らしたように見えても、それはきっとエルミラの言葉ではないだろう。彼女が信じる魔法生命の言葉に似通った言葉があったから、耳を傾けていたのかもしれない。
『このトヨヒメを惑わそうとした所でルクス・オルリックの死は決まっている! あなたが声と力でどれだけ邪魔をしようと……トヨヒメが生きている限り復讐が止まることはない!! ファフ様のため! トヨヒメのため!! この恨みに賭けて……アオイの血筋を一片たりともこの世界に残させるわけにはいきません!! そして……トヨヒメを邪魔するあなたの命も!!』
トヨヒメの口の先に魔力が集中する。
先程も放ったトヨヒメが使える最大の呪法。龍人と化して初めて使える大技。
最後の敵であるエルミラに向けて放つ為に、込められるだけの魔力をトヨヒメは込めた。
「決まってなんかいない! 私がここにいる限り!!」
空に舞い上がった灰が炎と化したエルミラへと集まっていく。
恐らくは、次に放たれる互いの力が最後の衝突。
これ以上無いほど単純な存在証明。
小細工などもう無意味。ただ互いが持てる力をもって自分自身を敵にぶつける。
敵の消失だけが、彼女達にとっての決着だった。




