434.灰姫はここにいる5
「早くエルミラとファニアさんと合流しないとー!」
「ああ、クエンティがここで行動を起こしてるという事は少なからず他の場所で動きがあるはずだ。あっちはコルトゥンからの証言もあってもっとわかっているかもしれない」
イプセ劇場での激闘が終わった後、ベネッタは劇場の外の廊下を慌てて走る。
その後ろにはクエンティを背負って続くアルム。
幸い、クエンティに着せるものはドレスルームに大量にあったので困らなかった。
「その人……拘束しなくて大丈夫?」
「わからん。だが、もう敵意はないだろう。あんなことがあった後だしな」
クエンティはアルムの胸でひとしきり泣いた後、精神によほどの負荷がかかっていたのかそのまま気絶した。
最後の様子を見るに、恐らくもう敵対する気はないだろうとほとんど拘束せずにアルムが背負っている。
本来なら、今回の事件の実行犯の一人であるため全身を拘束してもいいくらいなのだが……先程まで恐怖に蝕まれていた様子を目の当たりにしているのもあり、アルムもベネッタも過度な拘束をする気にはなれなかった。
「ボク達多分甘いよねー、怒られるかなー……」
「はは、その時は一緒に怒られよう」
「その時はアルムくんのせいにしちゃうからねー!」
などと言いつつ……いざ本当にその状況になれば互いにかばい合う構図が目に浮かぶようだ。
二人はそんな雑談をしながら無人のイプセ劇場を駆け抜け、外へ繋がる扉をベネッタは勢いよく開けた。
「なんにせよファニアさんの指示をもらわないとー! 今どの辺……」
イプセ劇場から外に出ると、ベネッタの視線はローチェント魔法学院の方角へと向けられた。
その目は段々と見開いていく。
「どうした? ベネッタ……?」
クエンティを背負って劇場を出たアルムもまた、ローチェント魔法学院のほうへと目を向ける。
「あ……」
ここから見てもローチェント魔法学院がどうなっているかなど遠すぎてわからない。
けれど、たとえ姿が見えなくても何かが起こっているのは明白だ。
「空に……黒色と灰色が昇ってる……」
「これは……! 鬼胎属性の魔力と……」
視線の先には空に舞い上がる灰色の嵐。そして黒く染まる魔力の渦。
きっと、自分達が戦っている間に向こうも戦っているのだろう。
黒く染まった魔力は間違いなく鬼胎属性の魔力。そしてその規模から魔法生命と想像するのは難くない。
そして、もう敵対するように舞いあがる灰の使い手はもっと簡単だ。
二人がクエンティと戦っている間に、あちらでもすでに魔法生命との戦いは始まっている。
「頑張ってるんだ……! もう……!」
一体誰が?
そんなのはわかりきったこと。
灰の魔法に、魔法生命と渡り合える誰かとくれば一人だけ。
ベネッタは大きく息を吸った。
どれだけ大声で叫んでも、届かないかもしれない距離。
けれど、そんなことは関係ない。届くわけないと誰かが馬鹿にしたとしても、彼女に届くと信じている。
きっと、必死だ。
きっと、頑張ってる。
いつだってそういう人だから。
だから届いて。ボクのエール。
どうかあの小さな背中を、ほんの少しでも押す力になれ――!
「いっけええええええええええ!! エルミラあああああ!!」
ベネッタは叫び、アルムはただ無言で走り出す。
思いきり叫んだベネッタも走り出すアルムを追いかけた。
果たして、ベネッタの声は届いたのか?
そんな野暮を聞くものなどいるはずがなかった。
『有り得ない! そんなことがあるはずが!!』
「有り得るからあんたの目の前にいるんでしょうよ!」
放たれた黒い魔力と灰の爆炎がぶつかり合う。
互いの"現実への影響力"が干渉し合い、空気を震わす。
「あんたが言ったんでしょ! 私が最後の敵だってことに意味があるとかなんとか!!」
エルミラから放たれる炎は中庭に蔓延する黒い霧を燃やし尽くし、灰へと変える。
恐怖を吸い上げ、この場を支配していたファフニールの魔力が必然薄まる。
だが、霊脈から立ち上る光は黒く染まったままだった。
エルミラの血統魔法は呪法にこそ届くものの、霊脈への干渉を可能にする"現実への影響力"は無い。
霊脈の支配権は依然としてトヨヒメとファフニールの力のもの。
トヨヒメを倒さなければ、エルミラはルクスを救えない。
「"炸裂"!」
『!!』
声と共に空中に設置した灰を爆発させる。
爆発の衝撃と爆炎がトヨヒメを襲うが、トヨヒメは寸前で横に飛び退いて回避した。
飛び退いた先の校舎の壁にトヨヒメの体が横に着地し、そのまま壁に龍の爪を喰い込ませたかと思うと、トヨヒメはそのまま壁面を駆け上がる。
魔法使いでも難しい出鱈目な身体能力だが、力そのものが出鱈目である魔法生命には造作も無い。
そのままトヨヒメは空中を舞った。
黒と灰の渦の中を。
差し込む日の光が映すシルエットは流麗で何処か艶やかに見える。
龍が、口を開いた。
『あなただけは、無事でいそうですが……他はどうでしょう?』
その瞳に憎しみの感情を抱きながら。
『【文明の侵蝕】』
トヨヒメの口先から放たれる無数の魔力の弾丸。
空から降り注ぐそれは雨のごとく。
先程まで使っていた龍の息よりも放つのが早く広範囲。そしてその一つ一つが生命を砕く"現実への影響力"を有している。
エルミラは勿論、いまだ中庭にいるしかない生徒達全員を狙った攻撃だった。
トヨヒメはすでになりふりを構っていない。
認めよう。エルミラは自らが敬愛し、崇めるファフニール様への対抗手段を手に入れた。自らを脅かす本当の敵となった。
ならば、勝利するために手段は選ばない。
この攻撃は、エルミラは絶対に全員を守ろうとする、という確信があればこそだった。
「こ、のおお!!」
エルミラもそれをわかっている。
トヨヒメはわざとローチェントの生徒達も狙っている。見捨てれば有利になるのは間違いない。
「だから……なんだってのよ!!」
エルミラは放たれた黒い魔力の塊を防ぐべく炎と灰を頭上に展開する。
相殺し切れない鬼胎属性の魔力がエルミラに届き、衝撃は受け止める体に行き渡る。
見捨てる選択肢などあるはずがない。
どれだけ不利になろうとも、自分自身を曲げないのが少女の生き方――!
「っぐ――!」
トヨヒメの攻撃の衝撃とは別に、ずきん、とエルミラの全身に痛みが走った。
元から……エルミラの血統魔法はそのコントロールすら難しく制御するのに精神を消耗する魔法。
急激に"現実への影響力"が上がればその負担も増える。頭に走った痛みは制御の反動。体に走る痛みはトヨヒメから受けたダメージ。
エルミラは自分を炎に変えたから動けているだけで、その体が治っているわけではない。二種の痛みがトヨヒメの攻撃を受け止めるエルミラの体を苦しめる。
(痛い……! 痛い……!)
恐い。
死ぬのが恐い。
鬼胎属性の魔力が、疲弊したエルミラの精神にここぞとばかりに声を届かせる。
ファフニールが食い殺した人間の悲鳴が耳の中でこだまする。
痛みが無くとも精神を擦り減らすような絶叫が響き、恐怖に引きずり込もうとする。
自身を誇った。覚悟を吠えた。
そんな心すらも鬼胎属性は無理矢理蝕む。
「え……?」
表情を歪ませるエルミラの体がふと、軽くなった気がした。
耳に響く怨嗟の声がほんの少しだけ薄くなる。
何処からか、知っている声のようなものが聞こえてきた気がして。
気のせいかな、とエルミラは体中に痛みが走る中笑った。
「気のせいじゃないってことにしとこ」
エルミラは笑ったまま、トヨヒメが放った龍の息を防ぎきる。
体中の苦痛よりも、背中を押された感覚だけがエルミラに強く残り続けていた。
『ファフ様の恵みの雨を――!』
「結構よ。私はもう、これ以上無いほど恵まれてる」




