428.トヨヒメ3
その後、どうやってハルソノ家に戻ったかは覚えていませんでした。
話によればアオイとカトコは大嶽丸様との戦いで敗走し、無事クダラノ家への反乱は抑えられたそうです。
反乱に加担した魔法使い達は、アオイとカトコを含めすでに常世ノ国から逃亡したと聞かされました。
「……」
トヨヒメはまた一人で自分の部屋に閉じこもるようになりました。
ファフ様のいらっしゃらない部屋はとても殺風景で……窓から好きだった桜並木を見る気にすらなれませんでした。
そんな時、部屋の外からお父様方の声が聞こえて来たのです。
「結局実験体としてトヨヒメを提供したのは無駄でしたわね、お兄様」
「本当にな。少しはハルソノ家の役に立ってほしいものだよ……クダラノ家が贔屓にしているコノエの魔法とやらも大したことはないようだ」
「使えない者に宿る魔法も使えなかったというわけだ。全く笑えない話だな」
「どういう意味ですか……お父様……」
たまらずトヨヒメは部屋を出ていました。
部屋を出た廊下の先にはお父様とお兄様、そしてお姉様がお話をしていました。
トヨヒメの姿を見ると、泥に塗れた死骸でも見るかのような目でトヨヒメを見つめてきます。しかし……トヨヒメにとってはその目よりも聞こえて来た会話のほうが聞き捨てなりませんでした。
「塞ぎ込んでいたかと思えば聞き耳を立てていたのか? 卑しいやつだ。お前は――」
「トヨヒメの質問にお答えくださいお父様……今のお話はどういう意味ですか……」
「どの口が……まぁ、いい。面倒だ。そのままの意味だとも。今回の反乱で貴様が力を示していれば、ハルソノ家がクダラノ家に取り入る機会を作れたかもしれないというのに、貴様はあろうことか敗北した。結局反乱を止めたのも別の者というではないか。貴様に植え付けられた魔法はコノエの話では一国すら掌握できるとのことだったが、結果を見ればこの様。情けなく常世ノ国から逃げていくような奴等すら止められない欠陥実験というわけだ。お前のような使えない人間に使えない魔法が宿った。全くもって無駄な二年だったろう? 笑えない冗談だろうが」
お父様が本気で仰っているのか、冗談を仰っているのかもしれないとトヨヒメは続きを待ちました。
ですが、お父様は無言のまま。お兄様は蔑む目をしていて、お姉様はにやにやと笑うばかり。
トヨヒメはその時、涙を流しながら……ファフ様が仰られたあの御言葉を思い出したのです。
『この洞窟に、君が守るべき財宝は無いだろう?』
ああ、その通りでした。
ファフ様はずっとトヨヒメに教えてくださっていたのです。
ここにはトヨヒメが守るべきものなど最初から無かったのだと。
もっと早く気付くべきでした。守るべきものがあったファフ様とは違い、トヨヒメはすぐにでもこの洞窟から飛び立つべきだったのだと。
……トヨヒメがそれに気付いた時でした。
ファフ様が殺されてから数日間、感じられなかったファフ様の魔力がトヨヒメの体を巡ったのです。
驚きこそしましたが、それ以上に嬉しかった。
トヨヒメを今やるべきことを後押しするようにトヨヒメの身体を魔力が包むと、トヨヒメはすぐにやるべきことを実行しました。
迷いなどあろうはずがありません。
ファフ様は亡くなられて尚――トヨヒメに力を貸してくださっているのだから!!
「ひ、ま、待て! 待……ぴぎっ!」
まずはお兄様の頭を潰しました。
トヨヒメのことをいつも殴ってくるお兄様の頭はとても簡単に引き裂けました。
トヨヒメを殴っていた時はとても大きく見えていましたが、実際はちっぽけでトヨヒメが引っ掻くだけで飛んでいってしまうただの鞠のようでした。
「ト、ト、トヨヒメ……! 違うの! 私はお父様なんて……いや! いぎゃああああ!」
次にお姉様の体を焼きました。
トヨヒメの食事にお腹の調子を悪くする薬を入れたり、針を入れたりしていたお姉様の体は簡単に焼けました。
焼き魚のように美味しそうな焼き色ではありません。紫の煙をあげるその体に美貌など欠片もありませんでした。
「トヨヒメ……! わ、私はお前の父だぞ! 父ぼぎ……! あ、かっ……! ぎゃああああああ!?」
次に、お父様にどちらもしました。
すぐに殺すのでは気が済まず、体を焼きながらゆっくりと肉を削いであげました。
時折見かけるお父様はとても大きな存在で、ハルソノ家の当主である偉大な御方だと思っていました。
しかし、それはただのトヨヒメの思い込みで、お父様は今まで蔑んでいたはずのトヨヒメに泣きながら命乞いをするような、特に大きくもないただ醜いだけの人間だったのです。
恐れる必要も敬う必要も無かったのだと、死んでいくお父様の悲鳴を聞きながら知りました。
人と人は実際に関わらなければ本質などわからないのだと、トヨヒメはその時に学んだのです。
盲目にハルソノ家を信じていたトヨヒメの目を……ファフ様が晴れさせてくださったのです。
『ファフ様……見ていてくださいましたか……!』
こんな人の形をした燃えカスよりも、あなたをお父様とお呼びしたかった。
もう出来ない願いを胸に抱きながら、天を仰ぎました。
そして次にやることは明白でした。
『次はあなたを殺したあの汚れた女……アオイとカトコの二人を殺して御覧にいれます! トヨヒメが一人でもやれるということをどうか見ていてください! ファフ様が安心してそちらで過ごせるようにトヨヒメはきっとやり遂げます!!』
そしてトヨヒメは、二人を追いかけてマナリルに辿り着きました。
『それから二十年……トヨヒメは自分がやり残している事を片付けるためにマナリルでの日々を過ごしました。トヨヒメの大切な御方であるファフ様を殺したアオイとカトコ……ファフ様を殺したこの世で最も醜い二人への復讐のために』
トヨヒメはものの数分ほどで、常世ノ国での出来事を語り終える。
過去を語ったものの、常世ノ国から出国した後の出来事は全て復讐という単語一つで片付けて済ませていた。
まるで、常世ノ国で魔法生命と過ごした二年間だけが彼女……トヨヒメ・ハルソノを形成しているかのように。
「あんたも……」
『はい?』
「いや……あんたとあいつは違う……」
アルムに、似ている。
一瞬思い浮かんだそれを否定するように、エルミラは頭を振った。
似ているのは魔法生命が彼らの人生そのものに影響を与えているということだけ。
こいつと自分の友人では、その在り方があまりに違いすぎると。
「なら……あんたの目的ってもう終わってるんじゃないの? ルクスのお母さんはもう亡くなってるし、カトコって人はあんたが殺ったんでしょ?」
『終わっていませんよ』
その瞳と声は亡者の怨念のように憎悪に満ちていた。
ローチェント魔法学院に広がる鬼胎属性の霧が濃くなっていく。
『確かに、カトコへの復讐は終わりました……ですが、アオイへの復讐はまだ終わっておりません』
「どういう……亡くなった人にどう復讐するっていうのよ?」
『簡単なことじゃないですか。死んでしまっては自分がいたい場所も、守りたい誰かも守れない。もう死んでしまったあの女にとって最も屈辱的であの世で泣き叫びそうな方法は、一番大切であろう血縁を惨たらしく殺すことだとヨヒメは思っています。つまり……』
依然として黒く輝き続ける霊脈の光に、トヨヒメは振り向いた。
『トヨヒメの目的はルクス・オルリックの呪殺です』
「…………は……?」
微笑むトヨヒメの横顔を見て、エルミラの思考が一瞬止まった。
こいつ今何て言った?
『こうしてお話している間も……あの男がどんどん弱っていくのが伝わってきて……にやけるのを我慢しておりました。ファフ様の呪詛に勝てるわけがないというのに、必死に抵抗しているんですよ? いけませんね、いよいよトヨヒメの復讐が果たせるかと思うと、どうしても表情が緩んでしまいます』
龍人という人と龍の混じった異形の姿になってはいるが、その表情も人格もトヨヒメそのもの。
トヨヒメはうっとりとした表情で禍々しい光を見つめている。呪詛を送った先にある苦しみを心底の悦びにして、笑っている。
「待ち、なさいよ……ずっと……?」
『はい、ずっとですよ? 鬼胎属性の魔力を流し込むことそのものが呪詛になることはご存知でしょう? 常世ノ国はマナリルと違い、霊脈への研究が盛んですから。霊脈に多少干渉できる地属性魔法の家系も生まれており、ハルソノ家はその家系の一つです。下準備こそ必要ですが……ファフ様の御力を持っているトヨヒメならば、この南部からベラルタにいる人間に呪詛を送る離れ業も可能なのです。尤も……呪詛を送り続ける間はあまり離れられませんが』
時間稼ぎとしてトヨヒメに喋らせていた間もルクスが苦しんでいた事実が、エルミラの心に圧し掛かる。
トヨヒメがわざわざエルミラの時間稼ぎに乗ったのはトヨヒメにとっては特に損の無い時間だったから。
エルミラの唇がわなわなと震え、怒りが沸騰し始める。トヨヒメへの。そして自分への怒りが。
「ルクスは……関係ないじゃない……」
『関係ありますよ。この世界に残るアオイの直系……あの女の血はルクス・オルリックを殺さなければ途絶えない。そして何より、アオイが生きていれば一番大切なものであり、何よりもいたい居場所でしょう……その居場所であるルクス・オルリックを最も苦しめて殺してこそ、トヨヒメの復讐は果たせるのです』
ルクスが……死ぬ? 殺される? 何で?
混乱と動揺、そして怒りがエルミラの頭の中の疑問を加速させる。
あいつはいい奴だ。自分の芯を持っていて、友達思いで、強くて、でもたまに弱音をはいちゃう……そんな普通のいい奴で、ちょっと気になる私の友達。
「あいつが……死ぬ……?」
嫌だと喚く心がエルミラの身体を突き動かす。
ふざけんなという怒りがエルミラの魔力を加速させる。
『あの世からあの汚れた女どもの絶叫が聞こえるようです……死んだあの二人にはなんにも出来ない。ファフ様を失った時のトヨヒメの悲しみの一欠片でも、あの二人には味わっていただきたいものです』
「ふざけんな……! やらせない……! 絶対にやらせない!!」
吠えたところで何も無い自分に何が出来る?
いや、何が出来るかどうかじゃない。これだけはやらなきゃいけない。
目の前の敵がどれだけ強いかなんて関係ない。今友達を助けられるのは自分しかいないのだから。
『吠えても無駄ですよ。もうトヨヒメからルクス・オルリックを守れる人間はいません。ファフ様の呪法で存分に苦しんでから死んで頂きますとも』
「ここにいる! あんたをぶっ潰すエルミラ・ロードピスって女が!!」
いつも読んでくださってありがとうございます。
次の更新で一区切りとなります。よろしくお願いします。




