427.トヨヒメ2
「ファフ様は何故財宝を集めるようになられたのですか?」
ファフ様を宿して一年経った頃、トヨヒメはふと気になった事を聞きました。
異界でファフ様が財宝を守っていたことは聞いておりましたが……何故それほどまでに財宝をお集めになっていたのかをお聞きしたことが無かったのです。
ファフ様は思案するような声をあげました。聞いてはいけないことを聞いてしまったのかとトヨヒメは不安でしたが、ファフ様は話してくださいました。
『人間が醜いからだ』
それはトヨヒメも同意見でしたが、財宝を集める理由なのだろうかと首を傾げていると、ファフ様は何故それが財宝を集める理由足り得るのかをトヨヒメに聞かせてくださいました。
『人間は宝石や黄金の価値を自分達の社会……つまり、人間が生み出した人間だけの価値である金銭に置き換えて評価する。いや、そうとしか見れぬ曇った眼しか持っておらぬ。それは、冒涜だ。宝石や黄金が本来持っている美の価値が、人間が理解できる所まで不当に貶められてしまう。己にはそれが許せなかった。己がしていた財宝の貯蔵を人間共は悪しき欲望のように語っていたが……そう語る人間の瞳には財宝ではなく財宝を使って手に入れる地位しか見えていなかった。言い訳などせず、己がいた洞窟にただ財宝を求めに来た連中のほうがよほど欲に正直で好感を持っていたよ』
トヨヒメの体にファフ様の怒りが伝わってきました。
ファフ様がここまで感情を乗せてお話するのは珍しく、ファフ様の距離が近くなったようで嬉しかったのです。
それに、トヨヒメと同じよう人間を醜いと思っているという点に恐れ多くも共感させて頂いたことも喜びでした。
…………財宝の価値についてはよくわかりませんでしたが。
「申し訳ありませんファフ様。浅学の身でして、ファフ様にとっての財宝をお話を理解することができませんでした……お怒りは伝わってきたのですが……」
『君は幼い。そして君は人間で己はドラゴン……龍だ。理解できなくて当然だろう』
またお気遣い頂いたことにトヨヒメが申し訳なく思っていると、ファフ様は宝箱を開けた時のような声で何かを思い出しておりました。
『ああ……そうだな……。今でも鮮明に思い出せる。己を殺したあの者だけは、善性に溢れていた』
「ファフ様を……殺した人……」
口にするだけで胸の奥がきゅっとなりました。
ファフ様が何故このような穏やかな声をしていらっしゃるのかも……わかりませんでした。
『醜い悪性も無く、己の財宝に対する欲も無く……ただ人の世のために己の敵となったかのような男だった。その者と語らいながら殺し合った時間は純粋でいながら鮮烈で、そして輝いていた。あの男こそ己と相対するに相応しい英傑。己の財宝も力も奪うに相応しい者だった』
「ファフ様……」
『その者の死は悲劇であったようだが……何とも、勿体ないことだ……』
ファフ様は自分を殺した相手の事を話しているはずなのに、その御方の死を嘆いているようでした。
自分を殺した相手も認めるその器の大きさは流石と言う他ありません。
『ふむ、己が財宝を集めたことといい、洞窟に籠っていたことといい、己ばかり語ってしまっているな。己としてはトヨヒメの話も聞きたいものだ』
「と、トヨヒメのお話でございますか!? トヨヒメのお話などつまらないものばかりです!」
『つまらないかどうかを判断するのは君ではなく己だ。己だけ話すのは不公平というものだろう?』
「そ、それはそうかもしれませんが……」
『話してくれたまえ。たまには己が聞き手に回ってもよいだろう?』
「本当に、つまらないお話になってしまいますからね……?」
トヨヒメは自分の人生についてお話しました。
ですが、語れることは多くありません。
トヨヒメはハルソノ家にとっての生贄と言われております。生まれてから礼儀作法だけを叩きこまれ、主王からの魔法実験の協力要請の際に差し出すために作られた子。
亡くなられたお母様もトヨヒメと同じだったそうです。お母様が亡くなられた際に、お母様の着物だけがトヨヒメに遺されて、同時にトヨヒメがそのお役目を引き継ぎました。
ハルソノ家はこうして生贄を一人用意し続けることで、繁栄していったのだそうです。お父様がそう仰っておりました。
ご家族は三人いらっしゃいます。ほとんどお話したことはありません。
お父様は引き継ぎ以来トヨヒメを無視し、お兄様もお姉様はトヨヒメをぶったり意地悪をしたりしますが、それはトヨヒメが今代の生贄であるということを自覚させるために仕方のないこと。要請があるまでじっと閉じこもっているのがトヨヒメのお役目なのです。
このような経歴ゆえ常世ノ国という自分が生まれた国のことすらほとんど知らず、ファフ様をこの身に植え付ける際に研究所に出向いた時はとても喜んでいたこと。ファフ様とお会いできるきっかけでもあり、あの日がトヨヒメの人生の転機でした、と最後にお話するとトヨヒメが話せる事はもう終わってしまいました。
「あ……もう……話し終えてしまいました……」
今年九歳になるトヨヒメの人生は言葉にしてしまうと何と短いことか。
普段ファフ様が一日お話する時間の半分も経っていませんでした。
『なるほど、君はずっとこの家に閉じこもる人生しか送ってこなかったということか……』
ファフ様は何を言うまでも無く何かに納得されているようでした。
つまらないお話を聞かせてしまったことが恥ずかしくなってしまい、誤魔化すように話題を探しました。
「ふぁ、ファフ様も洞窟に閉じこもっておられたのですよね?」
『ああ、そうだ。人生の半分ほどはそうしていたな』
「洞窟と家……場所は違えど閉じこもっていたトヨヒメとファフ様は少し似ているかもしれませんね。トヨヒメが宿主に選ばれたのもそういった共通点なのでしょうか?」
トヨヒメが軽い気持ちでそう言うと、
『む? いやそれは違うだろう』
いつもは優しく答えてくれるファフ様が即座に否定されたのです。
突き放すような否定の声に、トヨヒメは一瞬言葉を失ってしまいました。
『己は自身の財宝を守るために閉じこもったのだ。だが、君は君のお父様に言われて閉じこもっているだけ。状況が似ているだけで、その中身は全くの別物だ。意思無き行動には芯も生まれぬ。君がここに居続けるのが君の意志だとは思えないが』
「と、トヨヒメは……お役目のために……」
『それは自分の意志か? 君が兄と呼ぶあの男に殴られるのも、姉と呼ぶあの女に嫌がらせされるのも君の意志ゆえの許容か? 己に流れ込んでくる君の感情にはそんな気配は無かったが』
自分の意志、とファフ様は仰いました。とても大切なお言葉のようでした。
自分の意志のはずです。トヨヒメはハルソノ家の子で、ハルソノ家のために生まれてきた子なのですから。
『血筋の保全か。そこに誇りがあれば自分の意志だろうがな。己は己の意志で財宝を守り続けた。その生の執着が敗北と死であったとしても、間違いは決して無い。さてトヨヒメ、もう一度問おう。君と己は似ているか?』
トヨヒメは……お答えすることができませんでした。
『この洞窟に、君が守るべき財宝はないだろう?』
そのお言葉は深く、深くトヨヒメの心に残りました。
今まで頂いたお言葉の中で最も厳しく、最も突き放すようで、それでいて最もお優しいお言葉。
ですが、そんなお言葉をくれる御方との幸せは、お会いしてから二年ほどで終わってしまったのです。
「何故……何故なのですか……!」
研究成果の報告としてトヨヒメがクダラノ家を訪れた際、突如クダラノ家を襲う反逆者が出たのです。
その反逆者は……トヨヒメが生涯で美しいと思った御方の一人でした。
「何故あなたがこのような……! アオイ様!!」
「トヨヒメさん……」
ファフ様の御力が偉大でもその力の器となっているトヨヒメは未熟者……当時まだ十歳だった自分は、アオイとカトコを中心に構成された反勢力達の攻撃にファフ様の御力を十分に振るうことが出来ず、ヤマシロ家の"鳴神"によってファフ様の核は破壊されました。
「その力はいずれ常世ノ国に災いを及ぼします……今断たねば常世ノ国の未来はありません」
アオイは……この女は何を言っているのだろうとトヨヒメは混乱しておりました。
常世ノ国の未来? 何を言っているのだろう? トヨヒメはこれからもファフ様との未来を夢見ているというのに。
この世で最も美しいと思っていたその方もやはり……トヨヒメを否定する醜い方だったのです。
『ここまでか』
「ファフ様……! ファフ様……!」
『己ともあろう者が何もできぬとはな……異界といえど、人がいれば英傑の器も生まれるか……』
宿主である自分はファフ様のカタチが自分の中で消えていくのがこれ以上無いほど明瞭に感じ取っていました。
それが悲しくて、とても悲しくて、周りにはアオイやカトコを含めた魔法使い達がまだいるというのにその場に崩れ落ちてしまいました。
「ファフ様……! いや、いやです……!」
『短い間だったが世話になったなトヨヒメ。このファフニールもここまでのようだ』
「そんな、いや……! 行が、行かないでぐだざいませ!!」
泣きじゃくるトヨヒメにファフ様は最後まで声を掛けてくださいました。
死の間際までファフ様はファフ様のままでした。
『さらばだトヨヒメ。君がいつか、君だけの財宝を見つけることを願っている』
そして、最後までトヨヒメの事を気遣りながら、お亡くなりになられたのです。
「ファフ様……! おごえを……! お声を、お聞かせくだざい……!」
声が聞こえなくなって、トヨヒメは何度も呼び掛けました。幾度呼び掛けても、返ってくる言葉はありませんでした。
周りの様子など気にせぬまま、ファフ様をずっとずっと呼び続けても……ファフ様の威厳あるお声はもう聞けなくなっていたのです。
「トヨ……」
「アオイ様! 新手です! 百足と鬼が!!」
「研究所のほうは……!?」
「魔石に反応ありません! 敗走、したかと……!」
「っ……!」
失意の中、カトコの焦る声とアオイの驚く声が微かに聞こえてきておりましたが……トヨヒメにとってはもうどうでもよいことでした。
「奇襲が成功してなおこの対応速度……! 甘かった……! どうやらここまでです……全員撤退を! 私が殿を務めます!」
「殿はこのカトコが! アオイ様はお逃げください! 先の魔法生命から受けた毒もあります! 手配してある船へお急ぎ下さい!」
「できません。今回の一件はヤマシロ家当主であるこのアオイ主導のもの……その責任を果たさねば! それに……もう遅いようです」
トヨヒメはお見掛けしませんでしたが、大百足様と大嶽丸様の御二方はすでに顕現された状態で到着されていたようで、アオイが率いる部隊は一気に混乱に陥ったようです。
『くかっ――! このいい女二人が敵の首魁とは! かっかっか! この大嶽丸の相手に相応しい!』
『なんと……ファフを殺すか……。であれば、儂は興が乗らぬな……大嶽、後は好きにするがよい』
「もう来たの……!? くっ……! 【炎冠波山】!」
「『招来・鳴神』!」
到着した大嶽丸様とアオイとカトコの戦いが始まりましたが、トヨヒメがそれを見ることはありませんでした。
「ファフ様……ファフ様……!」
トヨヒメはただ泣きじゃくるばかりでその場に座り続けておりました。
もう聞こえてこない声がいつものように聞こえてくるのを祈りながら。お名前をずっと呼んでいたのです。




