424.龍の遺産
「エル、ミラ……」
戦意を失ったファニアもその戦いを見つめて魔法戦は互角だという印象を受けた。
鬼胎属性の霧の中でも自分のパフォーマンスを保てるのは度重なる経験によるものだろう。その背中の何と頼もしいことか。
本当ならば、自分があの背中にならなければいけなかったのにとファニアは心苦しさで唇を噛む。
せめて他の事くらいはとファニアは自分の後ろにあるローチェント魔法学院の校舎を見た。
窓から中庭を見つめる生徒達はトヨヒメがエルミラの相手をしているチャンスにもかかわらず脱出しようとしていない。
いや……恐らくは脱出出来ないのだろう。
それほどに今学院の外に蔓延している黒い霧は生物の忌避感を煽っている。外に出てこれを浴びるくらいなら、と無意識に生徒達は逃げ出すことが出来ず、校舎は生徒を閉じ込める檻と化していた。
「す、すっげぇ……」
「どんなレベルだよ……」
そんなローチェントの生徒達は中庭で行われる自分達とはかけ離れたレベルの戦闘に釘付けとなっていた。
驚嘆は少なからず恐怖を誤魔化せる。それが自分達の味方の話題となれば尚更だ。
エルミラは年齢だけなら同世代。自分達と同じ年代でこんな戦いを繰り広げる人間がいるのかと目を見張る。
「あ、あの女……自分は大したことないみたいな事言いやがって……!」
エルミラと劇場で会話したこともあるモルグアもその戦闘を見て歯噛みしていた。
劇場で会話した時、エルミラは本気でモルグアの劣等感に共感していた。あの時の震える声が演技ではなかったことくらいモルグアにもわかる。
ベラルタに通っていても同じように劣等感を抱く人間がいるのかと少し安心したのだ。
「全然、俺なんかと違うじゃねえかよ……!」
だが、目の前で繰り広げられた戦いはエルミラが自分なんかよりも遥か高みにいるのだと、モルグアに理解させるには充分過ぎた。
あの女は自分のように上を嫉んでいるのではなく――憧れているんだ。
自分より先を行く者に手を伸ばしている。追い付こうと走っているんだと。
エルミラの小さな背中を見て悟るモルグアに、今度は苛立ちにも似た疑問が浮かぶ。
だとすれば、遠すぎる。
あれで劣等感を感じているというのなら、このエルミラという少女は一体……その目でどこを見続けているのか――?
「素晴らしい腕前でございますエルミラ様。ファフ様の御力と共に反魔法組織を壊滅させた魔法だったのですが……まさか一撃で破壊なされるとは、このトヨヒメお見事と言う他ありません」
「ハッ! 涼しい顔であんな魔法撃っておいて気持ち悪いお世辞言ってんじゃないわよ」
「お世辞ではありません。トヨヒメはどうやら、認識を変える必要があるようです。アルム様さえいなければてきとうに片付けられると思っておりましたから」
トヨヒメがアルムの名前を口にすると、エルミラは得意気なような、それでいて悔しさが混じったような複雑な表情を浮かべた。
「……へぇ、ちゃんとアルムは恐いのね」
「恐いとはまた違うのですが……色々な意味でお相手したくない御方なのです」
「……?」
不思議そうにしているエルミラをトヨヒメはじっと見た。
(まだ成人していないにも関わらずトヨヒメと魔法の腕はほぼ互角……。戦闘の押し引きも理解している上に鬼胎属性に慣れており、反応も早ければ視野も広い……これでカンパトーレの警戒リストにも入っていないとは……)
トヨヒメはエルミラの危険度を評価し直すと、イプセ劇場のほうをちらっと見た。
今頃はクエンティがアルムの足止めをしている手筈。
しかし、いくらクエンティの腕が優秀でも殺さずにいつまでも時間稼ぎできる相手ではないのはトヨヒメもわかっていた。
(アルム様から逃亡するためにもトヨヒメ自身の魔力を温存しておきたいですが、エルミラ様の力量を見るに温存しての勝利は困難……長期戦になる可能性が高い……)
先程の数手で想定したエルミラの腕と自分の腕を比較し、想定する。
だがどれだけ都合のいい想定をしても、トヨヒメには自分とエルミラが拮抗した戦いを繰り広げる未来しか見えない。
トヨヒメは次に黒く輝く霊脈の光に目をやった。
(ベラルタのほうも想像より抵抗が強いご様子……それに、途中からオルリック家の血統魔法からだけでなく、他の何者かによって妨害を受けている……)
そこまで考えて、トヨヒメは小さくため息をついた。
「何? 私が強すぎて怖気づいた?」
「いえ、自分の未熟さに嫌気が差しまして……トヨヒメなりに頑張ったつもりでしたが、やはり人生というのは中々上手くはいかないのですね」
何の話かとエルミラがトヨヒメの言葉を考えかけたその瞬間、トヨヒメは目を瞑ったかと思うと、見惚れるほど優雅な所作で合掌した。
「ああ、どうか……不出来なトヨヒメをお許しくださいませ」
トヨヒメは嘆きながら天を仰いで――その目を開いた。
「【異界伝承】」
空気が静止する。
思考は飛び。
呼吸を忘れて。
警戒していたエルミラが何も反応できないほどに唐突で、あまりに明瞭な殺害宣告。
天に捧げたその文言は異界の伝承をこの世にもたらす。
「【厄曲生誕神蝕邪龍】」
宿主の声をもって、魂亡き邪龍の存在がここに紡がれた。
それは一人の信仰と一体の伝承が繋ぎ止めた歪な記録。
魂と共に滅び、この世界から消えるはずだった力が今、宿主の体に舞い降りる。
「っ――!!」
変化を見届けるしか無かった。
儀式魔法によって立ち上っている霊脈の光よりも眩い魔力がトヨヒメを包む。
目にしたのは生命が別の生命へと変貌する過程だった。
パキパキ、と人の殻を破る音とともに、着物から伸びている手足と首元に紫色の鱗が浮き出ていく。
鱗に覆われた五指の先からは肉を引く裂く鋭利な爪。
頭部からは禍々しい二本の角が伸び、トヨヒメの紺色の髪と混ざって紫に輝き始める。
後ろの裾辺りから太い尻尾が姿を現し、最後に燃えるような魔力の光が瞳に宿ると変貌は完了した。
「こ、のホラ吹き女……何が魔法生命は死んだよ……! ふざけんな……!」
エルミラの全身から汗が噴き出す。
脳裏に浮かぶ死。死。死。
蔓延する黒い霧などままごとのようなもの。
目の前に現れた怪物の存在がその"現実への影響力"によってエルミラやファニア、ローチェントの生徒達の精神を急激に蝕み始める。
芽生えた希望も、戦意も、驚嘆も、恐怖に抵抗していたなけなしの感情全てが一瞬で塗り潰されていく。
少しだけ、エルミラは期待していた。本体が死んでいるのならいくら力が残っているとはいえ他の奴等よりはと。
しかし、そんな希望的観測がどれだけ無意味だったのかを目の前の存在は突きつけた。
『ファフ様……お呼び立てして申し訳ございません。どうかトヨヒメがそちらに行った暁には存分に罰を与えてくださいませ』
異形と化してなお美しいその姿のまま、トヨヒメは祈りを捧げていた。
現れたのは人間のカタチと龍のカタチが完璧に混じり合った龍人。
半人間そして半魔法生命。
それは鼓動する災害。
さあ跪け人間達。
屈しろ全ての生命よ。
最初の四柱が一つ毒邪龍の遺産を継ぐ者がここにいる。
『申し訳ございませんエルミラ様。ここでトヨヒメ自身の魔力をいたずらに削られるわけにはいかないのです。どうか速やかに死者になってくださいませ』
「こ、の……! トヨヒメ……!!」
睨みつけることしか出来ない。
その重圧は紛れもなく魔法生命そのもの。
先程までの戦況などもう何の意味も持たない。
『先程トヨヒメの人造人形を破壊した魔法……竜の息をモチーフになされていましたね』
「っ……! 『炎奏華』!!」
トヨヒメの声から寒気を感じ、エルミラは強化を唱える。
トヨヒメはくすりと笑ったかと思うと、ゆっくりと口を開けた。
恐怖が、毒が、呪いが、魔力となってトヨヒメの口の先に集中する――!
『餞別に教えて差し上げましょう。これが……本物の龍の息です』
「ちっ……! 『強化』!」
先程唱えた『炎熱魂』と合わせ、使い手の負担を無視した三重の強化をエルミラはかける。
みしみし、と体が悲鳴を上げるが関係ない。
度を越えた負担など自分の命を守れるなら必要経費だ。あの魔力の塊が直撃するより遥かにいい。
トヨヒメの口の先に溜まっているのは圧縮された魔力の塊。素人が見ても危険なのがわかる。まともな思考をしていれば躱すのが当然の選択肢。
トヨヒメに集中して放つタイミングさえ見計えば――
「い、いやぁ……」
後ろから恐怖におびえるか細い声が聞こえた。
そう、ここは決して無人の荒野などではない。
エルミラは肩越しに背後を見る。
(後ろに……校……舎……)
エルミラの背後にはローチェント魔法学院の校舎。
窓には鬼胎属性の魔力に恐怖し、動けなかった大勢の生徒達がいる。
外に蔓延していた黒い霧によって、校舎という檻に閉じ込められた生徒達が。
『【文明の落日】』
「【暴走舞踏灰姫】!!」
トヨヒメの圧縮された魔力が解放する直前、エルミラが唱える魔の合唱が響き渡る。
積み重なった記録は灰のドレスは編み上げるが、エルミラはそのドレスを着ることなく校舎を守る灰の盾として展開させた。
龍人となったトヨヒメの口から放たれる竜の息は灰の盾ごとエルミラの姿を呑み込み……灰のヒールが鳴る音は、魔力の奔流にかき消された。
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