421.相手は……?
「ファニアさん……!」
「ああ、君の予想通りだったなエルミラ」
イプセ劇場でアルム達が戦闘を始めたのと同時刻頃。
ローチェント魔法学院にエルミラとファニアの二人が到着した。
二人は無理矢理な到着で破壊した壁の奥から中庭へと出る。
「よくおわかりになりましたね……コルトゥンは呪法で直接的な情報は何も言えなかったはずでしたのに……」
「コルトゥンの発した断片的な情報からエルミラが予測した。後はディーマ殿からの通信があったからだよカトコ殿」
二人がローチェントに飛んできたのは何も偶然ではない。
コルトゥンから話を聞いたエルミラの予測と、話を聞いた直後にディーマからの通信が入ったからだった。
トヨヒメは少し驚いたようにわざとらしく口に手をあてる。
「まぁ……流石は四大貴族ダンロード家といったところでしょうか……あれだけしてお話する元気がまだあるとは予想外でした」
「いや……あなたの言う通り話せる状態では無かった……。通信用魔石から聞こえてくる言葉にもならないただならぬ声から異常事態を察しただけの話だ。後は……これだけ醜悪な光があれば気付く」
「確かに発動させてしまえば気付かれてもいいとは思っておりましたが……ここまで早いとは予想外でした」
中庭に降り立った二人はその空気に顏を顰める。
霧のように中庭に蔓延する鬼胎属性の魔力。そして花壇から発せられる黒い光。
どちらも霊脈で魔力濃度が高い時に起きたりする現象だが……霊脈だけでは黒い魔力光を発したりはしない。
魔法生命の力のせいかとエルミラは平気な顔で霧の中に立っている元凶を睨みつける。
「カトコ……あんた……!」
「その名前を使う意味ももうありませんので……改めてご挨拶させて頂きます」
そう言って、トヨヒメは二人に向けて深々と頭を下げた。
初めて二人に名乗った時と同じように。
「偽名を使っていた非礼をここにお詫びいたします。常世ノ国の貴族ハルソノ家の子女にして最初の四柱の一つファフニール様の元宿主トヨヒメ・ハルソノと申します」
「最初の四柱……!」
エルミラの脳裏に浮かぶは二体の魔法生命。
大百足と大嶽丸。どちらもエルミラにとっては印象深い魔法生命だった。
片方には恐怖で屈し、片方には圧倒的な力で捻じ伏せられた苦い記憶。
目の前の女性はそんな奴らと同格の魔法生命を宿しているということか。
「ん? 元……?」
「ええ、本来ならトヨヒメの口からご紹介させて頂きたい所なのですが……ファフニール様は二十年前の戦いでその核を失い、すでに天に召されてしまっております」
トヨヒメは悲痛の表情で顏を伏せる。
そんな嘘をつく理由も無いが、ならば解せない点がある。
「じゃあこの鬼胎属性の魔力はなんだっていうのよ?」
「よくぞお聞きくださいました!」
エルミラの問いに、トヨヒメは表情がぱぁ、と花が咲いたように明るくなる。
そんな明るい表情を見せるトヨヒメとは逆にエルミラの背筋には寒気が走った。
こうして今回の元凶だとわかって対峙しているというのに、トヨヒメの雰囲気は初めて会った時の印象と全く変わらない。
些細な所に垣間見える美しい所作、大人びた雰囲気の中にある無邪気な可愛らしい反応、そして落ち着くようなやんわりとした声。
こうして話していると、つい好感を持ってしまいそうになるほどだった。
「二十年前に起きた常世ノ国での戦いで偉大なるファフ様はお亡くなりになられました……ですが、その御力はトヨヒメの中から消えることは無かったのです」
「……は?」
「どういうことだ?」
エルミラとファニアが理解できないでいると、トヨヒメは瞳を潤ませる。
「ファフ様の魂は天に召されました……ですが、ファフ様はその御力をこのトヨヒメに遺してくださったのです。トヨヒメとファフ様はこの鬼胎属性の魔力を通じて繋がっている……今も、そしてこれからも。ファフ様の御意思はトヨヒメと共にあるのです」
「そ、そんな事って……」
今までの魔法生命は核さえ破壊すればそこで終わりだった。
力は途絶え、そのカタチが崩れていくのをエルミラは何度も見ている。
今まで出会ったどの魔法生命とも違う異質さは最初の四柱である所以か。
「これこそまさに……愛のなせる業でございましょう」
感慨に耽る表情でトヨヒメは両手を胸の前でぎゅっと抱き締める。
ファフニールという魔法生命に心酔しきっているトヨヒメはやがて一筋の涙すら流した。
魔法生命と戦ってきたエルミラからすれば理解できない魔的な信仰に見える。
涙をゆっくりと拭うトヨヒメに、険しい表情でファニアが問う。
「という事は……貴様は魔法生命の力を持ってはいるが、人格は人間のままということか」
「はい、ファフ様の御意思を汲み、トヨヒメの意思でこうしてここにおります。カトコなどという汚らわしい女の名前を偽名に使っていたのも全てこの日この時のため……」
「偽名か……」
ファニアの手が腰の剣に伸びる。
魔法使いは偽名が使えない。名前と血統魔法は深く結びついており、血統魔法を継いだ自身の否定となる偽名は魔法使いにとってのタブーそのもの。
つまり、トヨヒメに血統魔法を使えない。魔法使いとしては血統魔法を警戒しなくてもいいというのは大きなアドバンテージになる。
「ちょっと待って……じゃあカトコって人は……」
「あんな女とっくに殺しておりますよ」
あっさりと笑顔のままそう言ったトヨヒメに、エルミラは無意識に怒りを抱く。
ぎりっ、と歯が鳴るが、自分が何故怒っているのかはわからない。
前のめりになりかけているエルミラをファニアの手が制止した。
「私が行く。エルミラは支援しろ」
「ま、待ってファニアさん無茶よ。本体がいないからって魔法生命の力を使えるのよ!?」
「本体がいないからこそ当然だ。相手が魔法使いならば流石に私のほうが心得ているだろう。私が正面から戦って隙を作る。そこに攻撃を畳み掛けろ」
ファニアは剣の柄に手をかけながらゆっくりと前に出る。
黒い霧と黒く輝く霊脈の中、中庭の中心にいるトヨヒメへと警戒しながら歩を進めていった。
「もしや……あなたがトヨヒメの相手を?」
「勿論だ」
状況で言えばさして不思議なことではないというのに、トヨヒメは不思議そうに首を傾げた。
少し間を置いて、歩いてくるファニアの言葉が冗談でも何でもないとわかると……トヨヒメは困ったような表情を浮かべた。
「やめたほうが身のためかと思います。あなたでは……勝負にすらならないでしょう」
「ほう、宮廷魔法使いファニア・アルキュロスを前にしてその言葉を吐けるとはな……血統魔法も無い魔法使いにしては勇気がある」
トヨヒメ自身の話が本当だとすれば、魔法生命はいない。
相手するのは理外の生命体ではなく、人間。
魔法使い戦ならば宮廷魔法使いの得意分野。人間相手なら勝算はあるとファニアは剣を抜いた。
そんなファニアの強気な発言と態度に、トヨヒメは憐憫の表情を返す。
「血統魔法が無い? それが自信の根拠でありましょうか? うふふ、それで? それが一体どうかなされましたか?」
トヨヒメの体から鬼胎属性の魔力が霧のように噴き出した。
およそ人間ではありえない魔力の噴出だ。
漂う緊張感に汗ばみ始めたファニアの手が剣を強く握らせる。
「あんなものトヨヒメには必要ないだけのこと。元より必要としていないものを勝算に数えてしまわれるとは……聡明な方だと思っておりましたが、勘違いだったようです」
中庭の中心に立っていたトヨヒメが動いた。
慈愛を湛えたまま瞳が黒く輝く。
手を広げ、黒い霧の中に桃色の袖が舞う。
黒く輝く霊脈の中……龍の遺産が動き出す。
対峙しているのは同じ五体を持つ人間。ファニアはそう言い聞かせる。
そう、人間。
……人間。
――人間か?
自分に言い聞かせる中、びりびりと皮膚を突き刺すような重圧が思考から確信を奪った。
「ならばトヨヒメが証明して差し上げましょう。最初の四柱が一つ……ファフニール様の御力の前に立つのがどれだけ無謀なのかを」
「侮っているわけではない。だがこの国にこの国の敵がいるならば……私は貴様が何であれ、前に立つ必要がある」




