415.イプセ劇場にて6
「無人の劇場に男女が二人。ロマンチックなシチュエーションにしたかったのだけれど……邪魔者が一人いるみたいね」
「ロマンチックは必要か?」
「必要無いからボクがいて正解だねー」
普段通りに見えるベネッタには微かな緊張が走っている。
魔法使いは何度か相手にしているが、実際に目にすると今までの魔法使いとは格が違うのが肌でわかる。
変身。密偵の家系しか使わない、酷な言い方をしてしまえば戦闘に役立たない魔法。
その魔法を極めたクエンティはベネッタが感じるように、そこらの魔法使いとは格が違う。
なるべくしてなった強者ではなく、這いあがった強者。
誰もが諦めていた魔法を変革させたいわば本物。敵でなければ尊敬に値する。
アルムはともかく、自分とは比べ物にならないとベネッタは気を引き締めた。
「…………」
一方、クエンティも完全な無視をできるほどベネッタを嘗めてはいない。
文面上の情報だけなら、なるほど確かにベネッタは無視できる。
大した歴史も目立った経歴も無い下級貴族。聞いたことの無い家名。カンパトーレの警戒リストにも無い。アルム達の怪我を治すだけの治癒魔導士志望の生徒。本来ならクエンティの敵ではない。
だが、そんな少女がくぐった修羅場はいくつある?
魔法を使う者にとって一つの経験がどれだけの成長になるかはクエンティ自身よくわかっている。
そして、魔法生命によって死に晒されそうな経験をしてもこの少女は逃げ出していない。カンパトーレの魔法使いではなく、ただのクエンティとしてなら賞賛の拍手一つ送ってもいいくらいの敬意はある。
クエンティからすれば、ベネッタをただの雑魚と捨て置くのは愚の愚。
なにより、ただ守られているだけの雑魚ならば……アルムがここに連れてくるはずがない。
「フフッ! いっちょまえに睨んでくるのね?」
「そ、そっちこそー! 二対一だと不安なのー?」
意図せず、二人の視線は交差した。
煽り合っているものの、互いが互いに敬意を持っていることには当然気付けない。
声を震わしながら挑発し返すベネッタの初々しさにクエンティはくすりと笑う。
敵同士であることと人間としての感情はまた別の話である。
「可愛いお友達ね、アルムくん?」
「ああ、まぁ、そのお友達にお前はやられるんだがな」
「……へぇ?」
まさかアルムからも挑発されると思っておらず、クエンティの眉がぴくりと動いた。
何の冗談かとクエンティは思う。
確かに一種の敬意こそ持っているものの、魔法使いとしての力量ならば差は歴然。
規格外の魔力で魔法生命という怪物と渡り合ってきたアルムならばともかく、このベネッタという少女に敗北する未来は流石に無い。
「私が? このお子様に? フフッ! 冗談も言えるのねアルムくん」
「お子様か。随分甘く見てるんだなクエンティ?」
「そう……それは見物ね。ああ、でも……確かに体はお子様じゃなかった気がするこの子」
クエンティの発言の意味がわからず、ベネッタは首を傾げる。
「ボクの体……? って、まさか――!」
「ええ」
嗜虐的な表情を浮かべながら、クエンティの輪郭が溶けて揺らぐ。
肉体という現実がかくも簡単に変貌する。
「あなたの体にもボクはなれるよー」
気付いた時には変化している一瞬の変身。
クエンティはベネッタの声、ベネッタの肉体、ベネッタそのままへと変身する。
あまりに自然に、最初からベネッタ・ニードロスがそこにいたかのような変身。
ベネッタ自身アルムから早いと聞いていたが、実際の変身を見ると驚嘆するしかない。
「ちなみに上から――」
「わああああああああ! わああああああああ!!」
その驚嘆を飲み込む暇なく、乙女として致命的なデータを暴露されそうになりベネッタは慌てて騒ぎ出す。
クエンティは顔を真っ赤にして騒ぎ立てるベネッタを見てくすくすと笑った。
「あれー、そこら辺の羞恥はあるんだねー」
その笑い声すらベネッタのもの。
傍から見ればベネッタがベネッタをからかっているという、質の悪い童話の構図のようだった。
クエンティもただ面白がってからかっているわけではない。
会話も演出も全てはアルムをここに繋ぎ止める為の時間稼ぎ。
戦闘能力もさることながら、変身とはこうして目を引き続けるのに最適な能力だ。
「そ、そういえばベラルタにいたんだっけ……! うう……!」
「関係者には変身できるようにデータをとらせてもらったよー」
ベネッタの姿をしたクエンティは再び最初の姿に戻る。
そんなクエンティを羞恥で睨むベネッタ。
二人の一連の会話の意味がよくわかっていないアルムは、上って何処のことだろう、と言いたげに天井を少し見上げてから、クエンティへ視線を戻した。
「……目的は?」
「ん?」
「目的は何なんだ? 未だにわからない。何のためにベラルタにいて、何故俺の目の前で名乗った? 俺達が邪魔なら……その力で暗殺でもすればよかったろうに」
ここまでされてもわからない。
事情を知らないアルムからすれば、こうして戦う理由さえクエンティには無いようにすら思えた。
それもそのはず。まさかクエンティの雇い主がアルムを殺さずに足止めしろなどという命令をクエンティに出しているなど想像がつくはずもない。
アルムの当然の疑問に、クエンティは笑う。
「私はカンパトーレの魔法使い……。雇い主様の望むままに仕事をしていただけよ」
「それは誰だ?」
「さあ? これ以上は……聞き出してみたら? 雇い主様の呪法に引っかからない範囲だったら……答えてあげられるかもしれないわよ?」
「ああ、なるほど……それはわかりやすいやり方だな」
お遊びは終わりと魔力が湧き上がる。
三人だけの劇場は公演の時は広く感じるというのに戦場にするには狭い。
「大人のお姉さんが遊んであげるわアルムくん。ごっこ遊びは好き? 私がなんだってなってあげるわ。あなたの理想の恋人にだってなってあげる」
「結構だ。お前の元の姿は気になるがな」
「フフッ! 口説いてる?」
「ただの好奇心だ」
ピリピリと劇場の空気がひりつく。
軽口を叩きながらもアルムの体には無色の魔力が巡り、クエンティは"変換"で変身のバリエーションを用意する。
「ベネッタ、サポート頼む」
「任せてー!」
ベネッタも手首に巻いた十字架を外に出し、戦闘は目前だった。
「ん……?」
そんな中、アルムは目線を右上に向けて曖昧な記憶を辿る。
「もしかして……ベネッタと共闘するのは初めてだったか?」
「当主継承式の時にネロエラとフロリアに襲われた時のは共闘カウントー?」
「ああ……微妙なとこだな……」
「じゃあ初ってことでー」
「そういうことにしておこう」
アルムとベネッタは戦闘前とは思えない緩い会話を交わし、舞台の方へと足を踏み出した。
「任せるぞベネッタ」
「よしきたー!」
アルムがベネッタのほうに手の平を差し出すと、ベネッタはその手をぱちんと叩く。
予期せぬタッチは信頼の証。
アルムはいつも通りに、ベネッタは自分の頬をぺちぺちと叩き、より気合いを入れて……今回の事件の解決のために、クエンティへと向かっていく。
いつも読んでくださってありがとうございます。
気合い入れるベネッタちゃん。




