414.二人の客人
「抵抗されていますね」
黒く染まる中庭の中、トヨヒメは呟いた。
呪いに包まれた花々に囲まれながら、その口角を上げる。
「ですが、無駄ですよ」
中庭にはルクスを対象に呪詛を転送し続けるための用意が埋まっている。
カトコの遺体から取り上げたルクスの母親アオイの髪一房、そしてベラルタに潜入したクエンティに集めさせたルクスの毛髪。
その二種を媒介に、トヨヒメが行使するファフニールの呪詛は余すことなくルクスに届き、彼の命を蝕んでいく。
霊脈から霊脈へと呪詛を転移させる魔法はトヨヒメによるものだが、呪詛は魔法生命の力なため通常の魔法では話にもならない。血統魔法以外での防御を不可能とする理不尽な悪意はベラルタにいるルクスを襲っている。
「ファフ様の力が尽きることもありえない。ここには……ファフ様に畏怖する人間が大勢いるのですから」
トヨヒメは窓のほうに笑い掛けた。
視線の先にいるのはローチェントの生徒達。
中庭で異質な出来事が起こっているというのに、生徒達はただ見つめることしかできない。
(足が……うごかねぇ……!)
生徒の一人であるモルグア・クローレンスも笑い掛けてくるトヨヒメに寒気がしながらも、動くことが出来なかった。
何をやっているかわからなくても、あれが敵の魔法使いだという事はわかる。とんでもない魔法を使っていることはわかる。
ならばとるべき選択肢は二つ。戦うか逃げるか。
だが……そのどちらをとろうにも足は全く動かない。
体は震え、歯はかちかちと鳴り、足には力が入らない。だというのに、視線だけはトヨヒメに釘付けになってしまう。
綺麗な佇まいと朗らかな雰囲気は今でも女性らしさを感じさせるというのに、その女は瞳の奥に死を飼っている。
「うぶ……おええええ!」
「ひっ……! いや……」
窓からトヨヒメを見ていた一人の男子生徒が、その重圧に耐えきれず嘔吐する。続いて、一人の女子生徒は恐怖に屈して失禁しながらその場に崩れ落ちた。
二人を笑う者も馬鹿にする者もいるはずがない。
内臓を生暖かい舌が這うかのような気色の悪さから解放されるなら吐くのも漏らすのも歓迎とすら思う。
トヨヒメを見た生徒達を蝕んでいるのは当然、鬼胎属性の魔力。
恐怖を糧に"現実への影響力"が底上げされる属性であり、魔法そのものである魔法生命の魔力には人々の恐怖の記録が刻まれている。
鬼胎属性に慣れていないものでは、同じ空間にいることすら耐えられない。
ましてやトヨヒメが発する魔力は最初の四柱が一つファフニールの魔力。
初めて鬼胎属性に触れるには劇薬に等しく、時間が経つたびに恐怖は加速する。
「ああ、ファフ様……素敵です……!」
生徒達の恐怖を吸いあげて、トヨヒメに宿る鬼胎属性の魔力はより高まる。
強制的に活性化された霊脈はより黒く輝き、増幅された呪詛を対象であるルクスへと送り込む。
血統魔法の抵抗なにするものぞ。ファフニール様の御力にひれ伏せと、トヨヒメは恍惚の表情を浮かべていた。
「さあどこまでも苦しんでください、胸を掻きむしってもがきなさい、みっともなく泣き叫ぶのも余興でしょう。死を懇願し、抗えぬ理不尽を恨み、その血を持って生まれた事を呪うといい……! すぐに死んでしまってはこの二十年の恨みを晴らすには至らない。最後の最後まで抵抗し、無力のまま死んでこそトヨヒメの恨みは晴らされる……! ファフ様の下に行った暁にはその魂を貪られてもらいましょう……!」
魔力から伝わってくる血統魔法の抵抗とルクスの命の灯火。
徐々に小さくなり始める感覚にトヨヒメが胸を高鳴らせていると、
「……? 何でしょう?」
何かに気付いたようにトヨヒメは生徒達から目を離して振り向いた。
その方向に見える空に、眩い稲光のような輝きが走る。
「……来ますね」
常識とはかけ離れた何者かの襲来を予感する。
いや、誰が来たのかなどわかっている。思ったよりもコルトゥンが口を割るのは早かったらしい。
「愛の前には障害がつきものと聞きます。参りましょう、ファフ様……トヨヒメ達に向かってくる命知らずに罰を与えましょう」
トヨヒメは空に走る光のほうを向く。
朝の流れ星? 晴天の雷?
否。その光の正体は人間である。
「あ……そこだああああああああ!」
「わかっている!」
空を走る稲光の塊から二つの声がする。
ローチェント魔法学院目掛けて飛んでくるのは雷属性の魔力に包まれたエルミラ・ロードピスとファニア・アルキュロス。
流星の如く飛んできた二人はローチェント魔法学院の本棟へとぶつかった。
「う……おおおおおお!?」
「な、なんだこりゃ!?」
雷属性の魔力に包まれた二人はその勢いのまま壁を砕き、破片を散らす轟音が鳴り響く。
それは図らずも生徒達の恐怖をほんの少しだけ紛らわすトラブル。
砂煙が舞う中、衝突した壁の向こう側からエルミラが姿を現す。
「あんた……!」
「あらあら、エルミラ様……随分と、お急ぎのようですね?」
エルミラとトヨヒメ……二人の視線が交差する。
トヨヒメの表情はエルミラと温泉で出会った時のように柔らかかったが、その瞳は黒い魔力で輝いていた。
「気を付けろベネッタ」
「う、うん!」
アルムがゆっくりとイプセ劇場の扉を開く。ベネッタもそれに続いた。
イプセ劇場に二人が到着した際に聞いた住民の話によると、騒ぎを起こした者はイプセ劇場に少しの間魔法を放った後に劇場の中に入っていったという。
「あ、アルムくん……」
「ああ」
中に入ると、公演がある時は客で埋まっていた客席も今は無人。
劇場内はどこかが壊されている様子が無く、歴史ある厳かな雰囲気だけが空間に漂っている。
だが、そんな中……アルムとベネッタは周囲を探すことなく妙な点を一つ見つけた。
見つけて当然、公演が始まる前は閉まっているはず幕が上がっており、客席から見える舞台の上には一人の女性が立っていたのだから。
「ふんふふーん……」
舞台上には椅子が一つ。美女一人。
椅子に座ったその女性は椅子に座って鼻歌を歌っている。
劇場に小さく響くその歌はマナリルではあまり馴染みがない。
「……クエンティか」
「あ、あれが……? わかるの?」
「ああ、わかりやすく……最初に会った時と同じ姿だ」
舞台の上に立つのはドレス姿のクエンティ。アルムが最初に劇場で会った時と同じ姿をしていた。
クエンティはアルムの姿を確認すると、ドレスの落ちている長髪を手で払う。
「ようこそ私の舞台へ。歓迎するわねアルムくん」
「見えないのかクエンティ? 客は二人だ」
「そうだー!」
いつも読んでくださってありがとうございます。
世間はお休みですが、そんな中暇潰しにこの作品を読んで頂ければと思います。




