409.姿無き遺産
「ディーマ様からの命令で尋問はファニア様に任せろと承っています」
「ありがとう。南部所属の君達の迅速な対応に感謝する」
ファニアとエルミラは町の門へと到着すると、この町フォルマの人の出入りを監視し続けている衛兵達が二人を出迎えた。
衛兵達の話によれば、朝の時点ですでに南部の衛兵達はコルトゥンが逃亡した事実がディーマから伝わっており、警備を強化していたという。
反魔法組織の構成員とはいえ、コルトゥンは武装も無い平民。警備の強化された門など突破できるわけもなく、コルトゥンはすでに衛兵達に捕らえられていた。
「凄いわね……ベラルタの衛兵みたいな統率力……」
「ダンロード家がとっている制度はダンロードの庭を始め、平民の暮らしを豊かにするような方針だからな。ダンロード家が四大貴族に位置づけられているのは長年の平民からの支持も大きい。豊かな暮らしを約束してくれる領主のためならば必然練度も高くなる。期待というのは信頼を自然に生むものだ」
「……期待は、信頼を生むか…………」
「こちらです」
衛兵の一人はエルミラとファニアを兵舎の端にある部屋まで案内するとすぐに扉を開ける。
部屋の中は尋問部屋なのか、机と椅子、そして狭い窓しかない。椅子には両手足を縛られて口も塞がれているコルトゥンが椅子に座らされていた。その脇にいた見張りの衛兵がファニアとエルミラに一礼する。
椅子に座らされているコルトゥンは血走った目で鼻息を荒くしながら身をよじっている。
「口を」
「了解しました」
ファニアが短く言うと、見張りの衛兵はコルトゥンの口を塞いでいた布をとる。
「は、早くほどけ! ほどけ! この町から出してくれ! 何もしねえ! 俺はなにもしてねえんだよ!!」
開口一番、通るわけのない要求をコルトゥンをしてきた。
そんな事はコルトゥンにもわかっているはずだが……必死な形相を浮かべて叫ぶその姿は本気で言っているようにしか見えない。
「私の部下を痛めつけておいた奴の仲間が何もしてないとはよく言えたものだ。次にふざけたことを言えば指を一本落とす」
脅しではなく、本気の声色。同時に、ファニアは布にくるんで持ってきていた剣の柄に手をかけた。
ファニアの抑揚の無い声と剣をとる動作に部屋にいる衛兵達にも緊張が走る。
「仲間じゃねえ! 仲間じゃねえんだよ!!」
だが、それでもコルトゥンは主張する。
ファニアの表情は変わらず、剣の柄を握り続けているという事実が本気であることを示していた。
冷たい表情と柄を握る手を見てごくりと生唾を飲むコルトゥン。少し興奮がおさまったのか、伸ばしっぱなしの髭の陰から見える口を震わせた。
「た、確かにあの教会に俺を見張ってたやつを誘導したのは俺だよ……でも脅されてたんだ! あいつらに脅されてたんだよ……!!」
「はっ……反魔法組織の構成員がよく言うな。私達がその言葉を信じると思うか?」
ファニアが言うと、コルトゥンは一瞬、時が止まったかのように呆けた顔でファニアを見た。
そして次の瞬間……感情がせり上がってきたかのように顔が赤くなり始め、ぎりっと歯を怒りで噛み締める音が聞こえてきた。
「お前こそ何言ってんだよ……! 何を言ってるんだ……!」
コルトゥンの口から恨みのこもった声が零れだす。
肩を震わせてエルミラとファニアを睨みつけるその目には、この町から逃げだそうとした男とは思えないほどの怒りを湛えている。
「当然の疑いだろう。お前を監視していた私の部下がやられた。そして監視対象のお前はこの町から逃げ出そうとしている……貴様が何らかの役目を終え、繋がっている連中に私の部下を任せて脱出しようとしたようにしか見えんが?」
ファニアの言う通り、当然の疑い。
だが、コルトゥンにとって自分が今疑われている話などどうでもよかった。
「ねえよ……!」
「ん?」
今にも暴れ出しそうな目でファニアを睨みながら、コルトゥンは叫ぶ。
「ねえよくそが! もうとっくに無くなってるんだよクロムトンなんて集団は!!」
「……え?」
「……なんだと? どういうことだ!?」
「どういう事もなにもねえよ! そのまんまの意味に決まってるだろうが! お前らの言う反魔法組織なんてもうとっくにねえんだよ!! 俺達はもうとっくに……終わってんだ!! 終わってんだよおおお!!」
尋問部屋に響くコルトゥンの絶叫。
喉が裂けそうなほどの声量と椅子に縛られていなければファニアに噛みつく勢いで机に乗り出しているその姿は嘘とは思えない。
だからといってすぐに納得できるような内容でも無いのも事実。エルミラが隣で混乱している中、ファニアは改めて聞き返す。
「無いとはどういうことだ? 私達はそんな事は知らない」
「ふざけやがって……ねえもんはねえんだよ……! 魔法使いってのはいつもそうだ……魔法っていう俺達には無い現実で俺達の場所を踏み荒らしやがる……!」
コルトゥンの目からは怒りを湛えたまま、涙が溢れ始める。
その目が見つめる先は魔法使いという存在か。貴族という地位か。それとも別の何か――?
その目はファニアを見ているはずなのに、どこか視線がすり抜けているようだった。
しばらくはがたがたと暴れて椅子が音を立てていたが、やがて落ち着き始める。
「二十年前あいつが来てから全部狂ったんだ……! どんどんどんどんおかしくなって……俺達は横暴な貴族共を牽制したかったから存続させてただけなのに……! あいつが来てからシスターはいなくなるし、リーダーは殺されるし……! あんな……あんなガキだったやつに全部支配されたんだ……!」
「ガキ……当時子供だったってこと……?」
エルミラが呟くと、コルトゥンはきっとエルミラを睨みつける。
「ああ、そうだよ! やっぱ貴族ってのは化け物だよな……! あんな……十歳やそこらのやつが百人近くいた俺達を魔法で圧倒しちまうんだからよぉ……! あんたくらいだったら千人は余裕ってか!? くそ……!」
確かに、魔法を使えるものは平民にとっては脅威だろう。
だが、十歳で大人の平民百人を相手するのは無理だということはエルミラもファニアも常識としてわかっていた。
どれだけ才能がある貴族だとしても、十歳では技量も魔力も追い付かない。
魔力や魔法の技術が極端に伸び始めるのは血統魔法を取得する十三歳から十五歳以降というのが現在の通説である。十歳では精々一人か二人に攻撃魔法を撃てれば見事といえる所だろう。
十歳で平民百人を圧倒できるような者がいるとすれば、それこそマナリルではカエシウス家の人間くらいなもの。
そんな規格外の家系がそこらに転がっているはずがない。
「今でも覚えてる……あの苦しみ……! 頭の中に入ってくる悲鳴……煌びやかな光を全部濡らす赤黒い血……肉と骨を咀嚼されるような気味の悪い音……! あんなの味わうのはもうごめんだ……だからあいつの言いなりになったんだ! 言いなりになるしかねえだろうが!」
一見、いきすぎた誇大妄想のようにも聞こえるが……事情を知っているエルミラにとっては心当たりのあるものだった。
魔法生命が鬼胎属性によってもたらす恐怖の再生。
コルトゥンが怯える苦しみというのはエルミラにとってそれにしか聞こえない。
こいつの言っていることは嘘じゃない、とエルミラは確信する。
「あいつとは誰だ? 誰の事を言っている!?」
ファニアの質問に、コルトゥンは怯えるように震えながら首を振る。
「言えねえ! 言ったら駄目なんだ……! 殺される……! 殺されるんだよ……う、嘘じゃねえ! 見たんだ! 言えねえんだ! ちくしょう……! 言えねえんだよ!!」
「くっ……! 呪法というやつか……!」
「言ったら殺される……! しぬ……! やっと解放されたんだ……! 久しぶりに現れたかと思ったらこんなことさせやがって……! 俺はただ、囮になれって言われてただけなんだ! この町で決まったことをし続けろって言われただけなんだ! 被害者だ! 被害者なんだよお!!」
これ以上尋問して有益な情報が出るかどうかファニアが思案していると……その横で嘆くコルトゥンを見つめながら、エルミラは呟いた。
「二十年前……子供……?」
二十年前に十歳頃ということは――今の年齢は二十代後半か三十。
「ま、さか……」
エルミラの顔が一気に青褪めていく。
ダンロード領で出会った人物の中で……その年齢に合致する印象を抱いた人物が一人いる。
警戒していなかった。するはずがなかった。
何故ならその人物は――
「かっ……は……! なん、だ……!?」
ダンロード領ディーマ邸。
その執務室でディーマは顔を歪め、胸を押さえながら苦しんでいる。
机に置かれた書類をぐしゃぐしゃに握りしめ、その視界は揺れていた。
「カト、コ殿……! 医者を……!」
傍らに立つ女性に、ディーマは助けを求める。
監視対象である情報提供者カトコ・タカハシ。この数か月でディーマが信頼を寄せるまでに至った女性に。
「あらあら、医者なんて必要ありませんわディーマ様」
「な……?」
いつもの柔らかな笑顔。落ち着くような声。
だが、その言葉はディーマを突き放し、ディーマを見る目は春のような穏やかさとは程遠い冷たさがあった。
「四大貴族と呼ばれているようですが……どうやらディーマ様はあまり血統魔法に愛されていらっしゃらないのですね。数か月で呪詛が順応しておりますもの」
「呪……!」
ディーマはすぐさまカトコに手を向ける。
魔力の"充填"と"変換"を終え、"放出"すべく魔法を唱えようとするが――
「がっ……ぶ……!」
その口から吐き出されたのは魔法名ではなく、大量の赤黒い血だった。
処理すべき書類の山はディーマの血で赤く染まっていく。
カトコはその様子を見てもたじろく様子は無い。ただ笑顔で吐血するディーマを見つめている。
吐血するディーマと、その傍らに笑顔で寄り添うカトコはまるで同じ空間にいるとは思えないほどに異質だった。
「ごぼ……! ご、れは……っ!」
「無理をなさらないでくださいディーマ様。そんな事をしてしまえば呪詛が反応してしまいます。数か月かけて仕込んだのですから……ちゃんとあなたの体に刻まれておりますよ」
「カトコ殿……! いや、カトコ……! き、さま……!」
「まぁ、ディーマ様ったら……その汚らわしいお名前で呼ばないでくださいますか?」
「ごっ……!」
カトコ……いや、着物姿の女性はディーマを無造作に殴りつける。
その拳は女性のものとは思えない程力強く、鉄球をぶつけられたような衝撃がディーマの顔面に走る。
椅子を転がし、血で染まった書類と葉巻の灰を床にばら撒きながらディーマの体が壁に叩きつけられた。
「あが……! かっ……は……!」
「カトコ・タカハシなんて女……とっくに死んでおりますよ。ただ都合が良かったから名前をお借りしただけです。忌まわしい名前ではありますが、この名前ならオルリック家の耳に入った時に心証もよいでしょうし……尤も、もう必要ありませんが」
「馬鹿、な……! 貴族が名前を、偽ったら……!」
ディーマの言う通り、貴族が偽名を使えないのは常識だ。
貴族が偽名を使うということはその血筋と歴史に刻まれた自分自身を否定すること。つまり、血統魔法を放棄するということに他ならない。魔法使いとして致命的すぎる代償ゆえに誰もしようとはしない。
だが……常識はただの常識でしかない。
この常識はそもそも、魔法使いにとって家の歴史も血統魔法も重んじるべきものという前提があるからこそ成立するのだから。
「血統魔法? 家の歴史? そんなもの、どうでもよいのです。失ったところで大したことはありません」
「あ、ぐ……が……あああああ!」
「今あなたに刻まれている力こそ、大切にしたいもの。偉大なる御方から受け取った最後の贈り物なのですから」
「貴様は、一体……!?」
「光栄に思ってくださいな。あなたに刻まれているのは偉大なる御方が遺された愛の残滓……死して尚威光を放つ輝きそのもの」
カトコを名乗っていた人物を見るべく、ディーマは苦しみながらも顏を見上げる。
そしてディーマは見た。
女の瞳に宿っている……闇より黒い輝きを。
「この身は最初の四柱が一つファフニール様が宿主トヨヒメ・ハルソノ。亡くなっても尚この身に残り続ける愛の為に、この場所に辿り着いた使者なれば」
異界の伝承曰く……魔龍ファフニールを討ち取ったとされる英雄はその血を浴び、呪いによって竜の牙がごとく強靭な肉体へと変質したという。
そんな伝承を持った魔法生命が死した時……果たしてその宿主は普通の人間のままでいられるだろうか?
「トヨヒメのことを信用して頂いて本当にありがとうございます。お礼に教えて差し上げますねディーマ様。人が人を真に理解しようという時、関わらなければいけないのです。一目見ただけで人が人を真に理解するなど……あるはずがないのですよ」
ここにいるは悪意の残滓。
死してなおこの世界に爪痕を残す姿無き龍の遺産。
トヨヒメという宿主の信仰を受け、異界の伝承は死して尚この世界に残り続ける。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ここで一区切りとなります。
第五部に名前が少しだけ出てきておりますが覚えていらっしゃるでしょうか?




