408.朝の疑念
「おはよう」
「……おはよう」
「アルムくん、おはよー」
翌日、エルミラとベネッタは支度を済ませて部屋から出てくると、すでに起きていたアルムと顔を合わせた。
エルミラとベネッタの目は昨日の夜泣いたせいで明らかに赤く腫れあがっている。なんでもないと言えば、絶対に嘘だとわかるほどに普段とは違う。
「ファニアさんはディーマさんからの通信が来て今話してる。朝ごはんを食べるなら早くしたほうがいいぞ」
だが、アルムは二人に何も聞こうとはしない。
いつも通りの無表情で、目の前に用意されたパンをちぎって口に放り込み、宿の人が用意したスープを飲んでいた。
机の上にはアルム以外の分の朝食も用意されており、スープからは湯気が漂っている。
「何も聞かないのね」
「何か聞かなきゃいけないことがあったのか?」
「いや、ないわ。うん……」
いくらアルムが鈍感でも、自分とベネッタの目が腫れていることに気付かないはずがない。
アルムなりの気遣いなのだろうと結論付けて、エルミラは席に着いた。
昨日全部吐き出したからか、それともベネッタと一緒に寝たからか……昨日の夜は悪夢を見ていない。
もそもそとパンとスープを食べていると、バン! と大きな音を立てながら部屋の扉が開いた。
「び、びっくりしたー」
ベネッタは音に驚いて落としたパンを拾う。
部屋に入ってきたのは当然ファニアだった。ディーマとの通信が終わったらしい。
ファニアは三人が揃っているのを確認すると、伝えるべきことを簡潔に伝える。
「リニスがやられた」
「え?」
「監視対象のコルトゥンが逃走中。北のほうで衛兵から逃げている。町を出る気だろう」
ファニアは机の上に置かれた自分の分のスープの皿を掴み、そのまま皿に口をつけて豪快に飲み干す。
貴族らしからぬ飲み方だが、監視対象が逃げた今、次にいつ食事ができるかわからない事態だ。ファニアは出来得る限り早い食事のとり方をしたに過ぎない。
「支度はしてあるな。出るぞエルミラ」
「え? あ、お、オッケー!」
「…………大丈夫か?」
「あいひょふ!!」
ファニアはエルミラの目を見て心配そうに声をかけるも、エルミラは口の中にすぐパンを詰め込んだ。
餌を詰め込んだハムスターのように頬を膨らませ、小刻みに口を動かしながら立ち上がる。
「ファニアさん、リニスは……」
アルムが聞くと、ファニアは安心させるように口元で笑みを作り、アルムの肩をぽんと叩く。
「安心しろ、生きてはいる。今朝ディーマ殿の配下の魔法使いが教会で発見して今は病院で治療中だ。流石に明日明後日に復帰とはいかない状態ではあるがな」
「よかった……そうですか……」
「ファニアさん、ボク治しにいきますかー?」
「そうしたいが……リニスを失った今、ベネッタまで病院のほうにまで回しては戦力が一気に落ちる。君達はいつも通り、霊脈の監視だ。ローチェント魔法学院かイプセ劇場に行ってくれ。もしかしたら私達を霊脈を引き離す策かもしれないからな」
「わ、わかりましたー!」
「私達はコルトゥンから話を聞き出す。奴がリニスを倒せるとは思えないからな。十中八九クエンティの仕業だとは思うが……万が一今回の黒幕が戦ったのであればかなりの収穫だ」
ファニアはアルム達に最低限の説明と指示をすると、部屋の扉を開けた。
「そっちは任せたぞ。アルム、ベネッタ」
「はい」
「はい!」
そう言い残し、ファニアは足早に部屋を出る。
「頑張ってね、エルミラ」
「うん、そっちも」
後に続いて部屋を出るエルミラに向けて、ベネッタが小さく手を振る。
エルミラも小さく手を振り返した。
「任せた」
「ええ」
アルムも短くそう言って、エルミラを送りだす。
宿の廊下を走る音が聞こえなくなって、アルムとベネッタの二人だけとなった。
事態が事態だけに当然だが、ばたばたとしていた朝の時間は一気に静かになる。
朝食の並んだ机には朝の日差しが落ちており、まるで朝食の続きをとれとすすめているかのようだ。
だが、二人の食欲は途絶えてしまったのか、朝食に戻ろうとはしない。
ベネッタは今更目が腫れているのがアルムに見られるのを気にし始めたのか、少し顔を俯かせている。
「……何でリニスを殺さないんだ?」
突如、アルムから出た発言にベネッタは一瞬ぎょっとする。
物騒な発言だが、アルムの疑問はもっともだった。
リニスが生きていれば、戦った相手の情報は間違いなくこちらに伝わる。特にリニスはコルトゥンの監視だ。誰と繋がっているかわからなかったコルトゥンだが、リニスがやられたのであればコルトゥンと繋がっている相手にやられた可能性が高い。
わざわざコルトゥンと別の何者かを繋げられるような情報を持ったリニスを、殺すメリットはあれど生かすメリットがないのは誰だってわかることである。
「ベネッタ……確か情報では、コルトゥンって人の裏にいる魔法生命は反魔法組織に霊脈を調査させている可能性が高いって話だったよな?」
「う、うん、そうだねー」
「俺はそれを聞いて……段階を踏んでいる魔法生命だなと思ったんだ……。それこそベラルタを迷宮化させたミノタウロスみたいに、徐々に"現実への影響力"を取り戻していくような奴のような……けど、だからってリニスを生かしておくことが魔法生命の利になるはずがない。というよりも、殺すのが最善じゃないのか? 何らかの情報は得ているはずだし、魔法使いが殺されたことが噂になって広まれば人は少なからず恐怖を抱いて鬼胎属性も増幅するはず」
考えながら、アルムは窓の外に目を向ける。
ダンロード領の町フォルマは今日も住人達が平和な朝を迎えて一日を始めようとしている。恐怖から最も遠い日常の一幕が外にはあった。
大百足の時のように人々を食らいつくすような殺意も感じず、ミノタウロスのように子供を攫い亡霊で町を埋める害意も無ければ、大嶽丸のように毒を撒く悪意もここにはない。
「何故だ……?」
わざわざ真正面から戦闘を挑んできたクエンティの行動など、今までも腑に落ちない点はあったが……今回の一件は魔法生命と戦ってきたアルムにとっては特に違和感の拭えない出来事だった。
「確かに……リニスが助かったのはいいことだけどー……なんでだろうねー? 案外、殺したくなかったとかー? ほら、ボクとかも腕はぐちゃぐちゃにされたけど、ミノタウロスに見逃されたことあるしー」
「そういう発想になれるベネッタは流石だな……確かに魔法生命は自分の意思や嗜好を優先させる事が多いから有り得ないとは言えないが……少し印象が食い違う気がしてな……」
「印象ってー?」
「ああ……その、上手くはいえないんだけどな……」
何かが今までと違う。
肌に感じるのは言語化の難しい齟齬。
まるで……悪意の矛先がこの町や自分達に向いていないかのような――?
「今回の魔法生命の目的は本当に……自分の"現実への影響力"を取り戻すことなのか……?」
いつも読んでくださってありがとうございます。
泣いた後って目腫れちゃいますよね。




