407.静謐の慟哭
エルミラの見ている悪夢は二つあった。
一つは、灰に塗れた自分が母親が出て行った時の言葉をただ聞き続ける夢。
二つ目は、子供の頃の夢を追体験する夢。
二つ目の夢は特にエルミラにとって辛かったが、エルミラはその夢に至るまでに当時ロードピス家に何が起こったのかの経緯を全て話した。
先祖の行いですでに領地は取り上げられて没落はしていたものの、自分が生まれた時はまだ金があったこと。
自分の父親が事業に失敗し、その金も全て消えて借金だらけになったこと。
後からわかったことだが、母親が父親を唆してギャンブルにまで手を出させていたこと。
そして、悪夢の内容である家に残った財産を母親が持って出て行ったこと。
「むかつく話だけどさ……私、お母さんが好きだったの」
自分が母親の行いなど知らず、母親が大好きだったことを。
「今思えば派手だったんだけど、お母さんはいつもどんな人よりも綺麗に着飾ってて……かっこよかった。私はそんなお母さんが好きで、お母さんに褒められたくて勉強を頑張ってた。魔法もその影響なの。お母さんが一番褒めてくれたのが……魔法だった。今でも覚えちゃってるのよ。すごいすごい、ってはしゃぎながら私を抱きしめて、抱き上げてその場でくるくる回ってエルミラは魔法の才能があるわって目を輝かせて笑ってくれた。魔法を頑張ればお母さんに褒めてもらえるんだって……そう思ったわ」
子供なら当然の感情だろう。
親に褒めてもらいたい。認めてもらいたい。
子供にとって自分の価値を一番に認めてくれるのは自分を育ててくれる人間……親なのだ。
親を通じて、自分には価値があるのだと……子供は初めて知ることができるのだ。
「でも、違った。ここにいる意味なんて無いっていうお母さんを引き止めようとして、私がいるよ、って言った私に……お母さんはこう言った。あなたがいるからなんだっていうの? って」
あなたがいるからなんだっていうの?
引き止める子供に対して、およそ言ってはいけない言葉。
それは子供を殺す一声に等しい。
お前には価値が無い。子である事に意味など無い。ここにいる意味が無い。
エルミラ・ロードピスという子は、母にとって愛を注ぐ価値の無い生き物であるという宣告。
「当時は母親が何でそんな事を言うのかわからなかった。でも少し大きくなれば嫌でもわかるようになるじゃない? 私の母親は……ロードピス家が丁度よかっただけ。領地運営なんて煩わしい事をする必要なく、ただお金だけを使えればそれでよかったって……私の魔法を褒めたのも、ロードピス家のお金を使える環境が死ぬまで続きそうな事を喜んだんだって」
「うん」
ベネッタが瞳を潤ませながら、短く相槌を打つ。
エルミラの話を聞いてすでに泣きそうになっているも、しっかりと耐えている。
「母親に捨てられた私が縋れるのは魔法と……矛先の間違ってる恨みだった。金のある貴族が嫌いだった。地位の在る貴族が憎かった。私よりも才能の無い貴族が、のうのうと暮らせているのが許せなかった。どちらかがあれば……お母さんは出て行かなかったのにって。私は捨てられなかったのにって。ま、こじらせちゃったのよね……自分の母親が最低な人間だって気付いてからもそういう貴族が嫌いで、ベラルタに入ったのも没落貴族を見下す馬鹿達を自分の力で認めさせてやりたいからだった。甘やかされた、魔法使いに相応しくない連中が揃ってるんだって決め付けて……ベラルタ魔法学院に入ったの」
「……うん」
「……でも、違った。確かに私が思うような馬鹿もいたけど、私の隣にいてくれるようになったのは本物だった。家柄に相応しい器と飛びぬけた才能を持った女の子がいて、貴族に相応しい誇りを持った男の子がいて、私なんかより遥かに過酷な崖を這いあがってきた魔法使いに相応しい平民がいた」
「うん、わかるよ」
それぞれが誰を指し示しているのかがすぐにわかる。
ベラルタ魔法学院で出会い、学院という場所だからこそ繋がることのできた、ベラルタの日々を過ごすかけがえの無い友人達の話。
エルミラは照れがちに目を逸らして、もう一人付け加える。
「そんで、まぁ……意外に意思が強い下級貴族の女の子もいたわね」
「えへへ、ありがとー」
そこまで言って、エルミラが震え出した。
寒さからではない。
ベネッタは膝を抱えるエルミラの手に自分の手を伸ばして握りしめる。エルミラもそれに応えるように、ベネッタの手をぎゅっと握った。
少し、震えている。
ベネッタはさらに強く握り返した。
「こんな奴等もいるんだって、思って……嬉しくなっちゃって……。私が隣にいったら擦寄ってきたって思われないかな、って思いながらも我慢できなくて……。一緒にいて……あんたも来て……。それから今日まで大変なことも一杯あって……大変だったけど、乗り切って……今日までずっと、楽しくて……」
「うん……うん……」
エルミラの口調がたどたどしくなっていくが、ベネッタはずっと相槌を続けている。
整理できていない言葉や感情を声にするべく、エルミラは今も頑張っているのだとわかっているからこそだった。
「そう、隣に……いて……居心地よくて、いいから……私、そんなみんなが好きだから……思っちゃったのかもしれない」
エルミラは唇をわなわなと震わせていた。
その表情はまるで……何かを恐がっていて。
「あれぇ……? わたしって……なんもないなって……」
絞り出すような声でそう言いながら、エルミラは一筋の涙を零した。
あまりにもエルミラらしくない弱音にベネッタはようやく気付く。
もっと早く……自分はエルミラと話すべきだったという事に。
そんなことない。そう口に出すことすら躊躇するほどに、目の前の女の子は壊れてしまいそうだった。
「私とみんなは学院に行かなきゃ出会えなかった……けど、学院を出た後は……? 今日までにみんなは色んな人に認められていってる……。買い被りなんかじゃなくて実績で……勿論嬉しいよ? 嬉しいけど……みんなが認められていって、色んな人に価値を認めさせて、それで、学院を出たあと、私となんか……一緒にいてくれるのかなって……」
「なに、言ってるの……エルミラ……!」
「私だって、最初は金持ってるだけの貴族なんかには負けないって……魔法なら、魔法でならって思ってたけど、私……みんなと違うもん……! ミスティみたいな才能は無いし、ルクスみたいな志も無いし、あんたみたいな立派な夢も無いし、夢に頑張り続けられるような人間でもない……!」
「エルミラ……待ってよ……!」
ベネッタの手を握るエルミラの力は強くなっていく。
痛むほど強く握られていたが、ベネッタにそんな痛みは届いていなかった。
エルミラから流れてくる言葉のほうがずっと重くて、痛々しい。
何もかもを隠してくれるはずの静かな夜に、一人の少女が抱えているものを凄絶に吐き出していく。
「アルムみたいに……ずっと真っ直ぐでいられるほど、づよく……ない……!」
「そんなことない……! そんなことないよ!!」
「何であの時の夢を見るのかって……わかってるよ……! 恐いの……! またあの日みたいに、いなくなるんじゃないかって……! そんなことあるはずないって思ってるけど……あの日だって、お母さんが出て行くわけないって思ってた!!」
ずっと閉じ込めていたものが決壊する。
ベネッタの制止など届いていないかのように、エルミラは今までせき止めていた感情を吐き出し、溢れた涙で顔をぐしゃぐしゃに歪んでいく。
互いに握りしめた手とベットに落ちる大粒の涙は冷たく、夏間近の空気すら凍ってしまうのではと思うほどだった。
「私だって戦ったけど……! けど、けど……! 結局最後はアルムやルクスに頼って……! 二人に助けられて……! 二人がずっと苦しんで命懸けで戦ってるのに……! 憧れるだけでなんにもできてない……。助けられてない……! こんな、こんな口だけのやつなんて……私達を馬鹿にしてきた貴族と一緒じゃない!」
「違う……違うよエルミラ……!」
「あの時……! あの時だけは……私が助けてあげなきゃいけなかったのに……!」
「あの……時……?」
「わたしは、知ってたのに……! つらいことだって知ってたのに……! 何もしてあげられなかった……!」
ベネッタにはあの時がどの時なのかわからない。
それでも、エルミラがここまで追い詰められたきっかけであるという事は理解できた。
その時のことを思い出しているのか、エルミラの顔が今まで以上に崩れていく。
普段の快活な様子からは想像もつかないほど涙と鼻水が覆い、その表情には悔恨と悲哀が入り混じっている。
「わたしがもっと強かったら! アルムに……アルムに師匠ともっと……もっとながぐ……お別れさせてあげられたがも、しれないのに!!」
喉が裂けそうな慟哭に、ベネッタは絶句する。
泣くべきではないと耐えていたベネッタの涙はそこで崩れ落ちた。
ああ、そうだ。一年前からそうだった。
この女の子は去年、自分が入れば出れないと言われる『シャーフの怪奇通路』に送り出す時も泣いていた。それが最善の選択だったにも関わらず。
エルミラ・ロードピスという女の子は憧れるほど強く、逆境に負けない精神力を持っているのに……その実、友達のことで泣いてしまう心優しい女の子だと、自分は知っていた。
「何も、できなかった……! 何もできなかったんだもん……! アルムが……! アルムがあんな理不尽な別れ方をさせられたのに……! もっと幸せなはずだった! もっと幸せになるべきやつなのに!!」
嗚咽とともに、エルミラはうずくまるように顔を自分の膝に埋める。
手を握る力が弱くなっていくのを感じながら、ベネッタはエルミラがあの時自信を失ったんだと気付く。
「なんでよ……! なんで私は届かないの……! みんなみたいな本物になれないの……! 助けたいのに助けてあげられない……! ほんの少しの時間もあげられない……! こんなの……ごんなの、隣にいる資格も価値もないじゃない!!」
自分が友達の隣にいる価値がある人間なのか不安になってしまったんだ。
自分の最も辛い記憶を、夢に呼びおこしてしまうほどに。
ベネッタは泣きながらうずくまるエルミラに寄り添って抱き締める。そこには自分の言葉で痛み、血を流して傷付いた少女がいた。
「せっかぐ出来た友達なのに……! たいぜつなのに……! なんでよぉ……!」
「……うん」
「いたい……いたい……!」
「うん……! いたいね……」
「みんなの隣にいたい……!」
「うん……ごめんねエルミラ……。治してあげられなくて」
雨が降って無くてよかったと思う。
何の雑音も無くエルミラを受け止めることができた夜の静謐に感謝しながら、ベネッタはずっと、ずっとエルミラを抱きしめていた。
「ごめん……べちょべちょね……」
「別にいいよー寝間着だしー」
二人でしばらく泣き続けて……落ち着いた頃には二人の寝間着は涙と鼻水で洗濯したてかのように濡れていた。
泣き止んでも二人はすんすんと鼻をすすっている。
「わ、私が洗うわ。ほとんど私のやつだし……」
エルミラはベネッタが脱いだ服を貰おうと手を差し出すが、ベネッタは濡れた服をとられないようにさっと背中に隠した。
「駄目ー。二人で泣いたからお互い様ー」
「で、でも……」
「いいの! 二人で泣いたのー!」
渡すものかとベネッタは急いで自分のバッグに濡れた服を突っ込む。
「ありがとね、ベネッタ。少し……すっきりしたわ」
「うん、いつでも話してね。ボクも話すからさー」
「……あんたが悩んでるとこ想像つかないんだけど」
「ボクだってエルミラがそんな悩み持ってるなんて知らなかったよー?」
エルミラとベネッタは新しい寝間着に着替えて、改めてベッドに座る。
今度は向かいあってではなく、隣り合って。
ベネッタはエルミラが泣き終わった後、エルミラが吐き出したことについて何も言おうとはしない。
そんなベネッタにエルミラはおずおずと恥ずかしそうにしながら切り出した。
「あ、あのさ……」
「なにー?」
「今のことアルムとか……ルクスには内緒にして、くんない?」
「言うわけないよー! エルミラとの秘密秘密」
「ミスティは……うん、ミスティならいいかもだけど……」
「じゃあ聞かれたら答えちゃうけど……多分聞いてこないんじゃないかなミスティは」
「……そうね、そうかも」
「じゃあ明日も早いし、今日は寝よ寝よー」
ベネッタが自分のベットに行こうと立ち上がると、ベネッタの服の裾をエルミラがくいっと掴む。
「その……一緒に……寝ていい? ほ、ほら! ベット濡れちゃったから……」
「うん! うんうん! 一緒に寝よー!」
ベネッタはベットに潜り込むと、エルミラの分のスペースを開け、そこにエルミラはいそいそと潜り込んだ。
一緒に寝れるのが嬉しいのかベネッタはにこにことずっと笑顔で、エルミラは隣にベネッタがいる事に安心したようにやわらかく微笑む。
明日には二人とも目が腫れちゃってるねー。
何て言い訳しようかしら。
そんな会話をしながら、泣き疲れた二人は夢の中に落ちていった。
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