404.信じられる自分
「『誘いの沼』」
クエンティは信仰属性。『抵抗』や『防護』といった属性の性質を軽減する補助魔法を使う必要は無い。
念のための補助魔法を使う魔力も惜しいと、リニスは攻撃魔法を唱える。
時は夜。周囲に光源も無い。夜属性であるリニスが真価を発揮する時間帯と環境だ。
リニスが唱えた魔法は昼に唱えても影の中からしか攻撃できないが、今は違う。
あらゆる物や場所に落ちている夜の中から黒い手が現れ、クエンティに向かって伸びていく。
壁から床から、そして天井から。四方八方から黒い手が伸びてくるその光景はもはやホラーといっていい。
「フフッ!」
「!!」
だが、ホラーと違ってその正体は決して理外の正体不明であったりはしない。
魔法とは"変換"によって魔力から生み出される一人の使い手の現実。
クエンティは即座に両腕を五枚の刃……合計十枚の処刑刃へと変身させ、向かってくる黒い腕全てを舞うように斬り刻む。
霧散するリニスの魔法、刃によって斬り刻まれる長い椅子と床。
礼拝堂に砕け散った木片が散り、整っていた空間は乱雑な戦場へと変貌する。
「まるで建物がびっくり箱になったみたいだわ! すごいすごい!」
夜という時間帯のおかげでリニスの魔法の"現実への影響力"は底上げされているものの、クエンティの魔法はそれを上回っている。
(これが報告にあった変身ということか……)
息を殺して椅子の陰に隠れるリニス。
元々、信仰属性は攻撃魔法の"現実への影響力"が低くなりがちな闇属性の相手が得意とされる。その闇属性から派生する夜属性では夜という時間帯のアドバンテージがあったとしても容易に攻略できない。
(どうする……? 魔力切れまで粘れるとは思えない……戦闘しながら機を見て撤退するのが正解だな)
クエンティは信仰属性。暗視の魔法は存在しない。対して、リニスの視界は魔法によって確保されている。
息を潜めて攻撃を続ければいくら肉体の"現実への影響力"が高くてもそれを維持する魔力が削れるはず。しかし、それを続けてクエンティを崩せるとはリニスには到底思えなかった。
だが、闇夜に紛れて撤退するのならば難しくない。
見えないとは慣れぬ者にとってはやはり恐怖だ。視界の差を利用して隙をつけば勝算はあるとリニスは教会の入り口のほうに目をやった。
「夜属性でも色々あるのね。私、あなたの魔法はどれも見た事ないわ!」
「……」
「だんまり? ああ、隠れてるのか。夜属性には闇みたいな暗視があるから有利だものね」
リニスは息を殺し、クエンティはリニスの返答を待つ。
当然、リニスは返事を返さない。
やはり見えていない。数度緩急をつけながら攻撃を繰り返し、撤退するのは充分可能だとリニスが心を緩めた時――
「でもね、リニスちゃん? 私の変身は見たでしょう? 体の一部だけを変身できるってことは……こういう事もできるのよ?」
「!!」
椅子の陰からリニスは見た。
クエンティが数度の瞬きを終えると……その瞳が不気味に光り始めたのを――!
「そこだ」
「っ――!!」
五枚の刃となっていた左腕が蛸の足へと姿を変える。
向かう先はリニスが隠れていた椅子。
リニスは横に飛び込み、向かってくる吸盤のついた触手を回避する。
隠れていた椅子は飴細工のように砕け散り、触手が巻き付いた木材は音を立てて粉砕されていく。
「これでお揃いね」
「くっ……!」
クエンティの輝く瞳がリニスの姿を正確に捉える。
視界の差が無くなれば闇夜に紛れての撤退も難しい。
「魔眼か……!? いや……!」
クエンティの瞳は光ってはいるが、それは魔法の魔力光によるものではない。
「どう? フクロウさんの目みたいにしてみたの。かっこいいでしょう?」
リニスはクエンティの変身を甘く見ていたことを後悔する。
そう、クエンティは目だけを別の生き物の目に変身させていた。
そんな事が可能なのか? 常識がリニスに疑問を浮上させる。
だが、出来ないと思うことすら油断といえよう。
リニスは今まさに、両腕だけを生き物ですらない刃に変身させていたクエンティを目の当たりにしているのだから。
「これでお互いのことが見えるわね、リニスちゃん?」
「『月虹刃』!」
笑い掛けるクエンティと険しい表情のリニス。
闇夜に紛れての奇襲はもう不可能。
リニスは攻撃魔法を唱え、距離をとろうと画策する。
虹色に輝き、伸びていく刃がクエンティの首目掛けて飛んでいくが――。
「へぇ、そういうのもあるんだ」
響く金属音。そして陶器が砕けるような崩壊の音。
リニスの魔法はあっさりと、五枚の刃に変身し続けている右腕に弾かれ、そのまま砕けていく。
自身の知らない魔法を見て感心するクエンティの様子は戦闘というよりは観察だった。
「うーん……どう頑張っても二流ってところかな」
観察の結果を報告するように、クエンティは呟く。
リニスはその間に逃げ道を探す。
背後にある扉から? それとも窓に飛び込む?
クエンティの変幻自在の変身を見たあとでは成功のイメージがわかない。
「夜闇を利用するのはいいけど、範囲を広くしすぎているせいで"現実への影響力"も大したことないし……今日までベラルタ魔法学院の生徒をやってたらもう少し戦えたかもしれないね」
「わざわざどうも。敵の身で講義とは随分余裕だな」
「そりゃあね。センスはあるけど、構築能力は微妙だし、身体能力も普通……なにより、自分のことを信じられない人なんて私の敵じゃないもの」
「……ほう?」
逃げるためにと錯綜しかけていたリニスの思考がクエンティの言葉に惹きつけられる。
「何をもって一流の魔法使い? 貴族かどうか? 家柄? 難しい魔法を使えるかどうか? 魔法の三工程の技術の高さ? それとも国に認められること?」
クエンティは今挙げた全てを否定するようにゆっくりと首を振る。
「全部違う。一流の魔法使いとは、自分の在り方を信じられる者のことをいうの」
「技術は二の次と?」
「技術は勿論大事だけど、技術だけじゃ二流止まり。魔法は魔力を魔法にする技術。そこを支えるのは使い手のイメージによる"変換"。自分を信じられる者、確固たる自分を持つ者こそが……幻想をより強固な現実へと変えられる。あなたにはそれがない」
クエンティの表情は一変して真剣だった。
特定のカタチを持たない肉体とは打って変わって、強固に根付くクエンティの美学がそこにはある。
「信仰とは絶対を信じる事。人も魔法使いも変わらない。自分なら出来る、と……そう思えない魔法使いに未来は無い。自分を信じられない魔法使いの魔法なんて……どれだけ技術があっても、浅いだけなのよ。だから私は……カンパトーレがあんまり好きじゃないの」
「これは驚いた……自国を貶すのかい?」
「ええ、どいつもこいつも外から逃げてきた寄せ集めばっかりがカンパトーレの魔法使いを名乗ってる……それが国の生き残る手段だと頭ではわかっているけれど、感情で納得できないのよ。本物なんて一握り。その本物も大分いなくなっちゃったもの」
いつの間にか、クエンティの右腕は五枚の刃から人間の腕へと変わっていた。
クエンティは戦闘が始まる前のようにもう一度、リニスに向けて手を伸ばす。
「けれど、それはあなたがここで罪人として扱われているからだと思うの」
「……」
「私ならあなたに色々教えられる。センスはあるんだもの。きっとこれからあなたを伸ばせる。罪人として終わる一生から魔法使いとして扱われる人生に変えられる。魔法使いとしてのあなたをあげられる。最初は信用しなくてもいいわ、だから手始めにあなたの父親を助けて信用させてあげましょう」
声までも変えられるのかとリニスは一瞬思った。
クエンティの放つ魅力的な言葉は甘い蜜のように耳に溶けていく。
罪人から一国の魔法使いに。クエンティの誘惑は暗い牢獄から解放されるための人生の分岐点。
そして……ここでクエンティに殺されることがないという救い。
戦闘は絶望的。逃げるのも非現実的。そんな状況下で差し伸べられたクエンティの手は百人が百人手をとってしまってもおかしくない。
「悪いが、断る」
だが、それでも……リニスは拒絶した。
微笑みを浮かべながら断るリニスにクエンティは一瞬固まってしまう。
何故? 頑なに断る理由がクエンティにはわからなかった。
リニス・アーベントはすでに去年マナリルを裏切っている。父さえ無事ならばマナリルにいる理由もないはず。
なのに――何故?
「父親を救えなくてもいいの?」
「よくないさ。けれど、それでも出来ない」
「……ここで殺されてしまっても?」
「ああ、ここであなたに殺されても……私はもう裏切れない。言っただろう? 私には、マナリルにいる理由がある」
「……そっか。殺すのは……嫌いなんだけどな」
今行われた勧誘が恐らく最終通告。そんな事はリニスもわかっていた。
もう自分が生き残るチャンスは無い。いくらリニスが未熟でも、この数手で自分とクエンティの間に圧倒的な実力差があることくらい理解できる。
それでも、リニスはクエンティの勧誘に乗ることだけはできなかった。
「【小さな夜の恐慌】」
リニスの声が教会に響く。
蠢くように、夜の上に落ちていたリニスの影の形が変わった。
夜の上に立つリニスの影は闇を吸って、最後の抵抗をするべく立ち上がる。




