403.勧誘と拒絶
「ああ、安心していいわよ? あなたはちゃんとコルトゥンを監視していたから」
「あぐっ……」
クエンティが足下を蹴るような仕草を見せると、短いうめき声が上がる。
礼拝堂に置かれた縦長の椅子の陰からゆっくりと、怯えた様子のコルトゥンが顔を出した。
クエンティの傍にいるという事は……やはり彼らは繋がっていたという事なのだろう。魔法生命の宿主には辿り着かなかったが、この二人が結び付いていることがわかっただけでもある程度の収穫はある。
「お、おい……」
「ん?」
コルトゥンは顔を出すと、リニスを一瞥してから怯えるようにクエンティのドレスにしがみついた。
「も、もういいだろ……! もう耐えられねえ! もう俺の役目は終わったんだよな!? そうだよな!?」
そう言ってクエンティに縋るコルトゥンの様子は共犯者には見えなかった。
怯えた様子……これは敵である自分に怯えているのだとリニスは思ったのだが、コルトゥンはリニスを気にしている様子は全く無い。
「ええ、そうよ。頑張ったわね。いい子いい子……毎日毎日同じ生活をして辛かったでしょう?」
「気が……気がおかしくなりそうだ……! 自分の生活が全部決められてて、それをずっと誰かに見られてて……! 違う事をしたら今度はあいつに睨まれているようで……! 飯の味はしねえし、酒だってうまくねえ……寝てもすぐに目が覚めちまって、けど、寝ないと同じことをした事にならないからベットの中にずっといなくちゃいけなくて……! 俺は、俺は……!」
「よしよし、頑張ったわね。あなたのお陰でかなり長い時間、目を逸らせることができたわ」
クエンティはしがみ付いてくるコルトゥンをあやすようにぼさぼさの髪を撫でた。
その光景を見てリニスは固まってしまう。
何だこの違和感は?
余裕のあるクエンティと全く余裕の無い切羽詰まった声のコルトゥン。
この二人は今回の一件の共犯者のはずだというのに、どこか意識の違いを感じざるを得ない。
コルトゥンの言い分は完全に被害者のもの。言っていることが本当だとすれば、自分はこの数十日ずっと……何者かに決められた動きを監視させられていたのか?
「あなたの言う通り、あなたの役目はこれで終わりだからもう怯えなくていいのよ? もう大丈夫。言ったでしょう? 私が戻ってくるまでの間耐えればいいって」
「じゃ、じゃあもうここを出て行っていいよな!? あんたらと関わらなくていいんだよな!?」
「ええ、勿論。けれど、雇い主様の事は喋れないようにしてあるから気を付けたほうがいいわよ?」
「勿論だ! 喋らねえ! 喋るもんか!」
「それなら、明日にでもこのダンロード領を出なさいな。もうあなたで時間稼ぎする必要は無くなったらしいから。もう同じことをし続ける必要なんてないわ」
クエンティはにっこりと笑い掛ける。
礼拝堂の中は暗く、コルトゥンにはクエンティの表情は見えていないだろうが、その声は人を安心させてしまうような穏やかさがあった。
今日までの決められた生活と監視の目で憔悴するまでに疲弊していたコルトゥンの精神はその声で完全にほだされる。
「あ、あいつも……あいつももう関わらないんだよな……? 解放してくれるんだろ!?」
びくつきながら、コルトゥンは最後の確認とばかりにクエンティに問う。
「ええ、もうあなたの呪法もほとんど解除しているわ。でも、言葉には気を付けなさいね。あなたがあの方の名前を一言でも言えば……バン! ってなるからね?」
「ひっ……! わかってる! わかってる! もう金輪際関わらない! 関わってたまるか!」
「それなら……裏からどうぞ出て行きなさい。あの方からの最後の指示は明日の朝に出ること……それであなたと私達の縁は完全に切れるから」
「わかった! 約束する! 約束する! へへ……! よし! よしよし! ようやくあいつから離れられる……!」
コルトゥンは解放を喜ぶ笑顔を浮かべ、よろよろと酔ったような足取りで裏の方へと走っていく。
リニスはそれを追いかけられない。
目の前の……カンパトーレの魔法使いが見逃がしてくれそうには無かった。
「待っててくれるなんて優しいのね、リニスちゃん」
「……私の役目は監視対象であるコルトゥンの動向を見届けること。ここで逃げては何も掴めないし、なによりあなたが逃がしてくれるとは思えなかったのでね」
礼拝堂の中は真っ暗だが、リニスにははっきりとクエンティの姿が見えている。
ファニアを通じて聞いたアルムの話ではクエンティは信仰属性。信仰属性に暗視の魔法は存在しない。
相手はマナリルにまで名を轟かせるカンパトーレの魔法使いクエンティ・アコプリス。
格上である事は疑うべくもない。
ならば先手を。自分のみが自在に周囲を見れるアドバンテージを活かして少しでも……実力の差を詰められる状況を作り出す――!
「『静寂の箱』!」
「あら?」
リニスは椅子の陰に飛び込みながら、"変換"を完了していた魔法を唱える。
礼拝堂の壁が、床が、黒く染まった。
月夜が生み出す朧げな闇の上から夜属性の魔法が貼り付けられ、この町でただ一か所、この礼拝堂の中だけ黒が深くなっていく。
礼拝堂がリニスによって魔法の箱に変わったとクエンティは気付くが、すでにその足元は呑まれ始めていた。
「へぇ……世界改変魔法みたいだけど、そこまでの"現実への影響力"は無さそうだから……防御魔法を反転させてるの?」
慌てる様子も無く、クエンティは感心しながら壁や床の変化をまじまじと見つめる。
「ふうん、器用だ……ね!」
「!!」
バキイイン! と鉄を砕いたかのような音が礼拝堂に鳴り響く。音とともに床に貼り付けられたリニスの夜は消えていき、元の月夜の色へと戻っていく。
クエンティは特別なことは何もしていない。ただ力任せに呑まれ始めた足を引き抜き、リニスの魔法から抜け出しただけだった。
そこにに難しい理屈など無い。
クエンティの肉体は血統魔法の影響によって高い"現実への影響力"を持っている。
その"現実への影響力"が単純にリニスの魔法を上回ったというだけの話だった。
「器用だけど……練度が足りないかな」
「くっ……! 化け物め……!」
リニスが唱えたのは位をつけるならば中位魔法の位置づけられるであろう魔法。
その魔法を当たり前のように砕くクエンティにリニスは戦慄する。かつてマナリルを裏切った際に組んだダブラマの数字名持ち達とは格が違う。
「リニスちゃんのことを責めてるわけじゃないよ? マナリルは夜属性があまり発展していないから仕方ないことだもの。けれど、カンパトーレなら、夜属性もそこそこ発展してるから……あなたの得になると思うの」
「……何が言いたい?」
「カンパトーレに来ない? リニスちゃん?」
敵意を持った魔法を放たれても、クエンティは焦って反撃するようなことはしてこない。
それどころか、リニスをカンパトーレに勧誘する余裕を見せつけていた。
「この国にいても……あなたの未来は見えているでしょう? 父親の命令とはいえ国を売っているんだもの。マナリルは父親を人質に、一生檻の中であなたを飼い殺してもおかしくない。けれど、カンパトーレに来れば少なくとも……首輪は消えるわ」
「そうかもしれないね」
「カンパトーレに来るなら……あなたの父親も助けられるように私が働きかけてあげる。私の能力は知っているでしょう? 私なら王城の中は無理でも、王都の地下牢獄への侵入は何とかなるもの」
クエンティの言う通り、リニスの未来は見えている。
一年前、父親の命令とはいえマナリルを裏切り、ベラルタを脅かしたスパイ。
使いやすい手札の一枚として宮廷魔法使いであるファニアに拾われただけに過ぎない。
アーベント家はもうマナリルの貴族として存続することはない。リニスがたとえ子を成したとしてもその子はアーベントを名乗ることは無く、アーベント家はひっそりと消えていく。そんな未来が確定しているのだ。
「去年国を裏切っている経験があるんだし、裏切ることは慣れているでしょう? マナリルはあなたにとってはもう窮屈な檻でしかない。それなら私と一緒にカンパトーレに来てそれなりの自由を手に入れてみない? 父親と一緒に、カンパトーレで新しい生活を手に入れてみない?」
クエンティの提案はそんな未来が待つリニスにとって魅力的なもの。
カンパトーレに行けば、アーベント家は存続する。単純であり、父親の救出というリニスにとってこれ以上無いほどの条件まで付加された引き抜きだ。
「断る」
「……へぇ?」
だが……そんな事はわかった上で、リニスはクエンティの提案を即座に切り捨てた。
「確かに私にとってマナリルは檻に近い。あなたの提案は魅力的なものだが……あなたを信用する理由もない」
「けれど、あなたはもうマナリルにいる理由もないでしょう? それなら、これから私を――」
「ある」
クエンティの話を遮って、リニスは断言する。
その話はもう聞く必要もないと主張するように。
「私にはマナリルにいる理由があり、あなたを信用もしていない。断る理由は充分だと思わないかい?」
拒絶の言葉と涼し気な眼が、心変わりは有り得ないと雄弁に語っていた。
リニスには心変わりが有り得ないと断言する理由がある。
「……フフッ! そうね。あなたの言う通り。でも残念だわ、お友達や恋人の一人でも連れていけたらカンパトーレの生活も少しは楽しくなると思ったんだけど……失敗みたい。引き抜けないなら……雇い主様の言う通りにするしかないか」
勧誘の失敗を嘆きながら、クエンティの目が変わる。
「【真実の偽愛】」
無限に重なるかに思われた声は聖歌のごとく礼拝堂を埋め尽くす。
その音のみでリニスを圧殺するかのように。
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