402.変化
舞台の上では演者達が名演を繰り広げる。
劇場にいる客の全員が、固唾を飲みながら物語の行方を追っていた。
当然、エルミラの視線も舞台に釘付けとなっている。
物語の筋書きとしては、魔法無き世界で貧困に苦しむ村に住んでいた主人公が周囲の村々の民を纏め上げ、理不尽な圧政を強いる領主へと反旗を翻すというよくあるもの。一つ変わり種があるとすれば、主人公が辛い思いを吐露する際、その都度神と名乗る脇役が主人公を奮起させる助言や慰めの言葉を送るのだが……その神だと思っていた者の正体が実は同じ村に住んでいた少女だということだろうか。
決して届かぬ存在だと思っていた者はおらず、その事実を受け止めた主人公は身近な存在のためにより一層心を奮い立たせるという点が観客を引き付ける。
「決して! 決してそんなことはない! 僕はここに来るまでに知った! 奇跡など無くとも輝ける人の何たるかを! そこに王も民も関係ない!」
主人公が迫力ある声量と演技でクライマックスを高めている。
観客の視線も自然と、主人公……そして敵対する暴君の領主のどちらかに向けられる。
高鳴る音楽とともに、主人公の声が物語の根幹に触れていく。終焉の気配を漂わせながら。
しかし、エルミラが見ていたのは主人公でもなく、敵役の暴君でもなく、ましてや物語の行方でもない。
「……」
何故物語には主人公という華やかな存在がいるのか。そんなのは簡単な事だった。
それは主人公と呼ばれるべき人間が現実にも存在するからに他ならない。
才が無くとも這い上がり、認めさせる人間が。
才を正しく振るい、認められる人間が。
自身の価値を信念と在り方で示す者達が、現実にも存在する事をエルミラ・ロードピスは知っている。
エルミラがずっと見ていたのは、主人公と敵の会話を際立たせるために光の当たっていない暗がりに居続ける……名も無い役だった。
舞台には出ているものの、物語上のスポットに当たっていない誰か。
いないわけではないが、別にその人物でなくてもいい誰か。
舞台の中で主人公の視線の先におらず、舞台の外からの観客の目にも止まらず、主要人物に追いつくことはない何者か。
それがきっと――自分なのだと。
まるで舞台の上は縮図のようだと、エルミラは静かに自嘲する。
誰も注目していないというのに、その名も無い役はずっと演技を続けていた。
「……」
エルミラはそれをずっと黙って見続ける。
その名も無い役から目を離したら、自分までどこかへ行ってしまうような感覚に陥って。
耳に入ってくる主要人物達の声を聞きながらもずっと、エルミラは名の無い役が袖に掃けていくその時まで……ずっと見続けていた。
しばらくして、物語は閉幕した。
カーテンコールによって出てくる演者達は観客の喝采を浴びて、輝くような笑顔を浮かべている。
演者の紹介が終わり、次の公演の宣伝が終わると今度こそ完全に幕は閉じた。
今日のイプセ劇場での公演はこれで終わりである。見ている限りトラブルも無ければ不審な様子もない。客達が退出し始める時間になってもファニアの感知魔法にも何も引っ掛からず、少なくとも客を巻き込んでの異変はもう起きないであろう。
「いやあ、よかった……流石は新進気鋭の役者だ……あの歳で何とも繊細で迫力ある演技をする……」
「……そうね、面白かったわ」
「そうだろうそうだろう」
エルミラは気が抜けたように背もたれに体を預ける。
ファニアは満足そうに再びパンフレットを開いていた。サインを貰えたりしないだろうか、と本気で悩んでいるようで微笑ましい。
「おい」
「なによ?」
隣のモルグアは座ったまま、エルミラに声をかける。
エルミラはどうせまたくだらない事を言われるのだろうと相手をする気が無い。なにせ、三公演続けて見ているので単純に疲れているのだ。
「いや……なんでもねえわ」
「あ、そう」
かける言葉が何も見当たらなかったのか、モルグアは立ち上がる。
そしてそのまま劇場から退出していった。
ファニアはモルグアが出ていくのをちらっと見送ってから、エルミラに耳打ちする。
「……で、あの者は本当に大丈夫なのか?」
「ただのやっかみよ。少なくともアルムが出会ったっていう"恋人"じゃないでしょ。何もしてこなかったし」
「ならいいが……君が少し辛そうに見えたからな。何かされているのかと勘違いしたぞ」
言われて、エルミラは驚いたようにファニアのほうを見る。
「私、辛そうだった?」
「ああ、目に見えてわかるくらいには」
「そっか……そうよね……」
――私は今、辛いんだ。
という事はやっぱり吹っ切れていないのだろう。
母親に突きつけられた言葉が夢の中で反芻するくらいには……私は今、自分の価値に疑問を抱いているのだ。
果たして……自分は今いる場所にいていい人間なのか?
自分は今一緒にいる人達と釣り合うほどの価値を……示せているのだろうか――?
どれだけ自問しても……嫌な答えしか帰ってこない。
ファニアとエルミラがイプセ劇場にいる時間と同刻。
ダンロード領の町フォルマのとある酒場にて、リニス・アーベントはもう数十日と続けているコルトゥンという男の監視を続けていた。
とはいっても、同じ酒場に入っているわけではない。夜属性の魔法によって姿を見えにくくしながら、屋根の上から酒場の中を覗いている。
「今日も特に変化は無しか……」
コルトゥンという男はぼさぼさの髪に伸ばしっぱなしの髭、少し汚れた服に憔悴した顏をしていて、近寄りがたい風貌をしていた。
そんな風貌の男がいつもと同じような時間、いつもと同じような動きをし続けているので住民の間でも噂になり始めているほどだった。
そんなコルトゥンは今苛立ちを表すように貧乏ゆすりをしながら酒を飲み、誰かに見られているという事実には気が付いているのかきょろきょろと落ち着かない様子である。
監視されているストレスからなのか、コルトゥンという男は常に苛立っているといってもいい。酒場でトラブルを起こした事も何度もある。
リニスにとってはコルトゥンが酒を飲むのをずっと見続ける暇な時間だ。
コーヒーが飲みたいな、どの豆を使うか考えながらリニスはコルトゥンの動きをじっと待つ。酒場は町の住民が入退店を繰り返すが、コルトゥンと接触する者はいない。
しばらくして、飲み終えたコルトゥンが金を払って酒場から出てきた。
「カウンターで簡単な飯を食べ、ビールを三杯ゆっくり飲んで退店。今日もいつも通りでなによりだよ。この後もいつも通り宿に……ん?」
酒場から出てきたコルトゥンの様子がいつもと違うことにリニスは気付く。
数十日監視し続けていたのだから間違いない。
しかも、歩き出す方向は宿のほうではなかった。
きょろきょろと周囲を警戒しているのは変わらないが、その足取りは妙に軽いように見えた。
「娼館がある方角でもない……ついに痺れを切らしたか?」
リニスが期待するのは反魔法組織を使って霊脈を調べていたであろう魔法生命の宿主。
ついに今回の一件の黒幕が判明するかもしれない。尾行がばれないようにリニスはコルトゥンの後を追う。
コルトゥンは走り出し、段々と人気が無い場所へと。きょろきょろと周囲を見渡しながら、口元には期待するような笑みを浮かべている。
一体どこへ向かっているのか?
尾行して着いた場所は教会だった。この町フォルマに複数ある使われていない教会。今は住民達の憩いの場となっている場所の一つだった。
「ふう……ふう……はは……はは……! ようやく、終わりにできる……!」
コルトゥンは息を切らしながら笑い、教会の中へと入っていく。
普通なら施錠されている鍵も何故か開いているようだった。恐らくは、待ち合わせ相手がすでに中にいるという事だろう。
「なるほど……いかにもな密会場所というわけだ」
リニスも念のため、周囲を警戒しながら教会に近付く。
魔法で偽装しているとはいえ、用心に越したことはない。コルトゥンの後にここに来る人物がいないことを確認して、扉に耳を当てる。
「……ろ……! も……生活……だ!」
扉の向こうからはコルトゥンが何かを叫んでいるような声が聞こえてくる。
待ち合わせ相手を呼び掛けているのだろうか。何を言っているかまでは聞こえない。
「相手はまだ来ていないのかな……?」
リニスは聞き取るのを一旦諦めて近くの窓から中を覗く。
すると、礼拝堂の中心でずっと誰かを呼び掛けてるコルトゥンがいた。必死な形相で呼び掛け続けているその姿はどこか鬼気迫るものがある。
「……今からファニア様を呼んでいては…………」
ここからイプセ劇場までは強化を使って走ってきてもざっと三十分はかかるだろうか。
それまでコルトゥンとその相手が教会に居続けてくれるとは到底思えない。
「コルトゥンが何を言っているかだけでも確かめたほうが……」
リニスからすれば数十日待ってついに動いた手掛かり。
この機会を逃すわけにはいかないと、リニスは教会の扉を静かに開け、身を屈めて中へと忍び込む。
教会の中は窓から入る月光だけで外よりも暗いくらいだ。だが、夜属性のリニスにはそんなものは関係ない。
礼拝堂の真ん中で叫び続けるコルトゥンも薄っすらと見えている。叫び疲れたのか、肩で呼吸をして周りをきょろきょろと見渡している。
そして――
「うふふ、簡単に引っ掛かってくれて助かるわ」
「――!!」
リニスが暗視で見ていたコルトゥンの姿は一瞬で、見知らぬ女の姿へと変わった。
憔悴しきった顔は自信に満ちた嘲笑に変わり、ぼさぼさの髪はストレートに、伸ばしっぱなしの髭はどこにもなく、汚れた服はドレス姿へと。
誇張無く、一瞬だった。思い当たるのはアルムからの報告にあったカンパトーレの魔法使い――!
「こんばんはリニス・アーベント……私のことはアルムくんから聞いているでしょう?」
(ば、馬鹿な……! いつから――!)
その変身の速度はアルムの報告通り、驚異的……否、狂気的。
これこそ自らの肉体のカタチを捨てたクエンティ・アコプリスだからこそできる絶技。
一体いつから? 一体どこから?
自分が監視し続けていたのは果たしてコルトゥンだったのか、それともクエンティだったのか。
ずっと監視し続けていたはずのリニスの記憶は、そのたった一回の変身で揺らいでいく。
混乱を無視し、闇の中に立つクエンティはリニスのほうに手を伸ばした。
「私はクエンティ。クエンティ・アコプリス。ねぇ、あなた……私の恋人になってみない?」
脅迫にも近い誘惑。
伸ばされた手は羽ばたく毒蝶のように、夜闇に紛れているはずのリニスを誘っていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
最近は土日を更新休みの日にしていますが、水曜更新できなかったので明日の土曜は更新したいと思います。
是非読みに来てやってください。




