398.もやもや
「ふわあ……朝から温泉ってのも贅沢な話ね……」
プラデライ温泉は朝から空いており、エルミラは無事露天風呂にありつけることができた。
広大な露天風呂には客も少なく開放感に溢れており、朝日を浴びながら入る温泉はまた違う気持ちよさがあった。
悪夢によって朝から疲弊させられた体にはありがたい。
「……なんで昔の夢なんて見るようになっちゃったのかしら…………」
ベラルタに来てからは、昔の記憶を夢に見ることなんて無かった。
アルム達と出会ってからの日々はそれほどに穏やかで心地よく……そんな悲しい過去を夢見る暇もなく楽しかったということだろう。
学院に入る前には想像もしておらず、自分達を脅かす危機に立ち向かわなければいけない波乱の日々ではあったものの……充実した日々だった。
それなのに――何故今になって過去を見るのだろう?
わからない。
あの日の夢を見るだけで自分の心がゆっくりと削がれていっているようだ。
昔はよく見ていた。夢を見て泣いていた。
見なくなり始めたのは血統魔法を習得して、魔法の訓練に没頭し始めた頃からだったと思う。
私は今何か……あの日を思い出さなければいけないような状態なのだろうか。
「はぁ……」
エルミラはため息をつく。
ベネッタの寝顔でやわらぎ、温泉にも入って少しは気が紛れたが……どこか重い。
それに――。
「……あいつとも喋れなかったし」
昨夜のことを思い出して拗ねるように、エルミラは呟いた。
体調不良なのだから仕方ない。割り切れないけど割り切るしかない。
「ま、でも……ある意味……」
そう、ある意味話せなくてもよかったのかもしれないとエルミラは思い直す。
なんというか、弱った状態はあまり見せたくない。
あいつが自分を頼りにしてくれているのはわかっている。
だからこそ……あいつの前では強い女でありたいと思っている自分がいる。
弱さを見せるのは山であの虫を相手にした時の一回きりで充分なのだ。
「お隣よろしいですか?」
「どうぞって……」
エルミラが考え事にふけっていると、後ろのほうから声をかけられる。
そこにはダンロード邸で会った今回の事件の情報提供者であるカトコ・タカハシがいた。
透き通るような肌とスレンダーな体は一瞬同性であっても見惚れるほど美しく、水音も立てず湯に入っていくその静謐な姿は朝という時間がこれ以上無いほど似合っていた。
何でこの人ここにいるの? という当然の疑問を忘れるくらいに。
「あ、えっと……カトコ、さん? でよかったでしたっけ……?」
「はい、カトコです。覚えて頂けて嬉しいですエルミラ様」
カトコは子供のような満面の笑みでエルミラに応える。
落ち着いた雰囲気を醸し出しながらも、子供のような一面が顔を覗かせるような笑顔だった。
「お邪魔してごめんなさい。土いじりをした後にここに来るのはカトコの日課になっていまして……エルミラ様をお見かけしたものでしたからついお話したいなと……よろしいですか?」
「あ、いや、全然大丈夫……ですよ」
「まぁ! 嬉しいです! 同性の方とお話できる機会があまりないので!」
エルミラは一応の警戒をする。
たとえ情報提供者とはいえ、そしてルクスの知り合いだからと完全に信頼して良いわけではない。
このカトコという人物が何か糸を引いている可能性もあり得るのだから。
きょろきょろと辺りを見回すと、二人ほど他の客とは目付きの違う人間がいるのにエルミラは気付く。恐らくはディーマがカトコにつけた監視の魔法使いだろう。
ある程度の自由が許されるくらいには信頼はされているらしいが、監視対象として監視はしっかりと付いているようだ。
「あの……土いじりっていうのは?」
「子供の頃からの趣味なのです。ディーマ様の邸宅のお庭は見て頂けました?」
「えっと……」
エルミラは馬車の中から見たダンロード邸の庭を思い出す。
小さな噴水の周りに色々な形に刈り込まれたトピアリーが置かれていたのは何となく覚えていた。
「はい、噴水の周りに色々あって……」
「あれを作ったのはカトコなんですよ」
「え? すご……庭師がやったんじゃないの?」
「うふふ、こうしてエルミラ様に驚いて頂けるとカトコも頑張った甲斐があったというものです」
上品に笑いながらも、湯の中で音の無い拍手をしたりと無邪気な喜び方を見せるカトコ。
可愛らしい人だな、とエルミラは素直に思った。
「聞いていいかわからないけど、地属性な……んですか?」
「はい、地属性です。木々や花が好きでして……色々と趣味で庭をいじっているうちに魔法のほうも自然とそちらに役立つような属性になっておりました」
属性は基本的に血統魔法に合った属性か、家系の伝統で決定するパターンがほとんどだが、少数ながら自分の好みを貫いて決定する時もある。だが、そんなぽわぽわとした理由で属性を決める人がいるとは思わず、エルミラは少し驚いていた。
「常世ノ国では世話係をしていたせいか暇な時間が苦手でして……ただ監視されて暇な時間を持て余すくらいならとやらせて頂いたのです。お世話になっているダンロード家へのせめてものお礼も兼ねて」
そういえば、と今回の一件についての話をオウグスから聞いた時のことをエルミラは思い出した。
カトコさんは使用人をしていたみたいなことを確かにルクスは言っていた。
貴族が貴族の使用人をするというのはマナリルでは珍しい。
マナリルで貴族が使用人のようなことをするのは王城でのみだ。
「常世ノ国では、その……貴族が貴族の使用人をする……んです、か?」
「必ずしもそうなるわけではないのですが、そういった役割の家系もありますね。コクナ家を補佐するヨシノ家やヤマシロ家を補佐するカトコのタカハシ家のように……ああ、こちらの補佐貴族がもう少し密接になったような感じでしょうか?」
「ああ、なるほど……ちょっと雰囲気つかめたような気がする……」
「補佐する家が御立派ですと、なんとも誇らしいものです」
思えば、シラツユとは常世ノ国がどんな国かという話もあまりしていない。
無意識に避けていたのかもしれないがそれも当然。シラツユにとっては魔法生命によって蹂躙された故郷の話だ。
情報としてなら聞くべきだが……友人間の話題としてはあまり相応しくないだろうから正解なのかもしれない。
「エルミラさんは……浮かない顔をしていらっしゃいますね?」
カトコはエルミラの顔を覗き込む。
顔に出ているのかとエルミラは自分の頬のむにむにと触った。それで変化などわかるはずもないのだが。
「ディーマ様が仰っていたことを気になさっていたのなら……。その、誤解なさらないでほしいのですが、ディーマ様は決して悪い御方ではないんですよ。私にこうしてある程度の自由も与えてくださる方ですから。ただ……人を見定める際には正直になってしまう御方のようですからあのような言い方をしてしまったのだと思います」
「そう、なんですね……」
エルミラが今浮かない顔をしているのはそれが理由ではないのだが、カトコがディーマをフォローしながらも自分を慰めようとしている言い回しに申し訳なくなり、そのまま話を聞く事にする。
「言われた事が心労になっているようでしたら、どうかお気になさらないほうがいいと思います。人が人を真に理解するにはやはり関わらなければいけないのです。一目見ただけで人が人を理解することなどあるはずがないと……カトコはそう思いますから。あ、あくまでカトコの考えですのでどうかディーマ様にはご内密に……」
カトコは唇の上に人差し指を立て、しっー、と秘密にするようなジェスチャーをする。
多分カトコの監視はこの会話を聞いているだろうから意味は無いのではと思ったが、一応同じジェスチャーで返しておく。
それだけでカトコは嬉しそうに笑った。秘密にはしゃぐ童女のようで微笑ましい。
「その、ありがとう……ございます。カトコさん」
「お礼だなんてそんな……カトコが思ったことを話しただけですから」
「あの……もう一つ聞きたいことがあるんですけど……」
「なんでしょう? カトコに答えられることならお答えしますよ」
エルミラは一瞬躊躇って生唾を飲み込むが、好奇心が前に出る。
昨日、話せると思ったあいつと話せなかったというのも理由の一つかもしれなかった。
「その、アオイさんって……どういう人でした?」
エルミラが訊くと、カトコから一瞬表情が消えたように見えた。
カトコはエルミラに小さく頭を下げる。
「……申し訳ありません。アオイの血縁の方ならともかく、他人にお話することはできません」
「すいません、そう、でよね……」
当然かという気持ちと落胆がエルミラの中で入り混じる。
何故そんな事を聞いてしまったのだろう?
「エルミラ様はルクス様のお友達ですから気になるのは当然かと思います。そうですね……血縁であるルクス様から御許可を頂くか、同席してくださるようであれば改めて、カトコの口からお話させて頂きますね」
「はは……ありがとうございます……」
話はどうあれ……カトコの優しさと話して少し気が紛れたことには感謝をしながら、エルミラはゆっくりと体を沈ませていった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
庭が綺麗なところってすごいですよね。




