392.イプセ劇場にて4
「『永久魔鏡』」
アルムの周囲に展開される人間大の大きさを持つ五枚の鏡。
避難する客を狙われないよう、強化よりも先に対魔法使いのための魔法を唱える。
「大きな鏡……。ああ、でも……私を映してはくれないのね」
どろり。
サンベリーナの姿をしたクエンティの輪郭が緩くなる。
次の瞬間にはクエンティの姿は最初に見た元の女性の姿に変わっていた。
「残念」
次に跳躍。
足場にしていた椅子の背もたれを蹴り壊し、アルムのいるバルコニー席へとクエンティは跳び上がる。
すでに強化をかけているかのような身体能力。
アルムは一枚の魔鏡でクエンティの進行方向を遮りながら強化を唱える。
「『強化』『抵抗』」
「フフッ!」
アルムが補助魔法を唱えているうちに、クエンティはアルムとの間を遮っている魔鏡に掴まり、
「勿体ないけど……ドン!」
「なに!?」
そのまま、一枚の魔鏡を握り壊した。
バキバキ、と見える細腕からは想像もつかないパワーに獣化を疑うが、クエンティの体は人間のままだった。
「肉体そのものが血統魔法か――!」
「発動してから時間が経たないと"現実への影響力"が低いままなのが……あなたの弱点だものね?」
そう、魔法は"現実への影響力"によってその威力や在り方が決定する。
シラツユという前例もあり、クエンティの血統魔法が肉体そのものなのはすぐに想像がついた。
ならば――バルコニーまで跳んだ跳躍力も今のパワーも納得がいく。
血統魔法そのものと化しているクエンティの体が、何らかの"現実への影響力"で強化の補助魔法に匹敵する身体能力となっているに違いない。
「肉体そのものかぁ……半分正解」
「!?」
アルムが死角から飛ばす魔鏡をクエンティは回し蹴りで破壊する。
割れる音が劇場に続けて響き渡り、劇場に残っている客はようやくこれがサプライズの演出ではなく緊迫した事態だと気付き、悲鳴を上げながら逃げ出し始めた。
明後日の方向に逃げてしまう客達をファニアが誘導するのをアルムは横目に確認して視線を戻す。
その瞬間――
「アルム!」
「え」
不意に耳に届いたファニアの声。
アルムの視線が再びファニアのほうに無意識に向いてしまう。
「違う! 私じゃない!!」
ファニアが否定するその一瞬の間に、クエンティはアルムが自分の身を守るために展開していたもう三枚の魔鏡にまで辿り着く。
二人がいたバルコニーとフロア席の間にあった距離は、瞬く間に無くなった。
「似てた?」
「っ……!」
狡猾にして無駄の無い速攻。
クエンティは自身の能力で出来る手札を最小限に使い、『永久魔鏡』で展開した五枚の魔鏡のうち四枚を"現実への影響力"が上がる前に破壊した。
「『幻獣刻印』!」
残った最後の魔鏡のコントロールを放棄し、アルムは接近戦に備えて魔法を切り替える。
アルムの体に刻まれる魔法式。そこから伸びる爪と牙が存在しない獣の形を体に宿す。
「あら、厄介なやつね。じゃあ私も」
どろり、とクエンティの輪郭が揺れる。
そして――
「【真実の偽愛】」
無限に重なるかと思われた声。
閉幕したはずの劇場に魔の合唱が響き渡り、たった一人の演目が開演する。
「な……に……?」
クエンティの体から音が鳴った。
骨が割れるような、肉が破けるような、皮膚が裂かれるような。
メギ、メギメギ。
およそ人間からは発せられない音。
アルムはその変身に目を疑う。何故なら、クエンティの右腕は人間の腕ではなく……断頭台で落とすような鋭く巨大な五枚の刃へと変わっていた。
「フフッ! 爪みたいにしてみたわ」
言葉の軽さとは裏腹に、振るう右腕の重さと鋭さは幻ではなく本物。
バルコニーごと引き裂きかねない五枚の刃をアルムは獣化によって生やした両手の爪で受け止める。
「ぐ……! っ……!」
「まだ無理でしょ?」
割れたような音とともにアルムの両手に作られた爪が砕け散る。
バルコニーを切断するはずだった一撃を空に逸らすのが精一杯。
すぐさま"変換"をして爪を再生させるも、今度はクエンティの左手がアルムのほうを指差して――
「ドン」
「!!」
槍のごとき鋭さで向かってくる細い針――元は左腕だったはずの針をアルムは顔を全力で逸らして躱した。
針はアルムの頬の皮膚を裂き、周囲に少量の血が飛び散る。
もう一度、五枚の刃と化した右腕をクエンティは振るう。
アルムはそれを両手の爪を砕かれながら弾き、軌道を逸らすしかない。
まだ『幻獣刻印』発動して十数秒。時間をかけなければ十分な"現実への影響力"が出せないという欠点を突くようにクエンティは畳み掛ける。
「蛸好き?」
答える間も無く、クエンティの四肢が蛸のような触手へ変わる。
立っているバルコニーを這うようにアルムの足元に張り付き、吸盤を蠢かせながらアルムを狙った。
「食べるのは嫌いじゃない!」
アルムは貼りつこうとする触手を爪で引き裂く。
だが、クエンティには一切ダメージがある様子は無い。いや、それよりも問題はそんな所ではない。
「何故……人間以外に変身できる……!?」
避難させながら二人の戦いを見ていたファニアは驚愕を隠せなかった。
『変身』の魔法を好んで血統魔法に選ぶ者は少ない。血統魔法の"現実への影響力"をもってしても変身には致命的なハンデがあるためだ。
変身とはいわば自身の肉体の否定。変身という魔法そのものが使い手の肉体という現実を否定しており、その時点で魔法使いとしては致命的なハンデとなってしまうのだ。
これこそが血統魔法でないと変身が成立しない最大の理由であり、戦闘に向かないとされる理由でもある。
人間に変身する、魔獣に変身するなど……特定の方向性を決めなければ魔法として成立することすら難しく、特定の人間に変身する場合は肉体の否定と自己の否定の二つのハンデを乗り越える必要がある。
魔法使いにとって、自己を捨てるというのは致命的な弱体化となる。名前を捨てれば血統魔法が使えなくなるように、普段の肉体でなければ魔法も上手く構築できない。
だからこそ……ファニアはクエンティがサンベリーナに変身した時、アルムに任せても問題ないと判断した。
宮廷魔法使いである彼女は、人間に変身する血統魔法の戦闘能力が皆無であるということを知っているから。そう、本来なら皆無であるはずなのだ。
「もしかして、カンパトーレの魔法使いだからって嘗められていましたか?」
意地の悪い笑みを浮かべながら、また輪郭がぼやける。
どろっとした次の瞬間、
「まぁ、わかるわよ。傭兵国家とか何とか言って要は他国で上手く行かなかった弾かれ者が集まる国だから」
「エル、ミラ――!」
エルミラの声と体でありながら、両足は蛸の触手のまま。床を這っている。
少し変わった人魚のような造形に不気味さを覚えるもそれだけにとどまらない。
「ヴィクターとかも持ち上げられてるけどー、所詮は珍しい属性で初見殺しするだけの手品師みたいなものだしー。ラドレイシアとかただ制御できないだけだしねー。二流だよ二流ー」
「ベネッ……タ……」
「ば、馬鹿な……!」
今度はベネッタの顔で、右腕は巨大な五枚の刃に変わり、両足は蛸のまま。
夢見が最悪な悪夢を目の前で見させられているようだった。
次々と見せられる自由自在かつ奇怪な変身の連続に、ファニアも遠くで声を上げてしまう。
通常の変身の法則をクエンティは完全に無視している。
刃のような無機物から、戦闘に長けているとは思えない異種族の蛸、極めつけは全身でも一部だけでも他人に変身できるという自由度。
有り得ない。そうして、目の前の現実を否定するしかなかった。
「なんなんだこの滅茶苦茶な変身は……! 一体どうやって……!」
「ほう、気になるか?」
「こ、の――!」
遊ぶように、クエンティは今度はファニアの顔に変身する。
右腕と両足は異形のまま。クエンティは今あまりにちぐはぐな存在となっている。
「その顔で……!」
「あら、そう? じゃあこっちで」
クエンティは最初に会った女性の姿に戻る。
右腕にあった五枚の刃も、蛸となった両足ももとに戻った。
「簡単なのよ。みんなやらないのが不思議なくらい。ようは変身のハンデを取りはらえばいいのよ?」
「……?」
「どういう、意味だ……?」
「要は肉体の否定と自己の否定のどちらかをクリアすれば、"現実への影響力"が阻まれることも無くなるじゃない?」
ファニアにはクエンティが何を言っているかわからなかった。
それをクリアできないから、変身は弱いのだ。
人間は肉体がなければ現実に存在できないし、自己がなくては魔法使い足り得ない。
「ま、まさか……」
「ああ、やっぱりあなたは気付くわよね。似たような事やってるもの」
アルムは声を震わせた。
クエンティもアルムが気付いたことを不思議がっていない。
「似て、いる?」
何がだ? そうファニアが聞こうとした時、クエンティはネタバラシをする。
「自分の肉体を捨てたのよ。私、元の体がどういう姿なのかもう覚えていないの。だから私の血統魔法は肉体の否定を無視できるの。だって元の肉体を知らないんだから。単純でしょ?」
「…………なに、を……?」
ファニアにはクエンティが何を言っているのか、わからなかった。
「変身の魔法だからって人にだけ変身するなんてつまらないでしょう? せっかく誰かに変身できる素敵な血統魔法なんだから……もっと素敵にするにはどうしたらいいかしら? って考えた時に思ったの。私の元の体を捨てればもっと色々なものになれるんじゃないかしら、って」
「……っ」
「……」
「だって私が私であることを認識している魂はあるわけだから……体って別に必要ないでしょう? 私が私であることさえわかればそれだけで自分と他人は区別できるもの。そうしたらほら、色々なものになれるようになったわ」
いかれている、そう口にすることすら出来なかった。
発想があまりに突飛で頭がついていかない。
肉体とは自分という存在の器そのもの。それをまるで古着を捨てるような感覚で放棄するなど、人間がしていい発想ではない。
「あなたは誰? そう聞かれて答えるのに肉体は不要でしょう? だって私はクエンティだと答えることができるのだから」
……当然だが、カンパトーレは最初から傭兵国家だったわけではない。
カンパトーレにも当然カンパトーレで生まれ、カンパトーレで育ち、カンパトーレで歴史を重ねた家がある。
その家は当然、カンパトーレに流れ着いただけの雑兵とは比べるべくもない。
マナリルの四大貴族やダブラマの上位五人の家系のように……カンパトーレを真に支える魔法使い達が存在する。
「私は誰? 私はクエンティ。 あなたは誰? 私はクエンティ。自問にも質問にも私の魂は揺るがない。私はクエンティ・アコプリス。そう答えられる私がいる。これ以上の自己の証明なんてこの世界には必要無いのだから」
その一つこそがアコプリス家。
傭兵国家となる前から存在し、密偵として細々と生き残り続け――クエンティの世代でついに華開いたカンパトーレが誇る家名の一つである。
いつも読んでくださってありがとうございます。
私達も自分を否定すると精神的にきつくなったりしますよね。
この世界の魔法使いはそれが魔法にも影響が出てしまいます。精神力が大事なので当たり前だろと言えば当たり前なのですが……。
自己を否定するのは魔法使いにとっては致命的なのです。
自己肯定感大事。




