391.イプセ劇場にて3
「フロリアさん、そんなにかしこまらなくてもいいですわ」
「あ、はい……!」
研鑽街ベラルタのミスティ宅。
招待されたフロリアは借りてきた猫のようにソファの上でガチガチだった。隣に座るネロエラはそんなフロリアを見て持っている本のページにペンを走らせる。
《フロリアが変》
「わ、わかってるわよ……けど、ミスティ様に招待されるなんて今でも……これ夢?」
《現実》
「わかってる……なんかいい匂いするもの」
ネロエラの本に書き込まれた短い事実に緊張はさらに加速し、ティーカップを取る手は震えている。口に運ぶまでが異常に危なっかしい。
「今日はお聞きしたいことがありまして……ラナ、下がってもらっていい?」
「はい。控えておりますので気軽にお呼びつけください」
そう言い残すと、ラナは三人に一礼してから退出する。
ラナが出ていったのを確認すると、ミスティは二人に尋ねたかった用件を切り出す。
「今日お呼びしたのはお二人にお聞きしたいことがありまして……二人の血統魔法についてのお話が出るかもしれなかったので招待させて頂きました。御足労感謝致します」
「何を言っているんですか! ミスティ様のためならどこだって駆け付けますよ!」
「うふふ、ありがとうございます」
緊張で若干冷静じゃないフロリアに代わって、ネロエラはペンを走らせる。
《秘匿すべき内容以外なら私もお話します》
「ネロエラさんもありがとうございます。実は……」
ミスティは二人にアルム達を見送りした時に起きたことを話した。
ネロエラとフロリアの血統魔法は形は違えど、自分の姿を変える"現実への影響力"を持っている。
片や幻影、片や獣化。厳密な定義は違えど、どちらも『変身』の領域だ。
「サンベリーナさんの姿で……随分大胆ですね」
「はい、私は変身のような魔法を使わないので詳しくなく……お二人の意見を聞けたらと」
「声もサンベリーナさんでしたか?」
「はい、正直違う点はよくわかりませんでした」
ミスティもルクスも、サンベリーナ本人と出会わなければあれが偽物だとは気付かなかっただろう。
それほどに、あの日見た姿はサンベリーナそのものだった。
「その偽サンベリーナさんはベラルタにいたはずなのですが、現状何も被害が出ておらず不気味で……。それにアルム達が出発した後すぐに出ていかれたのでアルム達に何かあったらと少し気がかりなのです」
ミスティが二人に不安を吐露すると、ネロエラはペンを走らせる。
《気休めかもしれませんが、変身を使う魔法使いは戦闘にはかなり不向きなのでアルム達なら大丈夫だと思います》
「私もネロエラと同じ意見です。本物のサンベリーナさんと見間違うくらいでしたら情報収集をする密偵がよく作らされるタイプかと……他者への変身は難しい割に戦闘に向いてないというのが基本ですから」
「それは私も知識として知ってはいるのですが……作らされるというのは?」
「えっと、昔やっていた手法なのですが、下級貴族の跡継ぎじゃない子供にわざと別姓を与えて変身の血統魔法を一から作らせるんです。それで密偵用の家系を作るんですよ」
「そんなことをすれば元の家の血統魔法の"現実への影響力"が……」
血統魔法はその家名に連なる使い手の歴史や血統魔法が起こした事象が記録されて"現実への影響力"が積み上がっていく。
一人使い手を減らすということはその分積み上がったはずの"現実への影響力"を放棄してしまう……それはつまり、同世代の貴族全てから出遅れるということだ。歴史の浅い下級貴族が最もやってはいけない行為である。
「はい、才能の乏しい下級貴族の血統魔法なら多少削ってもいいという発想らしく……マナリルでは感知魔法を開発する方向に発展したのでそういう家系はほとんど無いんじゃないでしょうか。完成度の低い変身は感知魔法ですぐばれてしまいますし、血統魔法で変身しているってことは戦闘力は他の魔法使いに劣りますから、すぐに殺されちゃいます。マナリルは早い段階でそれがわかっていたので流行らなかったんでしょうね」
「そうですわよね。誰かの姿になれるのは情報収集としては優秀なのかもしれませんが……魔法使いとしては致命的ですもの」
ミスティとフロリアの話に補足するようにネロエラはペンを走らせる。
《基本的に戦闘能力を保有できる変身は獣化くらいだと思います。肉体的に戦える存在に変身でもしないと戦闘には活かせません》
「ネロエラの言う通りです。同じ種族の誰かに変身するのって自分を否定する行為一歩手前なので、"現実への影響力"のバランスが大変なんですよね。自分みたいに幻影を相手に見せたり、ネロエラみたいに全く違う存在に変身しないと……ネロエラの血統魔法でさえ体をいじって適応させているくらいですから」
《牙以外はタンズーク家の秘匿事項なので教えられません。申し訳ありません》
「血統魔法に関する秘密ですから当然ですわ、どうか頭を上げてください」
申し訳なさそうに頭を下げるネロエラ。ミスティはすぐに頭を上げさせる。
血統魔法はその家系の生命線。どれだけ家の格に差があったとしても教えてはいけないのは常識だ。
カエシウス家の補佐貴族だったからか、二人にはまだ距離を感じることがミスティは少し悲しかった。
「結論から言うとですね、たとえどれだけうまく他人に変身できても、戦闘が苦手な私のような魔法使いにしかなりませんので……その偽サンベリーナさんもベラルタの情報を収集しに来ただけなのではないでしょうか?」
フロリアの言葉にネロエラもこくこくと頷く。
「血統魔法の無いアルムには奇襲か不意打ちしてようやくって感じだと思います。アルム達みたいに戦うのに慣れてる人には絶対太刀打ちできませんよ! 保証します!」
「クエンティ……。まさか反魔法組織だと思ったらカンパトーレも一枚噛んでいたか」
ファニアは自身の腰に剣が無いことを後悔する。
剣を腰に差したまま劇場内に入れば当然目立つため、置いてきてしまっているのだ。
(補助具無しでいけるか……?)
ファニアの剣は近接での剣術のためというのもあるが、もう一つ……魔法の"現実への影響力"を保ちながらコントロールするための補助具でもある。
二つの属性を操る精神的な負担を減らすためにファニアにとっては欠かせないものの一つなのだ。
「ファニアさん、残ったお客さんの避難をお願いしてもいいですか?」
「しかし……」
「避難誘導は自分よりファニアさんのほうが慣れていると思います」
補助具が無く万全ではない不安はある。だが、宮廷魔法使いたる自分が能力もわからないカンパトーレの魔法使いを学生であるアルムに任せるというのは理念に反している。
そんな迷いを見透かしたかのように、クエンティは笑った。
「ああ、心配しなくていいわよ。私って――」
一瞬、クエンティの体が溶けるように変わる。
そして――
「こういう魔法だから」
「サンベリーナ……!」
その姿をサンベリーナのものに変えた。
金色の髪と瞳、体型と声は当然、そしてさっきまでドレスだった服装はベラルタ魔法学院の制服に変化する。
「変身……」
宮廷魔法使いであるファニアは見慣れている。
王の暗殺、もしくはマナリルの機密を探りに来る密偵にはそういった使い手が多い。無論、宮廷魔法使い達によって張り巡らされた感知魔法をかいくぐれるわけはなく、その戦闘能力が低いことは恐らくどの魔法使いよりもわかっている。
「ファニアさん早く避難を」
クエンティの能力を見てか、アルムの顔が険しくなる。
「どうした?」
「厄介です。足止めしますので早く」
アルムの表情にファニアは頷く。
何かを感じ取ったのか?
もしかすれば、今能力を見せたのは別の切り札があるのかもしれない……そう、たとえば魔法生命の宿主であれば油断を誘う可能性は十二分にある。
そう考えたファニアはアルムに任せることにした。
「……頼んだぞ」
「はい」
アルムの視線はクエンティから動かない。
ファニアは強化をかけ、劇場内に残っている数人に声をかけに走った。
アルムとクエンティの視線が交差する。
「あら、あの宮廷魔法使いじゃなくてあなたが相手してくれるの?」
「そうなるな」
アルムが答えると、クエンティはサンベリーナの姿のまま頬を紅潮させる。
「それなら……ねぇ、あなた? 私の恋人になってくれない?」
「サンベリーナの声で変なことを言うな。お断りだ」
いつも読んでくださってありがとうございます。
次回からバトル展開です。
『ちょっとした小ネタ』
ネロエラは秘匿していますが、タンズーク家の血統魔法に適応させるためにネロエラは体を色々弄られています。
歯を牙に変えるのは本編でも言っていましたが、一番見た目の変化として大きいのは後天的な色素の欠乏でしょうか。元から白髪赤眼だったわけではなかったりします。
他には骨を弄られたりと、下級貴族は下級貴族で大変です。




