390.イプセ劇場にて2
幕が開いてすぐに、舞台上には雪が降った。
夏に差し掛かろうという時期、しかも屋内で降る雪に客席からは感嘆の声が漏れる。
舞台には一人の女性。
苦しそうに歩く演技と手のランタンが映す表情が疲労そのものを映し出している。
上から降ってくる雪は光を浴びてきらきらと輝かせているのとは対照的に、演者はフードを深めに被らせ、手に持つ小さなランタンの炎で表情だけをくっきりと照らす大胆な演出が目を引く。
「何故、私は逃げているのだろう。逃げなければいけないのだろう。ここは私の愛する国だというのに」
女性が寒さで声を震わせるように、第一声を発した。
か細さを感じる声だというのに、その声は劇場中に通っている。
どこからか吹いてきた風でフードがとれ、頭の上に乗るティアラが露になる。この女性が高貴な身分であるということを証明するように。
いつの間にか、客席は一気に舞台上の世界へと引き込まれていた。
「この劇団には水属性の魔法を使える貴族出身の劇団員がいるんだ」
「なるほど……」
ファニアから耳打ちされ、アルムは降ってくる雪のリアリティに納得する。あれは魔法によるものだろう。
オーケストラピットにいる楽団も音を奏でない。
「どれだけ逃げようとも無駄なのかもしれません。兄の悪行を止められる者などいるはずがない。けれど、逃げるしかありません。私はこの国の王位に就き……民を救わねばならない」
ランタンを持って歩く女性は高貴な身分であるはずなのに、孤独に圧し潰されそうだった。
「何者ですか!?」
突如、静かだった楽団が物々しい音楽を奏で、舞台上に甲冑の兵士達が現れて女性を取り囲んだ。
その兵士の中から一人だけ前に出る。
「ミーティア様、グノース様の命によりお迎えに上がりました」
「剣を抜いて迎えと言い張るか! 下がりなさい無礼者!」
雪が舞い、魔法を使う演出で兵士達を薙ぎ払うミーティア姫。
向かってくる兵士達を近付けず、動かす手は次々と魔法で風を吹かせるように兵士達を吹き飛ばす。
だがミーティア姫は疲労からか徐々に魔法が撃てなくなり、残っていた兵士達についに捕まり、そして縛られた。
「離しなさい! 私はこの国の……!」
「あなたが就く王位などもうこの国にはありませんよ。続きはグノース様の前で。継承式はすぐそこなれば」
「誰か! 誰か! 我が兄を! 我が兄を……むぐ……!」
魔法を使う者の弱点である口にも布を巻かれ、兵士達に抱えられながらミーティア姫は消えていった。
ここで舞台は暗転する。
先程のように、アルムにファニアが耳打ちした。
「気付いたか?」
「いえ、こういうのは今日初めて見るもので……すごいなという感想くらいしか」
「そういう事じゃない。この劇のモデルは去年スノラで起きた君達だ」
「え?」
「去年カエシウス家で起きた事件は平民達の間でも話題になっていた。この劇団は北部を拠点としている劇団なのもあって耳に入るのが早くてな、劇作家が事件をモデルにして書いた新作だよ」
言われてみれば、出てきた名前に雰囲気が残っているような……と思いはしたが、アルムにはピンとこなかった。
幕が開き場面が変わると、酒場で数人の男達がこの国についての話をしているシーンとなった。
どうやらこの国の王家は跡取りが兄と妹でわかれており、妹であるミーティアが跡継ぎに選ばれたが、それに怒りを覚えた兄グノースがミーティアが跡を継ぐのをよしとしない勢力を纏め上げて反乱を起こしたのだという。
とある下級貴族達と平民達はそんなこの国の現状を嘆くことしかできないない中、その内の一人オルディアンという若者がこの国の現状を打破すべく、捕まっているミーティアを助け出すために決起するというストーリーらしい。
「おお……」
魔法と人力を絡めた派手な演出と、舞台を目一杯つかって躍動感のある演者の動きはバルコニー席で見ていた若い貴族達の心もがっつり掴む。思わず声を漏らしてしまうほどに。ダンロード領にいる貴族からすれば主人公が下級貴族で自身に重ねやすいというのも大きいだろう。
ファニア曰く主人公オルディアンとヒロインのミーティアを演じているのはこの劇団の有望株だという。アルムには演技のことはわからないが、確かにオルディアンが戦う鬼気迫る演技と、ミーティアが牢屋の中で一筋の涙を流しながら民を思う悲愴な演技は他よりも目に入る。
――だが、それでも……。
舞台は佳境に入り、客席は固唾を飲みながら見守る。
城の上で対峙する元凶であるグノースと対峙する主人公オルディアン。楽団の奏でる音楽も最高潮。
互いの魔法が吹き荒れ、雪の欠片が客席にまで吹き荒れる演出は季節を忘れさせる。
舞台の上で激戦が繰り広げられ、城壁が崩れ始める中、オルディアンは舞台の端からグノースの魔法をかいくぐりながら走り、剣によって疾走感とともにグノースを切り裂いた。
「馬鹿……な、私はこの国の、この国の王だ……! 王だ! 王のはずだ!」
血を吐き出して舞台の上をよろよろと後ずさるグノース。
「いいや、なれなかった。あなたが真の王だったのなら……弱い者の敵にはならなかったはずだ」
オルディアンの台詞とともにグノースが舞台袖に倒れるように消えていく。
そしてオルディアンは助け出したミーティアと雪の降る中抱き合い、口づけをする。
オルディアンとミーティアは祝福されながら結ばれ、この国がさらに豊かになっていくことを示唆して閉幕した。
観客からの万雷の喝采の中、カーテンコールで演者達が挨拶のために出てくる。各演者達の紹介と劇団の宣伝、そして締めの挨拶が終わると今度こそ完全に幕は閉じ……公演は無事終わった。
「……」
「やはりここの劇団は今後が楽しみだな……出資も視野に入れるか……」
観客達が次々と退場していく中、アルムとファニアはずっと席に座り続けている。
「君はどうだった? 自分達の事件がモデルになるなんて中々珍しい体験だと思うぞ。無論、陛下や四大貴族になるとよく題材にされたりはするがな」
「ええと……何と言ったらいいか」
満足そうなファニアとは対照的にアルムは少し難しい顔を浮かべている。
「劇自体は新鮮でしたし、面白かったと思いますが……自分達が関わった事件が題材と知ってから見ると、その、なんというか……」
「そうか……当事者にとってはやはり複雑か。私のせいだな。申し訳ない」
「いえ、光栄なことだとは思うのですが、自分にとってあの日は特別だったので……きっと無意識に記憶と比較してしまったのだと思います。劇自体は楽しかったので、今度からこういったものにも興味を持てる体験でした」
「それはよかった……私のせいで君の人生の楽しみを一つ潰してしまう所だった。それを聞けて安心したよ」
先程喝采が起きた場所とは思えないほどに、今は客席全体が静かだった。
フロアとバルコニー合わせても残っている客はアルム達含めて数人。劇の余韻を楽しんでいるのかもしれない。
「行こうか。公演中は特に感知魔法にも引っ掛からなかったが……念のため公演後に何か変化が無いかを調べなくては」
「はい、そうですね」
アルムとファニアはようやく席から立ち上がる。
公演後の変化を調べ終わるまではまだ二人の仕事は残っている。
「ふむ……モデルほど近くなりすぎると実際の体験もあって物語への没入感が消えるのかもしれないな。勉強になった」
「いえ、素人の感想なので……。ただ、この劇のように……あの日国のために戦った人はいなかったと思います」
「ほう」
「みんな人のため……いや、自分のために戦っていたと思います。敵も自分達も。だから今の劇は自分には少し遠かった」
「なるほど……それでは確かに、劇では物足りなく感じるかもしれないな」
アルムとファニアはそんな会話を最後にバルコニー席から去ろうとした時。
「素敵な言葉」
一人の拍手がフロア席から聞こえてきた。
万雷の喝采で満たされたこの劇場内で響くにはあまりに冷たく、孤独な、けれど賞賛の意は籠った音。
アルムとファニアがフロア席のほうを見ると、一人の女性が拍手をしていた。幕の閉まった舞台のほうにではなく………二人のいるバルコニーに向けて。
「それに素敵な人。舞台の上のどんな台詞より、今のあなたの言葉が好きよ」
「……ありがとうございます」
違和感があった。
それを感じ取ったのはアルムだけではなくファニアも。
「自分のため。そう言い切れるあなたは正直な人。誰かのために、国のためにと立派なことを言う人は多いかもしれないけれど……大抵の人は勘違いしているけれど、その立派な言葉には自分のためという前提が絶対にある」
「……」
「そうでしょう? 素敵な少年さん?」
アルムに向かって笑い掛けるのを遮るように、ファニアがアルムの前に出る。
「失礼。共に同じ劇を見た者同士、談笑したい所だが……私達はこれから用事があってな」
「あら、なら丁度いいでしょ? ここに異変があるんだから」
「!!」
その女性は自分を艶めかしく指差す。
一挙一動の動作が強調されているように大きく、まるで今行われた劇の中の演者のようだった。
「悪戯のようなら……」
「悪戯なんかじゃないわファニア・アルキュロス……それに、アルムくん?」
アルムの名前を発した時点で、ファニアはこの女性が無関係な平民ではないと確信する。
ファニアは最年少の宮廷魔法使いとして有名であり、魔法使いのイメージ向上として公にも出ることが多い。劇が始まる前もファニアの顔を見て噂する人間がいるくらいだ。自分の名前が出てくるのはそう不思議なことじゃない。
だが、アルムは違う。
アルムは魔法学院の平民として貴族界隈にはその存在こそ知られているものの、その名前はほとんど知られていない。今でも貴族で名前を知っているのは関係者や実際に会った人物だけだろう。だというのに、平民に名前が周知されているわけがない。
つまり……アルムの名前を出したという事は間違いなく関係者。この女性がどういう意味での関係者かなど、言うまでもない。
「……あなたは誰だ?」
「この町の誰かに聞いてみたらどう? ここ数日、私は誰かにとっての子供で誰かにとっての友人で、誰かにとっての――愛する人だったもの。ああ、でも……私の名前を知っているのは私だけよね、ごめんなさい。自分が誰かを他人に認識させられるのって名前くらいしかないものね」
女性は跳び、フロア席にある椅子の背もたれの上に立つ。
アルムとファニアに向けて一礼すると……舞台の幕のようにゆっくりと頭を上げた。
「クエンティ・アコプリス。あなた達はこう呼んでくれたりするわ――『見知らぬ恋人クエンティ』」
「ク――!」
ファニアにはその名前に心当たりがあった。
その名前は傭兵国家カンパトーレの魔法使い――!
「ちゃんと覚えたほうがいいわ。別れる時も死ぬ時も……恨む相手がわからなくなってしまうのは悲しいもの」
いつも読んでくださってありがとうございます。
この人も名前だけ出てた人ですね。
『ちょっとした小ネタ』
ファニアさんの趣味は観劇です。アルムに劇を見せて興味を持ってもらい、次にエルミラとベネッタも引き込もうという算段でしたが、アルムの反応が微妙だったので内心しゅんとしています。




