385.行き場の無い退出
部屋の空気を一変させるような、桃色の装いがアルム達の脇を通り部屋を横切る。
もうすぐ夏になるマナリルだが、ここにあるのは明媚な春を描いたような異国の民族衣装。
後ろから見える肌色は紺色の髪の間から見える艶めかしい首元だけ。手足は隠れ、胸を強調どころか小さく見せるような服だというのに、その民族衣装を着こなす女性からは何とも言えない儚さと色気が漂っていた。たおやかで静かなその後ろ姿は一瞬エルミラやベネッタも目を奪われる。
「彼女が今回の協力者であり、ダンロード家が監視しているカトコ殿だ」
ディーマの机の横に立つと、カトコと名乗ったその女性はもう一度アルム達に向けて深々と頭を下げた。
家名を持っている点から貴族で間違いないはずなのだが、一挙一動がそうとは思えない慎ましさを感じさせた。監視対象とはいえ、ディーマが一定の敬意を払っているのが呼び方からわかる。
「ベラルタから御足労頂きありがとうございます。提供させて頂いた情報を信用して頂いたからこその増員であると感じており、カトコは大変嬉しく思います」
女性の容姿は普通に考えれば二十代後半といったところだが、ルクスの母親の使用人をしていたという経歴を考えるに間違いなくそれ以上であることは間違いない。
薄っすらと化粧はしているものの、それだけでこの若々しさは出せないだろう。
「本題に入ろう。すでに貴様らも聞いていると思うが、カトコ殿からの情報提供によって反魔法組織クロムトンが霊脈周辺で何らかの動きをしていることが判明しておる。数年かけてダンロード領の端から、この町フォルマに近付くようにゆっくりとな」
「ということは、その、数年かけて今はここが狙われてるってことですかー?」
ベネッタが言うとディーマは頷く。
「そうだ。フォルマにある霊脈はローチェント魔法学院とイプセ劇場の地下の二つ。魔力濃度の高さによる発光現象こそ無いが、上質な霊脈であることには間違いない。だが……フォルマに来てからクロムトンの動きが鈍くなっておる」
「ディーマ殿の膝元なのもそうですが、ローチェント魔法学院はそれなりに貴族達が集まっていますからね。ここにきて下手に動けなくなっているのでしょう」
現状をファニアが補足する。
つまりは、クロムトンが動いていないのもあって現状は特に進展が無いということだ。
わかっているのはクロムトンのメンバーがこの町に潜んで機会を窺っていることだけ。
「反魔法組織がこの町に来ているのがわかっているということは……メンバーには心当たりがあるのですか?」
「コルトゥンという男が元デルナック領の平民でな。組織の古株でこの町にいることはわかっている。今はファニアの部下に見張らせているが、中々尻尾を出さん」
「そうか、本当に魔法生命がここを狙ってたら宿主の人間を探さないといけないから泳がせてるのね……平民は宿主になれないから……」
エルミラが呟くと、その呟きにカトコが反応した。
「流石魔法生命と戦ってこられた方々……お詳しいですね」
「え? あ、いや、これは教えてもらっただけ……です」
「まぁ、そうでしたか」
慣れない言葉遣いにエルミラは喋りにくそうにしているが、カトコは気にしていないようでそのまま続ける。
そこでエルミラはルクスからの伝言を思い出した。
「そうだ、ルクスを知ってる……ますか? ルクス・オルリック」
「はい勿論。数年前にお会いしております」
「カトコ……さんは常世ノ国でルクスのお母さんに仕えてたとか。ルクスからいつでもこちらにいらしてください、って伝言を預かって、ます」
「まぁ……!」
エルミラが伝言を伝えると、花が咲いたようにカトコの表情が明るくなった。
「懐かしいな。当時オルリック家に身元不確かな女が嫁いだという話で騒然となった……カトコ殿と時を同じくして常世ノ国に来た方だったんでしたな? 確か名前はアオイと」
「はいディーマ様! 魔法生命から逃亡すべく別れて海を渡ったので互いに行方がわからなくなりそれっきりで……ずっと探していたのですが、訃報によってオルリック家に嫁いでいた事を知り数年前にお墓詣りだけさせて頂きました。どうやらこちらで幸せに過ごしたようで……当時お会いした御子息のルクス様にはアオイの面影があったのをよく覚えております」
「多分あいつの事だから社交辞令とかじゃないと思うので……許可が出たら顔を出してやってください」
エルミラがそう言うと、カトコは大人びた雰囲気とは対照的に子供のようにこくこくと頷いた。
「ええ! ええ! 今回の一件が解決した暁には是非! ディーマ様、よろしいですか? カトコはそれくらいの報酬はねだってもよろしいのでしょうか? それとも、やはり動けるのはこの町の中だけなのでしょうか?」
「ふむ……難しいが、今回の一件に魔法生命が絡んでいるとすれば確かに褒美無しとはいかぬだろうな。それくらいは我輩が手配するとしよう」
「はい、お願い致します!」
意外に可愛らしい人だな、という感想をエルミラは持った。
最初の大人びた印象と子供のように喜ぶギャップが好感を抱かせる。
「話を戻そう。貴様らにやってもらいたいのは反魔法組織クロムトンのメンバーであるコルトゥンの監視と、霊脈であるローチェント魔法学院とイプセ劇場の調査だ。調査といっても見張りに近いかもしれんがな」
「……コルトゥンという男が囮の可能性を考えているという事ですね?」
「そうだ。魔法生命とやらの情報は現状明かせる人物が少なくてな、我輩の息のかかった者を学院に送り込むのは不自然過ぎる。そこで魔法学院にいてもおかしくない貴様らの出番というわけだ。ベラルタ魔法学院の生徒が別の教育機関を視察する事例は以前にもある……揃いも揃って家名に箔の無いのが不安要素ではあるがな」
最後の物言いにエルミラは若干苛立ったものの、言う通りなので反論もできない。
実績はともかく、没落貴族と下級貴族、そして平民というこれ以上ないほどに権力から程遠い組み合わせである。
「イプセ劇場のほうは我輩の名前を出せば入れるようにしてある。詳しい予定はファニアの指揮に従って貰いたい。以上だ、事態の進展を期待する。進展があるまでは我輩との接触も最低限に留めてくれ。ただの客人以上の関係を疑われたくなければな」
ディーマが置いた葉巻を再び吸い始めると、机の横に立つカトコも頭を下げた。
今の話通り、これ以上ダンロード家の邸宅にいれば疑われるから去れという事だろう。監視がいた場合、長い時間屋敷にいれば何らかの繋がりを疑われるが、すぐに追い出すことで客人未満の印象を与えられる。
「了解致しました。ではディーマ殿――」
「……ファニア」
ファニアが一礼して退出しようとすると、ディーマはファニアを呼び止める。
「はい?」
「最後に聞くが……そこの二人の腕は確かなのか?」
そう言って、ディーマは葉巻をエルミラとベネッタのほうに向ける。
「彼女達も魔法生命に関わり、陛下が選んだ人物達ですが……何か?」
「ふむ……」
ディーマは懐疑的な表情を浮かべながらエルミラとベネッタを見つめる。
「いや、その平民に比べると少しな……そこのニードロス家、ベネッタと言ったか」
「は、はい!」
「少し危うい。芯はあるが、その平民と違って自身の評価ではなく自分自身を軽んじているような弱さが見える。腕が確かな……魔法使いを目指す者の目には思えん」
「その、ボクは治癒魔導士志望でして……」
「ほう、ならばなおのことだな。自身を軽んじることが自身が助ける命を軽んじていることと同義だと気付いたほうがよい。魔法使いも治癒魔導士も自己犠牲の精神は必要不可欠であり、そうしなければならない時もあるが……弱さの言い訳にだけはしないことだ。せっかくの芯がぶれてしまう」
「あ、えと、ご助言感謝いたします!」
予想外のアドバイスに戸惑いつつもベネッタは感謝とともに頭を下げる。
ただでさえニードロス家が貴族界隈で嫌われているのでもっとボロクソに言われるのではないかと内心不安になっていたベネッタだった。
「問題は貴様だな。何だ貴様は?」
「……はい?」
ディーマは葉巻をエルミラに向ける。
口調もアルムやベネッタの時とは少し違う。
「貴様の目からは芯が全く見えない。本当に魔法使い志望なのか?」
「そう、ですが」
「ちらちらと貴様以外の者の影が見える。だが、貴様自身が見えない。見失っているのか? それとも自分が無いのか? ひどく歪だ」
「仰る意味が、わからないんですけど」
「はっきり言って、この中で一番の弱者に見える。家と才能があったというだけで魔法使いになれただけの……忌々しい有象無象に似た薄っぺらさを感じる。見失っているだけならまだましだが、芯が無い者ならなるほど、没落したというのも頷けるというものだ」
「……ッ」
どこか聞き覚えがあるような、何も期待していない声だった。
エルミラの中で煮えたぎるような怒りが押し寄せるが相手はダンロード家。ここで声を荒げて怒りをぶつけるわけにもいかず、理性を総動員してエルミラは出かかった言葉を喉奥に引っ込める。
「……っ。失礼、します!」
「エルミラ、待て! ディーマ殿、それでは失礼します」
最低限の礼儀、と言えないほど乱暴に扉を開けてエルミラは部屋を後にする。ディーマを睨みつけなかっただけ耐えたほうだろう。
アルムとベネッタ、そしてファニアもディーマとカトコに一礼してエルミラの後を追うようにして部屋から退出した。
扉を静かに閉めると、早足で玄関ホールへと向かうエルミラをファニアは追いかける。
「え、エルミラー!」
「待てベネッタ」
ベネッタも追いかけようとするが、アルムが肩を掴んで走れないように引き止める。
「え、なにアルムくんー!? 早くエルミラを追いかけないと!」
「エルミラが気になるのはわかるが、今のうちに見ておいたほうがいい」
「見るって何を? そんなことより――」
アルムは廊下を歩きながら無言で自分の目を指差し、今度は先程までいたディーマとカトコがいた部屋の扉のほうを指差した。
「ど、どゆこと?」
「だから……念のためあの二人は見ておいたほうがいいだろう。ベネッタの目で」
「……? あ、そっか!」
エルミラの事で頭一杯だったのか、アルムが何を言いたいのか気付くのに時間がかかるベネッタ。
ようやくアルムの意図に気付き、自然に廊下を歩きながら――実際はぎこちないが――魔法を構築した。
「【魔握の銀瞳】」
二人だけの廊下に静かに響き、重なる銀色の声々。
ベネッタの翡翠の瞳は魔法の合唱とともに銀色の魔力で染まった。ベネッタの血統魔法は魔力ある命全てを映す魔法。その範囲内に魔法生命の核があれば、球体状の命を捉えるのは実証済み。
銀色の魔力光で輝く瞳はダンロード家の邸宅全体にいる命を映し出した
「……うん、大丈夫。あの部屋の方角にある魔力はどっちも人間のだよー」
「そうか……よかった。ルクスには悪いが、常世ノ国の人間だから一応確かめたほうがいいと思ってな」
「最初に会ったシラツユがそもそも宿主だったもんねー、味方だったけど」
「何はともあれありがとうベネッタ。これからも頼りにしてる」
「うん、任せてー! …………もうエルミラ追いかけていい?」
アルムはベネッタの肩から手をぱっと離す。
すると、ベネッタは普段見せないような速度の早足で階段を駆け下りていった。
「反魔法組織か……一体どんな人がやっているのか想像がつかないな」
そんな事を呟きながら、アルムも少し歩く速度を上げてベネッタを追いかけた。
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