384.ダンロードの目
「久しぶりだな三人とも、よく来てくれた」
「久しぶりね、宮廷魔法使いクビになったファニアさん」
「宮廷魔法使いクビになったファニアさんだー」
「……君達、私への態度が随分大きくなったな」
ダンロード領に到着した次の朝、フォルマに構えられた三階建ての宿屋にてアルム達とファニアは合流した。
本当はクビになっていないのはわかっているのだが、どこで誰が聞いているかわからないためにファニアはエルミラとベネッタの言葉を否定するわけにもいかない。
「他の宮廷魔法使いにはそんなからかいかたをするんじゃないぞ、気難しい者もいる」
「一応しっかり口癖づけとこうと思って」
「ごめんなさいー」
「私には遠慮しなくていいがな。公的な場所でしっかりした行いを出来るなら言うことはない」
「はーい」
エルミラとベネッタに注意しながらも、年下の人間と砕けたコミュニケーションをとれている事に内心喜ぶファニア。
彼女は華々しい経歴を持っているものの、凛とした見た目の雰囲気と真面目な性格と口調がたたり、年下はおろか同年代にも恐がられることに悩んでいる二十三歳なのである。
「アルムも。君達には迷惑をかけるな」
「いえ、何も無ければ旅行に来れたと思うことにします」
「ふふ、君は気遣いが上手いな……どうだ、調子は」
その言葉の意味するところは事情を知っているがゆえだろう。
ファニアはアルムのことをよく知らないが、先のガザス留学時での戦いでアルムが師匠という親しい人物を失ったことを知っている。
あれから一月以上経った今、多くを語らずアルムを気遣うファニアなりの親切だった。
「昨日温泉に入ったんでいいですね」
「そうか、私は君を応援しているからな」
「……? ありがとうございます?」
だが流石のファニアも、気遣った相手が気遣われていることもわからない鈍感男だというのは予想外だっただろう。
ようやく近しい人達の機微を察することができるようになり始めたアルムには、ファニアの気遣いを察するのはまだハードルが高かったようである。
「早速だが、合流次第ダンロード家に向かう事になっている。そこで情報提供者と顔合わせをする予定だ……宿についたというのに一息もつけないというのは少し疲れるかもしれないが、我慢してほしい」
「大丈夫ですー!」
「自分も特に問題ないです」
「あれ?」
アルムとベネッタは移動を快諾するが、エルミラはきょろきょろと部屋の中を見渡していた。
「どうした、エルミラ?」
「ファニアさんとは別に先行してる調査員がいるって話だったんだけど……別行動?」
「ああ……奴か……」
ファニアは言いにくそうに言葉を濁す。
見れば何かを決めかねているように視線が左下にそれていた。
「そうだな、奴とは別に宿屋をとってある。昼には合流する予定だからそちらとは帰ってきてから顔合わせしよう」
「ファニアさんの部下なの?」
「そうだな、去年新しく入った……いや、後で話そう。ともかく出発だ」
すでに宿屋の前に待機していた馬車に乗り込むと、アルム達三人はファニアから基本的な情報だけを聞かされることになる。
活動拠点は今いる宿屋と調査員が使っている宿屋の二つ、定期報告は安否の確認も兼ねて日に二回。感知魔法に察知されないように極力魔法は使わないこと、通信用魔石の使用は敵の感知魔法を妨害できるファニアがいる時だけにすることなど、ダンロード家に到着するまでにこの地での注意事項と、
「それと……ダンロード家には少し気を付けろ」
「どういう意味ですかー?」
「君達はあのカエシウス家とオルリック家と関わっているからな、四大貴族がみんなあの子達のような人当たりのいい人間ばかりではないということだ」
四大貴族への認識に対しての忠告が言い渡される。
特に、学院に通わなければ四大貴族と関わる機会など無かったであろうアルムとエルミラの二人に向けて。
ダンロード家の邸宅は町の中心辺りの丘の上に建っており、なだらかな坂の上には巨大な門がアルム達が乗っている馬車を待っていた。
到着と同時に門まで出てきた使用人がファニアと確認を取ると、その巨大な門の先にある庭に通される。
邸宅の前に広がる庭は円を描くように馬車用の道が用意されており、その道を馬車がゆっくりと歩く間、その庭を堪能することができた。小さな噴水を囲むように凝った形に刈り込まれたトピアリーは、それだけで庭師の腕前を証明している。
邸宅はカエシウス家のように城というわけではないが、レンガで建てられた左右対称のその邸宅は町の建物と比べれば格段に大きく、中に通されるとため息がでるような美しさが待っていた。
中で待っていた執事に案内され、天井画や階段の手すりに施されている装飾やモノクロのタイルを見回したくなるのを我慢して、アルム達はファニアの後ろをただついていく。
「ディーマ様がお待ちです」
その言葉を最後に執事は深々と頭を下げ、そこから退散していく。
どうやら話を聞かないようにと指示されているのだろう、これだけ大きな邸宅だというのに使用人の一人も見かけないのはすでに人払いが済んでいるという事か。
「失礼致します」
ノックをし、向こうからの返答を待ってからファニアが扉を開けた。
同時に葉巻の匂いがアルム達の鼻を掠め、エルミラは少し顔をしかめる。
「ファニア・アルキュロスです。今回の協力者をお連れしました、ディーマ殿」
扉の先は重苦しい空気の漂う部屋だった。
廊下や玄関ホールの豪華さとは打って変わって、構えられている横長の机から本棚、椅子に至るまで古めかしいアンティークなものしか置いていない。
しかし、重苦しい空気を漂わせているのは葉巻の匂いでもなければ部屋に置かれたアンティークな品々でもなく、他でもない部屋の主のせいだろう。
その人物が手を止めてこちらを向くと、ベネッタは思わず生唾を飲み込んだ。ルクスの父親であるクオルカのような親近感はそこにはない。
「きたか、ファニア」
聞いた者を屈服させるような重く太い声。声の持ち主はこの上なく黒い背広が似合っている四十代の男だった。眉間に皺をよせ、射殺すような鋭い眼がアルム達を見据える。
南部の四大貴族ダンロード家当主――ディーマ・ダンロードがそこにはいた。
「……そいつらに任せろというか、カルセシスめ」
「若いながらも魔法生命と相対し生き残り、国の守護に貢献した者達です。陛下もその実力は認めていらっしゃいます」
「だが、見たわけではなかろう」
「……戦禍を見れば凄絶な戦いを制した者達であることは明白です」
「どのみち、我輩は我輩が判断した事にしか納得はせぬ」
ディーマの目は右から並んでいる順にアルム、ベネッタ、エルミラの順で値踏みするように動く。
再びアルムに視線が戻ってくると、ディーマはアルムと目を合わせながら口を開いた。
「名は?」
「アルムです」
「貴様が北部を救ったという平民か……平民に救われるとはカエシウスも落ちたな」
この時点でエルミラとベネッタはファニアからの忠告を理解した。
確かに、今まで見てきた四大貴族のような人当たりのよさはない。この人柄が他地方の貴族の出入りを制限させているのダンロードの庭という政策をとっているのだろうかと思うほどだった。
「我輩は平民を特別嫌うことはない。平民がいて我々貴族がいる。逆に、貴族がいるからこそ平民がいる。立場の差こそあれど生きる権利は共にある」
「はい」
「だが、生き方となれば話は別だ。アルムとやら、貴様の生き方は平民のものではない。それを理解してこちらに足を踏み込んだか?」
「はい」
ディーマの問いにアルムは即答する。
「カエシウスの……グレイシャと殺し合ったそうだな?」
「はい」
「あれの生き方も貴族のものではなかった。望むのはかつての栄華。今更ラフマーヌという国を再建し王族に返り咲こうなど愚の愚。言いたいことがわかるか?」
「……いいえ」
「貴様もグレイシャと同じということだ。高望みは結構、だが身分を外れればそれは無謀であり愚かな行為だ。我輩に言わせれば貴様はこの国が定めたシステムに逆らう逆賊よ。貴様が手にかけたグレイシャの姿こそ未来のお前の姿と知るがいい」
そう言って、ディーマは口から葉巻の煙を吐き出す。
アルムを貶めるその声に怒りを覚えたのはエルミラとベネッタだった。
ファニアは後ろの怒気に気付いているが、ディーマの言葉を遮ることもない。
今話しているのはアルムとディーマであり、アルムがその言葉を受け止めるなら怒りをぶつける権利は二人にない。
「お言葉ですが……よろしいですか?」
「……よい、意見する権利は平民にもある」
無表情のまま、アルムはディーマに発言の許可を求めた。
ディーマは吸っていた葉巻を置くとアルムの発言を許可する。
「グレイシャを馬鹿にしないで頂きたい」
「――む?」
驚いたのはディーマではなく、エルミラとベネッタ、そしてファニアもだった。
エルミラとベネッタが横目でアルムの顔を見ると、その表情は薄っすらと怒りを帯びている。
「あなたは彼女の願いを知らない。聞いた話でグレイシャを貶めないで貰いたい」
「国賊を庇うのか?」
「庇う気はありません。ですが、不必要に貶められたくないだけです」
「……ふむ」
アルムは続ける。
「グレイシャと自分は確かに殺し合いましたが、その間に怒りこそあれど憎しみはありませんでした。アルムの世界にグレイシャはいることはできず、グレイシャという世界にとってアルムは消すしかない敵だったというだけです。彼女から憎しみを受けたのは最後……彼女が計画を諦めたその瞬間だけ」
本気で戦ったからこそ、アルムは知っている。
あれは互いが互いの存在を許すことの出来ない、欲望をぶつけ合った末の結末。
戦いの最中に憎しみを抱くことは無く、自分の道を遮る敵同士であり、自分の理想を生きる似た者同士。
グレイシャがアルムを憎んだのは戦いの最中ではなく自身の敗北を悟った後、自身の道を歩めなくなったからに他ならない。
「グレイシャの本当の願いも知らずにグレイシャを否定しないでください。グレイシャは許せない人間ではありましたが、愚かではありません」
ディーマに向けて、アルムは力強く言い放つ。
戦いの中で彼女の世界を垣間見た。ミスティから全てを奪い、記録すら消そうとする……アルムにとって否定すべき世界だった。
それでもグレイシャは自分の理想のために戦っていた。たとえその行いが悪で、アルムにとって許せないものだとしても――アルムが誰かの願いと理想を愚かだと断ずることは決して無い。
アルムはその手でグレイシャという命を自分の糧にした。それは自分の中に蓄積する命の一つ。
だからこそ、わかることがある。狂気に触れていると言われようとも、いかれていると囁かれていても、アルムだけは彼女が自分を救いたかっただけだと知っている。
「……く」
「……?」
アルムが話し終えると、ディーマの口角が少し上がったのをアルムは見た。
「くくく……! なるほど、カルセシスが送ってくるだけある」
ディーマはそのまま野太い声で笑い始め、納得したように頷く。
その様子にファニアは安堵したような微笑みを浮かべている。
「どうです? ディーマ殿のお眼鏡に適ったのでは?」
「反応を見てみたかっただけだが、まさか自分を貶められたことではなく自分が戦った者を貶められることに怒りを覚えるとはな……年齢らしからぬ器の大きさが垣間見える。自身の評価への無頓着さが少し気になるが……そこらの無駄なプライドを持った馬鹿貴族より遥かにいい」
ディーマは威圧感こそそのままだが、今までの重苦しい雰囲気はわざと出していたのだと察するには十分だった。ファニアもディーマの機嫌がいいことにほっとしている。
しかし、アルム達を値踏みするような目は変わらない。ディーマは机の上で手を組みながら、じっとアルムを見続けていた。
「それに、目がいい」
「目……ですか?」
「目の奥に巨大な芯がある。昨日今日作り上げたものではない強固なもの。幼少から育て上げたであろうこの男の根幹が見えてくるように真っ直ぐだ。本物の修羅場をくぐってきたな」
ファニアは一歩後ろにいるアルムのほうを振り返る。
正直な人間であることくらいはわかるが、流石にそこまではわからない。様々な人間を見てきた年の功という事だろうか。
「敵を庇う純粋さはあれど過度な甘さも無い。喪失を知らない男ではないな。戦時に時折現れるような……喪失を味わって尚立ち上がる者の目だ」
「……ディーマ殿、すでにアルムの事は陛下から何か?」
「経験があるだけだ。奴からは最低限の資料しか貰っておらんよ」
ディーマは次にベネッタとエルミラの目をじっと見る。
「……まぁよいか。君、入ってきたまえ」
ディーマが少し、声を大きくするとアルム達が入ってきた扉が開く。
自然と、アルム達三人とファニアは後ろを向いた。
開いた扉の先には深々とこちらに頭を下げる異国の装いをした女性がいた。
「失礼致します皆様方。この度情報提供をさせて頂いたカトコ・タカハシと申します」
いつも読んでくださってありがとうございます。
次の次の更新で一区切りになりそうです。序盤は伏線ばらまくターンなのでゆっくりですが、お付き合い頂けると嬉しいです。




