383.休息は湯煙の中で
ダンロード領は貴族達にとっては閉鎖的だが、平民からは口々に住みやすいと評される。
王都やオルリック領と同じく魔石による近代化がある程度進んでおり、長年かけて道の整備と効率化を目指した町の区画整理が行われているかと思えば、住民達が愛している定番のスポットであるという理由で使い道を失っている教会を金をかけて管理したりと、発展させるべき場所と住んでいる住人達の心情の折り合いをしっかりつける傾向にあり、ダンロード家の方針は住民達からの支持も大きい。
その背景には元々ベラルタを含む領地を統治していたダンロード家が、国の命令によってこの地域を急遽統治することになったという過去の事情も無関係ではないだろう。
そんなダンロード家が住むダンロード領最大の町フォルマは何処か緩やかな雰囲気がある。
歩き出せばどこかに着くようなわかりやすく敷かれた道は散歩するには最適で、歩いた先で何か楽し気な音楽が聞こえたかと思えば路上で小さな演奏会が開かれていたり、パフォーマーが人形劇をしていたり、広場に行けば屋台が並び、劇団の出張公演が行われていたりと常に活気がある。
歩くのに疲れれば手軽に休憩できる公園やカフェがそこらにあり、空腹であっても辺りを見回せばすぐに見つかる店の数々、並ぶ店の一つで買った昼食を持って小高い丘の上にある展望台まで歩けば、景色を楽しみながらいつも以上に満足感のある昼食を味わえるだろう。
町のそこここには使われなくなった教会が取り壊される事なく歴史とともにそびえ立っており、荘厳な雰囲気を漂わせるかと思えば中では歩き疲れた住民が休憩していたり、ある時は子供達が遊んでいたりと、町中と変わらぬ空気があったりする。
変わった空気があるとすれば、貴族達が集まるローチェント魔法学院とイプセ劇場だろうか。
ベラルタのように町全体で生徒をサポートする事こそないものの、ダンロード家のお膝元という事で平民に横柄な態度を見せるような下級貴族も多くはない。イプセ劇場ではオペラや演劇を楽しむことができ、歴史ある劇場から感じられる厳かな雰囲気も相まって同じ町とは思えない異界のような空間を堪能することができる。
そしてもう一つ特徴的なのが、白い湯気を常に立て続けるこの場所だろう。
「ふはあ……きんもちいい……」
宮殿のような外観をした建物が特徴のプラデライ温泉。ダンロード家が特に力を入れている施設である。
ホテルのロビーのような入り口をくぐり、色鮮やかな天井画が飾られるホールで手続きを済ませると、その先には何種類もの温泉浴槽と優に百人は入れるであろう巨大な露天風呂が入場者を待ち構えている。
アルム達は数日かけてダンロード領に到着したが、到着は夜。ファニアや調査員との合流は明日にし、御者の案内もあってプラデライ温泉で旅の疲れを癒すことにした。
エルミラは貸し出しされている水着に着替えると真っ先に露天風呂のほうに向かい、その良さを堪能している。
「ベラルタにも大浴場あるけど……格別ね……」
エルミラは知らぬ事だが、生徒達が実技の後や魔法儀式の後の汗を流すためにあるベラルタの大浴場も元はダンロード家が作ったもの。ダンロード家は血筋の影響なのか、大の風呂好きなのである。
「ふいい……他のお客さんも少ないし……こういうのいいわね……」
一人で利用するには広すぎる露天風呂。湯の中で足を伸ばし、エルミラは極限までリラックスし始めた。見上げれば立ち上る白い湯気の向こうに夜空が広がっていて、輝く星々は一層美しく見える。
浸かるだけで体がほぐれていくような硬い湯はまるで旅の疲れを溶かしてくれているよう。
夜気で冷えた体に染みわたる熱はエルミラの肌を桜色に染め、濡れた髪が一筋頬にかかる様は少女らしからぬ色気を振りまいていた。
「エルミラ行くの早いよー!」
「あんたが遅いんだってのー」
「だって水着がー……うわあ! ひろー!」
エルミラから少し遅れて、ぺたぺたと素足の足音を立てながらベネッタは露天風呂に到着する。
先に行ってしまったエルミラに何か言う前に露天風呂の広さに驚いたようで、目を輝かせていた。
ベネッタはきょろきょろと辺りを見渡し、客が少ない事の開放感を感じながらいそいそと湯に浸かる。
「はうああ……きもちー……」
「ずっと馬車に揺られてたもんね……北部と南部は遠いわ」
「しかたないよう……北部と南部はりょうち、おっきいしい……やまもおおいしー……」
「……あんたそのまま寝るんじゃないわよ?」
「がんばるー……」
湯に浸かるや否やふわふわとし始めたベネッタに不安を覚えるエルミラ。
このまま寝られてのぼせられでもすれば、運ぶのは間違いなくエルミラの役目である。
「ま、明日合流するから今日はゆっくり休みましょ」
「だねー……」
「そういえばアルムは?」
「どっかいっちゃったー……」
「中の温泉かしら」
「かなー……」
そんな面倒な事態にしないため隣で座るベネッタを注視していると、エルミラの視線はある一点に向かってしまう。
気付けば、その一点に向かってエルミラは手を伸ばしていた。
「このでっかいのは普段どこに隠れてんのよ……!」
「あー、胸触ったー……いけないんだー……」
「いいでしょ別に」
「いいけどさー……自分のさわればよくないー?」
「他人のだから触りたいんでしょ」
「なるほどー……?」
エルミラが手を伸ばした先には湯に浮かぶベネッタの胸。
ぽよぽよと弾むような柔らかさと、確かに感じる重量感。普段どうやって服の中に隠れているのかと言いたくなるふくよかな胸にエルミラは戦慄した。
適度に肉付いた女性らしい体にこの胸があると気付けば世の男が黙ってはいないだろう。この場に客が少ないことにエルミラは安堵すらした。
元来の性格か、それともいつも隣にミスティという完成された少女がいるせいか……他国の貴族から文通という形で好意を向けられても尚、ベネッタは自分が色々な意味で魅力ある少女であるという事に気付いていないのである。
「罪な女ね……」
「エルミラがそれいうー?」
「なにがよ?」
「さあー? なんだろうねー?」
「言っておくけど、僻んでるわけじゃないわよ? ミスティがいるから霞むだけで私だってそれなりに可愛い……はず、よね?」
「あははは! かわいいよー! なんでそこちょっと自信無さげなのー?」
「そりゃあれと比較して自信持ては難しくない? 胸のあるなしとかじゃなくてさ」
「それはそうだけどー、ボクからしたらエルミラもかわいいよー」
ベネッタの言う通り、エルミラもまたそんな魅力ある少女の一人である。
華奢な首に浮き出た鎖骨、引き締まった肢体はしなやかに伸び、それでいて女性らしい柔らかさとふくらみのある体は健康的でバランスがとれているといっていい。
猫ッ毛の茶髪と赤い目、そして笑うと顔を覗かせる八重歯が活発的な印象を与えるのも相まって、ベネッタとは別の魅力を形作っている。ロードピス家が没落貴族でなければすぐにでも婚姻の話が来ているだろう。
「ま、それはありがと」
「どういたしましてー……なんかエルミラらしくないねー?」
「そう?」
「うん、ふだんだったら……可愛いっていいきりそうだなーって」
「……そうかしら…………そうかも」
答えを少し濁し、エルミラはそのまま口元まで湯に浸かる。
温泉の気持ちよさに浸っているせいか、ベネッタがそれ以上突っ込むことはない。
「ぶくぶくぶくぶく……」
「あ、ボクもやるー……ぶくぶくぶくごふっ!」
「あんた何やってんよ!?」
「けほ! けほ! まち、まちがえ、けほ! すっちゃったー!」
「あーもう……世話やけるわね……」
エルミラは不意に湯を飲んで咳き込むベネッタの背中を擦る。
ベネッタは落ち着くと、えへへ、と笑顔を浮かべ、エルミラもつい釣られて笑ってしまった。
「ねぇねぇ、エルミラ。後で髪洗ってー」
「いいわよ。その代わりあんたは私の洗ってね」
「大歓迎ー!」
「ああ、あんた洗いたいからそう言って……私があんたの胸触ったのもそういうことよ。他人のってなんかしたくなるでしょ」
「あ、なるほどー」
依頼前の束の間の休息は白い湯煙の中で。
いつの間にか馬車で揺られ続けた疲労や体の痛みも忘れ、エルミラとベネッタは二人で露天風呂を満喫するのであった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
誰もが忘れているであろう本編に全く出ない大浴場の設定。
そして今回は、この小説ってサービスシーンあったんですか!?と驚かれる方もいることでしょう。私もです。




