エピローグ -自分の道を-
「師匠……あまり来れないかもしれないけど、そこは怒らないでくれよ?」
ガザスからの帰り際、俺は我が儘を言った。
カレッラに寄りたい。
四人は当たり前のように……というよりも最初からカレッラに向かっていたらしく呆れられてしまった。
何故俺がカレッラに寄りたいことがわかったのだろうと不思議だったが、みんなだからかとすぐに納得できた。
これも一応、ベラルタで一年を過ごした成長の一つなのだろう。
そして今俺は、教会の近くに建てられた二つの墓の前にいる。
一つは師匠で、もう一つは師匠の宿主だった人のもの。
師匠の墓には師匠が持っていた長い杖が立てられている。
「ここは、日当たりもいいからな」
墓の近くでは俺達が一泊した時に使ったタオルやベッドのシーツなどの洗濯物が風ではためいている。
木々の合間から降り注ぐ日差しは洗濯物だけでなく、俺の前にある墓にも降り注いでくれていた。
師匠がいなくなってもこの山の自然は何も変わらない。
緑の天蓋から差し込む日差し、葉の間を吹き抜けるさやさやとした風の音、ひんやりとした空気の中に漂う深い緑の薫り……その自然の全てが緩やかな時間をここに生んでいる。
けれど、それがカレッラらしい。俺が生まれ育った故郷らしい。
「ま、アルムが来れない分……私とは毎日顔を合わせるからいいだろ?」
シスターが墓の前に昨日の夕食のシチューと何処からか持ってきたお酒を置いた。
シチューも酒も二つずつある。
宿主の人とは一度も会話することは無かったが、ずっとその体を師匠に貸して俺達を繋いでくれた人だ。
名前も知らない恩人ではあるが、感謝の念は絶えない。
墓を作らない選択肢は無かった。墓標に名前を刻めないのがほんの少しだけ申し訳ない。
「なあアルム、本当にあの花畑に墓を作らなくてよかったのかい? あそこはあんたらの思い出の場所だろ?」
師匠を弔う時、墓をあの白い花畑に作るかと聞かれたが、俺はそれを断った。
あの場所には師匠の墓を建てたくなかったのだ。
「ああ、あそこに建てたらシスターが師匠と会えないだろ」
「おいおい、私に気を遣わなくてよかったんだぞ? 確かに私はあそこに一人じゃいけないけどよ……たまに会うのも私と師匠ちゃんらしいしな。暇になったら探して辿り着くっての悪くないし」
「いや、気を遣うとかじゃないんだ」
あそこは俺と師匠にとって特別な場所だから。
俺はあそこで師匠と出会い、夢を目指し、そして別れた。
その全てが思い出と疵に刻まれている。だから、師匠がいなくなった証だけを特別あそこに残すのが嫌だった。
「勝手に思ってただけだけど……俺達と師匠はきっと家族だったから。死んだ後にもたまに会えないのは嫌だったんだ。だから気を遣うとかじゃなくて、シスターと師匠が会えないのが嫌だった。ここなら……会いたい時に会いにこれるだろ?」
「……生きていた頃より、死んだ後のほうが会う回数が多くなりそうだね」
「会えないより、ずっといい。忘れるより……ずっと」
「……うん」
師匠は俺に言われるまで忘却を救いだと思っていたようだけど……俺には無慈悲にしか感じられなかった。
忘れるというのは自分の中から相手の存在が消える事。時間とともに構築した関係を消すという事。
それはまるで、せっかく掴んだ幸福を殺す行為だ。
幻想に戻るなんて、生易しいものではないと俺は思う。
「"なにもない"が辛いことを……師匠と俺はよく知っているだろうに」
本当に……最後にやろうとした事だけは、師匠を怒ってやりたい。
師匠に怒れる機会なんてほとんど無いから、思いっきり怒ってやると俺は決意する。
「私にとっても師匠ちゃんは友達で家族だったから……まぁ、好きな時に会いにこれるのは、ありがたいかな……」
「シスターと師匠……母親が二人っていう珍しい家族なのかもしれないが、俺にとっては大事な家族の形だから。死んだ後も好きに会えないっていうのはなんだか寂しく思うし」
いつだったかミスティが言っていた。
想い合うのならそこに立場の差や血の繋がりがなくとも家族だと。
だからきっと、互いを大切に思っていた自分達は家族だった。血の繋がりも無ければ、種族さえ違ったけれど、カレッラで過ごした時間は確かに俺達を家族にしてくれた。
「はは……おや……?」
「ん?」
瞳を揺らし、わなわなと唇を震わせながら……シスターが信じられないと言いたげにこちらを振り向いた。
……何か変な事を言っただろうか?
「母親って……思って、くれてたの……?」
「え? そ、そりゃあシスターが母親以外の何だっていうんだ……?」
俺がそう言うとシスターの目からは涙が零れた。
シスターが何故泣いているのかわからず俺は慌ててしまう。
「私……あんなに、ひどいことしたのに……! それでも、母親って呼んでくれるのかい……?」
「ひどいことって……」
一つだけ思い当たるものがあった。
きっと俺が五歳の時だろう。魔法使いになりたいと夢を語り、空っぽな嘘をつかれ続けたあの時のこと。
「あれはひどくないだろう。シスターだけじゃなくて、みんな俺の夢を守ろうとしてくれたんだ。俺が子供だったから」
「違う……私が、真剣に向き合うべきだったんだ。向き合って、しっかり話すべきだったのに……私は逃げたんだ、アルムを夢に向き合わせる覚悟が、あの時の私には無くて……! 師匠ちゃんがいなかったら……!」
「それでも、シスターは止めなかった。師匠と俺が会うことを、俺が魔法使いを目指し続けることを……止めなかった。俺が夢を見続けられるように、俺をこうして育ててくれた」
そう、シスターは止めたってよかったんだ。
無理だって。無謀だって。無茶だって。平民は魔法使いになれないと現実を突き付けてやめさせてもよかったのに……そうしなかった。
それだけで俺は恵まれていると言っていい。シスターが止めていたらきっと、俺は師匠との思い出も作れなかったと思うから。
「ありがとうシスター、俺をずっと見守ってくれて」
「アルム……!」
手を広げて、泣いているシスターを抱きしめる。
シスターも俺を抱きしめ返してくれた。
俺をずっと守り続けてくれた腕は、昔と変わらず温かかった。
「大きくなったね……! 本当に、大きくなった……!」
「二人のおかげだ」
静かに泣くシスターとしばらく抱き締め合ってから離れると、シスターは少し照れているのか顔を赤くしていた。
「わ、悪かったね、引き止めて……そろそろ行かなきゃなんだろ?」
「ああ」
シスターの言う通り、そろそろ出発しなければいけない時間だ。
一緒に来たミスティ達には先に行って待ってもらっているし、山の麓にいつまでも馬車を待たせるわけにもいかない。
「じゃあもう行くよ」
「ああ、しっかり……夢を叶えるんだよアルム。あんたならきっとなれる」
それはシスターの心の底からの応援だった。
五歳の時に聞いた、からっぽな声とは違う本物の激励。
ずっと聞きたかった、大切な人からのエールを俺は受け取ることができた。
「たまに帰って……いや、魔法使いになるまで帰ってくるなって師匠には言われそうだな……」
「いひひひ! 代わりに私が言ってやろうか?」
「勘弁してくれ……」
「ま、たまに手紙くらいは寄越しなよ」
「ああ、わかった」
シスターに手紙を書く約束をすると、俺は最後に師匠の墓の前でしゃがんだ。
「最後に言っておくよ師匠……俺に後悔は無い」
出発する前に、これだけは伝えなければいけないと思った。
俺は今も痛む胸をぎゅっと掴む。掴んだその場所には傷なんて無いけれど、奥にはずっと残り続ける大切な疵がある。
「この疵は俺のものだ。師匠にも……やっぱり渡せない」
師匠の墓の前で俺はそう宣言した。
師匠が死んだ事に悲しんでいる俺達を見て、やっぱり忘れさせたほうがよかった、なんて師匠が口にしないように。
これだけは師匠の前で伝えなければと、ずっと考えていた。
たとえ、残る思い出がいつか幻のように遠くなってしまっても――この思いだけはきっといつまでも変わらないのだから。
「じゃあ行ってくる」
宣言し終わった俺の心の中は清々しいほどに透明だった。
空の青さよりも、木々の彩りよりも、何よりもきっと。
シスターに手を振り返して、師匠の墓を一瞥すると、俺はミスティ達と合流すべく山を下り始めた。
大切な人がいる。大切な人と残した思い出がある。この場所は俺にとってかけがえのない故郷。
けれど、俺がここに居続けるのは誰も望んでいない。
思い出を記憶に置いて、喪失を乗り越えて、進むべき道が俺にはある。
「あ、アルムくんー!」
「アルム、もういいの?」
「思ったより早かったね、アルム」
その道を歩いた先には、大切になった人達がこうして待ってくれている。
師匠の言った通り、俺の周りを見渡したらもう……俺の周りには師匠やシスター以外の人達が大勢いた。
隣で一緒に歩いてくれている人達が。
「すまない、待たせた」
「大丈夫よ、元々余裕あったしね」
「どうするエルミラー? この勢いでルクス君の実家とか見学しちゃうー?」
「いや、流石にそこまでの余裕は無いよベネッタ……」
山を下りて待っていたルクス達は俺が追い付いてきたのを確認すると、いつも通りの空気で待たせていた馬車に入っていった。
いつも通りだと、思える自分がここにいる。
何故だか、今いる場所に懐かしさを感じて下りてきた山を振り返った。鬱蒼とした木々に覆われた山はカレッラ全てを覆い隠し、家屋は勿論教会も見えない。
それでも、立ち止まって振り返れる場所があるだけで十分だと思えた。
「アルム」
そんな俺の手に、小さい手が重なる。
真珠のように白くて、ほっそりとした指先は確かに俺の手を握ってくれていた。
その手は羽根のように柔らかくて温かい。
「ミスティ……」
ミスティはただ微笑み、何も言わずに横にいてくれた。
出発を急かすわけでもなく、カレッラに戻るかを提案する訳でも無く、ただただ俺が歩き出すのを待つかのように傍にいてくれる。
「行こう。ミスティ」
「はい、アルム」
ほんの少しの間だけ二人で山を見て、俺達も馬車に乗り込む。
御者が馬を走らせ始めると、全員を乗せた馬車は山からどんどんと離れていった。
初めてベラルタに行く時は一人だったな、と去年のことを思い出した。
「今は違うな」
外を見れば流れていく景色と離れていく故郷。
がたがたと揺れる馬車の中を見ればずっと隣にいてくれる四人の友人達。
どちらも大切に思える今こそが未来に向かう最前線。
師匠の願いに応えるため、自分の夢を叶えるために俺は再びこの地を出発する。
俺はアルム。
あなたに救われた平民で、出来損ないの弟子。
あなたに教えてもらった全てを胸に、あなたが歩ませてくれた自分の道をこれからも歩いていく。
あなたのように、誰かを救える魔法使いになるために。
第五部『忘却のオプタティオ』完結となります。
第三部に続いて全体のお話の一区切りであり、ここまで書けることに感動すらしております。読者の皆様にはありったけの感謝を。本当にありがとうございます。
第五部完結ということで、よろしければ感想や下部にある☆の評価、ブックマークやレビューなどの応援を是非よろしくお願い致します!
第五部は他と比べても長いお話でしたので、特に感想が気になっております。是非残してくださると嬉しいです。
Twitterでの読了報告なども泣いて喜びますので是非。
予告通り、エピローグ後はいくつかの番外と、第五部時点での主要国の設定についてなどを書こうと思っております。
第六部はすでにプロットが出来ていますので上記の更新が終わった後、予告を兼ねたプロローグを更新させて頂こうかと考えております。
第五部は終わりましたが、全体のお話としてはようやく三分の二といった感じです!
これからも「白の平民魔法使い」の応援をよろしくお願いします!




