376.感謝を込めてもう一度
「いや、お金はいらないですね」
大嶽丸の撃破から数日後……ベラルタの留学メンバーであるアルム達にはマナリルから正式に帰国の命令が下っていた。
ガザスも何とか落ち着き始めたタトリズ魔法学院の学院長室。
何故また私の部屋で、と胸に秘めなければいけない秘密が増えていくことに嘆く学院長マリーカはさておいて。
アルムからの返答にラーニャは動揺し、美しいダークブラウンの髪を大袈裟に揺らすこととなる。
「ほ、報酬がいらないとは……あ、あなたは英雄です。ガザスを救った。確かに大々的に発表するわけにはいきませんが、せめてお礼をさせてもらえませんか?」
「ガザスはこれから復興に金がかかるでしょう? それなのにお金を貰ってマナリルに帰るっていうのはガザスの人々に申し訳ない。俺の報酬は復興に使ってください」
「そ、そんな……エ、エリン……」
「陛下……そんな目で見られても、まさか私も断られると思っていなかったのでお力になれません」
縋るようなラーニャの視線にエリンは無情にも首を振る。
この少年には欲が無いのか?
エリンは懐疑的な目でアルムを見つめていた。
「ここは僕達の出番かな?」
「うふふ、そのようですわね」
同席していたミスティとルクスがにこにこと笑顔を貼り付けながらアルムの両脇に座る。
久しく見る二人の貴族の仮面にアルムは気圧されていた。二人の反応で自分が何かまずい事をしたのかと思えるだけ成長はしているだろう。
「アルム……君は今非常にまずい事をしようとしてる」
「ま、まずいこと……?」
神妙な面持ちのルクスにごくりとアルムは喉を鳴らす。
「君の謙虚さは君の美点だ。どれだけ活躍しても驕らない……素晴らしいよ。誰にでもできることじゃない。その謙虚さは君を知っている人や力の弱い人達からは美徳に見えるけど……今はそれが裏目に出てしまっているんだ」
「どういうことだ? すまんルクス……俺にはよく……」
「いいかいアルム? 権力者というのはね、見栄や面子を重視する……貴族は勿論だが、国のトップである王族ともなれば尚更だ」
「そ、そうなのか?」
「そうなんだ。ガザスのトップであるラーニャ様からの報酬を断るっていうのはガザス王家であるリヴェルペラ家が軽視してると捉えられてしまう、下手をすればマナリルという国そのものはガザス王家を侮辱している、なんて曲解をされて余計なトラブルにも繋がったりする」
「つ、つまり……?」
アルムの肩に手を置くルクスの表情はわざとらしいくらいに真剣だった。
実際その表情はわざとであり、アルムを説得する為の演技である。同じく同席しているエルミラやベネッタにラーニャ達もわかっているくらいにはばればれだ。
だがアルムさえ説得できればこの場は円滑に話がまとまるので、その点を指摘するようなことはしなかった。
今ここにアルムに報酬を受け取らせよう同盟が結ばれる。マナリルとガザスの未来はかくも明るいようである。
「そう、君が今回の報酬を断るという事はリヴェルペラ家を、ガザスの面子を潰してしまうことになり……マナリルとガザスの関係は悪化……果てには戦争になったりするかもしれないんだ……! 君が、君が断ったばっかりに……!」
「な、なんだって……!?」
重苦しい雰囲気を醸し出しながらそれっぽく目を逸らすルクスの説明を真に受け、焦り始めるアルム。
ルクスも完全な嘘を言っているわけではない。貴族や王族にとって見栄や面子が大切なのは本当ではあるし、それが原因でこじれる場合もあったりする。その例を持ち出し、今起きるかもしれない限りなく低い可能性をアルムに伝えているだけだ。
しかし、その語り口はまるでアルムが断れば必ず戦争が起きてしまうと言っているかのようで、ただ善意で報酬を断っていたアルムを慌てさせる。
「ち、ちがう! 俺はそんなつもりは……!」
「ええ、わかっていますわアルム」
そして自然にミスティへとバトンタッチ。
深刻そうなルクスとは反対に、その微笑みは焦るアルムを落ち着かせるかのようだ。
「ガザスからの報酬を断るのはあくまであなたの善意によるもの……でしたら、その善意を報酬を受け取ることで示してみてはいかがでしょう? あなたがラーニャ様からの報酬を受け取ればそれだけでマナリルもガザスも円満となるのです」
「いい、のかな……?」
「勿論ですわ。それにガザスがアルムの功績を認めるということは、ガザスにとってもマナリルとの友好関係を改めて他国にアピールできる絶好の機会でもあります。それにアルムは平民ですから、ガザス王家は貴賤の差よりも功績を重視するという外聞も広まり、ガザスの平民の方々の士気の向上にも繋がるでしょう。復興を急ぐ王都シャファクにとっては追い風になるかと」
ミスティに諭され、アルムは少し考えるようにして目を伏せる。
「……わかった。二人が言うなら…………」
二人の説得? によりアルムは折れた。
ラーニャとエリンも安堵したようにほっと息を吐く。
この五人との契約は非公式とはいえ、魔法生命の脅威がまだある以上ガザスとしては末永く付き合っていきたいと二人は考えている。加えて、ここでアルムに受け取ってもらわずにマナリルに不義理だと思われるのはラーニャとしては避けたかったのである。
「それではお受け取り頂けるという事で……お届けさせて頂きます。後日マナリルにお邪魔する際に」
「わかりました」
だが、安堵した理由は外交的な理由だけではない。
「それともう一つ贈らせてください。プレゼントを」
「プレゼント?」
「はい、後日正式な通達を勲章とともにマナリルに届けさせます。称号の名は"国境無き友"……ガザス王家からの友情と国賓である証です。貴族ではないアルムさんであれば多少は役に立つことでしょう」
「ありがとうございます」
すでにアルムはスノラでの功績からマナリルでも一度勲章を授与されている。
ガザスに来る前にマナリルで貰った龍魔章のようなものだろうかと、アルムは授与された時の事を思い出した。
アルムは落ち着いて話を聞いているが、ミスティ達が密かに驚いていることには気づいていなかった。
勲章や称号は送られた者に対して国がどれだけの価値を見出しているかの証。
カルセシスから贈られた龍魔章という勲章を与えたのはマナリル国王であるカルセシスがアルムを魔法使いとして期待しているという証、そして今回ラーニャから贈られる国境無き友という称号はガザス王家がアルムを認めているという証。
つまり、アルムはマナリルとガザス両国の王家から認められたことになる。
歴史も地位も無いアルムにとっては頼もしすぎる盾だった。
「国賓扱いって……多少どころじゃ……」
「すっごー……」
確かにラーニャはミスティ達と約束した。この一件が解決した暁にはアルムの後ろ盾になると。
ミスティ達は万が一に備え、ガザス王家に密かに後ろ盾になって貰えればと思っていたが……ラーニャはアルムをそれ以上の待遇で扱うことを称号をもってここに約束する。
「あなたは助けてくださいました。ガザスを。その恩をこの称号に込めております。少なくとも私が女王である間……この称号はあなたの地位の代わりになるでしょう」
ラーニャは立ち上がり、アルムが座るソファまでゆっくりと歩いていく。
タトリズ魔法学院の制服を着ているのに、その優美な歩き方と薔薇の香りを漂わせながら揺れる髪は豪奢なドレスを着た女王の姿を彷彿とさせた。
「ラーニャ様……?」
「またいつでもいらしてください。ガザスに。私、ガザス国女王ラーニャ・シャファク・リヴェルペラが最大級の歓待をお約束いたします」
ラーニャの声と表情にこもった嘘偽りない敬意。
ラーニャがこの決断に至ったのは、ただアルムが大嶽丸を倒したからではない。
初めてアルム達と交渉したあの日、声はミスティ達に遮られたものの……助けを求めたラーニャに対してアルムは、もちろん、と即答しかけていた。
何の見返りも求めず、打算も無く、ただ自分達を助けようとする純粋な姿勢と、当然であるかのように即答できる善性。
その姿に……そう、惹かれたのだろう。
この姿に報わずして何が王族、何が魔法使い。
(王のすることじゃないと言うかもしれませんね。酒呑が生きていたら)
それでも、報いなければと思った。
自分は女王として生まれ、偽りを突き通すと決めた偽物。
だからこそ……平民として生まれながら、魔法使いの在り方を突き通す本物の姿に真摯でありたかった。
「ありがとうございますアルムさん。ガザスから祈っております。あなたが魔法使いになることを」
あの日と同じように、ラーニャはアルムに向けて頭を下げた。
今度は藁に縋るような思いではなく、精一杯の感謝を送る。
自分の大好きな国を守ってくれた、まるで本の中から出てきたかのような本物の魔法使いに。
「えっと……こちらこそ、お世話になりました」
ラーニャの誓いや周りに飛び交う妖精達の祝福に気付くことなく、アルムは的外れな感謝とともに頭を下げるのだった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
次の更新で第五部エピローグとなります。




