幕間 -無手に消える-
何を間違えた?
どこで間違えた?
余は自身の欲望のまま歩いてきたはずだ。
余を止めるべく動いた仏神も菩薩も、余を止めた鈴鹿も田村麻呂もいない。
そして他の神すらもこの世界にはいないというのに。
余を止められる者などいなかったはずだ。この世界にはちっぽけな人間しかいないのだから。
暗い。
何も見えない。
一体何処だここは?
夜闇すら見通すこの瞳が、何故何も映さない。何故余の体は動かない?
今すぐ起き上がってあの男を――アルムを串刺しにしなければ。
四肢を引き裂き、地面に転がせて奴の周りにいた者共を殺してやらねば気が済まぬ。
「くはははは! 相変わらず馬鹿な男よのう? 自身が死んだことすら認めず、誰に敗北したかすらわからず……憐れな男じゃ。名に反して小さい小さい」
苛立つ女の声が聞こえてくる。
すでに死んでいるはずの女の声が。
一言一言に孕む呪い。
神経を逆撫でするような甘ったるい声。
姿は見えずとも誰なのかはすぐにわかる。
『大百足……! 何故貴様……死んだはずだ……』
「死んだとも。だからこうして……そなたと話しておるのだろう? そなたも死んだのだから」
こいつは何を言っている? 余が死ぬはずがない。負けるはずがない。
相変わらずふざけた口だ。姿が見えない。何処だ?
奴の気配と声だけが唯一の手掛かりだ。
『何処だ? ここは何故こんなにも暗い? 貴様の姿すら見えん』
「暗い……? くふ……くははははははははは!!」
急に、大百足は笑い出した。
あの無駄に巨大で気色の悪い虫の気配は周囲には無い。
ちっ。毒蟲が。
わざわざ人間体に変化してまで余を笑いに来たのかこやつは。
『なにが……おかしい?』
「はー……はー……どこまで愚かなのじゃそなたは。いっそ愛おしいくらいじゃのう」
本当に、話しているだけで腹立たしい女だ。
こんな女と最初の四柱として並ばされていたのすら不快だった。
余と同じ生命を超越し、天に届く資格を持ちながら……その一切に興味が無く、神になることすらただの手段として捉えていた女。手段にするためだけに、余達を裏切った女。
思考の方向性があまりに違いすぎる。
「暗いのはそなただけじゃよ。本当に、儂と貴様は相容れないものじゃ」
『相容れないというのは賛同するが……余だけとはどういうことだ……?』
「儂には愚かなそなたの姿が見えている」
『何? 戯言を……』
「儂の上には二つの星が輝いておるからの」
星?
何のことだ? 一体何を言っている?
「儂は心優しく、そして慈悲深い清廉な女ゆえ忠告してやろう」
毒を煮詰め、地獄を見て高笑いする濁り切った女の間違いだろう。
「いい加減、人間を認めよ大嶽丸。伝承の儂らを殺したのは人間じゃろう?」
『くかっ――! 大百足ともあろう女が笑わせる。人間を認める? 数が多いだけの余の餌でしかない奴らを?』
「その餌に、負けたのだろう? 二度もだ」
『まだ余が死んだというか。一度目は……認めよう。だが、それは人間の中に時折現れる餌ではない者がいるというだけだ。余は運が悪かったに過ぎない。餌の中に混じる英傑にたまたま遭遇しただけのこと』
「はぁ……愛おしいは撤回じゃな。なにもわかっておらぬ」
大百足は大きなため息をついた。
何もわかっていないのはどちらだ。
一度目の生で人に負け、その事に執着し続けている毒蟲が。大方、余達を裏切ったのもその願望だろうよ。抜け駆けした結果死んでいった馬鹿な女が随分と偉そうな口を利く。
「大嶽丸。人間はの……平凡であるがゆえに、誰もが特別になれる可能性を秘めておる種族なのじゃよ。儂もそなたも……一度目の生で人間に殺されたのは偶然ではなく必然じゃ。順序が逆なのじゃ。儂らは英傑に出会ったのではなく、儂らを倒した者が英傑と呼ばれたのじゃ」
『黙れ一人の人間に執心する毒女が……知ったような口をきくな』
「……一人ではない。もう、二人じゃよ」
『……?』
「ああ、無念よなあ……。二度目の生だったというのに、また儂は……名を名乗れなかった」
何だ? 急に声から呪いが消えている……?
これではまるで本当に――。
「いや、もう儂からそなたに言うことは何も無い。じゃがな……お前が人間を見ようとしない限り、お前は何も手に入れられぬよ。目の前にある欲望をただ食らうだけの……つまらぬ鬼のままじゃ」
だんだんと大百足の声が遠くなっていく。
何処に行く? ここが何処かすらわからぬ。せめて何か情報が欲しい。
ここから抜け出し、今度こそあの霊脈を手に入れる――!
「まぁ……消える前に話せてよかった。やはり儂はそなたを裏切ってよかったらしい」
消える――? どういう、意味だ?
「魂となってもただの変わらぬ呪いのまま……ならばそなたは食われるだけじゃ。魂はここで廻ることなく終わりを迎える」
『なんだ……! なんなんだこれは……!?』
体が動かない。
動かないのに、何かに呑み込まれているという確信が。
呑み込まれながら、余というカタチが消えていくのがわかる。
なんだ……なんだこれは!? 一体何が起こっている――!?
「どうやら……価値あるものを奪っていただけのそなたが向かう先は世界ではないようじゃな。くははははは! 傑作だな。二度目の生も価値あるものを奪い続けたそなたは、今度は魂を記録されぬほど価値無きと判断されたらしい」
『大……百足……! 余は、余は大嶽丸だぞ……! 日の本を魔国にし、全てを、手に入れる……鬼の王! 弧峰の頂に立ち、全てを統べるはずの余に……価値が無いと言うか!?』
「くはははははは!」
大百足は心底おかしそうに笑った。
その笑い声はまるで消えかけている余に唾を吐きかけるように不快なものだった。
「山なんぞ儂にとってはただ巻き付いて寝るだけの寝床。誇るのは結構なことだが……そなたの立つ場所は絶対ではないと知るがよい」
『余は……! 余は……手に入れて……!』
何故、暗いままなんだ。
余の手が、足が、何かに呑まれていく。
「立っているだけで満足したか? 見える景色には、登ってくる者達には……価値を感じなかったか?」
『感じぬ……余の求めるものにこそ価値は生まれる』
こいつは何を言っている?
「見上げて、星が見えなかったのか? 儂を殺した者共のような星はそなたの頭上にはないか?」
『見えぬ……余は天を裂く絶巓。雲海すらも眼下にあれば』
コレは、なんだ――!?
まズい、意識が、キエテ……い……くような……!
「大嶽丸。そなたは……何が欲しかったのじゃ?」
『決まっている。余は――』
余は……何が欲しかったのだ? 何を手に入れたかった?
「即答できぬか……ならば、"無"になるしかなかろうな」
クラくなっていく。
ナニも、見えナイ。
ナにモ、サワれない。
「暗かろうな」
なにモ、キコエナい。
「その在り方を望んだのはそなたなのじゃから」
ダレカ。
「大蛇によろしく。そなたは儂と同じ最初の四柱じゃ……それはそれは精のつく贄となることじゃろう。余はもう少しだけ待つとしよう。なに、二つも星があれば飽きはせぬし、そなたのような者もたまに来る。遠慮なく消えてくれ」
…………ダレ……カ。
…………タス……ケテ……。
いつも読んでくださってありがとうございます。今回は予約投稿となります。
第五部の敵となっていた大嶽丸の最後でした。
大嶽丸が気になった方は是非調べてみてください。使える力とか本当に無茶苦茶で、盛りすぎだろ!とツッコみを入れたくなること間違いなしの悪鬼です。
第五部エピローグまで後少し。エピローグ後は番外をいくつかと、感想で頂いていたこの世界の主要国についての設定などを上げようと思っております。
まずはエピローグまでもう少しお楽しみください。




