372.忘却のオプタティオ13
「やった……! アルム……!」
「アルムくんが勝ったー!!」
大嶽丸の存在が消え去り、白い花園に残るはアルムだけ。
呪いは消滅し、この場には平穏が訪れる。
「あ……ぎ……!」
【幻魔降臨】を解除し、アルムは霊脈との接続を解除する。
流れ込んでくる激流のような魔力を抑え込み、魔法生命だった存在が変わっていく。
変生した存在が元に戻っていく激痛と精神を掻きむしるような情報の波に耐えて、アルムは人間として白い花園に戻ってきた。
「はあ……! はあ……!」
全身から汗を噴き出させながら、アルムは自分の胸に手を当てた。
そこは魔法生命になった時に核があった場所だった。伝わってくる心臓の鼓動が人間であることをアルムに実感させる。
「戻っ……た……」
人間として帰ってこれたことに安堵すると、アルムは師匠のほうへと目をやった。
そこには師匠だけでなく、シスターとミスティ達がアルムのことを見守っている。
力無く横たわる師匠の下に、アルムはすぐに駆け寄った。
「師匠!」
「よくやったね……アルム。流石は、私の弟子だ……」
「うん……! うん……!」
弱々しくも自分を褒めてくれた師匠にアルムは少しはにかんだ。
なんて、誇らしいのだろう。自分が憧れた人からの手放しの賞賛は今のアルムにとって一番の宝だった。
アルムと微笑み合い、師匠はミスティ達へと視線を向ける。
「それに、アルムの、友人達も……ありがとう……私の大切な場所を守ってくれて……名前を……」
「ルクスといいます。アルムの恩人のあなたに名前を覚えて貰えることを光栄に思います」
「エルミラ・ロードピス……です。アルムのおかげで、ここまで来れました」
「ベネッタですー! アルムくんのおかげで毎日楽しいですー!」
ルクス達が自己紹介すると、最後に師匠はミスティに目を向ける。
ルクスは毅然と、エルミラは自分が思っている事を誠実に、ベネッタはこの場の空気を誤魔化すように明るく振舞う。
「改めて、ミスティと申します」
「ミスティ……アルムを、頼む……。重荷になるなら……無視したって構わない。これは私の、我が儘……だ……この子を助けて、やってほしい……。君は、ここに案内された子だから……頼みたい。これから、先……私は……」
「――っ!」
その言葉が意味するものを察するのは容易だった。
自分はもうここにはいられない。だから自分の代わりに見守ってほしい。
そんな願いを託されて、ミスティは瞳を潤ませながら師匠の手を握る。
「お任せください……! それは私の願いでもあります……!」
「僕達も微力ながらお手伝いを」
「ぼ、ボクも……ボクも……!」
「ベネッタ……」
ミスティだけでなく、ルクスも目線を合わせて師匠を安心させるように微笑む。
ベネッタは涙を耐え切れず、エルミラの胸に顔をうずめた。エルミラを撫でながら、エルミラも師匠に見えるように頷く。
「ああ、よかった……アルムの友人になった子が……こんな、優しい子達で……」
「師匠……! 駄目なのか……?」
「ああ、駄目だ。核を傷つけられたらもう……ふふふ、私達は脆いのか頑丈なのか……わからないな……」
「し、ししょう……!」
アルムの瞳に涙が浮かぶ。
滲んだ視界を袖で拭って、アルムは師匠をずっと見続けた。本当に最後の時まで見届けたくて。
「私が、消える前に……私が持っている情報を伝える。あの女の呪法で私は全てを説明できない……だが、私の残す手掛かりから真実に辿り着け……」
「じょう、ほう……」
「そうだ、魔法生命と戦ってきた君達には……必要なはずだ……この世界を、君達の世界のためにも……」
本音で言えば、アルムは聞きたくなかった。
その情報を言い切ってしまったら……師匠が消えていってしまいそうで。
だが、アルムは嫌だとは口にしなかった。それが自分の我が儘で、師匠が望んでいないことくらいはわかる。
師匠は今、弟子であるアルムの世界のために……こうして情報を遺そうとしてくれているのだから。
「わ、わかった……!」
アルムが頷くと、師匠は嬉しそうに笑った。
もしかすれば、アルムが内心で何を思っていたのかがわかっていたのかもしれない。
「呪法を警戒しながら伝える、から……。少し要領を得ないように、感じるだろうが……勘弁してほしい。まずは……"創始者の意図に気付け"」
「創始者って、魔法の?」
師匠は頷く。
「そうだ……彼らの血統魔法が死後変化した自立した魔法には……全て意図がある。そして次に、"答えをスピンクスに求めろ"」
「スピ……?」
「今ダブラマにいる魔法生命で……私と同じ裏切り者だ……。奴は人を殺す殺戮者ではあるが、人の味方ではある。この世界を……どうこうするつもりが無い。だが……少々厄介だ、気を付けろ」
「厄介じゃなかった魔法生命なんて……いなかったよ」
「ははは、それはそうだ……」
師匠の声がか細くなっていく。
もう時間が無いのはここにいる誰にでもわかった。
「最後に……"マナリルに大蛇"、"ダブラマにアポピス"、これは今、何のことかわからないだろうが……覚えておいてくれ」
「マナリルに大蛇……?」
「そうだ……。いずれ、わかる……それと……マナリルにはまだ魔法生命がいる……」
「……!」
「私が言えるのは、これくらい、かな……他の魔法生命の動向は、わからん……なにせ大分前に裏切ったからな……」
後は、言わなくても変わらない情報だけだ。
心の中で師匠はひっそりと呟く。
師匠が情報を言い終わると、ミスティは握っていた手をそっと師匠の体に置いた。
「それでしたら、私達はこれで少し下がらせて頂きます」
「ん?」
「師匠さんが最後に話すべきは、情報ではありませんから」
ミスティは涙をこらえているのか顔を強張らせているシスターに目を向ける。
ミスティは頷いて、師匠の隣から離れた。
「エルミラ、ベネッタも」
「……うん」
「ひぐっ……! ひっ……!」
「なんてあんたが泣いてんよ」
「ないでないー……!」
ルクスとエルミラ、そしてエルミラに顔をうずめているベネッタも師匠から少し離れた。
四人は、最後に隣にいるべきが自分達ではないと知っている。
その涙は師匠を思ってではなく、師匠を大切に思っていたアルムの心を思っての涙だから。
自分達が寄り添うべきは、別れを終えた後のアルムであって……この世界から去る師匠ではない。
それが師匠からアルムを、アルムの世界を託された自分達のやるべきこと。
師匠に寄り添うべきはやはり、この二人なのだ。
「師匠ちゃん」
「シスター」
ミスティ達と入れ替わって、シスターが師匠の手を握る。
シスターの目尻には涙が貯まっていて泣くまいとしているようだが……その頬にはすでに涙の跡が残っている。
「すまない……君の、シチューは……お預けみたいだ……」
「はっ! 何言ってんだ! 何度でも作ってやるさ」
「ああ……」
「そう、さ……! 何度でも、何度だって……! 作ってやる、作ってやるよ……!」
そこで、シスターは涙を零した。
流す涙と震える肩には、大斧を振るう豪快な姿は無い。
彼女が思い浮かべるは教会で自分の作ったシチューを食べる三人の姿だった。
ああ、覚えている。今にも消えてしまいそうな真っ白な魔法使いが、舌を火傷しながら美味しいと食べていた日の事を。
「君に……出会えてよかった。この生涯に、友を得られるとは思っていなかったから」
「私だって……。ああ、そうだ! あんたの本名教えてもらったから私も、教えるよ……! "パメラ"って言うんだ! いひひひ! 似合わねえだろ!?」
シスターは涙を誤魔化すように自虐しながら笑うが、師匠は首を横に振る。
「そんなことはない。アルムを見る君の目はずっと……ずっと優しかった……私に向ける親愛も……。だから、君の名前は、君にとても似合っている」
「相、変わらず……わけわかんねえなあ……師匠ちゃん」
「ああ、私らしいだろう? シスター……」
互いの名前を知ってもなお、二人は互いを、シスターと師匠で呼び合う。
今まで呼び合った時間が自然とそうさせる。本名など関係なく、その呼び方は互いを示す大切な名前だった。
「お別れか」
「ああ」
「じゃあな師匠ちゃん……十年間……楽しかった。あんたのことは忘れない」
「私もだ……君をずっと、忘れない」
その別れを最後にシスターは立ち上がる。
名残惜しそうにするも握っていた手が離れる。
「シスター?」
「あんたと最後にいるべきは、私でもないんだ」
ややくぐもった声でそう言って、シスターは立ち上がった。
最後の別れはすませた。
二人の時間を奪わないためにも、これ以上涙を見せないためにも、自分はこれくらいの別れで丁度いいとシスターは師匠から離れた。
そう、師匠ちゃんと最後にいるのは……一人しかいない。
「師匠」
「アルム」
アルムと師匠は互いを呼び合った。
「師匠……行かないか? 真ん中まで」
そしてアルムは提案する。
指差す先は夜闇に輝く白い花園。
一度も入った事の無い……アルムと師匠の思い出の場所。
「ああ……そうだね……最後に、一度くらいは……。悪いが、運んでくれるかい?」
「うん、任せろ」
アルムはそう言って自分の胸を軽く叩くと、師匠を横抱きにして抱える。
持ち上げて……驚くほど軽いことに気付いた。まるで何もかもが体から抜けていってしまっているような。
その体の軽さにアルムは再び師匠が消えることを実感しながら、涙をこらえた。こらえきれていない涙が一つ頬を流れる。
「行こう……師匠」
「……うん」
アルムはゆっくりと、揺らさないように歩き始める。
白い花園にアルムが足を踏み入れると、輝く魔力が師匠を照らす。
改めて現実とは思えない幻想の中のような……夢のような場所。
(……すまない)
アルムはゆっくりと師匠を運ぶ中、師匠は眉間に皺を寄せてアルムの事をじっと見つめながら……心の中で謝罪した。
そんな師匠にアルムは気付く。
「……師匠?」
「いや……逞しくなったと思ってね……」
「……うん。そりゃ……ここにいた時よりは」
「うん……本当に、立派になったんだね……君は……」
……すまないアルム。すまないシスター。
私は君達に言っていないことが一つだけある。
なあアルム。
魔法生命はどうやって神になると思う?
神のいないこの世界で生きる君達は思っただろう。
そもそも神とは何を指すのか? 何をする存在なのか?
神とは一体……どうやってなるものなのか?
わからないのも当然だ。君達人間には想像つかない方法だろう。
……かつて、魔法を作り出した創始者達は自分達の血統魔法を自立する魔法に変えて、この世界に理を敷いた。
火属性創始者は"生命の不死"を不可能にした。
不死なる生命の誕生と存在は、未来に害をもたらすと確信して……この世界の不死を無きものとした。
信仰属性創始者は"言語の統一"を可能にした。
人々の意思疎通が、未来の人々が繋がる最も優しい手段だと信じて……この世界は共通の言語を使うものとした。
他の創始者もそれぞれの思いを持って自立した魔法を遺している。
魔法はその器と使い手の意思によって、世界に理を敷くことすら可能にする不可能無き手段。
私達が目指すのは、それだった。
私達魔法生命が神に至るというのは、神という自立した魔法になるということ。
魔法生命はそのどれもが信仰と恐怖で崇められ、神になる資格をその身に持った生命。
生前の力を取り戻し、宿主という楔から解き放たれるほどの"現実への影響力"となれば、この世界を自由に支配する理に変わるなど造作も無い。
この世界に神はいない。ならば初めに辿り着いたものこそが恐れと敬いを神と変わった自分に集め……この地にはない神への信仰を最初に手にすることができる。その存在を絶対のものにできる。
それこそが――魔法生命の至る神。
魔法生命が願う最終到達点だった。
「どうだ師匠、真ん中についたぞ。ここからこの場所を見るのは初めてじゃないか?」
「ああ……本当に、綺麗な場所だ……」
「ゆっくり回して景色を見せるよ」
「ああ、ありがとう」
…………ならば、できるはずだ。
私は変わった。一つの出会いに。私は変えられた。一人の少年に。
私が神になるよりも、この少年に健やかな人生を。
私が神になるよりも、この少年に永久の幸福を。
あの日この場所で出会ったアルムこそが、私の生きる意味となった。
だが、生きる意味を持つということは――死ぬことにも意味を持つということ。
一度目はよかった。生きる意味など無く、死ぬ意味も無かったから。
だが、二度目の今は違う。
私にとってアルムが大切であるように、私もまたアルムにとっての大切になってしまった。
私を変えてくれた子はとても優しい子だからきっと、私の死を永遠の疵にする。
私を思うたびに嘆き悲しみ、心を痛め、喪失を苦にする。
私の死は、アルムにとって意味を持ってしまう。
そんなこと……許されない。絶対に許されない。
アルムの幸せを願っている他でもない私自身が、この子が抱える一生の疵になるなど――!
……魔法とは、不可能無き手段。
そう、魔法生命が力を取り戻すにつれて神に近付くというのなら逆も。
魔法生命が魔力を失い続ければ……その存在は幻想に近付く。
私は元々紙に書かれたインク。命無き幻想。そしてその力は忘却。
私だからこそ、できるはずだ。
私の願いはただ一つ。
私自身が自立した魔法となり、この世界から……師匠という存在を忘却した世界へ変えること。
人の記憶からも、星の記録からも、全てから!
できるはずだ。この世の理を変える事が出来るなら……たった一つの幻想を忘却させることくらい。
アルムとの思い出の地――この霊脈の魔力を利用して必ず!
私を誰も思い出せなければ喪失も悲しみも生まれない。一粒の涙すらも。
アルムの疵を消し去り、悲しみを遺さないために……私は私の最後の役目を果たす。
師匠という存在の忘却を私は願う。
――それが……私の忘却の願い。




