371.忘却のオプタティオ12
『貴様だ! 貴様さえ現れなければ全てが変わったというのに!』
空を駆ける大嶽丸の口から出るのは単純な呪詛だった。
他者の存在の否定。その声には憎しみが乗っている。
憎しみをのせ、顕明連を振るって斬撃を放つ。
斬撃はアルムの白い剣に弾かれるが、先程のように一方的ではない。
他でもない自分自身――大嶽丸の憎悪を乗せて鬼胎属性の魔力は加速する。
「――っ!」
加えて、鬼の持つ単純な怪力。
対魔法生命と変わったアルムの体がみしみしと悲鳴を上げる。
『貴様が何処かで死ねば! 死産すれば! 野垂れ死ねば! 病に罹れば! 野盗に殺されれば! 獣に食われれば! 排斥されれば! 挫折すれば!』
ぶつかりあう刀と剣。
呪詛を乗せた顕明連の斬撃は先程よりもずっと鋭い。
空を飛び回る中、目を、腕を、首を。戦闘不能に追い込めるであろう箇所を的確に狙うその技量は大嶽丸がただ怪力任せの怪物でないことを示し続ける。
純粋な破壊力だけなら大百足に軍配が上がるだろう。しかし、呪術と搦め手に長けたその技と能力が大嶽丸を最も厄介な魔法生命たらしめる。
『誰かに呪われれば! 余の道を阻める者はいなかった! 【凍嵐】!』
「『防護壁』!」
剣と刀が交わった瞬間に大嶽丸は顕明連から片方の手を離し、アルム目掛けて爪を振るう。
至近距離で放たれた冷気と衝撃はアルムの防御魔法で防がれるも、衝撃が殺し切れていない。
防御魔法が砕ける音と共にアルムは後方へ吹き飛ばされる。
『かっかっか! 貴様こそが余の最初にして最後、そしてたった一つの障害! もう一度その体を串刺しにしてやろう! 貴様こそこの地がもたらした余の最初の供物! 余の前にその血花を咲かせ、この地の霊脈を手に入れた時こそ余が天上へ! 神の座に至る時だ!』
「随分と都合のいい解釈をする! だからお前は負けるんだよ!」
白い翼を羽ばたかせ、空で体勢を整えたアルムが即座に斬り返す。
核の首向けて薙ぎ、顕明連で止められた刹那。顕明連の刀身に白い剣を滑らせて顕明連を持つ右手を狙う。
『くかっ――!』
大嶽丸は右手を捻り、顕明連の刀身を滑っていた白い剣を空中に空ぶらせる。
復活能力の消えた大嶽丸にとっての最後の生命線。如何に大嶽丸といえど過剰に回避せざるを得ない。
空ぶらせた白い剣が下部から切り上げられるのを警戒し、大嶽丸は即座にアルムの頭上へと飛んだ。
「俺以外に敵はいないみたいな台詞を吐くが……そんなわけないんだよ! みんながお前を止めるために戦った!」
『だが無駄だった!』
「無駄なんかじゃない! 一人一人が何かを守ったんだ! 繋げたんだ! お前が何も手に入れられないように! だからお前はこの地に逃げてきたんだろう!?」
『逃げる……? 余が!?』
アルムの言葉に大嶽丸は額に青筋を立てる。
その怒気にもアルムは怯まない。
「違うか悪鬼? 無駄じゃなかったから、お前はここに来たんだろう? てめえの手に一本しか武器が残ってないのが紛れも無い証拠じゃないのか!?」
そう言って、アルムは顕明連を指差す。
小通連はアルムが砕いた。大嶽丸が他愛ないとあしらってきた多くの魔法使いの足止めによって
大通連はエリンが砕いた。人の味方をすることを選んだ酒呑童子の命によって。
顕明連の復活はもう無い。奪う対象でしか無かったガザスによって。
「気付いてないんだな。その一本になるまでに戦ってきた相手全員からお前は何も手に入れられちゃいないのに」
絶大な力を誇り暴虐を繰り返した大嶽丸は確かに多くを奪った。だが、それだけ。
大嶽丸はまだ何も手に入れていない。全てを阻まれた。人の、魔法の、魔法生命の抵抗によって。
自身の侵攻を止められ、二本の守護刀を折られ、最後の一本が持つ切り札すらも使い、そして求めたのが霊脈。
……霊脈を求めるのは魔法生命の目的でもある。
だが、それは果たして……本当に大嶽丸本人の欲望によるものか?
この日まで散々遠回りしてきたこの悪鬼が今欲しいものなのか?
「お前は逃げてきたんだ。ここに来たのは欲望なんかじゃない。自分の欲しいものが何も手に入らなかったから。自分の持っているものを失ったから……それを埋めるために来ただけだ。何が魔法生命、何が悪鬼……今のお前は子供の頃の俺と変わらない。自分の欲望を否定されて空っぽになった自分を何かで埋めたい……迷子と同じだ」
そう……あの日、白い花園でうずくまっていた自分のように。
『余を愚弄するか!? この世界の只人……平民如きが!』
「その平民に負けるんだよてめえは!」
『【黒霧災禍・影百鬼】!』
増える。増える。増えていく。
一が二に、二が四に、四が八に。夜空に悪鬼の姿が増えていく。
三十二ある姿のどれかが本体。他全ては実体の無い分身。
その全てが同じ動きでアルムに襲い掛かる。
『『『『堕ちよ! この天から!』』』』
重なる声すらも同じ。ルクスとエルミラを惑わしたこの術をどうやって見分けるか――。
「『永久魔鏡』!」
アルムは選択を迷わなかった。展開されるは五枚の巨大な鏡。
五枚の鏡は向かってくる大嶽丸全てに向けられる。
そして――!
『『『『か、鏡だと――!?』』』』
「そこだ」
驚愕とともに五枚の鏡のうち一枚が大嶽丸の本体だけを映し出した。
向かってくる全ての分身を無視し、鏡に映った本体にアルムは一直線に向かう。
『しまっ――!』
予想外の術の看破に大嶽丸はアルムの一撃を顕明連で受け止める。
それと同時に周囲の分身も姿を消した。
「堕ちるのはてめえだああああああ!!」
『ぐっ……! ごの……へいみんがああああああ!!』
白い翼をはばたかせ、勢いのままアルムは大嶽丸を押し込み地面へと向かう。
同時に五枚の鏡が追い打ちをかけるように大嶽丸へと襲い掛かるが、顕明連が白い剣を受け止めているため防御もできない。
『がああああああああああ!!』
「はああああああああああ!!」
一枚! 二枚! 三枚!
大嶽丸をとある場所へ叩き落とすため、巨大な鏡は防御という役目を捨ててアルムを後押しする。
アルムの魔法は今、魔法生命への"現実への影響力"が上がっている。
一枚ずつ衝突してくる鏡の衝突が大嶽丸にアルムを押し返させない。
『なめるなあああああ!!』
山を覆う木々に突撃し、地面に叩きつけられる直前。
大嶽丸は二本の足で地面に立ちアルムの勢いを徐々に殺す。
『ぢい!!』
「ぐっ!!」
空から地面へと落ちた衝撃と互いの怪力で互いの武器が弾かれてどこかへ飛ぶ。
それでもアルムは大嶽丸を逃がさないよう、その手を握り潰す勢いで掴む。
「逃がして……なるものかあああああああ!」
ここで倒す。ここで終わらせる。
思うのは大嶽丸と戦ったガザスの人々。
仲間が命を懸け、ようやく倒したと思った国の敵が逃げていくのを……見送るしかできなかった時はどれだけの悔しさだったろうか。どれだけの絶望だっただろうか。
自分はラーニャ達が今日までどんな日々を過ごしたのかはわからない。
それでも……彼らが必死だったのを知っている。彼らにとって互いが大切だったのだとわかるようになった自分がいる。
それにきっと、自分は助けてと言われていた。
留学メンバーに指名されたのも、あの日ラーニャに頭を下げられたのもきっと。
全部……全部、あれは大嶽丸に奪われた人達の助けの声だった――!
"さあアルム……私の願いを叶えておくれ"
さっき貰った師匠の声がアルムを支える。
師匠を斬った大嶽丸に対する憎しみが消えたわけじゃない。
それでも言える。自分を今突き動かしているのは決して憎しみなどではなく……自分の故郷を守りたいという欲望と、助けの声に応える"魔法使い"という夢の形なのだと!
『止……まらん……!』
「はああああああああ!!」
地面に落ちてもなおアルムは大嶽丸を押し出し続ける。
その膂力は大嶽丸に術と反撃の余裕を与えない。
木々を薙ぎ倒しながら二人は山中を進む。
そして、大嶽丸の背中から木々の感触が消えた時――二人は開けた場所へと出た。
『これは……!』
そこは大嶽丸が追い求めた霊脈にしてアルムと師匠の思い出の地。
大嶽丸は視界に入った霊脈に無意識に口角を上げる。
狭いながら花まで輝く魔力の濃さは常世ノ国で食らったどの霊脈よりも質がいい。
『かっかっか! 道案内でもしてくれたのか!? この功績で先の侮辱を水に流そう!』
大嶽丸とアルムは輝く白い花園――霊脈の中心で止まった。互いの両手を握り潰すように握って封じている。互いの魔力は互いの魔力を焼くように反発し合っている。
そんな痛みすら忘れ、大嶽丸は一瞬神の座に辿り着いた自分の姿を想像した。
目の前のこの男さえ殺せば、この上質な霊脈は自分のもの。
大嶽丸の視界にミスティ達も入るが、霊脈に接続すれば警戒する必要すら無いと捨て置いた。
『くかっ――! よくやってくれた! 貴様はもう邪魔だ! あの世で余が神の座に辿り着く様を見届けるがよい!』
大嶽丸は叫び、その口を開ける。
口内には肉を引き裂き、食らうのに特化した並んだ牙。
獣よりも邪悪な形がアルムの首に食らいつく。
「っ……!」
大嶽丸の口の端から白い光を帯びた血が噴き出し、アルムの表情が一瞬歪んだ。
一瞬漏れた声に大嶽丸は嗜虐の笑みを浮かべる。
その牙が魔法生命と化しているアルムの外皮を破り、骨と肉の味が口内に広がろうというその時。
「……魔法生命は」
大嶽丸の耳に、その声は届いた。
落ち着いていて全てが終わったかのような穏やかな声が。
首を噛まれているのに何だこいつは?
そんな疑問が立ち上りかけるが……その答えはアルムの声によってすぐにわかる。
「霊脈と接続できるんだったな?」
空白のように過ぎる刹那。
大嶽丸はアルムの首に噛みつきながら、視線を下げて……その言葉の真意を知った。
『――――ッ!!』
視界に入った光景に大嶽丸の喉が干上がる。
アルムの腰から生える白い尾、サルガタナスの姿を模しただけだと思っていたその白い尾がいつの間にか地面に……霊脈に突き刺さっている――!!
『あ……! あ……!』
余りに衝撃的な光景に大嶽丸は首から口を離し、わなわなと震える。
自分が見た光景の意味……それは霊脈との接続。
魔法生命の目的。自身がこの霊脈を目指した理由。
星の魔力を吸い上げ、魔法生命の魔力を無限にする神に近付くための手段。
本来ならばこの場所を目的とした大嶽丸が先んじてやらねばならぬ事。
『それは……余が……! それは、余の……!!』
二人の違いは些細な差。
大嶽丸はアルムを最後の障害として執心し、アルムは今まで戦ってきた人達の思いを無駄にしないためと確実に倒す手段を純粋に求めた。
二人の差はそんな、欲望の視野の違い。
だが、大嶽丸の選択を誰が笑えるだろう?
まさか……霊脈との接続を試みる無謀な人間がいようなどと――!
『ぐ……!』
大嶽丸も遅れて霊脈への接続を試みる。
だが、この霊脈はアルムと師匠の思い出の地。そしてアルムが膨大な魔力を持った理由。
この霊脈の魔力とアルムの魔力は言うまでも無く馴染んでいる。
ならば、先に接続したアルムから霊脈の支配権を奪えるはずもない。
『くそ……! くそ! 糞糞糞糞糞糞糞糞!! 余を……! 余を拒むのか! 星風情がああああああ!!』
接続を試みた大嶽丸は霊脈から拒絶され、魔力が弾かれる。
対して、アルムには霊脈からの魔力が流れ込んでいた。
激流のように荒れ狂う魔力。
過剰魔力で破裂するような魔力の奔流に激痛が走る。それでも、アルムは極限を迎えてなお霊脈の魔力を受け入れていた。
そして痛みは消え、アルムと霊脈の魔力はこれ以上無いほどの融和を果たす。
自滅の未来は訪れない。霊脈の支配権は完全にアルムにある――!
「"変換式固定"」
アルムの静かな声とともに、白い花園に魔法式が展開される。
アルムの意思に呼応して輝きを増す白い花園。
霊脈の力を借りて魔力は加速する。大嶽丸を打倒する一撃のために加速していく――!
『待て……! 待てええええええ!!』
白い光とともに浮かび上がった死の予感が大嶽丸に一つの感情を抱かせる。
自分がずっと与え続けたもの。自分の力としていたもの。
恐怖と名付けられた感情を。
「"放出用意"!」
『こんな事が……! こんな事があってなるものかあああああ!!』
大嶽丸は撃たれる前にアルムを殺そうと再びアルムの首に食らいつこうとする。
だが――。
『あ……ぎゃ……!』
霊脈と接続し、驚くべき速さで魔力を同化させたアルムの"現実への影響力"はすでに先程とは違う。
大嶽丸の牙は魔法生命の外皮に弾かれ、その勢いが災いして一本の牙は無残にも折れていった。
『余は……奪っただけだ……! 奪っただけでまだ……まだ何も!!』
「ここがお前の終点だ。目的地には着けただろう?」
これから迎える結末を予期して大嶽丸は声を震わせる。それは一度経験しているからこその悪寒。自身の首が白刃よって落とされた時の記憶が駆け巡る。
そんな大嶽丸にアルムは手向けの言葉を口にする。
「覚えておけ悪鬼。この世界には俺がいる。魔法使いがいる。お前が何度蘇っても……お前の思い通りにはならない。何度だって止めてやる。お前がこうして、全てを奪っていく限り!」
『貴様が……! 貴様さえ、いなければ……! 貴様は一体――!!』
……無属性魔法。
それは魔力と魔法の中間に位置する曖昧さを持った欠陥と言われ、今の魔法の礎となった原初の魔法。
その本質はありとあらゆる可能性の証明。
不可能を可能に、可能を不可能に。曖昧であるがゆえにどちらにも傾ける……この世界の魔法を体現する無色の魔法。
魔法が生まれてから誰もが、各属性の創始者ですら捨て置いた空白の玉座。
その玉座に今、千五百年の時を経て……一人の男が辿り着く。
「俺はアルム。未来永劫……その名前を覚えておけ」
見よ星よ。刻め歴史に。
あれなるは原初にして最新。
児戯だと笑われ、欠陥と捨て置かれた魔法に産声を与えた、才無きと断じた者。
「"魔力堆積"! 『光芒魔砲』!!」
無を束ね白に輝く、無属性の魔法使い――!
「いっけえええええええええええ!!」
地面の魔法式から天向けて放たれる魔力の光線。
魔力を束ねて放たれたその砲撃は大気を焼き、鬼胎属性の魔力を呑み込んでいく。
『あ……があああああ! 余が……! 余が……こんな……!』
魔力が渦巻く光の中心で大嶽丸は生き残ろうと鬼胎属性の魔力を集中させる。
だが、相手は霊脈と接続し、無限の魔力を兼ね備えた魔法生命。
そして何より……その砲撃を使うのは膨大な魔力を精密にコントロールし続ける無属性の魔法使い。
霊脈から流れ込んでくる魔力を"充填"し、"変換"し、"放出"し続け――大嶽丸へと叩きこむ――!
『あ……が……くしょう……!』
白い光の中、核にまで届く砲撃に大嶽丸のカタチが崩れていく。
幻想と現実の間にある砲撃の中、自身の存在の崩壊を悟って――
『ちくしょうううううううううううううう!!』
夜空に轟く悪鬼の断末魔。
死に際に残した最後の呪詛すらその光は呑み込んで。
魔力の残滓すら残さずに、夜闇に浮かんでいた黒い輝きは消えていく。
いつか噂になっていた――カレッラから空に上る、光の塔によって。
いつも読んでくださってありがとうございます。
幾度の戦いと犠牲を経て、対大嶽丸決着です。




