368.忘却のオプタティオ9
……偶然にも、彼の魔法には一つ最も空想に近いものがあった。
『幻獣刻印』。
獣化でありながら、存在しない獣という偶像を形にしている魔法。
魔法として作り上げられた実在しない生き物の形。
偽りの中に息づくべきもの。
そう、その魔法の在り方は偶然にも……自らが師と仰いだ彼女に似ていた。
『幻獣刻印』という魔法が作られたのは偶然。
だが、その魔法の変革は――必然だった。
「わ……たし……?」
その背中を、サルガタナスとして作り出された悪魔は見た。
自身と同じ白い翼、白い剣、白い尾。
その魔法が誰をモチーフにしているのかなど言うまでもない。
それはずっとずっとあった憧れ。
叶わない夢という現実に圧し潰され、うずくまっていた自分を救ってくれたかけがえのない師の姿。
彼女のようになりたいと思っていた……少年の夢。
『その姿……サルガタナスが入れ込んでいた人間はお主だったか……』
ならば、一度目の戦いで感じた異質さも納得できる。
『頑なに無属性魔法しか使わないのは……何らかの絡繰りがあったというわけか? アルムとやら?』
「それしか道が無かっただけだ。俺はこの村で育った……平民だから。その道を師匠を指し示してくれた」
平民と聞いて大嶽丸は目を丸くした。
確か平民は魔法の才能が無いはず……元を辿れば自分達が生まれたのも常世ノ国の人間が平民を魔法使いに変えようとした実験が失敗した副産物。
そんな実験をしても、平民は魔法使いになれなかった。魔法生命の核を宿してもなお目覚めない才能という壁がある。
一度目に小通連を破壊してみせたこの男がまさか平民だったとは。
『なるほど、道理で纏う空気が違う……余や他の魔法生命と出会う前から、お主の人生にはそびえ立つ山々が立っていたというわけか』
「その山を越えさせてくれたのが……俺が世界で一番憧れている人だ」
『かっかっか! その女を余が殺したというわけだ。余への憎しみがお主を悪魔の姿にしたか?』
「違う。俺をこの姿に変えたのは……師匠と皆だ」
白い翼を羽ばたかせて、アルムは飛ぶ。
故郷の地から力強く飛び立つ。
自分の在り方を示すために。星が輝く空に向けて。
『来るかアルム! あのような魔力の枯れた女の姿を模したところで何になる!? この世界の魔法とは、"現実への影響力"とやらで決まるのではなかったか!? 現実からかくも遠い幻想から生まれたあの女に近付いて何ができる!?』
大嶽丸の問いを頭上から受けながらアルムは飛ぶ。
大嶽丸と同じ高さまで飛び上がるとアルムは答えた。
「お前に勝てる」
空に浮かぶは二つの光。
闇に溶けるような黒い光。闇に逆らうような白い光。
白く輝くアルムは堂々と宣言した。
『くかっ――! かっかっか! 面白い! お主を殺せば今度こそ余を阻む者は消えるだろう!!』
大嶽丸はさらに上空へと飛び上がる。
自分こそが頂点。山の頂に立つ者。天に最も近き山嶺。
自分と同じ高さで上ってくる者など存在しないと言うかのように。
『そこまで言うのならば止めてみよ! 防いでここに証明してみるがよい! 山に降り注ぎし余の力を! 数多の武士を葬った余の呪詛を! その姿で止められるというのなら!!』
その声は天地を響かせ、アルムの更に上まで飛び上がった大嶽丸は夜空に手を伸ばす。
『【弧峰に浮かびし黒き雲】!』
伸ばした手の上では巨大な黒い雲が現れ、渦巻き、夜空に広がっていた。
唱えるは大嶽丸の持つ能力の中で最も殺戮をもたらす力。
町一つを容易に滅ぼす惨劇の具現。
その力ゆえ詠唱を要する呪術。
生きる災害に相応しい魔法生命の力が夜空に集約していく。
『【一に死を、十に恐怖、百を屍、千を山。人の世に降り注ぐは氷塊の呪詛なり】!』
星空を黒雲で染め、月明りを呪詛が遮る。
生前、大嶽丸が殺し屠ってきた人々の怨念と執心が悪鬼の手によって術へと変えられる。
黒雲の中で鬼胎属性の光が走る。
黒雲から姿を見せ始める氷の武器。黒雲で作られた雹は命を貫き、命を斬り、命を壊す形となって矛先を向けていた。
『余の影の中から見上げるがよい! 余は大嶽丸! 天上に至り! 神の座に届く鬼の王なれば!!』
「や、やばい……!」
「全員防御だ!!」
カレッラの空に浮かぶは大嶽丸の眼下の命全てを奪う呪詛。
山に着地したルクスは大声を上げて防御を呼び掛ける。
だが、アルムは小さく息を吸って。
「【幻想となれ】」
一声を響かせた。
いくら黒雲で月と星の輝きを遮っても――この輝きは決して消えない。
『なに――!?』
瞬間、集まっていた黒雲が晴れていく。
黒雲が晴れれば雹が降る道理も無い。
大嶽丸が繰り出した能力は完全となる前に頭上から消えていった。
『馬鹿な……! なにが……!』
「呪詛は唱え終わったか?」
『!!』
アルムは大嶽丸に向けて白い翼を羽ばたかせる。
人には届かないはずの領域。悪鬼の座する天に最も近い場所にアルムは足を踏み入れる。
『ぢい!!』
舌打ちとともに大嶽丸は顕明連を振るう。
アルムの手に持つ剣と大嶽丸の刀がぶつかり合った。
バヂィ! と音を立てて互いの魔力が互いを相容れぬと弾き合う。
『お主、何をした――! 余の呪詛をどうやって……!』
金属音と魔力の衝突が夜空に響き渡る。
大嶽丸の頭からは先程の現象が離れない。
何故自分の呪詛がかき消された?
魔法生命は魔法が使えない。魔法のように現れているのは生前の術や生命の機能による現象そのもの。つまりは、魔法生命という魔法の一端だ。
だからこそ、無効化などされるはずがない。
魔法生命たる自分が生きている以上、魔法の機能である自分の呪術や現実への干渉が無効化されるはずがないのだから。
しかし、現に目の前の男の言葉によって黒雲は消えた。
この姿か? だが、この姿が何だというのだ?
恐らくは獣化の類。悪魔――サルガタナスの姿を模して変化しているのだろう。アルムが知っているかはともかく、悪魔は獣と通ずる伝承がある。
だが、サルガタナスを模した魔法だとしたらそんな力が在る筈はない。
あの女の能力は工作や諜報に秀でていて、得意の能力も記憶の忘却。戦闘の役に立たないし、ましてや自分の能力をかき消すなんて事ができるはずがない。
一体何が――?
『馬鹿な……! 馬鹿な馬鹿な馬鹿な!!』
何度目かの剣と刀の激突。
どちらの武器も砕ける様子はない。それはつまり、"現実への影響力"が互角に近いということ。
『……?』
互いに退かない激突の中、睨む瞳の中に見たアルムに大嶽丸の怒りは急速に冷えていく。
『おい……! ま、待て、貴様……!』
声は大嶽丸の動揺を物語っていた。
気付いた。先程の謎が解けたわけではないが、そんな事がどうでもよくなるくらいに、起きてはいけない事が起きている事に気付いてしまった。
『貴様まさか……! "変質"させたのか――!?』
「……そうだ」
『ば――! 馬鹿か貴様!! 狂っているのか!?』
その動揺は頂きに立ち、尊大に振舞う鬼の王とは思えなかった。
目の前の人間の、気が触れているとしか思えない蛮行に。
『自分の存在を……変えたのか!? 人間から悪魔に!! 人間から"魔法生命"に!!』
そう、大嶽丸は気付いた。目の前の存在が姿だけではなく、纏う空気まで変わっている事に。目の前の存在が自分と同じ存在である事に。
自分という世界を改変させたわけでもない。獣化と同じアプローチのさらに先。自身を獣と化せるのならば、他も可能なはずとアルムの常識は不可能を断じなかった。
魔法とは不可能を可能にし、可能を不可能に変えるもの。ならばその実態は……幻を現実に、現実を幻に変えるものと言ってもいい。
自身が憧れた魔法使いもまた、幻から現実へとなったもの。
ならば……人間が魔法生命になることは不可能と言えるだろうか?
「驚くようなことじゃない」
『何を、しているんだお前は……! 生命という自己を……絶対の在り方を捨てるんだぞ……!』
自身と互角の力は存在の変質によるものか。
人間から魔法生命に。それ自体は不可能なことではない。
自分がここにいることこそ証明。魔法生命も生前の存在から魔法生命という存在に変わった生命なのだから。
「いいや、捨ててなんかいない。俺はここまで歩いてきたアルムという唯一の存在だ」
理屈の上では。……理屈の上ではこの世界では可能なのかもしれない。
だが――何故、生身でそれを行える――!?
大嶽丸が動揺するのは当然だった。 可能ではある。だが、その可能を実行できるはずがない。
魔法生命は死という眠りによって意識が核に閉じ込められ、宿主というこの世界における楔を介してようやく顕現する。存在の変質によって精神が影響されることがなく、その過程があるからこそ生前からの存在の変質を受け止められる。
それを……目の前の男は生身で自身を悪魔に変え、魔法生命と化した。自分自身の意思によって。
まさに神や理をも恐れぬ蛮行。
自分を魔法に変えるのとは訳が違う。
人間という生命から別の生命に。ただ模すだけの獣化でさえ精神に影響が出るその行為は生まれ落ちた自分の存在を壊して否定し、創造して肯定すること。そんないかれた反復にまともな精神が耐えられるはずがない。
『余の世界であれば世界から排斥される行為だ……! 信仰無き身で、人の身でこちら側に踏み込むなど――』
「でも、戻れる場所がある」
自分を信じてくれる人達がいる。自分の夢を願ってくれる人達がいる。
アルムという在り方が失われない自信はそれだけで充分だった。
アルムの頭上に天の輪が現れる。
今大嶽丸の目の前にいるのは、信仰も立場も無い。天に使われることもなく、悪も持たぬ魔の化身。
無属性魔法という幻想と現実の狭間に位置する曖昧な力を使い続けてきたからこそ行える存在の変質。
曖昧でありながら、確固たる自己の顕れがこの魔法を可能にした。
アルムという在り方そのものが今、ここにはカタチとなっている。
恐怖と悲しみを生み出す魔法生命を打倒せんとする、白い平民の魔法使いが。
『お前は……一体何者だ……?』
理解できぬ存在を前にして、大嶽丸は問う。
「魔法使い」
アルムは答える。自分の夢を。
『お前は……誰なんだ……?』
再び問う。何処までも立ちはだかるこの男は一体?
「アルム。カレッラの平民……そしてベラルタ魔法学院二年生のアルムだ」
アルムという人間は答える。
その在り方に一切の迷いなど無く。この世界の常識であれば矛盾する肩書きも彼にとっては紛れも無い現実。
たとえ姿と存在が変質していようとも、アルムという個は揺るがない。
歩んできた道が、今いる居場所が、アルムという唯一を揺るがせない。
いつも読んでくださってありがとうございます。
師匠の独白からここまで余計なものを入れたくなかったので後書きは控えておりましたらむなべです。
明日日曜日の更新はお休みとなります。次の更新から第五部最終章忘却のオプタティオの一区切り部分まで休みなく更新しようと思っております。一区切りまで行ったら一日更新のお休みを頂いてから、エピローグまでの更新になります。
どうかこれからも変わらぬ応援をよろしくお願い致します。




