367.忘却のオプタティオ8
「う……おおっ……!」
空の戦いを見続けるヴァルフトは圧倒されていた。
その理由は空に君臨する大嶽丸。
天を突く二本の角は異形を示し、守護刀を失ってなお他を圧倒する力が空で振るわれる。
夜闇に映える鬼胎属性の魔力光はさらに強く、日月の如き瞳は宙の日月こそが偽りと言わんばかりに輝いていた。
輝く星の光さえ呑み込むような黒。闇。悪。
飢え渇くこの悪鬼は人が許してはならない欲望の塊であり、個の欲望が災害にまで達した境地なのだと理解する。
『くかっ――! かっかっか! よいぞ! 迷宮の主を倒したというだけある! 纏う空気が違う者よ!!』
「『雷鳴一夜』!」
そんな災害に立ち向かうは人型を模した雷と月夜に舞う灰の嵐、その血統魔法を操る二人の使い手。
悪鬼の笑い声と雷鳴、そして爆発音が静かな夜を切り裂いていく。
「ヴァルフト! 近付いて!!」
「ま……かせろぉ!」
鬼気迫るエルミラの指示でヴァルフトは大嶽丸へ接近する。
拒否する本能を捻じ伏せて、ヴァルフトは何とか血統魔法を操作し続けていた。
援護する事しかできない自分と、その大嶽丸と戦えているルクスとエルミラとの差を実感しながら。
(こいつら……全く怯んでねえ……!)
ルクスのほうはまだわかる。マナリルの四大貴族、そして何より武功を誇るオルリック家だ。
だが、今自分の血統魔法に乗っているこの女はロードピス家……没落貴族のはずだろう?
才能なんてとっくに枯れた、金も領地も無い弱小貴族のはずだってのに。
こいつら、どんだけ経験してきたんだ?
こいつら、どんだけ戦ってきたんだ?
「っ!」
ヴァルフトは肩越しにエルミラを見てから、ルクスの雷を捌く大嶽丸に目を向ける。
『かっかっか! 鬱陶しい! だが昂らせてくれる! 余が霊脈を手に入れた暁には祝いに死体で山を作るとしよう! その頂点にお主らの屍を飾ってやる! その屍を以て天を切り拓く山と化せ! 余が神の座へと至るその象徴として!』
邪悪を謳い、冗談のような虐殺を高らかに宣言する大嶽丸に背筋に寒気が走った。
もしかして、ずっとこんな出鱈目な連中と……戦ってきたのか――?
「ルクス!!」
「!!」
『灰の女子か――!』
ヴァルフトの血統魔法――白い巨鳥の上でエルミラは灰を操る。
攻撃のためではない。自分の血統魔法よりルクスの血統魔法のほうが"現実への影響力"が勝っているのは明白。
夜空に迸る雷をかわして作られる無数の灰の塊。
五つ、六つ……もっと多い。大嶽丸の周囲に集まるその灰の塊の意図にルクスも気付いた。
『何を……』
「はああああああ!!」
"オオオオオオオオオ!!"
巨人の形をした雷を足場にして空を飛んでいたルクスは跳んだ。
同時に雷が咆哮する。
雷属性の魔力としてではなく、本物の雷となって顕現した血統魔法。
魔法生命ミノタウロスと互角に撃ち合ったほどの力が大嶽丸に襲い掛かる。
『そういう事か――!』
放たれた雷の拳を顕明連で切り裂きながら、大嶽丸は見た。
ルクスが跳ぶ。灰の塊を足場にして跳んでいた。
無論、ただ跳んでいるだけではない。ルクスが蹴り上げた瞬間、灰が爆発して加速。また違う灰の足場を蹴り、爆発させて加速。
その繰り返しで無理矢理に強化だけでは決して出ない速度、そして大嶽丸の目ですら捉えるのも難しい速度でルクスは空中を駆ける。
ルクスの血統魔法を相手しながらとなればさらにルクスの姿は捉え難い。
「う……ぐ……!」
「っ……あ……!」
その行いの反動もまた大きい。
ルクスは爆発の衝撃と自分の血統魔法の反動が同時に襲い、エルミラは精密な灰の操作で焼ききれそうな思考を維持し続ける。
だがこれぐらいしなければ大嶽丸の一歩先を行けない。
二人が思い描く決着の図は同じだった。
求めるはミノタウロスを倒した際の一撃。同じ場所で見た決着の場面。
不意を突いて放つ『鳴神ノ爪』による核の破壊――!
『阿呆が! 使い手は追えずともいくらでも予測できるわ!』
聞こえてくる灰の爆発音。
大嶽丸の言う通り、その位置を辿り予測すれば、ルクスがどこを跳んでいるかはおのずと割り出せる……はずだった。
「あ、そ。やって、みれば……?」
『!!』
"オオオオオオオオオ!!"
大嶽丸が音に情報を求めようとした瞬間、音の情報が一気に膨れ上がっていく。
【雷光の巨人】が空を駆けて起きる雷鳴、そして咆哮。さらにはルクスが跳ぶ瞬間とは別の灰による爆発。
二人の血統魔法は音を響かせるにはあまりに最適な性質を持っている。大嶽丸にとっては雑音になる轟音を織り交ぜ、大嶽丸の予測を不可能にした。
「いっ……けええ! ルクス!!」
叫ぶエルミラとは裏腹に、ルクスは雷鳴と爆発の中、息を潜めて"変換"を終える。
次の跳躍と同時に"放出"を行おうとしたその時。
『【黒霧災禍・影百鬼】』
増える、二つ。増える。四つ。増える。八つ。増える十六つ。
大嶽丸が唱えたその術は雷鳴と爆発音の轟くこの空に、大嶽丸の姿を無数に増やした。
「ば、馬鹿な――!?」
「そんな、能力まで――!」
ルクスとエルミラの驚愕は必然。
止めを刺しに行く直前、一直線で核を狙いに行こうとしたその瞬間――止めを刺しに行くべき姿が急に増えたのだから。
『 『 『 『惜しかったな』 』 』 』
姿の増えた大嶽丸全員の口角は同時に上がり、その声も無数に重なる。
大嶽丸の一手はルクスとエルミラに迷いを生んで。
『 『 『 『余の二つ目の奥の手を出させたのだ。存分に誇るがよい』 』 』 』
「ぐっ……! か、っは……!」
一瞬動きを止めてしまったルクスに斬撃が飛ぶ。
どの大嶽丸から放たれたのかもわからない顕明連の斬撃はルクスを捉えた。
灰の足場も失い、バランスも崩したルクスは空から落ち、【雷光の巨人】が主人を受け止めるべく追う。
「ルクス!!」
「や、べえ!!」
「!!」
ルクスを心配するのも束の間。
その一瞬で距離を詰め、白い巨鳥の懐に入ってきた大嶽丸にヴァルフトは敗北を予感する。
いつの間にか、空に無数に現れた大嶽丸の姿は懐に入ってきたこの一体だけとなっていた。
『ああ、灰の女子よ。余の妾にならぬのが本当に惜しいものよ』
「ちっ!」
暗い空に走る黒白の一閃。
ヴァルフトの血統魔法――白い巨鳥は顕明連の一太刀によってその片翼を奪われる。
ヴァルフトは直前で横にそらしたたものの、到底自由に飛行できる状態ではなくなる。
背に乗ったエルミラはバランスを崩しながらもまだ戦意を失っていない。
「ま……だあああああああ!!」
『空も飛べぬのにまだ吠えるか!? まさに猛ける炎が如き女子よな! 心ゆくまで――』
そこで、大嶽丸の声が止まった。
突如、顕明連をエルミラにではなく下に向ける。突然大嶽丸の様子が変わったことにエルミラも戦意を削がれた。
「……?」
『なん……だ……?』
大嶽丸は困惑したような声を零す。何故か、自分の脳裏にとある記憶がよぎったからだった。
何かを感じた。下だ。
ここまでの戦いに高揚しすぎたか? 今何故……生前のことを思い出した?
『なんだ……あれは……?』
下に視線を向けてそこにいたのは……光だった。
いや、正確には……光り輝く少年だった。
「アルム……!」
「アル、ム……」
ルクスとエルミラも下に見える山の中で輝くアルムを見た。
それは属性魔力による魔力光などではなく、ただ純粋で膨大過ぎる魔力が生みだす……星のような光。
「アルムくん……」
「アルム……」
ベネッタとミスティはその背中を見送った。
師匠という彼の大切な人に送り出された――魔法使いの背中を。
「魔法使いに」
憧れた。
「師匠に」
憧れた。
「ずっと」
彼は歩く。歩き続ける。
それが自分の原点。それこそが自分の欲望。
何も無かった自分に生まれたかけがえの無い憧れ。
ずっとずっと、歩いてきた。才能という歩きやすい道は彼には無かったけれど……憧れを目指して歩いてきた場所こそが彼にとっての道だった。
誰かを、助けたかった。
誰かを、救いたかった。
誰でもない自分のために、自分がそうしたかった。
出会った人達から貰い続けてきた、優しさの欠片を自分も誰かに。
誰かの優しさがずっと、自分の命と人生を繋いで……アルムという人間を幸せでいさせてくれたのを知っているから。
「守りたい」
誰かを。
「守りたい」
自分の世界を。
「救いたい」
隣にいてくれる、優しい人達を。
「"変換式固定"」
魔力が感情に呼応する。奔流する魔力が全身で荒れ狂う。
過剰魔力の域を超えて、人間では許容できない魔力がアルムの体を駆け巡る。
可視化に至った無色の魔力は……魔法式となってアルムの体に刻まれた。
「"魔力堆積"」
振り返れば思い出が鮮やかに飾られていて、前を向けば未来が手を振って、隣を見れば誰かが笑ってくれている。
駆け抜ける時間は早過ぎて、掴むには幸せ過ぎた。
手を引かれて進むだけだった日々はもう終わり。
今ここに立たせてくれた奇跡に感謝を込めて。
さあ、新しく。
さあ、古きを継いで。
「【幻魔降臨】」
――さあ、夢でしかなかった憧れを現実に変え始めよう。
『なん、だ……? お前は……?』
大嶽丸のその問いは夜闇に消えていった。
雷鳴と爆音で切り裂かれていた静寂が、一人の魔法使いによって取り戻されている。
夜闇を照らすは見上げれば月。空に点々と浮かぶ星。
だが美しさを誇るそれらよりも、彼の変化は今この場を支配する。
彼の背中で羽ばたくは一対の白い翼。手に握られるは白い剣。腰から生える白い尾。その全身は纏った白い魔力によって煌々と輝いている。
黒い髪と黒い瞳、そして落ち着いた顔立ちが……その異形がアルムという証明だった。
『その姿は、悪魔……か……?』
悪鬼は呟いた。あれは悪魔か。
「アルム……天使……?」
氷の少女は呟いた。彼は天使か。
どちらもこの世界では幻想の中だけのもの。
だがどちらの呟きも正しく、どちらの呟きも真実だった。
かの世界に於いて天使は時に悪魔と呼ばれ……悪魔は時に天使と呼ばれる。




