364.忘却のオプタティオ5
何故かと問われれば、きまぐれだ。
それか恐らくは……宿主の体に記録された記憶に引っ張られたのかもしれない。
だが、振り返ったその子供は宿主の記憶にある息子の記憶とは似ても似つかない。そもそも年代すら違う。
もしかすれば……サルガタナスという魔法生命の核は、未だ魂の無いこの宿主を侵食できていなかったようだ。
「今の……ままでは……?」
私の放った言葉に希望を見出したのか、霊脈に蹲っていた少年はゆっくりと立ち上がった。
……その時だった。
この宿主の知識を使って、この少年を利用しようと思いついた。
この宿主が血統魔法を受け継げない、才能の無い息子のために見つけた文献。
当時から無謀と評され、何百年も前に禁忌となって研究を中止させられた技術。
人間と霊脈の魔力を馴染ませ、星の魔力運用を人に行わせる技術。
この宿主が嫁いだ家が、星の研究を続けた光属性創始者の家系、ヴァルトラエル家だからこそ見つけられた机上の空論。
常に"充填"して星を満たし、常に"変換"し続けて命を支える星の在り方に……人が魔法を扱えるようになる"放出"を加え、それら全てを同時に行わせる狂った手法。
その手法と、今欠陥とされている無属性魔法の融合。
それを、魔法使いになりたがっているこの子に教えてみよう。
失敗しても人間が一人死ぬだけ、成功すれば自分を信頼してくれる手駒ができる。
それに、万が一成功することがあれば……この技術は魔法生命の天敵になり得る。
この技術は理論上――使い手の負担を無視すればの話だが――魔法の"現実への影響力"を際限なく上げられる。となれば、"現実への影響力"で生命を保っている魔法生命は特に抗いがたい。
この少年を手駒にすれば、他全ての魔法生命を蹴散らし……私でも神の座に届くのではと。
「ああ、今座り込んでいるだけの君はとんだ出来損ないだ。ただ憧れを語るだけの子供に過ぎない。今のままでは何にだってなれはしないよ」
そう……私のように、何者にもなれなくなってしまう。
自分が何のために生きているのかもわからない、私のような生き物に。
「魔法使いになりたいんだろう?」
だから、問いを投げかけた。
すぐに答えは返ってきた。
この子は出来損ないではあるが、私のような死人ではない。
自分が生きる理由をすでに見つけている。
私が選んだ言葉は優しくもあり、厳しくもあり……この子にとってまさに悪魔の誘惑だった。
「君だよ少年。全ては君がどうしたいかなんだ。周りの声の示す先が……君の言う憧れなのかい?」
この瞬間、私はこの地を狙う魔法生命からアルムが憧れる魔法使いへと変わり、アルムは夢破れた平民から救われた子供と変わった。
これもまた、生きるという事を知るための経験だろう。どうせ行く当ても無いのだからこの地で実験するのも面白い。
「なら、あなたは師匠?」
「師匠?」
心中でそんな事を考えていると、アルムは私を妙な名前で呼んできた。
魔法生命でもない、宿主の名前でもない、サルガタナスでもない。
師匠。そんなおかしな呼び方を。
困惑してつい、首を傾げてしまった。
聞けばどうやら、この子の中では何かを教えてくれる人は師匠という認識らしい。
間違えてはいなかったので私はその呼び名を承諾した。
「それで……あなた誰ですか? 名前は?」
私はその問いに何と答えていいかわからなかった。
宿主の名前もサルガタナスという私を指すはずの名も、何故か呼ばれたくなくて。
「名前を教える必要は無いだろう? 誰かなどすでに語る必要も無い。私は師匠。君の……師匠だ」
こんな煙に巻くような答えを残した。
そして私はその日からアルムにやるべき事を伝えて、定期的にカレッラを訪れるようになる。
私の力が下手に強まると人間でないとばれる可能性があるため、私はこの霊脈には入らないようにしながらアルムの指導を続けた。
幸い、この霊脈は異界となっている山に隔絶されていて他の魔法生命ですら見つけにくい。
それに、他の魔法生命のように"現実への影響力"を上げたところで生前の力を取り戻せるという実感が無い。
生前と言われても、私は本の中にいただけなのだが? となったからである。
必要ならこの霊脈に接続すればいい。いつだって出来ることだ。
そう、思っていた。
「師匠!」
数年経って……師匠と呼ばれることに、喜びを感じている自分がいる事に気付いてしまった。
ただの役割のはずなのに、自分の名前ではないはずなのに……自分の名前よりも、自分を実感できる事に。
「師匠! 今日は何を教えてくれるんですか?」
師匠。
そう呼ぶアルムの声が、どんどんと大きくなっていく。
何故だ?
何で?
そんな疑問を持ちながらカレッラにずっと通って、気付いた。
私を師匠と呼ぶ人達は"師匠"という呼び名を通して、私という個を見てくれている。
師匠という立場ではなく、師匠と呼んでいる私自身に親愛を、友愛を、信頼を寄せてくれているのに気付いてしまった。
一度目の生ではありえなかったその感情が、空っぽだった私をこの上なく充足させていた。
たまらなく嬉しくて、離し難くて、死ぬほどに心地が良かったのだ。
ここにいていいのだと、名前を呼ばれる度に言われている気がして。
こんな山奥の村とも言えない村で、私はいつの間にか……生きる意味を見つけていた。
この子のために、生きよう。
利用しようと思っていたアルムという子供に、私はいつの間にか入れ込んでいた。
そんな私の心情に気付いたのか、アルムの保護者であるシスターもいつしか私を友と言ってくれた。その友愛にも応えたかった。
魔法生命としてではなく、アルムの師匠として生きよう。
それが私がこの世界で生きる意味、そして生きた時間。
そこで私は、一度目の死に際に浮かんだ疑問に対する結論を出した。
何のために生まれたのかというのは、生まれた時に決まるものではなく……生きていく内に自分で決めることなのだと。
だから、私は決めた。最初の策略などとっくに捨てて。
アルムに教える手法がたとえ狂った手法だったとしても、この子の夢を叶えるためには必要だ。出来得る限り安定させるように技術を叩き込み、この子を魔法使いにする。
それが、師匠と呼ばれる私がやるべきこと。この子がこの子の想う幸せな人生を辿る為にも……私は師匠としての私の役目を完遂する。
この子のために各地の本を漁り、技術を確かめ、宿主の知識を引っ張り出して絶対に安定させる。
たとえ私が死のうとも、この子が魔法使いになれればいい。
この子に私の教えられる全てを! それが師匠としてここにいる私の生きる意味なのだから!!
そう思った時に、ふと……背筋に寒気が走った。
……私が死んだら?
死ぬのが怖くなったわけではない。私が死ぬことで……アルムがどうなるかを想像して寒気がしていた。
アルムは、知らない。
自分の身近な人間を失った経験が無い。
シスターからの教えで命のやり取りは知っていても、彼は身近な人間との永遠の別れを知らない。
兄弟もおらず、両親に捨てられて、最初から何も持っていなかった子だから。
――私が死んだら、私を慕うこの子は何かを背負っていかなければいかなくなるのではないか?
「……っ!」
月日は経ち、アルムがカレッラを旅立った後も私はカレッラを時折訪れていた。
情報収集のために各地を回ってはいたが、私にとってはそんな何処よりもカレッラは離れがたい場所になっていた。
しかし、離れざるを得ない情報を私は掴んでしまった。
「ガザスを……奴が……?」
それは大嶽丸がガザスを襲撃した情報だった。
ガザスの霊脈は大百足によってほとんどが食い荒らされている。何故そんな国を大嶽丸ともあろう者が襲っているのかはわからなかったが……私は焦った。
「奴が……ガザスを支配したら……!」
霊脈が、カレッラが……見つかってしまう。
大嶽丸とは常世ノ国で顏も合わせている。魔法生命である私がここにいると知られれば、ここにいる理由となるものを徹底的に探すに違いない。
大嶽丸はその名前に山を冠する鬼。人が近寄らない山間部も奴にとっては庭のようなものだろう。
「どうすれば……!」
この時すでに酒呑童子がガザスの味方になっていたことも私は知っていた。
私の体はすでに魔力切れに近い。酒呑童子が勝てない相手を倒すなどまず不可能だった。
だが、何とかして殺さなければ……殺さなければ、霊脈が、カレッラが、シスターが……私の大切な場所が全て大嶽丸のものになってしまう。
それだけは、それだけは駄目だ。
せっかく、せっかく……見つけたのに。生きる意味も、死に方も。
「あ……」
そんな時に私の頭をよぎったのは、やはりアルムだった。
大嶽丸が襲撃する少し前……マナリルで大百足が倒されたという情報を私は手に入れていた。
私はこの情報を知った時、すぐにアルムがやったのだと確信していた。
何故ならその場に居合わせていたのは常世ノ国にいた時にも名を聞いていたシラツユ・コクナと……ベラルタ魔法学院の面々。
仕入れた情報元にアルムの名は無かったが、間違いなくアルムだと思っていた。
アルムが使うあの手法でなければ、大百足を倒せるはずがない。
だから……思い付いた。
「アルムに……倒してもらえば……!」
私はアルムを魔法使いにするべく、ベラルタ魔法学院の情報を徹底的に調べていた。
ベラルタ魔法学院は二年になればガザスへの留学がある。
ガザスも必死に大嶽丸を倒す方法を考えるだろう。そうなればガザスにいる酒呑童子が気付くはずだ。大百足を倒したのが誰なのかを探し出すはず。私が情報を流してもいい。
その時まで大嶽丸にガザスを襲わせないように誘導し、アルムの滞在中に大嶽丸がガザスを襲うように仕向ければ……アルムが倒してくれるかもしれない。
そうすれば――!
「いや、アルムを巻き込んでもし、もしアルムが……!」
自分の考えに吐き気がした。それでも……これしか手が思いつかなかった。
最初の四柱を倒すのに手段など選んでいられない。
それに、カレッラを破壊されれば私やシスターだけではなく、アルムも苦しむ。 そうさせないためにも……! たとえ悪魔のようだと言われても、やるしか無かった。
私の願いのためにも、カレッラの霊脈を大嶽丸に奪われるわけにはいかなかった。




