361.忘却のオプタティオ2
「そうだ……! 今思えば何故あの悪鬼がガザスを襲ったのかをもう少し考えるべきだった……!」
飛行するはガザスの空。ヴァルフトの血統魔法の背中の上で、ルクスが後悔を滲ませる。
悪鬼とは当然、大嶽丸のことだ。
「何故って……ラーニャ様が気に入ったからじゃー……?」
「いや、シュテンさんの話を聞いた限り、奴がラーニャ様を気に入ったのは去年ガザスを襲撃してからのはずだ。つまり、奴が最初にガザスを襲撃先に選んだ理由はラーニャ様じゃないんだ……!」
ルクスの言う通り、大嶽丸がラーニャを気に入ったのは去年ガザスに甚大な被害をもたらした最初の襲撃時。
ラーニャを気に入ったというのはガザスに固執する理由にはなり得るが、去年の襲撃前に何故大嶽丸がガザスを選んだのかを考えると順序がおかしい。
ラーニャと出会う前に、ガザスを狙う別の理由があったはずなのだ。
「去年、ミレルで聞いたシラツユ殿の話を思い出してくれ。シラツユ殿はガザス中の霊脈を白龍と一緒に食べていたと言っていた。その過程で大百足が霊脈を食べた跡を見つけてマナリルに来たと……つまり、ガザスにはもう魔法生命にとって上質な霊脈は残されていなかったはずなんだ。大百足がマナリルに来たのがいい証拠だ。ガザスにそんな霊脈があれば大百足はわざわざミレルにまで来なかったはずだ。だが、それにも関わらずあの悪鬼は襲撃先にガザスを選んだ……この時点で魔法生命の目的を考えるとおかしいんだ」
「奴らは全員元の力を取り戻すために常に霊脈を狙ってた!」
風に負けないようエルミラが大声でそう言うと、ルクスは頷く。
「そうだ、それがマナリルが狙われる理由の一つでもあったはずなんだ。湖全体に魔力が輝くミレル湖を目指した大百足、元ラフマーヌ国の首都で霊脈のあるスノラを狙っていた紅葉、魔法学院の建設地で迷宮のあったベラルタを拠点にしていたミノタウロス……霊脈を選んだ理由に違いはあったけど、前提として霊脈を狙うのは当たり前だった。それなのにあの悪鬼はガザスを狙ったんだ。大百足のようにマナリルを目指さなかった!」
叩きつけられるような強風を手で防ぎながらも、ルクスは真剣な表情でただカレッラを見つめ続けるアルムのほうを見た。
アルムもルクスの話は耳に入れている。その証拠に、ルクスが言わんとしている事は理解しているのかこくりと頷いた。
「その理由がきっと、アルムの故郷にあるっていう霊脈なんだ。あの悪鬼はガザスを狙っていたんじゃなくて、最初からガザスとアルムの故郷を狙ってた……!」
「で、でもー……霊脈を狙いたいならアルムくんの故郷を最初から襲っちゃえばいいんじゃ……」
「ベネッタ」
ミスティに名前を呼ばれて、ベネッタは、はっ、とする。
それは、今まさに故郷を襲われそうになっているアルムの前で言うには酷ではないだろうかと。
「あ、ご、ごめ……アルムくん……」
「いや、ベネッタの意見はもっともだ。気にしないでいい」
精一杯作った普通の表情でアルムはベネッタにそう声をかける。
アルムは、何かを隠したり誤魔化すのが苦手だ。それをわかっているからこそ、その表情を作り上げるのすらどれほどの苦労があるかがわかってしまう。
「ルクス、続けてくれ」
アルムに言われて、ルクスは指を二本立てながら説明を続ける。
これから自分が話す予想はもしかしたら、アルムにとって衝撃的な事かもしれないと思いながらも。
「……これは僕の予想でしかないが、理由は二つあると思う。一つは鬼胎属性は人間の恐怖によって"現実への影響力"が高まること。ガザスの貴族達の恐怖で盤石のものにしようとしたんだろう。大百足も最初から霊脈に接続しようとはしていなかった。ミレルの人達を襲って恐怖を煽ってから霊脈に接続していた。奴らの趣味や嗜好で人の恐怖を煽っている可能性もあるけど、もしかしたら一定の所まではそっちのほうが効率がいいのかもしれない。霊脈を狙う前に自身の存在を人間に知らしめて"現実への影響力"を一気に引き上げた」
「二つ目は?」
「二つ目は……」
躊躇って、ルクスは一瞬口をつぐんでしまう。
エルミラとベネッタが不思議そうに顔を見合わせ、ミスティは予想がついたのか俯く。
アルムが振り返ると……アルムとルクスの目が合った。
「あくまで僕の予想だけど……霊脈が何者かによって隠されていた、もしくはあの悪鬼に見つけられないように仕組んでいた。多分、今回の一件で……裏で動いているもう一体の魔法生命がいた」
「そういえば、ガザスの連絡網を遮断させてた記憶に干渉してくる魔法生命がいるって言ってたわね……」
「ああ、あの悪鬼と協力関係にあるのかと思っていたけど、一向に姿を現さない上に、あの悪鬼が窮地になっても助けに来る気配は無かった。一時的な協力関係だったのか、もしかしたら霊脈を見逃す事を条件に協力していただけなのかもしれない」
「今霊脈に向かってるって事はー……その協力関係が無くなってるってことー?」
「それか、あの悪鬼が一方的に契約を破っているか。そしてその魔法生命は……多分……」
ルクスはアルムの目を見続ける。
カレッラで出会ったダルダという老人はアルムの師匠について忘れていた。
ガザスでは伝えるべき情報を忘れさせ、ガザスの連絡を阻害する妨害があった。
そして大嶽丸が今狙っているのはカレッラの霊脈。
これだけ揃えば……この結論に辿り着くのは難しくない。
「いや、まさか……」
まさか、そう言ったアルムにも否定できる材料が無かった。
頭に浮かぶ人物の過去を、自分は知らない。カレッラに訪れてからの事しか知らないのだ。
「アルム……」
「ミス……ティ……?」
そんなアルムに、申し訳なさそうな表情でミスティが声をかける。
その表情には不安が入り混じっていて、口を開きながらもミスティは目を伏せた。
「今まで黙っていて申し訳ありません……下手にアルムが疑われてはと胸に留めておいたのですが……私、あの悪鬼が襲撃してきた時、アルムの師匠と名乗る女性にお会いしているんです」
「え……?」
「うそ……」
「ええー!?」
「ミスティ殿が……」
ミスティの告白にアルム達は驚愕する。
足場が不安定なヴァルフトの血統魔法の上でなければ、ミスティは黙っていた罪悪感から額を地面にこすりつけていたかもしれない。
それほどに集まる視線……特にアルムの視線が痛く感じた。
「本当に申し訳ありません。アルムの傷に障るかもと……勝手に判断してしまい……」
「……師匠は何て?」
伏せていた目を上げて、ミスティはアルムと向き合う。
掴まっていなければ吹き飛ばされるかもしれない強風の中、アルムは微動だにしない。
ただミスティの口から語られる自分の師匠の言葉を待っている。
「アルムを、助けて欲しい……と」
「そう……か……」
ミスティが伝えると同時に、アルムは安心したように息を吐いた。
重りになりかけた不安から解放され、ミスティに向ける笑顔は広がる青空のように晴れやかだった。
また、大嶽丸に故郷を襲われるという恐怖が彼の中にはあるだろうに。
「ありがとうミスティ。俺はその言葉だけで……師匠を信じられる」
「アルム……」
「そうか……師匠は……」
そこまで言い掛けて、再びアルムはカレッラの方向を見据える。
その背中にはミスティ達四人の心配が向けられていた。
「ヴァルフト! どうだ!?」
「着くのは日が落ち切る少し前……夕方くらいだ! あの糞が早すぎておいつけねえが……! そっちの込み入った事情は知ったこっちゃねえが、出来るだけ飛ばしてやらあ!」
「すまない! 頼む!!」
血統魔法である巨大な鳥の首に乗るヴァルフトからそんな頼もしい返答が帰ってくる。
ヴァルフトは血統魔法で全速力で飛んでくれているも、大嶽丸のスピードには僅かに追いつけない。
『ほう……教会……?』
日が傾きかけた頃、大嶽丸はガザスの国境を僅かに超えて、木々に隠れた古い建物を見つけた。
手の中にある顕明連も、追跡していた人物がこの山にいる事を示していた。
だが、霊脈らしき場所は空から見渡しても見つからない。
『くかっ! 一筋縄では見つからんか』
見つからないなら見つからないで手段はある。
少なくとも、自分が最も信頼する自分の能力はこの山を示しているのだ。
教会付近に大嶽丸は降り立ち、辺りを見渡すとすぐにこの場所の特異性に気付く。
『なるほど……道理で去年、人間に探させても霊脈が見つからないわけだ。あの女の能力とこの空間が合わされば人間では発見できまい。光の柱とやらの噂もあの女にかかれば有耶無耶にされよう』
興味深そうに観察している中、
「あ、あんた……今空から降ってこなかったかい?」
大嶽丸は一人の人間の声を耳にする。
声の方をみればどこからか汲んできた水の入った甕を持つ修道服を着た女性。教会の入り口には巨大な斧が立てかけられ、女性は空を見上げている。
それは大嶽丸には願ってもない邂逅。
『くかっ!』
余りの幸運に笑いが漏れた。
日は傾き、夕暮れに差し掛かる橙色の光の中、邪悪な笑みが浮かび上がる。
「飛んできたって事は魔法かい? あんたもアルムのともだ……」
そこで、その女性――夕食の準備のために水を運んでいたシスターの声は止まった。
この国の人間とは思えない風貌、額から天頂に向けて伸びた二本の角。そして手に持った剣に似た武器。
何より、未だかつてない重圧がそこにはある。
「じゃないね……ここに何の用だい? あんた?」
シスターは額の冷や汗を拭いながら水の入った甕を置き、入り口に立てかけていた大斧を手にする。
シスターの前に現れたその男は、いや……悪鬼は名乗る。
『余の名は大嶽丸。覚える必要は無い只人よ。お前が言うべきは余の問いその一つの答えのみ……霊脈はどこにある?』
「霊脈? なんだいそりゃあ?」
とぼけているわけではない。
シスターはアルムと師匠の秘密の場所がどんな場所かは知っているものの、その場所が霊脈と呼ぶことなど知らなかった。
ふむ、と大嶽丸はシスターの様子を見てさらに口を開く。
『そうさな、特別魔力の濃い場所のことだとでも言えばよいか。魔力が流れ、場合によってはその地そのものを輝かせる』
「!!」
『かっかっか! 知っているようだな』
シスターは表情が変わらないよう努めたが、一瞬の機微を大嶽丸は見逃さない。
目の前の男がアルムと師匠の秘密の場所を探しているのだと、わかってしまった。自分は見たことの無い……踏み入る権利は無いと思っている場所。
「……いいや、知らないね、回れ右して他の誰かにもう一度聞いてきたらどうだい?」
『教える気にはならぬか?』
「だから、知らないって言ってるだろう?」
『そうか、ならば……』
顕明連の刃がゆらりと動き、それだけで空気を震わせる。
鬼胎属性の魔力が噴き出し、橙色の光が差し込むこの場所を支配する。
「っ……!」
シスターの全身から汗が噴き出す。
体中を突き刺す殺気、本能が脳内が逃げろと警告する。
構えているはずの大斧はまるでそこらに落ちている枝のように頼り無かった。
『教える気にしてやろう』
山に訪れる逢魔が時。
異界より来訪した彼らと出会うに最も相応しい時間。
カレッラに降り立った厄災は躍動し、夜の帳が落ちていく。
いつも読んでくださってありがとうございます。
色々と回収しています。




