360.忘却のオプタティオ
「邪魔するよ。シスター」
「……おかえり。師匠ちゃん」
マナリルの田舎村カレッラ。山に囲まれ、村というには閑散とし過ぎている中にポツンと立つ教会前。
大嶽丸が王都を再度襲撃した翌日の昼過ぎ、洗濯物を取り込んでいたシスターの前に、師匠と呼ばれる女性は姿を現した。
「おや、随分洗濯物が多いね。今この教会に住んでいるのは君だけのはずだろう?」
師匠は懐かしさに駆られたのか古い教会を見上げ、洗濯物を畳むシスターの様子を観察するように見つめていた。
何着も持っている修道服を身に纏い、傍らにはいつも持っている大斧も立てかけられている。
一方、シスターは何か言いたげな視線を師匠にじっと叩きつけていた。
「……あんた、何も言わずに出ていった上に半年も顔出さなかったのに何か言うことないの?」
「何か? 何かか……」
シスターに言われて、師匠はシスターを見つめてじっと考える。
そして、なるほど、と頷いた。
「小じわが増えたな? とかかい?」
「ふん!!」
「あで!」
思い付いたその答えに待っていたのはシスターの容赦ないローキックだった。
師匠はバランスを崩しながらも人一人分はあろう大きさの杖でしっかり体を支える。
「痛いぞ……シスター……」
「痛くなきゃ困る。あと皺は増えていないし、たとえ増えていたとしても言うんじゃない」
「肝に銘じておくよ」
「全く何も言わずにどこか行きやがって……心配かけてすいませんだろうが」
「ああ、すまない。少しやる事ができてしまってね……」
「あと、私とアルム以外師匠ちゃんの事覚えてないんだけど……あんた魔法で何かしていったのかい?」
「……ああ、少しね。私と会ったら普通に思い出すから安心したまえ」
「ふーん、私とかのは忘れさせなくてよかったの?」
渇いた洗濯物を畳んで籠に入れながら、シスターは師匠に聞く。
真相を聞かされても変わらないシスターの様子の師匠は表情の変化は乏しくも、内心では驚いていた。
「少しは警戒しないのかい? 記憶を忘れさせる魔法を使うなんて嫌がると思ったが……」
「あん? 必要だったからしていったんじゃないのかい?」
「いや、そうではあるが……」
「なら別にいいさ。あんたのやる事だから意味がないってことはないだろうし」
そう言ってのけるシスターに、師匠はつい顔に出るほど驚愕する。
全くこの人間はと言ってやりたくなった。
「ま、私はそんな魔法かけられても意地でもあんたの事覚えてるけどね」
「ははは、シスターなら本当にそうなりそうで困るな」
「ほら、そんな事より洗濯物取り込むの手伝いな」
「ああ、いいだろう」
「今度はどれぐらいここにいれるんだい?」
「……そうだな。もうやる事は終わったからしばらくはいれると思うが」
シスターの修道服を畳みながら、師匠は本当のことは言わなかった。
嘘をついてもいないが、本当の事も言っていない。
「そうかい。ならゆっくりしていきな」
「ははは、ゆっくりさせる人に洗濯物を入れさせるのかい?」
「何も言わずに半年も出ていった罰だよ罰。それに友達なんだからこれくらいは手伝ってくれていいだろ?」
その声に師匠の手が一瞬止まった。
「そう……だな」
「その代わり、晩飯はあんたの好きなやつにしてやるよ」
「お前は……本当にいい人間だな、シスター」
ぽつり、と零れたその声にシスターはぎょっとする。
「何だい急に……そんな大袈裟な……晩飯くらい作ってやるさ」
「いや、改めて……そう思ったんだよ」
そう……心の底から師匠はそう思っていた。
素性を明かさない、過去を明かさない、何も言わず、何も打ち明けない。それがカレッラにおける師匠という存在だった。
このカレッラという村はそれでも師匠という存在を受け入れている。
無謀な夢を目指したアルムを根気よく支え続けた……"師匠"という魔法使いを。
ああ――もう少しで自分は、そんな全てを裏切るのだ。
罪悪感と安堵が同時に、師匠の胸の中に到来する。
それはどちらも……自分という魔法生命の決意によるものだった。
シスターに色々聞かれながらも洗濯物をしまい。シスターに淹れて貰ったお茶を一杯飲むと、師匠は教会の外へと出た。
「師匠ちゃんどこ行くんだい?」
シスターが少し不安そうなのは、またそのままどこかへ行ってしまうかもと思ったからだろう。
そんな不安を無くすように、
「"秘密の場所"に行くだけだよ」
「ああ……なるほどね」
「心配するな。本当にしばらくここにいれるんだ。君が晩御飯を作ってくれる頃にはしっかり帰ってくるさ」
「ならいいんだ。もう一度アルムが帰ってくるかもしれないからちょっとね、あんたにはしばらくいてもらいたくてさ」
「ん? アルムはここに寄ってからガザスに行ったのかい?」
「ああ、一泊していったよ。立派になって……というか、あんたアルムがガザスに行ってる事は知ってるんだね?」
聞かれて、師匠はガザスの王都シャファクのほうへと目を向ける。
大嶽丸と別れたのは昨日。今頃は全てが終わっているはずだ。
魔法生命の相手に慣れているアルム達と酒呑童子を含めたガザスの戦力が合わされば、小通連の無い大嶽丸なら倒せると師匠は踏んでいた。
それなりの被害はあるだろうが……恐らく、アルムが死ぬことは無いだろうとも。
アルムを巻き込むのは不本意ではあったが、最初の四柱を倒すにはなりふり構っていられない。
「ああ……ガザスへの留学はベラルタ魔法学院のイベントだからね。魔法使いの私が知っているのも当然だろう?」
「ああ、それもそうか。ベラルタ魔法学院のこととかアルムに教えたのもあんただったし」
「それじゃあいってくるよ」
「ああ、いってらしゃい」
シスターの不安に引き止められることも無くなり、師匠は森の方へと歩き始める。
「ああ、そういえば晩御飯何がいい?」
「シチューがいいな」
「よし、任せな! 森に迷うんじゃないよー!」
「勝手知ったる場所だ。そんなヘマはしないよ」
ひらひらと手を振って、師匠は森の中へと入っていく。
宣言通り、迷う事など一切なく……師匠は一直線に目的地へと向かっていく。
まだ日も高いというのに森の中は薄暗い。同じような光景が幻覚の如く続く森の中をあまりにも正確に歩いていく。
この山はこの地が持つ魔力と隔絶された空間のもたらす"現実への影響力"によって異界と化している。自分の位置を映すような感知魔法は狂ってしまうし、感情は風景にそのまま映し出される……まさに幻想に近い場所。この山に住む人間でさえ、決まった道を歩かなければ迷ってしまう事すらある。
だが、アルムと師匠と呼ばれる彼女がこの地で迷うことはない。
アルムがこの地を歩く際には一切の不安が無い。自然への神秘も当然で恐怖すらも抱かない彼にとってはただの森。
そして師匠と呼ばれる彼女にとって、幻想は現実よりも近い場所。
だからこそ、この地において……この二人だけは迷うこと無く、二人にとっての秘密の場所へとたどり着かせる。
「ここに来るのも久しぶりだな」
しばらく歩いて、立ち上る木の間を抜ける。
茂る草木をかきわけて、師匠は秘密の場所へと辿り着いた。
師匠の目の前に広がるは花の一輪一輪が輝き続ける白花の花園。
自然の神秘で隔絶された山のさらに奥に隠された秘境とも言うべき地。
この地で最も神秘的であり、幻想的。その正体は高密度の魔力が流れる霊脈。
そして、アルムと師匠の秘密の場所。
「変わらないな……本当に変わらない」
誰もが飛び込みたくなるような光景を前にして、師匠はその花畑に入る事は無かった。
それどころか、避けるように白く輝く花畑の外側を歩き、自分にとってのいつもの場所を目指していた。
アルムに魔法を教えていた時、いつもどんな日も寄りかかっていた一本の木に。
「また、ここにいさせてもらうよ」
その木に挨拶するように声をかけてから、師匠はゆっくりと寄りかかった。
視線は花畑の中……いつも見ていた中央に。
師匠は白い花畑の中にアルムの姿を想起し、幻視する。
その瞳には幼少の頃からどんどん成長していったアルムの姿が映っていた。
偶然魔法もどきを使えた時の満面の笑み、一向に上達しないという嘆き、真剣に話を聞く眼差し、子供から少年に変わっていった体つき、そして自分に似始めた無表情さと感情が昂ると出てくるシスターのような荒っぽい言葉遣い。
いつの日だって昨日のように思い出せる。忘却など永遠に有り得ない。
この地に生誕して刻み込まれた、師匠という魔法使いの記憶。
「安心したまえアルム……君の傷はきっと、私が何とかしてみせる」
改めて、声に出して師匠は決意する。生気の無い肌の中、瞳にだけは意思が宿り続けている。
彼女は魔法生命の組織コノエを裏切り、そして神の座も捨てた魔法生命。
されど……その人生には何を犠牲にしてでも成し遂げたい目的がある。
この世界に於いて魔法とは――可能を不可能に、不可能を可能にするために生まれたもの。
たとえ今、不可能とされていたとしても、きっとその不可能を過去に出来る。
生命でありながら魔法でもある……魔法生命であるならば。
いつも読んでくださってありがとうございます。
第五部最終章忘却のオプタティオ更新開始でございます。
100話以上続いた第五部も後少し……緊張しています。




