355.ガザスの反撃6 -自分のやるべき事-
(なんだ……? 奴らは何を……)
大嶽丸の視点から見れば、誇張無く自分が有利だと言える。
一体化した酒呑童子であっても大通連という自然現象に変わる変幻自在の刀は打ち破れない。ラーニャは力のカタチである魔法を抑えつけるのに精一杯。
マルティナという少女は魔法生命を傷つける力こそあるものの、それを当てにいける力が無い。人造人形も普通に比べれば厄介ではあるが、魔法生命の核を狙える決定打にはならない。
一見、大嶽丸が繰り出す選択肢に上手く対応できているように見えるが、そのどれもが魔力や体力の限界を考慮していない。
だというのに、その行動に迷いが無いのが不気味にすら見えた。作戦通りとばかりに彼らは動いている。
(何が目的だ……? それにエリンの姿が見えない……エリンは住民の護衛に回ったのか? それとも潜んでいる? いや、それよりもマルティナという女子の持っているあれは……?)
やはり目に付くのはマルティナの持っている剣から現れた奇妙な天秤。
戦いの場にあんなもの必要無い。武器として使えるようにも思えない。
だが、あれが現れた瞬間……ラーニャ達の士気は間違いなく上がった。
『マルティナ! 作戦通りだ!』
「は、はい!」
『マヌエル! 人造人形で援護しろ!』
『承りました!』
酒呑童子の指示でマルティナと人造人形の動きが変わる。
前線を張っていたマルティナは少し距離を取り、その穴を埋めるように十数体の人造人形が前へと出てくる。
「ぜぇ……! ぜぇ……!」
距離をとるために後方へ下がるマルティナの疲労が息切れとなって現れる。
無理も無い。酒呑童子と合わせて大嶽丸と十数分肉薄していた上に、ハミリア家の血統魔法は使い手の魔力を容赦なく奪っていく諸刃の剣。
「第四、まで……! 逃げ、切れば……!」
ハミリア家の血統魔法【死屍殺せ我が四騎士】の完全放出。
それはあまりに稀で凶悪な"現実への影響力"に辿り着いた代償か、時間をかけて段階を踏む必要がある。
本来は最終段階こそがこの血統魔法の本質。そこまで至ればこの血統魔法は使い手であるマルティナを不死すら殺させる存在へ変える。
だが、その理にすら干渉する最終段階に至るまでの代償として、使い手の魔力を奪い続ける段階がある。
それがこの【第三の騎士】。マルティナの持っている奇妙な天秤が示すのは血統魔法に傾いた魔力と使い手の魔力。血統魔法に全ての魔力が傾いたその時が血統魔法の最終段階。
この段階を越えたその時、形勢はラーニャ達へと傾く。
「何を狙ってる? 酒呑!?」
『ギハハハ! 気になるか!? 気にする必要はない! お前にとっては所詮人間だろう!』
後ろから聞こえてくる大嶽丸と酒呑童子の声。そして響き渡る鬼胎属性の魔力。
酒呑童子の力によって強化された身体能力でマルティナは人造人形に紛れ込む。
「ぜぇ……! ぜぇ……! 後は時間まで……!」
この手に持つ天秤が傾き切れば血統魔法はまた変化する。
それまで逃げ切れば――!
「…………え?」
そう……思っていた。
自分の横にいた人造人形ごと吹き飛ぶ一人の体を見るまでは。
「シュテン……さん……?」
自分が見つめる道の先で酒呑童子の体が、ゴッ! と音を立てて一回、もう一度音を立てて二回目のバウンドをする。
やがて石畳の道を力無く滑りながら……酒呑童子の体は壁に激突する。二本あった角の片方は折れ、頭からも血を流している。
「きゃあああああああ!」
がらがら! と家が崩れる音とラーニャの悲鳴。
マルティナが振り返ると、ラーニャの立っていた屋根の家は破壊され、ラーニャは地面に叩きつけられた。
「陛――」
そして最後に、マルティナの体は左から凄まじい力が加えられ、その勢いで横に吹っ飛ぶ。
周囲の人造人形を破壊しながら巻き込んで、マルティナの体は壁へと叩きつけられた。
「ぐ……っぶ……!」
自分が何をされたのか認識する前に、全身から伝わってくる痛みの信号に顔を歪める。
がくがくと震える体をマルティナは何とか起こそうとする。
(な……にが……?)
頭からどろっと、赤い液体が流れ落ちる。左腕は折れている。酒呑童子の力が無ければ恐らく左腕は原型をとどめていなかっただろう。
「あ……」
『何か企んでいるかわからないのなら、実行させぬのが適解であろう?』
酒呑童子という魔法生命、自分という人間、地に伏している人造人形、そして瓦礫塗れで原型の無くなった周囲の風景の中、一人だけ悠然と立っている怪物がいた。
『まさか、余が一体化させられるとはな。しかし、強者と認めさせたのはお主らだ。このくらいは想定内であろう?』
ラーニャが縛り付けていた十メートルはあろうかという悪鬼はいつの間にか消えていた。
代わりに……そんな巨体を持つ悪鬼だったほうがましな存在が目の前にいる。
『む? どうした? 不思議そうな顔をしているな? 酒呑と同じことをしただけだ。何も可笑しい事は無い。細かく言えば……酒呑を蹴り飛ばし、ラーニャのいた家を大通連で切り刻み、そしてお前を殴り飛ばしただけのこと』
マルティナの目の前には……黒雲を纏う怪物がいた。
酒呑童子と同じ鬼である事を示す二本の黒い角。
宿主からかけ離れた長い白髪には鬼胎属性の魔力が絡みついている。
上半身ははだけ、その鍛え上げられた肉体には絶えず魔力が走っているのか黒く明滅を続け、下半身には異界の甲冑。
右手には自身の守護刀である大通連の刃は夜より暗く、そして……その瞳は日月の如く輝いていた。
佇む姿は人型でありながら、その在り様は人ではない。
これこそは最初の四柱――大嶽丸の一体化。
宿主を完全に取り込み真の力を解放する魔法生命の切り札。
傾きかけた形勢を一気に引き戻す解放。必死に練り上げた策も一笑に付す絶対の力。
日の光の何と頼りない事か。絶対の光であるはずの日の光ですら、この怪物が作る夜を明けさせることなど出来はしまい。
「うぶ……!」
感じる魔力だけで吐き気がする。
目の前に立たれるだけで聞こえてくる。この鬼に殺された人たちの恨みが悲しみが。食われた時の恐怖が。
せり上がってくる胃の中身にマルティナはつい口を押さえた。
『マルティナ殿! 逃げろ! 逃げるのだ! 立て! 立てえええええ!!』
耳に着けた通信用魔石からマヌエルの声がマルティナに届く。
そうだ。立たなきゃ。逃げなきゃ。
まだ天秤の傾きは半分くらい。最終段階の解放にはもう少しかかる。
『ふむ。その声の持ち主がこの人造人形の使い手か? 聞こえていたのなら賞賛してやろう。余に抗える人造人形を作れるその腕をな』
出血で意識がぼやける。声に乗った魔力が精神を蝕む。
そしてさらに、マルティナの状態に関わらず血統魔法は魔力を奪っていく。
駄目だ。意識を保て。
自分が死んだら全てが無駄になる。こいつに止めを刺す役目を……私は、マルティナ・ハミリアは貰ったんだから。
父を殺した上に、自分の大切な場所も壊しに来たこいつを……私が……。
そうじゃないと、みんな壊れてしまう。
せっかく、友達が出来たのに。せっかく名前を呼べるようになったのに。
私が。私が。私が。
私がやらないと……いけないのに……!
どうして……! 体が動かないの……!
「死ね……! 死ね……! お前なんか……!」
マルティナに今できるのは、涙を流しながらそんな言葉をぶつける事だけだった。
そんな言葉も涼やかに受け止め、大嶽丸は何かを考えるように首を傾げた。
『ああ、死ねとはよく言われるが……大抵死ぬのは余に死ねと言ったほうになるものだ』
「お前なんか……! あともう少し時間があれば……!」
『ほう、やはり何か策があったか。お主の変化する血統魔法……最終的には余を脅かすほどに研ぎ澄まされるというわけか。なるほど、そんな希望があれば士気が上がるのも頷ける』
大嶽丸は頷くと、口角を限界まで上げる。
『かっかっか! だからこそ……そんな策を完成間近で潰すのは何とも心地よい。少しでもこの大嶽丸に勝てると思えたか? ああ、それなら……いい夢を見れたではないか? 自然とは幻想を見せるもの、自然とは現実を突き付けるもの……余は大嶽丸。偉大なる嶽の化身なれば』
笑った大嶽丸が見せる口内には人間の肉を食うための鋭い牙があった。
しかし、その牙に恐怖するよりも……涙を流す自分を見て、心底から悦んでいるその姿を、自分達という敵を殺すよりも、自分達の希望を破壊する事を快楽としている大嶽丸の在り方をマルティナは軽蔑する。
『山を登る者はいれど、山に勝とうとする者はおらぬ。夢を見れただけでも、この現世での誉れとするがよい』
それくらいしか出来ない自分を情けなく思った。
「もう少し時間って、どのくらい必要ですか」
「あと……! 三分、もあれ――」
何処からか聞こえてきた声に、マルティナはつい答えていた。
答えたる途中で、この場にいるはずのない声だという事に気付く。
いるはずがない。いていいはずがないその声は――
『ほう、まだ余と戦える者がいたか?』
「あ、なた……!」
大嶽丸の視線とマルティナの視線は同じ方向を向いていた。
大嶽丸からすれば記憶にすら残っていない少年で、マルティナにとっては大切な友人。
そこにはマルティナと同じ制服を着た少年が立っている。
「ならその三分……俺が稼ぎます」
「セーバ……くん……!」
「マルティナさんは逃げていてください!」
あの日言うべきだった言葉を言うために、あの日するべきだった事をするために。
彼は戻ってきた。
あの日見た彼女達の背中に追いつくために、セーバ・ルータックは戻ってきた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
戻ってきました。あんなに逃げ出したかった敵の前に。




