353.ガザスの反撃4 -狙い-
酒呑童子。
ここより遠い異界で、大江山と呼ばれる場所に御殿を築き、鬼を纏め上げていた鬼の頭目。
その脅威から酒呑童子討伐を命じられた武将、源頼光から振舞われた毒酒を部下共々飲み干し……寝床にて首を斬られたという。
彼の何が脅威だったか?
鬼の怪力か? 人を惑わす酒気か? 人肉を食らう残虐性か?
――違う。
時代を同じとする人間達が彼の何を脅威に感じたか。
それは鬼を纏め上げる力。自身の欲望から好き勝手に暴れる鬼達に徒党を組ませ、支配し、自身を崇めさせるまでに至る異質さだった。
いつか都も……人の世もあの鬼に支配されるのでは――?
誰かが、そんな恐怖を口にした。
「……」
静かだった。
唱えられた呪いの声はその場に浸透するように広がっていく。
酒の匂いに混じった土の匂いと緑の薫り。果物を食んだかのごとく空気が濃い。
その中心に座る酒呑童子の目には望郷にも似た穏やかなものがある。
『ギハッ――!』
変わる。目が。黒く。
鬼胎属性の輝きが。眼差しにすら呪いを宿す目が。
『ギハハッ――!』
変わる。額に。角が。
赤く。黒く。恐怖を齎すために。
『ギハハハハハ!!』
変わる。変わる変わる変わる。
酒呑童子は人の皮を捨てて変貌する。側近だった時の姿はもう無い。
その装いが目の色とは真逆の白い着物へ変わる。笑い声は狂暴に。無垢などここには無いと言わんばかりに。
およそ人とかけ離れた牙は喰らうため。獣が如き爪は生き物を引き裂くため。
赤く染め上がった髪は雄弁に魔性を語る。それでも尚、彼は人としての美しさも損なわない。
化粧を施したかのような白い肌と整った顔立ち。角も牙も爪も、彼を人では無いと語っているが、その顔立ちが、美貌が、人を酔わせる毒だった。
『ああ、やっぱり……俺は正しい。去年から血も肉も喰らっていないのに……こんなにも俺は俺だ。"現実への影響力"とは本当に不思議だな。心の持ちようだけでこうも変わるか……いや――』
思い出せ思い出せ。ここにいるのは人ではない。
崇めよ崇めよ。人ならざる者を。
さすれば恐怖ではなく、勝利をここに――!!
『俺が魔法生命だからか』
声とともに魔力が広がる。
酒呑童子の鬼胎属性の魔力がラーニャに、マルティナに、そしてマヌエルの召喚した人造人形達に広がっていく。
攻撃としか思えない現象だが、ラーニャ達には傷一つ無い。
「なんだ……? まるで――」
『俺がラーニャ達を強化しているみたいか?』
「!!」
酒呑童子が座っていた人造人形を蹴る。足場となった人造人形はその場に崩れ落ちた。
大通連を構える大嶽丸に酒呑童子は突っ込んだ。
酒呑童子に武器は無い。両の手には黒く染まった五爪。
『音に聞きしその刀! 折らせてもらう!』
「やってみよ! 酒呑童子!」
酒呑童子の五爪と大嶽丸の大通連の斬撃が周囲を切り裂く。
どちらもリーチなど関係ない。纏っている鬼胎属性の魔力がそのまま斬撃へと変わり、周囲の建物や整備されている床を砕いていく。
「【火と成れ】」
『!!』
大嶽丸と密着に近い距離にまでいた酒呑童子が横に飛び退く。
刀だった大通連は刀身も柄も黒い炎へと変わり、酒呑童子がいた場所を焼き尽くす。
飛び退いた酒呑童子は建物の壁にその五爪を突き立て掴まった。びきびき、と壁が怪力でひび割れる。
「猿のようだな」
『鬼だ』
大嶽丸の手元に再び形を成す大通連。
瞬間、酒呑童子が掴まる壁目掛けて刀を振る。
「【風と成れ】」
酒呑童子は壁を無理矢理蹴り上げて空中へと。
掴まっていた壁は蹴った衝撃と、風に変わった大通連の斬撃でボロクズのように引き裂かれる。
「くかっ――! 馬鹿め! わざわざ逃げれぬ空中に舞うとはな!」
酒呑童子は大嶽丸のように飛行できない魔法生命。
空を跳ねていると錯覚するような姿は美しいが、蝶のように自由にとはいかなず、地上にいれば発揮できる怪力もそこでは意味をなさない。
『馬鹿はどっちだ』
だが、そんな事は酒呑童子自身も百は承知。
これは大嶽丸の視線を誘導する罠である。
「っ――!」
「はあああああああ!」
大嶽丸の視線が空中の酒呑童子に惹きつけられたその瞬間、マルティナは赤い剣を振りかぶる。
狙うは一貫して大嶽丸の腕。
条件が揃うまでは大嶽丸が殺せない。ならばその条件が揃う時までどれだけこの敵を弱体化させられるか。
火や風に変わる刀の正体などマルティナはわからないが、手が無ければ武器は扱えまい――!
「大通連!」
赤い剣を薙ぎ払うように振るうマルティナに気付き、大嶽丸は大通連をその手に呼び戻す。
風と成っていた大通連は再び大嶽丸の手の中に戻り、マルティナのその一撃を防ぐ。
だが――
「な――に――!?」
重く鈍い金属音が辺りに響く。
マルティナの一撃を受け止め切れず、大嶽丸の体がぐらついた。
さっきまではじゃれついた子熊のような力しか無かったというのに、明らかに違う攻撃の重さ。
一体何が変化した――!?
「お主まさか……!?」
その謎の正体に大嶽丸はすぐに思い至る。
マルティナの体を纏う酒呑童子の鬼胎属性の魔力。
その魔力はマルティナの精神を侵すわけでもなければ、恐怖を助長させてもいない。
「酒呑童子……かぁ――!!」
「貴様が……いなければああああ!!」
ただその怒りを増幅させて、マルティナを駆り立てる。
壊れた建物が、無人の町が……父との思い出がマルティナの怒りを膨れ上がらせる。
平和な町を、平和な町並みを渇望して剣を振るうその姿はいつものマルティナでは有り得ない。
…………酒呑童子とは、鬼の首魁。鬼を統べる者。鬼を率いる鬼の王。
ゆえに――彼と共に戦う仲間はその全てが鬼であって当然。
自らの傘下にある者は全て、人造人形であれ、人であれ、本物の鬼であれ。
酒呑童子の傘下にいる者は全て鬼。鬼。鬼。
彼の力はその体現。魔法生命でありながらその解放は他者に変化をもたらす。
自分の仲間に酒呑童子の魔力を纏わせ、一時的に獣化ならぬ鬼化を施す魔法生命としては異質な"現実への影響力"。
つまり、ラーニャとマルティナは酒呑童子の解放中――本当の鬼の力を得る。自身の欲望を剥き出しにしながら。
「この国に、来なければ!!」
「『綺麗な巣ができたのね』」
ラーニャの声とともにマルティナと大嶽丸が撃ち合う周囲を囲うように輝く糸のようなものが放たれる。
妖精が張り巡らせる光る蜘蛛の巣。魔力を吸い上げ、大嶽丸の術を無効化するための罠が徐々に広がっていく。
この糸に触れたからと死ぬわけではない。
ただ、確実に魔力が削られる。魔法という本能が避けさせる、気を散らさせる。
逆に、人間であるラーニャやマルティナ、そして元々が岩や煉瓦である人造人形はこの糸の影響を受けない。
(ラーニャが援護に回って……! 余を相手に人造人形を使ったのはこれが理由か――!)
そして、マルティナの斬撃も無視できない。自身の怪力に耐えうる人造人形も無視できない。酒呑童子の動きはもってのほか。
核が破壊されずともダメージを受ければ魔力は削られる。着実に刻まれていく。魔力を補充しようにも人間はここに二人だけ。鬼胎属性の力によって恐怖から魔力を底上げする事もままならない。
(長期戦を狙ってるのか……? いや、それにしては――)
ラーニャ達は長期戦を狙っているようにも短期決戦を仕掛けているようにも見える。
何が狙いだ――?
『合わせろマルティナ! マヌエル! 人造人形を俺達の動きに合わせて動かせ!!』
「はい!!」
『こちらマヌエル! 要求にお応えしましょう』
マルティナと酒呑童子が大嶽丸を挟むように立ち回りながら攻撃を加えていく。
背中に向けられた五爪は大嶽丸が振るう大通連に弾かれ、マルティナの赤い剣の斬撃はその身体能力で躱す。
二人の攻撃の隙をカバーするのはマヌエルの人造人形。速度こそないものの、その巨体は大嶽丸の動きを制限する。
「【火と成れ】!」
「『雪が降ってきた』!」
大嶽丸の大通連が火へと変わり、マルティナごと周囲の糸を焼き払う。
マルティナに迫った火はラーニャの妖精の術が防御を施し、間髪入れずにマルティナは攻撃に移る。
「シュテンさん!!」
『ああ!!』
「ちっ――!」
髪を掠める五爪。足下を斬りはらう赤い剣の斬撃。
大嶽丸は無理矢理に地を蹴り、空中で体を反転させながら回避する。
「大通連! 【風と成れ】!」
「うぶっ……!」
そして刀の姿に戻った大通連は今度は風へと変わり、マルティナと迫る人造人形を吹き飛ばした。
開いた距離は一瞬だけ、酒呑童子と大嶽丸の一対一の状況を作り出すが――
「やらせない!!」
吹き飛ばされたマルティナは赤い剣を力任せに大嶽丸へと投げつける。
鬼の力に強化されたマルティナが投げた剣は少女の腕から放たれたとは思えない速度で大嶽丸の背中目掛けて飛んでいく。
「武器を投げるとは愚かな!!」
大嶽丸はその一撃を横に跳びのいてかわす。これでマルティナに武器は無い――!
「マヌエル殿!!」
『任された!』
通信用の魔石を通じた合図に、マルティナが投げた赤い剣の軌道上に人造人形が飛び出す。
あまりに無理矢理な止め方だが、この場にいる誰もが驚かない。
赤い剣は勢いよくその人造人形に突き刺さり、明後日の方向に飛んでいくような事態には陥らない。
『マルティナ!』
「はい!」
その人造人形から酒呑童子が赤い剣を引き抜いてマルティナへと放り投げる。
まるで最初からそうすると決めていたかのように動く酒呑童子にマルティナ、そして援護するラーニャと人造人形。
その姿を見て、大嶽丸は口角を上げていた。
「くかっ――! よい、よいぞ……! 余がこれほどまでに余裕をなくすとはな!」
ただ攻撃を加え続けるだけの去年とは違う息の合いよう。互いの信頼の寄せ方。大嶽丸に有効な攻撃しかしてこない無駄のない攻撃。
想像できる。自身を殺すために息が合っているのだろ。
想像できる。自身を殺すために考えてきたのだろう。
大嶽丸という巨大な山を乗り越えるために、それだけシミュレーションしてきたのだろう。
「【異界伝承】!」
ああ、その時間をひき潰す快感はどれほどのものだろうか。
「【悪鬼禁獄神虚】!」
地の底から響くような呪いの声。
大嶽丸の全身を日の光すら陰させる黒い靄が包み込み――
『離れろマルティナー!!』
「っ!!」
『間に合え……!』
全力で後ろに飛び退く酒呑童子とマルティナ。
二人を庇うように大嶽丸との間に入った人造人形がぐじゃり、ぐじゃり、と一体、また一体二つ折りにひしゃげて破壊されていく。
「くかっ! かっかっか!! 今終わるには勿体ない宴よ!!」
現れるは黒い靄のような魔力を全身に纏い、隆起した筋肉で周囲の人造人形をいとも簡単に踏み潰す巨体。日月の如く輝く瞳に天上を突く二本の角。
魔法名を唱えて現れた大嶽丸の鬼の姿が、ラーニャ達を阻むべくこの場に現れる。
『警戒しろ! ラーニャ! マルティナ!』
「ええ! わかっています。当然」
「はい!」
身構える三人を前に大嶽丸が出現させた悪鬼が拳を振り上げる。
「かっかっか! よい! ラーニャだけでなくお主も欲しくなったぞ!!」
その拳は第三区画の道に叩きつけられ、石畳の道は砕け散る。
破壊の衝撃に混じって鬼胎属性の魔力が周囲に迸り、数体の人造人形と周囲の家を破壊した。
(早く一体化させなければ……!)
その魔力を躱しながら酒呑童子は大嶽丸を見据える。
魔法名を唱えさせただけではまだ半分。
奴はまだある事を警戒している。その事から気を散らし、早く本気を出させなければ。
いつも読んでくださってありがとうございます。
反撃開始編も後数話。お付き合いくださいませ。