352.ガザスの反撃3 -鬼の欲望-
「違う……?」
大嶽丸は小さく声を零した。
ハミリア家の血統魔法を去年大嶽丸はすでに見ている。マルティナの父、ヨセフ・ハミリアが使っていたのを。
四体の騎兵の人造人形を召喚するだけの――当然普通の人造人形と"現実への影響力"は比べるべくもないが――ガザスではありふれている召喚の魔法がただ発展しただけのような魔法だったはず。
その時にはあった大嶽丸の守護刀、小通連の能力によって一度看破した既知の魔法であるはずだ。
それが……何故一体しか人造人形が現れない?
「父とは違うか?」
「まさか人造人形一体とはな。使えていないのか?」
「私もそう思っていたよ」
マルティナの後ろに召喚されたのは王冠を被り、弓を持っている真っ白な人造人形だった。馬もその馬に騎乗している弓兵の人造人形も不気味なほどに白く、魔力光で輝いているわけでもない。
先程破壊していた人造人形達も普通の人造人形とは一味違う出来だったが……それ以上に、マルティナが召喚した人造人形は奇妙に見えていた。
その奇妙な人造人形が……顔を動かした。
『真なる主。マルティナ・ハミリアとの魔力接続を確認』
言語を発している事に大嶽丸は驚嘆する。
だが、個体としての自我は無いように見える。自身の小通連のような能力によって言語機能が持たされているだけだろう。自我のある人造人形などという珍しいものは早々生まれない。
「ハミリアの敵に……死を」
マルティナの空気が変わる。
目の前にいる敵に明確な敵意を向け、マルティナは人造人形に命令した。
タトリズ魔法学院で友人に囲まれていた少女とは別人のような冷たい声で。
『……第二命令受諾。ハミリアの敵には死を』
真っ白な人造人形は矢を取り出すと、弓を使うことなく……自身の胸に突き刺した。
突き刺した箇所から、真っ白な甲冑がひび割れる。
『真なる主からの魔力接続を魔力簒奪に変更』
そう、大嶽丸は知らなかった。血統魔法がいかなるものか。
血統魔法とは、積み重なった歴史によって"現実への影響力"を増し、そして変化し続ける魔法。使い手の解釈によって様々な"変換"の形が記録されるブラックボックス。
大嶽丸が見たものなど、ただの歴史の一端に過ぎない。
血統魔法に愛された者……それは、血統魔法の全てを扱えるに相応しいと血統魔法に認められ、記録されている血統魔法の引き出し全てを開けられる者。
――人が目を背けたくなるような魔法と、真に向き合える者。
ハミリア家の祖が生み出した、相手を死に至らしめるためだけの血統魔法をマルティナは解禁する。
『【第四の騎士】解放開始。ハミリアの敵に死を。真なる主に勝利あれ』
マルティナ・ハミリアは選ばれた。彼女の父は選ばれなかった。
真っ白な人造人形はひび割れた箇所から崩れ去っていき、その中から現れた"赤い剣"をマルティナは手に取った。
マルティナは針の止まった懐中時計を首にかけて、大嶽丸に殺意を向ける。
「【三名二腰・大通連】!」
マルティナが剣をとったのを見て大嶽丸も自身の刀の名を唱える。
柄から刀身まで真っ黒に輝く刀が大嶽丸の手に現れた。
「かっかっか! 人造人形から出てきた剣とは気味の悪い!」
「人喰いが言うか!」
駆け出す大嶽丸とマルティナ。
互いが持つはただの武器ではなく、魔力を宿した斬撃。
黒い刀と赤い剣は二人の衝突とともにぶつかり合う。
「あ……!?」
声は失望だった。
刀と撃ち合う赤い剣からは特別なものを何も感じない。
マルティナ自身の纏う空気も普通、血統魔法の一部であろう赤い剣もただ斬撃を受け止めるだけだった。
「何か仕掛けがあるのだろうな?」
「っ……!」
大嶽丸の繰り出す斬撃をマルティナは必死に受け止め続ける。
振り下ろす速度に何とか追い付き、腹を薙ごうとする一撃を目で追い、剣で止める。
動きの冴えは多少あるが……その技術にも脅威は感じない。
「くっ……! っ……!」
「……ちっ」
あのアルムという男と撃ち合っていたような高揚感が無い。
退屈という苦痛を自分に味合わせるためにこいつは出てきたのかと、大嶽丸は舌打ちした。
「児戯だな」
「!!」
肩を狙ってきたマルティナの袈裟斬りを一歩下がって躱す大嶽丸。
反撃の一刀がマルティナの首に返されそうになったその時。
「ああ、こういう時に邪魔しに来るというわけか」
周囲に作られた人造人形がその隙を縫って横から大嶽丸に襲い掛かる。
大嶽丸と一対一で戦うなど愚の骨頂。王都に配置されているのはその状況を避けるため、そして大嶽丸と戦う者をフォローするための人造人形だ。
「確かに、この人造人形達をただ無視するというわけにはいくまい」
だが、大嶽丸は刀の軌道を変え、襲い掛かってきた人造人形を事も無げに一刀に伏せる。
人造人形も流石に大通連の斬撃には耐えられなかったのか、斬撃によって核を切り裂かれた人造人形はがらがらと砂埃を立てて崩れ去った。
「あああああ!!」
その一瞬、マルティナが赤い剣を横に薙ぐ。
人造人形に対応していたその一瞬が、今度は逆にマルティナが反撃する機会になってくれた。
しかし、迫ってくる剣にも大嶽丸は焦りを見せない。魔法生命の宿った肉体には魔法生命の外皮が纏っている。下位の魔法などは全て弾くような強固な外皮だ。
大嶽丸は剣の軌道に手を出し、マルティナの斬撃をその外皮で受け止めようとするが――
「!!」
斬撃が手を襲い掛かるその直前。大嶽丸に言いようの無い悪寒が襲う。
その悪寒に従い、大嶽丸は急いで手を引っ込めると無理な体勢で後ろに跳んでマルティナの斬撃をかわした。
「これは――!?」
「腕を、落としてやるつもりだったのに……!」
大嶽丸は引っ込めた手を見て驚愕する。
傷だ。マルティナの斬撃を受け止めようとした手の平にくっきりと、今斬られた傷がある。
まさか……魔法生命の外皮が破壊された? こうも簡単に?
「馬鹿な……!」
大通連と撃ち合っていたあの剣にそんな力があるとは思えなかった。アルムの鏡の剣のように斬撃に重さも無ければ鋭さも感じない。
それが何故今になってこんな"現実への影響力"を発揮する?
「ふー……」
マルティナは緊張をほぐすように息を吐いた。
大嶽丸に謎が解けなくて当然。彼は絶対であるがゆえに……この世界における魔法の知識にあまりに疎い。
"現実への影響力"とは魔法の単純な威力を指すものではない。
ましてや歴史を積み重ね、数多の"変換"を複雑に記録する血統魔法とあらば。
「そんなに不思議、か? 剣で斬られれば……生き物はそうなるんだ」
「く……」
普通なら、という話。マルティナの目の前にいる相手は普通ではない。
だが、ハミリア家の血統魔法もまた普通ではない。
「射られれば傷付く、斬られれば傷付く、殴られれば傷付く――それが生き物の闘争だ。それとも、勘違いしていたのか? あまりに圧倒的な力を持っているから自分は不死だとでも? だとすれば……ば、馬鹿な男だな」
「くく……!」
その"現実への影響力"は単純明快。一切の全てをハミリア家の勝利のためにと捧げられた完全特化の血統魔法。
その本質は、ハミリア家に敵対する生物への絶対殺害権。
魔力を犠牲に四つの段階を経て、最後には使い手に不死すら殺させる……殺害に特化した血塗られた"現実への影響力"。
身体を強化する訳でも無ければ、剣技を向上させるわけでもない、魔法を切り裂く魔剣でもなければ、魔法を防ぐ防御力も無い。マルティナの手に握る剣ですらも血統魔法の一部に過ぎない。
つまりはただ、敵を殺せるようになるだけの魔法。
その一点に全てを捧げたハミリア家の象徴。
世界を侵食し、自分の理を捻じ曲げる闇属性の極地の一つ。
どれだけの"現実への影響力"であろうと魔法生命は魔法であり、生き物。
今はまだ大嶽丸には届かないが……この血統魔法が最後の段階に至った時、マルティナは大嶽丸を殺せる人間へと変貌する。
それが、酒呑童子がこのマルティナを大嶽丸と戦う人間に選んだ理由だった。
「くかっ――!」
退屈は消え、大嶽丸の表情が変貌する。
宿主の顔であるはずの形相はまさに鬼。浮き出た血管と笑い声がマルティナをようやく、自身の敵だと認めた。
「かっかっかっか! そうでなくては! そうでなくてはな! なんだ女子……いやお主! 父親よりもよい! よいではないか!!」
「!!」
歓喜とともに大嶽丸は空へ飛ぶ。
逃げるのかと一瞬思うが……逃げたのなら、どれだけ優しかったであろうか。
「【弧峰に浮かびし黒き雲】!」
マルティナの頭上で大嶽丸は呪文を唱える。
この世界には無い力をこの世界の理に変えて。
王都を破壊し尽くそうとした天候を変えるその呪術を――!
「【一に死を、十に恐怖、百を屍、千を山。人の世に降り注ぐは氷塊の呪詛なり】!」
ただ欲望のために。
興が乗った大嶽丸は一人の敵を試すためだけに町一つを葬り去れる呪術を唱える。
歓喜の表情のまま止まらない。
自分の敵と見定めた相手がどんな手を使ってくるのか。
「どうするマルティナ!? 余の敵であるならば止めてみせよ! 見せよ余に! 人間の力を! 愚かさを! 余の……鬼の敵であるというのなら!!」
王都の空気が一変する。
青空を塗りつぶしながら集まる黒雲。白い雲をかき消して大嶽丸だけが作り出す空へと変えていく。
「それはもう、見た」
だが、マルティナは動かない。
それは自分の役目ではないとでも言うかのように。
「ベラルタの女生徒の勇姿を、あの方は無駄にしない」
何故なら……彼女は大嶽丸と違って一人で戦っているつもりはない。
「【異界伝承】」
この国の女王の声が王都に響く。
「【遠き約束は妖精郷に】」
「!!」
大嶽丸がその肌に生暖かい空気を感じ取った時にはもう遅かった。
聞こえてくる羽音とくすくすと楽しそうな笑い声。そして鼻の奥にまで届く甘い香り。
大嶽丸の横を通り過ぎながら、羽根の生えた小人達が光の鱗粉を舞い散らした。
妖精。
この世界には存在しない生命体が――少女を門にしてガザスの空を飛ぶ。
「ラーニャか!!」
眼下に並ぶ種の一つに立つラーニャ。その姿に気付いた時にはもう遅い。
飛び交う無数の妖精が大嶽丸の出した黒雲へと入っていく。
ラーニャの異界伝承……【遠き約束は妖精郷に】は妖精の術と能力をこの世界で行使する力。
その能力は唱える声にとって様々だが、共通するのは魔力の吸収。そしてそれに伴う術の破壊である。
「ちっ――!」
大嶽丸の出した黒雲が妖精達に魔力を吸収されて消えていく。
魔法や術を構成する魔力を吸収されてはその現象を維持できない。
「かっかっか! 相変わらず苛立つ能力だな! ラーニャ!!」
「それは光栄です。虫唾が走ります。あなたの喜びは」
「ラーニャがいるという事は……奴もきているなぁ!?」
恐らくは、マルティナとの戦いの間に王都の空には無数の妖精が配置されたのだろう。何度あの術を使おうがラーニャを殺さない限り空にいる妖精達に吸収されてしまう。
王都に雹を降らすのは諦め、空から地上に下りながら大嶽丸は町を見渡す。
「お前の策だな? 酒呑童子!?」
そして見つけた。
マルティナの後ろから、マヌエルの人造人形を引き連れてくる酒呑童子の姿を。
「よく使わせたマルティナ」
マルティナの横に並びながら、酒呑童子はマルティナを賞賛する。
マルティナはそんな酒呑童子に一礼した。
「シュテンさんの言う通り、一撃当てれば、つ、使ってくると……」
「ああ、奴は生粋の鬼だからな。自身の敵に相応しいと判断すれば……大技を使ってくると踏んでいた。まぁ、事前に空に妖精を配置できたのはエルミラ・ロードピスがあの術を引き出してくれたおかげだな」
「頭が、上がりませんね」
「全くだ。ラーニャ! まだ油断するなよ」
「当たり前です!」
ラーニャの声を聞く酒呑童子と、地上に降り立った大嶽丸の目が合う。
どちらも宿主の姿、人間の姿をしているもどちらも鬼。
それにも関わらず、二者の立っている場所は真逆だった。
「相変わらず滑稽だな酒呑童子。鬼が人間の味方をするとは」
「俺からすれば、生前と違う人生を歩もうとすらしないお前のほうが滑稽に見えるがな」
「生き方に逆らうのが利口とでも? 酒呑童子?」
「いいや? 模索もせず、ただ生前と同じ欲望に身を任すのが勿体ないと言っているだけだ」
「余は鬼。飢え渇く者。なればこそ欲望に身を任せる事こそが最高の快楽であり、存在意義。その欲を満たす瞬間の一つ一つが余の在り方よ」
鬼である酒呑童子にはよくわかる。
大嶽丸の主張は鬼としてこの上なく正しい。
「そうだ。鬼は嫌でも飢え渇く。確かに欲を満たす瞬間は鬼としてのこの上ない快楽だろう。だがな、鬼の欲は決して一人で満たされる事は無い。人がいてこそ俺達はその飢えを満たす事が出来るのだ。人というわかりあえない者らがいるからこそ」
そう、確かに大嶽丸の主張は正しい。正しいが、その正しさゆえに鬼が滅びたのだと酒呑童子は知っている。
飢えに身を任せ、快楽を得続けたからこそ……自分達は人間に敗北し、今ここにいる。
「ならば……俺のように人を庇護する鬼がいてもおかしくあるまい。人とは俺に快楽を与える者。害する時もあれば、守る時があって然るべき。玩具を壊し続けては楽を得られないと、子供でもわかるとは思わぬか?」
「かっかっか! 道理を説きたいわけではあるまい?」
「ああ……。お前に理解など求めていない。お前と俺は違う。歩んできた生前も、出会った者らも違う。ただはっきりさせたいのは、今の俺とお前の欲望は真逆という事だけだ」
酒呑童子の体から鬼胎属性の魔力が迸る。
黒い魔力光が体を纏い、人間を装っていた化けの皮を今ここに捨て去った。
「崇めろガザスの非力な者共。されば貴様らに勝利を与えてやる」
一体の人造人形が酒呑童子の後ろで四つん這いの姿勢となる。
その人造人形に酒呑童子は乱暴に座った。あぐらをかいて膝をつく。
尊大に、傲慢に。それが当然であるかのように。
「見るがいいそびえ立つ弧峰。数多の鬼を纏め上げた鬼の首領その力を」
ラーニャの側近を務めていた姿はそこには無く――
「【異界伝承】」
人造人形に座っているその姿はまさしく、恐怖を齎す鬼の王だった。
「【大江頭目鬼記絵巻】」
いつも読んでくださってありがとうございます。
詰め込み過ぎた感があるような気がしなくもない……!
『ちょっとした小ネタ』
ラーニャが異界伝承しか使いませんが、彼女は妖精の悪戯でこちらの世界に来たイレギュラーな人間なので家名を持っても血統魔法が使えません。この世界の人間判定がされていなかったりします。