349.ガザスの反撃
「危険な状態は脱したそうです。まだ治癒魔法を重ねる必要はあるそうですが、命に別状はありません。魔獣達はネロエラ殿よりはましですが……疲弊しきっていてしばらくは自力で動けないそうです。治癒魔導士が言うには魔力の回復力次第とのことです」
ラーニャとともに報告に来たエリンの話を聞いて、アルム達の表情が安堵に変わる。
今朝到着したネロエラとエリュテマ二匹の状態は、戦闘によって手足を潰されたのかと思われるほどにひどい状態となっていた。
炎症に内出血、疲労骨折を始めとしたボロボロの手足はマナリルから休みなくガザスまで駆けきった証であり、今は一室を用意されてエリュテマとともに寝かされている。
「まさか輸送部隊がネロエラとはね……」
「ほんとー……驚いたー……」
解毒薬の到着を報告されたアルム達を待っていたのはまさかの見知った友人。
気絶した友人が運ばれる姿は、解毒薬が到着した事を素直に喜ぶには複雑だった。
「でも、ネロエラくんはあんな状態になってでも役目を果たした」
だが、それはネロエラに失礼だと言わんばかりにルクスは言う。
「心配されたくて来たんじゃない。そうだろう?」
「そうね……確かにそうだわ」
「だねー!」
「ええ、ネロエラさんはきっと私達を助けたくてここまで来てくれたのでしょうから」
「そうだ。ネロエラのおかげで……状況を動かせるのはこっちになった」
アルムの声にラーニャが頷く。
今日はタトリズの制服ではなく、女王らしい威厳さを兼ね備えながらも、ラーニャ本人の美貌が際立つドレスを身に纏っていた。
「アルムさんの言う通りです。先程ライラック・パルセトマと名乗る方から連絡が届きました。コルトスから。コルトスを制圧していたカンパトーレの魔法使いを撃破し、拘束されていた住民の救出と町の奪還に成功したと」
「ライラックが……? まさか、来てくれていたのか……」
「はい、ロベリアという方も一緒のようです」
「ロベリアまで……!」
正直いい印象を抱かれているとは思っていなかったため、アルムは静かに驚いていた。
毒と解毒薬について助けを求めたものの、ガザスにまで来てくれるとは想像もついていなかった。
(まさかコルトスの奪還にまで参加してくれるとは……)
カルセシス様と何か取引があったのだろうか? とアルムは考えるが……そんなものは一切ない。
ロベリアとライラックの心中を察することはアルムにはまだまだハードルの高い難題なのであった。
「コルトスの奪還に参加したのはパルセトマ家の方々だけではなく、他にもフロリアという方がカンパトーレの魔法使い数人をコルトス近くの林で撃退し、ラーディスという方とシラツユという方がビクター・コーファーを撃破したそうです」
「ラーディスとシラツユ殿!?」
「ええー!?」
予想外の名前にアルムだけでなく、ルクス達も驚きを隠せない。
当然シラツユ達の名前を知らないラーニャとエリンは、そんなに驚くほど意外な人物達なのかと思わず顔を見合わせた。
「ルクス、シラツユって国外に出ていいのか?」
「ラーディスがついてきてるからセーフ……なのかな? カルセシス様が許可したんだろうけど……」
「なんでラーディスさんが助けに来てくれたんだろー?」
「確かにそういうタイプじゃないっていうのもあるけど……ミレルの復興で手一杯でしょあいつ」
「うふふ、そんなの決まってるじゃありませんか」
ミスティはベネッタとエルミラの疑問に答えるように、アルムのほうに目をやった。
「アルムのために来てくれたんですよ」
「俺?」
「ええ、きっと」
まるでそれが真実であるという根拠があるかのような、確信めいた笑みを見せるミスティ。
そんなミスティの表情を見て、アルムもそれは無いだろうとは言えなかった。
「皆さんの事情は私どもにはわかりませんが、解毒薬の到着とコルトスの奪還によって、住民をかなり安全に逃がす事ができるルートをとれるようになりました。これで……王都であの鬼を迎撃する事を躊躇う理由もありません」
「エリンさん、あの魔法生命と戦える戦力はガザスにあるのでしょうか? お節介だとは思いますが、鬼胎属性の魔法生命は手練れの魔法使いでも精神をかき乱されてまともに戦うのが難しい相手です」
鬼胎属性は人間の恐怖を糧にして"現実への影響力"を増す属性であり、人間の恐怖を煽る性質がある。
ルクスはそれがよくわかっているからこそ、この忠告を口にした。
折れかけた心と強固な心、そのどちらも持って魔法生命と戦った経験があるからこそだった。
「ガザスはマナリルに比べると魔法使いが少ないですから心配されるのも無理ありません。ですが、魔法使いの人選はすでに終えています」
「そうですか……それならいいのですが……」
「エリンの言う通り人選は終えていますが、それで確実に倒せるかと言われれば少々……。
ですので、皆様には王城で待機しておいてほしいのです。私達が敗北するという仮定はしたくありませんが、奴が住民を狙うために私達を無視する可能性もあります。そうなった時に奴を葬れるように。奴に我が国の民が蹂躙されないように。先の戦闘で負った傷が癒えたばかりでこんな事を頼むのは勝手だと承知の上で……お願い致します」
そう言って、ラーニャはアルム達に頭を下げた。
エリンはラーニャが頭を下げたのを見てぎょっとしながら周りを見渡す。こんな所を誰かに見られて広められたら、大嶽丸の事が片付いた後のガザスでのリヴェルペラ家の地位が危うくなるのは間違いない。
心配しなくてもこの部屋にはアルム達しかいないのだが、つい確認してしまったようだった。
「それは勿論です。マナリルとしても奴が消えるのを確認しないと帰れません、東部にはオルリックの領地もありますから、次狙われる可能性もなくはない。少なくとも自分は退く気はありません」
「最悪、ガザスが弱らせたところを倒すくらいの気持ちでいないとね」
エルミラの言葉にラーニャも頷く。
ガザスの民を守れるならばそれでも構わない。そんな覚悟を決めた顔つきをしていた。
「住民の避難を含め、すでに奴を迎え撃つ準備は整っています。タトリズの生徒達と衛兵は避難する住民達の護衛を、マナリルの宮廷魔法使いファニア殿とアルムさん達以外のマナリルの留学メンバーの方々も護衛に加わってくれるそうです。
タトリズ魔法学院学院長マリーカには部隊はタイミングを見計らってシャファクを発ち水源の奪還を、そして私ラーニャ・シャファク・リヴェルペラはエリンや酒呑童子達、そして感知魔法を駆使する後衛部隊と連携して奴を迎撃する手筈です」
「そして、俺達が万が一のためにここで待機」
「はい、皆様がガザスに来てくださったおかげで、傷つきながらも初めて状況だけは優位に立つことができました。もうないでしょう。このようなチャンスは。何故か、アルムさんの傷も回復するという幸運な事態もありましたし」
結局のところ、アルムの傷が何故急に治ったのかは未だにわかっていなかった。
不審ではあるものの、その不審な事態はこの上ない追い風でもある。大嶽丸に単独で対抗できる可能性を持つアルムの回復を喜ばない者などいるはずもない。
だが……結局誰が治癒したのかという謎は謎のままなのであった。
「ねぇ、あれ本当にベネッタじゃないの? 照れ隠しとかじゃなく?」
「だから違うってー……魔力全然無かったの知ってるでしょー?」
「そりゃそうなんだけどさ……」
もう疑われるのもうんざりと言いたげなベネッタ。
アルムの傷が治ってから今日まで、ずっとベネッタではないかと疑われ続けていたのである。
「なんにせよ……奴が次に来た時に終わらせます。全て。そうでなくては皆さんの戦いも無駄になってしまいますから」
アルムによる大嶽丸の武器の破壊、大嶽丸とカンパトーレの意図を挫く解毒薬の到着とコルトスの奪還、アルムに起きた謎の治癒に至るまで……間違いなく戦いの流れはガザスに来ている。
王都シャファクを戦場にして迎撃する手筈はすでに整っており、アルム達と万が一の段取りも共有した今、後は大嶽丸の強襲を待つのみだった。
王都の状況に気付かないのが一番ではあるが、たとえ王都の状況に気付いても大嶽丸は来る。そんな確信がラーニャにはあった。
たとえ住民を毒殺する計画が崩れたからと、あの悪鬼は侵攻をやめたりしない。
むしろ計画が崩れたからこそ、毒よりも遥かに恐怖の対象である……大嶽丸本人は絶対に姿を現すのである。
「私とセーバさんはお留守番ですね」
「……うん」
タトリズ魔法学院の生徒達は住民達の護衛を命じられ、国境近くの町コルトスに向かうために南門に集められていた。
王都にあんな風に攻め込んできた相手と戦わない事に安堵している生徒もいれば、戦えない事を悔しがる生徒、そして命じられた仕事をきっちりこなそうとする生徒と様々だ。
そんな中、タトリズ魔法学院の三年生のマルティナ・ハミリアとマヌエル・ジャムジャだけは別の命令のせいか王城に残っている。
その二人と交流のあるナーラはいつも行動を共にしている二人が不在であることに寂しさを感じていた。門を通っていく住民や人造人形を使った馬車を眺めながら隣のセーバに同意を求めるも……セーバの様子もどこか上の空といった様子であった。
「はあ……マルティナ様成分が足りない……えへへ……マルティナ様……マルティナ様かあ……」
アルムを滅茶苦茶に襲った時の誤解騒動をきっかけにナーラはマルティナを名前で呼べるようになり、その幸福を噛み締めながら身悶えしていた。
隣のセーバは王城のほうを見つめたまま、そんなナーラに何か言おうともしない。
多少ながらも関わったセーバはベネッタ達が王城に残っている事を知っている。
「セーバさん、どうしたんですか? この前から何か変ですよ? お顔がずっとこわこわですし」
「うん……自分でもわかってる」
「マルティナ様とマヌエルが心配なんですか?」
「……うん」
実際には、もう一つ理由があった。
「お二人なら大丈夫ですよ。マヌエルは後方支援ですし、マルティナ様は……お強いですから」
「うん、そうだね……」
「あの……そろそろ生返事が傷付く頃なんですが……」
ナーラがしくしくとわざとらしく泣く演技をしても、セーバはずっと王城を見つめ続けている。
どうやらナーラなりに元気づけようとする冗談は失敗に終わったようだ。
残念がりながらセーバの珍しい横顔を見つめていると、なんだか忘れものをした子供のような横顔に見えてくる。
そんな横顔が急に動いて、ナーラと目が合った。
「ナーラ……」
「なんですか?」
「一生のお願いがある」
真剣な瞳と声色で頼み込むセーバ。
ああ、何かを決意したんだなとナーラにはすぐにわかった。友達だから。
ナーラはにこっと笑って、
「プロボーズ以外なら聞いてあげますよ?」
内容を聞くまでもなく快諾の意を示した。
いつも読んでくださってありがとうございます。
今日は予約投稿となります。
反撃開始編(後)開始となります。第五部も後もう少し……お付き合いくださいませ!
『ちょっとした小ネタ』
ナーラが上級生であるマヌエルを呼び捨てだったり扱いがちょっと雑なのは昔からの婚約者で仲いいからです。
お互いの家の血統魔法を守るために家名を一緒にしない形の婚約をしています。