幕間 -私はとってもダメな子です-
私は正直、このメスが嫌いでした。
人間の縄張りを誰が治めるかを決めるために行うという領地調査その最中。
外に私達がいると知っているのに、このメスはご主人様と一緒に寝ていたはずの小屋から出てきて、何をするわけでもなく雪の積もった平野を見つめていました。
私達という魔獣がいるのに無警戒。まだカーラ様もヘリヤさんもスリマさんも、誰も……このメスのことを認めていませんでした。
このメスは、主人に擦寄って私達の居場所を奪う敵なのではないでしょうか。
……そんなの嫌だ。嫌だよ。
そんな不安が私を突き動かしたのでしょう。
気付いたら私は、あまりにも無防備にしていたそのメスの右腕を食い千切ってやろうと口を開けていたのです。
「この腕ほしいの?」
私達の主人の友人だと名乗るそのメスは、牙を剥いた私のほうを見ながら、耳を疑うような言葉を私に向けてきた。
牙を剥く私を見て、体を引こうともしなくて……ただ私の目を見ながらそう言ったの。
「まだあなた達の事が見分けられないから怒ってる? それもごめんね、この仕事の間にはきっと覚えてみせるから」
そのメスはあまりにも的外れなことを言ってきたの。それだけで私達とは通じ合っていないという事がわかるような。ご主人様と違って私達の感情を全然捉えられていない。
私が、ロータだという事すらわかっていません。
だけど、そんなことは今の私にとって問題ではありませんでした。
このメスは牙を見せている私から逃げ出すでもなく、目線を合わせるようにしゃがんだのです。
腕ではなく、今すぐ顔を食い千切れるような距離にまで近付いて。
「命はあげられないけど、腕くらいあげられるわよ」
そう言われて不運にもわかってしまったのです。
例え種族が違っても、その瞳が本気だという事が。
差し出してくる腕に全く後悔が無いことも。
「私はあなた達のことほとんど知らないけど、あなた達は私の主人の……ミスティ様のために一緒に戦ってくれた子達だから、腕くらいならあげられるわ」
開いた口が閉じませんでした。差し出された腕に牙を突き立てられませんでした。
三匹の私の仲間達がこちらを見ているのにも気付いてました。
今思えば、私は気圧されていたんだと思う。
ミスティ様という方への本気の忠誠。
ご主人様とそのご家族しか人間をほとんど知らない私にとって、それはあまりにも大きな衝撃でした。
私が固まっているそんな時間が少しだけ続くと、
「な、なにしてる!?」
ご主人様が慌てて小屋から出てきました。
私とこのメスの状態を見てまずいと判断したのでしょう。
そして、私もようやく何をやっているんだと思いました。
ご主人様がこのメスに親愛の情を抱いているのは薄々気付いていた……。
まだただの仕事仲間だが友達とやらになれるかも、などという話をご主人様が私達にしてくれていたのも覚えているのに。
このメスに危害を加えようとすればご主人様はお怒りになるなんて考えればすぐにわかるのに。
私はとっても馬鹿でした。こんな馬鹿だから、仲間の中でも半人前なのでしょう。
「おはようネロエラ。何が?」
でも、ご主人様から何か罰があるかもしれないと怯える私とは裏腹に、このメスはとても落ち着いてそう言ったの。
それどころか、詰め寄ろうとするご主人様と怯える私の間に割って入るようにしてくれたのです。
「な、なにがって……だ、大丈夫なのか? フロリア?」
「ええ、別になんでもないもの……ね?」
そのメスが私に語りかけていると気付くまで、私は少し時間がかかりました。
私は何もできずにただそのメスを見つめるしかできませんでした。
「だ、だが今ロータに……」
「ああ、この子がロータちゃんね。どうにかして見分けられるようになりたいなあ、と思って色々見せてもらっていただけよ。牙とかに特徴無いかなって……ほら、北部を色々回ってるのに、私まだエリュテマ達を見分けられていないから」
「く、口の中に……腕を入れてか?」
「ええ、この子達はネロエラの友達なんでしょ?」
「そ、そうだ……契約を結んだ相手であり、掛け替えの無い友人でもある」
「だったら今一緒に仕事している私を噛むわけないじゃない」
どれだけ滅茶苦茶な言い訳をしているのか、私でもすぐにわかりました。
……このメスが私のことを庇おうとしているという事も。
「ふ、フロリア……いくらなんでもそれは……」
ご主人様も当然、そんな事はわかっていました。
けれど。
「私が腕を入れたの」
この人は、そんな滅茶苦茶な言い訳を突き通しました。
ご主人様はため息をついて。
「フロリア……い、いくらなんでもそれは無理だ……」
「やっぱり?」
「だ、だが……この場はそういう事にしておく。え、エリュテマの牙は鋭くて、危ない……二度とやらないでくれ。や、約束しろ」
「悪かったわ」
「……わ、私は戻るが……フロリアは?」
「もうちょっと外にいとく」
「……」
「大丈夫だから」
「や、約束したからな?」
「ええ」
ご主人様はその人を不満そうに見ると今度は私と目線を合わせてこう言いました。
「ロータ。誤解されるのは辛いぞ……そうだろう?」
その時のご主人様は悲しそうな表情をしていて……私も悲しくなったの。
謝ったらご主人様は私を撫でてくれて、小屋のほうに戻っていきました。
「私達怒られちゃったわね」
私をかばってご主人様に怒られたのに、その人は笑っていました。
この人は怒られる必要無かったのに。
「私もちゃんと、あなた達を見分けられるようになるから……改めてこれからよろしくね、ロータちゃん。それと……これは遅くなったけど、ミスティ様を一緒に助けてくれてありがとう」
そう言って、その人は私の名前を呼びました。
何故でしょう……私、もうこの人がいる事が嫌ではなくなっていたのです。
「私はフロリア。フロリア・マーマシー。ネロエラの……えっと……そうねぇ、ただの仕事仲間よ。少なくとも、あなた達の敵じゃないわ」
フロリア。ご主人様と一緒にお仕事をしている人。
ご主人様を否定しない人。
ご主人様と一緒にいていい人。
……私達と向き合おうとしてくれている人。
多分……ご主人様のお友達になる人。きっと、そうなる人。
「信じてくれた?」
いつの間にか、私はこのフロリアという人の隣に座っていたのです。
ああ、ご主人様。私この人が好きになってしまったのかもしれません。
私は駄目なエリュテマです。
私はご主人様とフロリアが本当にお友達になってくれたらと、そう願ってしまったのです。
ご主人様のためではなく、ご主人様がフロリアとお友達になればまたフロリアに会えるかも。
そんな風に思ってしまった……私はとってもダメダメなエリュテマだったのです。
いつも読んでくださってありがとうございます。
一区切りの幕間となってます。
相変わらず誰得の視点なんだと思われる方もいるかもしれませんが、私が書きたかったのです。許して下さい。
明日は更新お休みとなります。月曜日から反撃開始編(後)の更新を開始します。
今日は短編のほうも更新しました。こちらもよろしくお願いします。
白の平民魔法使い 書籍化記念短編集
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