348.ネロエラ・タンズークの疾走7
手に感覚が無くなり始めている。
『それでも』
足がちぎれるように痛い。
『それ、でも』
頭がひび割れそう。
『それでも……!』
魔力切れも近い。
『それでも!』
私はこの足を止めない。魔法は解かない。
隣を走るヘリヤとスリマもきっとそうだ。魔力の限り走り続けてくれるという確信がある。
ロータとカーラをフロリアの所に残す選択は正しかったのだろうか。私と二匹のエリュテマの走力で果たして王都までこの荷車を運べるのだろうか。
私はこの部隊の指揮官だ。否応なしに自分の選択に正しさを求められるのだと思う。
この荷車を運べなかったらきっと、二匹をフロリアの下に行かせた選択は間違いになるのだろう。
ああ、だったら簡単だ。
『間違いに……しなければいい!!』
私達が時間内に王都に到着する……それだけで私達の行動は正しくなる。
私はどちらも捨てられない。甘いと言われても無理だ。
任務のためだからとフロリアの命を捨てられない、フロリアのためだからとこの荷車を捨てられない。
"ワオオオオオオオ!!"
咆哮と伝えてくるその意思でヘリヤが私を激励する。
私は間違っていなかったと、私が何も言わなかったらロータが独断で戻っていったはずだと。
そうだなヘリヤ。
ロータはフロリアに懐いている。
エリュテマは群れを大切にする……仲間を想う魔獣だから。ロータが仲間と認めていたフロリアを見捨てられるはずがない。私の命令を優先してこの荷車を運びきったとしても……きっと一生後悔するだろう。
何より、フロリアに死んでほしくないのは同じ気持ちだった。
"ハッ! ハッ! ハッ!"
スリマは集中して野を駆けている。
ただ一言、私達は私達のやるべきことをする、と。
そうだなスリマ。
どちらも欲しいから……私達は今こうして必死に走っているんだ。
どちらも。どちらも私は欲しい。
思ったより私は我が儘だったのかもしれない。
いいや、我が儘になってしまったのだろうか。
我が儘になったのならそれは……彼のおかげだ。
彼に救ってもらったあの日から、きっと私は我が儘になったのだ。
私の世界には北部とエリュテマしかなかった。
学院はただ学ぶための場所だったし、他人と関わる場所では無かった。卒業するもしないもどっちでもよかった。カエシウス家の交友関係を把握し、他の補佐貴族の動向を探るためだけに私はベラルタ魔法学院に入ったから。
他人に弱みを見せるのが怖くて、口を閉ざす毎日。
子供の頃に平民の子供達と遊びたくて近寄った時の事が私のトラウマだった。怪物だ、化け物だ、そう言われながら逃げられた日の思い出がずっと付き纏っていた。
誰ともかかわらず、あくびが出るような毎日だというのに、一人の時にあくびをする事すらも恐かった。
男装でもすれば、牙が見えた時に少しは印象が変わると思ったのだろうか。そんな保険までかけて毎日を過ごしていた。
ずっと続くはずだったその毎日が、あの日に一変した。
自分は女に決まってると言われて、むかついて、補佐貴族としての役目を果たせなかったからと、やけくそ気味に自分の牙を見せたあの日。
不思議そうな顔をして、彼は言った。
綺麗な白い歯だと思うが……。
たった、それだけ。
けど、その言葉が私を救った。私の弱みを見ても平然としているその人をきっかけに私の毎日は一変した。
「お、ネロエラじゃん。おはよー」
「おはようネロエラくん」
学院ですれ違った時にエルミラとルクス様が挨拶してくれた。
私の牙のことを知っているのに、特に避けようともしない。
「ネロエラさんはご飯はいつもどうしているのですか?」
「そういえばー、どうなのー?」
食堂に続く廊下で出会った時にミスティ様とベネッタが聞いてきてくれた。
人と関わったことのない私でも、お昼を一緒に食べるために聞いてきてくれるのがわかった。
私の牙を知っているからこその気遣いだった。
「おかえりネロエラ。今日は冷えるな」
第二寮に帰ってきた時に、共有スペースでアルムがそう言ってくれた。
寮なんて、わずらわしい場所でしか無かったのに……彼に会えるだけで廊下をスキップするくらい嬉しかった。
冷えるなと言われたけれど、私は温かかった。
「グレースのベッドせまーい」
「だったら床か外で寝なさい。というか、フロリアがでかいのよ。ネロエラを見なさい、ちんまりと収まってるわ」
「ごめんなさいね、私がスタイル抜群の美少女なばかりに……」
「殺すわこいつ」
グレースの部屋に泊まった日、フロリアとグレースと同じベッドで寝た。
友……友達と……こんな事をするのが初めてだった。二人の言い合いがあまりに楽しくて、口元を隠しながら笑いをこらえていた。
「おやすみネロエラ」
頷く私を見て、フロリアが笑って火を消した。
誰とも関わらない日なんてもう無くて、歩くよりも遅かった退屈な毎日が風のように過ぎ去っていく。
明日もきっと、そんな日が来ると信じられる。
『あと……どれくらいだ……!?』
フロリアの言う通り、私は走り方を知ったばかりの子供だ。
小さな世界の中に縮こまっていた私を彼の言葉が連れ出してくれた。
彼にとってはなんでもない言葉だったっていうのはわかってる。
それでも、それでも……あの時の出来事が、私の走り出したきっかけだった。
『いや……そんな事どうでもいい……!』
こんなにも我が儘になってしまったけれど、私はそんな私が誇らしい。
『着くまで走ればそれでいい!』
どっちかなんて願い下げ。
全部、全部欲しい。
私の毎日を変えてくれた人達全てが助かる……今が欲しい!
『どれだけ遠くても――!!』
だから――私は疾走する。
私を救ってくれた人の下にではなく……他でもない私自身が、幸せと信じる未来に向けて――!
ガザス国王都シャファク南門。
大嶽丸の襲撃から十三日。毒によって苦しむ住民達の意識が無くなり始める頃……それは姿を現した。
「ありゃなんだ?」
「ん? ……魔獣だ! 迎撃を――」
「いや、待て! 何か引いてるぞ……?」
朝日が昇り始めた頃、門を見張るガザスの衛兵達がざわつき始める。
道の向こうから走ってくる三匹の白い魔獣。そしてその後ろには大きな荷車。
何かに隠れながら接近してくるわけでもなく、その白い魔獣は王都近辺の整備された道を丁寧に走ってくる。
歪んだ車輪で不格好な動きをする、がたがたと揺れる音がうるさい荷車を引っ張りながら。
「警戒態勢!」
すでに王城には伝達の兵を走らせている。直に魔法使いも到着しよう。
指揮官の指示に、門の前に集まった衛兵達は武器を構えて陣形を作る。
「ボロボロだぞ……?」
「エリュテマだ……」
「マナリルの国章をつけてる……どういう事だ……?」
しかし、武器を構えながらも……衛兵達は戦意を向けられないでいた。
門の前に走ってきたエリュテマ達の足には血が滲み、爪も砕けているよう。
やがて、その魔獣達はゆっくりと足を止める。
立っているのすら難しいのか、がくがくと足を震わせながら二匹のエリュテマはその場に倒れ込むように座った。
エリュテマ達の様子はただ事ではない。衛兵達の中には構えを解く者も出てきていた。
「お、おい!」
衛兵達がエリュテマ達に疑問を抱く中、一匹だけ立っていたエリュテマの体が変化していく。
魔獣が少女に変わるその姿に衛兵達は武器を構え直すも……その首にはマナリルの国章とタンズーク家の家紋が輝いていた。
ぶるぶると震える感覚の無い手足と霞む視界。
限界を迎えた魔力と体の中、最後の力を少女は振り絞る。
「はぁ……! はぁ……! ま、マナリル……か、仮設……輸送部隊アミクス……指揮官ネロエラ・タンズーク……!」
ガザスの衛兵達に少し動揺が走った。
喋る少女の口の中には、およそ少女には似つかわしくない獣のような牙があった。それこそ、今倒れているエリュテマの鋭い牙のような。
ネロエラはそんな動揺を感じつつも報告を続けた。
そんなこと、今はどうでもいい。
「カルセシス陛下から……。はぁ……、はぁ……! アルムへの、報酬……三〇〇人分の解毒薬……輸送……任務、完了……!」
その報告を最後にネロエラは倒れる。
血が滲むほどに走り続けた手足、完全に底をついた魔力、そして一歩も動けぬほどの疲労にネロエラはそのまま意識を失った。
衛兵達はその光景に呆然とする。武器を構えたままの者はもういなかった。
意識を無くし、口を隠す余裕も無いネロエラの牙はその場にいた全員の目に触れる。
だが、ネロエラの容姿に忌避を抱く者などこの場にいるはずもない。
「全員敬礼ぃ!!」
指揮官の合図に、門の前に集まった衛兵達が一斉に動く。
その場にいる衛兵全員が、ガザス式の敬礼をネロエラと二匹のエリュテマに捧げていた。
マナリル仮設輸送部隊アミクス任務完了。
王都まで駆け切った少女の疾走は、反撃の狼煙となる。
いつも読んでくださってありがとうございます。
反撃開始編(前)終了となります。
明日は幕間と短編の更新になります!